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 堀辰雄の「風立ちぬ」を読みました。世評高い作品で読んだ事はなかったのですが、良い作品だったと思います。


 系列的には、吉本隆明の言う通り、「芥川・堀・立原」という事で、下町生まれの江戸っ子が己の素性を隠して、西洋近代文学に憧れる、例えば「サナトリウム」のような名詞を使う事のかっこよさ、憧れみたいなものがあります。こう言うとファッション文学のようですが、実際に読むとそれ以上に彫りが深い部分がある。


 例えば、作中で頻繁に出てくる自然描写は日本的なものの伝統を負っているわけですが、ここには、主人公と彼女とが二人で、高原のサナトリウムで療養していて、ゆっくりと死に迫っていく、その中で自然が輝くように美しく見えるという精神性が現れている。死に近づくという事は、自分達が「自然」に近づくという意味もあって、それが次第に大きな意味を持ってくる。見えているものが、見ているものと一つになっていく感覚がある。


 「冬になる。空は拡がり、山々はいよいよ近くなる。その山々の上方だけ、雪雲らしいのがいつまでも動かずにじっとしているようなことがある。そんな朝には山から雪に追われて来るのか、バルコンの上までがいつもはあんまり見かけたことのない雪で一杯になる。」


 このような描写も、ただの自然描写ではなく、それを見ている主人公ーー彼女の位相で捉えられる。具象的なものと内面的なものは常に相互に干渉しあっていて、作者もそれを意識して描いている。


 現代の芸術全般が低調なのは、一つには、事実は事実として、いわば新聞記事の位相で唯物論的に捉えられている事があると思います。作家は、新聞記事の一つを拡大するようにして描く。そこに説明的な描写が続き、イメージの喚起が乏しい。具体的な事件は常に唯物論的に見られ、金と物が全てとなった現代人の「貧しさ」(豊かさ)と関連していると思います。


 それに対してミシェル・ウエルベックのような作家はニヒリズムによって、つまりはそれらの事物・登場人物を裏返して示す事により、己の精神性の高さを見せる。ここでは、世界に対して芸術家としての自己の高さを保持するにはニヒリズムしかないという作家性を感じます。


 堀辰雄は、戦前の作家なので、そういうニヒリズムとは違う所にいます。目の前にあるものと、登場人物の内面とが、言葉によって横断する事によって、あるイメージを喚起している。このイメージ喚起は文学ーー言葉の芸術ーーでしかできないような、レベルの高いものであると思います。



 「やっとその小屋まで登りつめると、私はそのままヴェランダに立って、一体この小屋の明かりは谷のどの位を明るませているのか、もう一度見てみようとした。が、そうやって見ると、その明かりは小屋のまわりにほんの僅かな光を投げかけているに過ぎなかった。そうしてその僅かな光も小屋を離れるにつれてだんだん幽かになりながら、谷間の雪明りとひとつになっていった。」

 

  「ーーだが、この明かりの影の工合なんか、まるでおれの人生にそっくりじゃあないか。おれは、おれの人生のまわりの明るさなんぞ、たったこれっぱかりだと思っているが、本当はこのおれの小屋の明かりと同様に、おれの思っているよりかもっともっと沢山あるのだ。そうしてそいつ達がおれの意識なんぞ意識しないで、こうやって何気なくおれを生かして置いてくれているのかも知れないのだ……」




 これは雪中で、自分の小屋の明かりを見る描写ですが、ここに主人公の運命が投影されている。運命と、目の前にある具体的な情景とが重ね合わされて理解される。村上春樹の「蛍」の比喩を思い浮かべる人もいるかと思いますが、こうした方法論は言葉の芸術ーー文学ーーが得意とする所ではないかと思います。言葉は、人間の内と外とを問わず縦横無尽に走る事ができる。そこに、視覚のみで言えば、情報量の不足やわかりにくさもありますが、同時に言葉にしかできない、内奥へのイメージ喚起があるかと思います。




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