9 軽いサイン
「マワシ、ですの?」
「おっ、おいっ。何かおかしいぞ、遥、理事長の孫にちゃんと話を説明していないのか? この士道、説明を求める」
マワシの購入に今一つピンと来ていない凛。
額に汗をうっすらと浮かべる弓弦。そんな二人を見て、遥は発言をする。
「そりゃ、そうだろ。ビジネスの話なんだから。売りたい人と買いたい人が話をするものだ。ちゃんと一から説明しないと」
「きっ、遥、ボクの事を騙したなっ。理事長の孫がマワシを購入したいと言う話だからボクはこうしてやってきたんだぞ。この弓弦、不満の声を上げる」
「顔を真っ赤にして青筋立てるなよ。私は相撲部を新設した事を伝えただけだ。その際に道具を揃えていない事を話した。しかし、これはあくまで雑談の範囲だ。そこにビジネスチャンスを見つけただけだろ? だから弓弦、マワシやコスチュームを売りたいと言うなら、もうちょっとちゃんとするんだ。姿勢から出来ていないとは思わなかった」
「ぬっ、ぐぐぐ。ボクの早とちりだとでも言いたいようだな。まぁ、いい。敏腕店長のビジネストークを堪能するといい。この弓弦、取り敢えず着席する」
細く、長く息を吐いて心を落ち着かせて着席する弓弦。そこで例のペン立てに気づく。
「遥、ボクが何を言いたいか判るだろ?」
凛に気づかれない様に小声で呟く弓弦。遥はそれよりも早くペン立てをビジネスの邪魔にならない様にテーブルの端へと移動させた。
「こほんっ。では気を取り直して。私は士道武具店の店長、士道弓弦だ。この士道、今回の相撲部新設の件、まずはおめでとうございます、と伝えておく」
「相撲部、ではありませんわね。四股って素敵な女子になる部活動ですわ」
努めて真面目に対応した弓弦。しかし、聞き覚えの無い言葉に驚いて空いた口が塞がらない。
「おいっ、なんだそのふざけた部活名はっ! 相撲はどこにいったっ! この士道、波防人として抗議する」
「弓弦、お前は瞬間湯沸かし器か。いいか、ビジネスの場なんだから、直ぐに熱く激高するな。まずは一つずつだ」
「えっと、なんですか? その、四股って素敵な女子になる部活動と言うのは? この士道、考えを改めて聞いてみる」
ぺこり、と軽く頭を下げて凛の反応を伺う弓弦。凛は、弓弦の激昂を気にしてはいないとばかりに質問に回答する。
「四股って素敵な女子になる部活動、それは、女性の為の女性による健康、身体を維持し、魅力的な女性になる部活動ですわ」
自信満々に発言する凛。
腰を僅かに前に動かした時に胸がどーんっ、と揺れて、「魅力的な女性」の部分と重なる。弓弦は同じ女性ながら凛の大きなバストに目を奪われる。
「おいっ、この士道、今一度、遥に問う」
「どーした? なんでも言うといい」
どんな質問でもどんと来い、となっている遥の両肩を掴んで視線を合わせると、「めちゃくちゃいい部活動内容じゃないかっ! この部活動に入部すれば、この士道、胸が大きくなるのかっ!」弓弦の胸は小さい、と言うよりまな板と言っても過言ではない。
悲しい現実を察した遥は、「相撲の稽古をしてバストが大きくなるのかっ! と問われれば、それは無い、と断言出来ようものじゃないか?」と敢えてまた弓弦に問い掛ける。
「むっ。なぜだっ。四股って素敵な女子になる部活動とは女性の為の部活なのだろう? なら胸が大きいのは素敵な女性なのだろう? この士道、断言する」
ここで問題なのは、『弓弦は素敵な女子とは胸の大きな女性である』と考えている所である。
胸さえ大きければ士道弓弦は素敵な女子で完璧である。自分の欠点は、胸が小さいと言う潜在的な部分だけだと考えているのだ。
あくまで弓弦自身は自分でそう思っている。
だからこそ遥は残酷な答えを言わなければならない。
「四股を踏んで胸が大きくなるのであれば、弓弦の胸は大きいはず……だよ?」
胸は大きいはず……だよ?
残酷な答えを準備していたのにも関わらず、最後の最後で日和ってしまう。疑問系で終わってしまったのだ。
この気遣いこそが真剣に遥を見つめて話を聞いていた弓弦の心にヒビを入れてしまった。
「おっ、おおおっ、そうっ、そうだっ。こと相撲においてボクほど稽古熱心な波防人はいないだろう。ボクの胸は、成長の限界を迎えてしまっていたのか……この士道、神格限界を迎えていた……やはり……あの時……だから……いやっ……」
頭を抱えてうずくまり、ブツブツと呟き続ける弓弦。
遥は見てしまった。今の今まで話の成り行きを見守っていた凛が、静かに入部届をテーブルの上に置いたのだ。
「今からでも遅くはありませんわ。これから四股って素敵な女子になる部活動に入部して頂けるなら、必ずやバストアップにも繋がります」
スーッと書類を真っ直ぐ滑らせて弓弦の正面に置く。
『いやっ、その保証はどこにもない』と相撲を講習している側の遥がドン引きする間も無い。
「入る」
静かに断言した弓弦はペン立てからボールペンを引き抜くと、流れる様な動きでサインをした。
割とあっさりと五人目の部員を勧誘出来た事実に驚きを隠せない遥。
弓弦は凛にマワシを購入させようと思っていたのに、四股って素敵な女子になる部活動に取り込まれてしまった。
「では、この書類はこちらで預かっておきますわ」
「うむっ。供に四股って素敵な女子になる部活動を行おうでは無いか。この士道、バストアップに期待が膨らむ」
凛はごく自然に自分の鞄に入部届を片付けてしまった。
それに対して何の疑問も沸いていない弓弦が不憫な子でもあった。
「では、引き続きマワシの購入についてだが、この士道、四股って素敵な女子になる部活動に関してもマワシがいるのは無いか? と進言する」
「その理由を聞かせて頂いても構いませんの?」
予定外ではあるが自分の要望が通った凛は、先程よりかは柔らかい対応となる。
「その前に、今現在、どの様な部活動内容となっているか? この士道、今一度ご説明お願いしたい」
「今、四股って素敵な女子になる部活動では、腰割、四股、運び足といった足の運動を中心にダイエットに関わる運動を行っていますわ。部活動が終わった後は畳の間にて水分を補給しながら談笑をしていたり、もありますわよ。各々の目指す体重の為、ある程度カロリーの事を考えてジュースを飲んでいたりするのですれけど」
「これはこれはご丁寧に細部までありがとうございます。この士道、詳細まで聞かせて頂き把握した」
そこまで聞いた弓弦は目を細めて努めて真剣に発言する。
「その集中力、いつまで持続すると思う?」
頑張っている自分達に冷水を浴びせるかの様な態度に怪訝な顔付きになるのは凛。
「いやっ、何、そこまでおかしな話じゃないと思うよ。ダイエット大いに結構。しかし、勉強、運動、趣味、その全てにおいてこの士道、たった一つ思う事がある」
そこまで言って士道弓弦波防人の眼が妖しく輝いていく。
「人間風情がどこまで続けることが出来るかな?」
日本人形の様な可愛らしい外見で威圧感など無い。
だからこそ、たった一つ波防人といった部分を見せる事によって高圧的な印象を与えていく。
「話の本筋は、四股って素敵な女子になる部活動にマワシはなぜ必要か? ですわよ。私や他の部員達の継続力に関しては、関係無い話かと……」
凛の言葉通りなのだが、発言には陰りが見られる程に声色が震えている。
凛は、『凛が必要なのはダイエット運動』では無く、『ダイエット運動を一緒にしてくれる友達』なのだ。そう見破られているのでは無いかと心配になってきた。
「勿論だ。私としても折角入部した部活動なのだから部員は多い方がいい。この士道、皆で相撲が出来ればいいと思っているよ。ただ……お金を掛けるとやる気が上がる、と言うのも事実としてある」
四股って素敵な女子になる部活動でダイエット運動をするのであれば、マワシが必要だと、ハッキリと断言する。
「お金を掛ければやる気が上がる。それは確かにそうかもしれませんわね。でも、そのお金の掛ける場所がマワシである必要もありませんわね」
「勿論、その通りだ。この士道、だからこそ敢えて言おう」
弓弦は立ち上がり、紺色の制服の上から締め込んだマワシを見せつけながら発言する。
「マワシを着用すると気持ちが引き締まる」
それだけである。たったそれだけの事を言うのに大仰に芝居を打っていたのだ。
「にわかには信じられませんわね」
その感想は最もであった。凛の視線は自然と遥に向かう。
「……」
遥は、凛と弓弦の話には干渉する気が無いらしく、第三者的な立場で意見を言わず、また無表情である事を貫いていた。
だから、和音凛。理事長和音源三の孫娘が自分自身で判断する必要がある。凛は長い沈黙の後、この場の誰にも予想出来なかった発言をする。
「仮にマワシを購入するにしても、部費は出せませんわ」
「この士道、理由を聞いても?」
「簡単な理屈ですわ。部費、とはあくまで部活動における共用の物品の為にありますわ。マワシは個人が持つ私物。私物に部費は使えませんわね」
弓弦は、納得はしたが理解はしたくない、と憮然とした表情となって着席する。
「しかし、先程の発言、お金を掛ければやる気が上がる。これは確かにお金を掛けて頂いた事実に関して各個人の士気向上などもあるかと思いますわ。でも、私は自分でお金を出して購入した方がもっといい方向になると思いますの」
「では、購入してくれると言うのかっ! この士道、小躍りしそうだ」
ソファーから立ち上がろうとする弓弦に対し、手を出して機先を制したのは遥。
「弓弦。これ以上脱線する様であれば私は退室するぞ」
「わっ、判った。この士道、自重しよう」
仕方なく着席を続行する弓弦。
「しかし、それはあくまでもマワシが必要だと各個人が感じた時ですの。ですので、マワシがなぜ必要か? なぜマワシを締めないといけないのか? その部分に関して説明が欲しいですの」
マワシを着用すると気持ちが引き締まる、ではいけないのだ。購入して、着用する事によって始めて判る効果よりも、もっともっと効果的な宣伝文句が必要なのだ。
「……う~んっ」
弓弦は感情に訴えかけたり、精神的な部分に関して揺さぶりを掛けたりするタイプなので理屈で説明して欲しい、と言われると辛い所があった。
「仕方ない。この士道、出直す事も考える」
この時間、場所では効果的な宣伝文句を考え出す事が出来ないと言う事実上の敗北宣言でもある。敗北を咎める者がいない場合、この場はお開きとなる。
「パンフレットも持って来たんだかなぁ……この士道、残念だ」
「それだっ」
「それですのっ!」
遥と凛の両方から声を聞いて驚いて目を見開く。
「いやっ、何が? この士道、説明を求める」
「パンフレットって言うのは宣伝文句を書いていたりするんだから、弓弦が何かを説明する事ないんだよ。そこの謳い文句を覚えてから来いよ」
「パンフレットには様々な商品が掲載されていますわよ。それを見てユーザが色々と考えを巡らして自分の欲しい商品を探しますの。そういったモノがあるなら見せて下さいっ!」
凛と遥、二人から説教される士道武具店店長、士道弓弦波防人。
「両方から立体サウンドみたいに発言しないでくれっ。ボクだってパンフレットを出さなればいけない事は判っていたさ。ああっ、この士道、その程度の事は理解していた」
絶対に判る嘘をつく人はいるが、こうも判りやすいと清々しさを感じる。
弓弦は鞄からパンフレットを取り出して、凛に渡す。
「これが相撲用具に関するパンフレットだ」
「今、拝見させて頂いても宜しいですの?」
「勿論だ。この士道、逃げも隠れもせん」
鼻を高くして宣言する弓弦。隣に座って事の成り行きを見守っていた遥は内心、『弓弦のヤツ、パンフレットの謳い文句一つ出してこなかったと言う事は、内容を確認した事がないんじゃないか?』と疑問に思った。