7 答えの無い過去
部室には明美、吹雪がいる。
明美は腰割、四股、運び足といつもの慣れた運動を終わったあと、昨日に遥から教わった鉄砲をしている。
足、腰、腕の三ヶ所を意識する運動なので気を使う。全体的な動きを意識しつつも、部分的にも集中し、改良を重ねていく。
今日は遥がいないので適切な指導を行ってくれる部員はいない。聞けば吹雪の鉄砲は自己流なのだそうだ。
事実として、前に出るのが苦手な吹雪の鉄砲は自己流ではなく癖が強い。前に出たいと意識している気持ちと、前に出たくないと無意識の気持ちが反発しあっているのだ。
明美が知りたいのは基本的な動作、吹雪が知らなければいけないのが精神的な克服方法である。
吹雪の課題は明美とは違う性質である。
明美と吹雪の課題は今現在を持って終わらせることが出来ない。
本日はある意味では相撲とは別種の話である。
「吹雪ちゃん、何を見ているの?」
一通りの運動が終わった明美。畳の間に座っている吹雪に声をかける。吹雪はちゃぶ台の上に本を広げて、ノートを取りながら読み耽っていたのだ。
「相撲の神話に関する本を読んでいたの」
顔を上げて土俵場の明美の目をみて発言する。吹雪は努めて真剣な眼差しを見せている。これは、人と視線を合わせるのが苦手な吹雪なりの稽古である。
『話し相手の目を見て喋る』
日常会話において相手の目を見続けるのは有り得ない事ではある。しかし、吹雪は自分の決めた通り愚直に行動するし、明美の場合は細かい事を気にしない。
吹雪、明美の性格からしてその部分に突っ込みを入れる事が有り得ない。故に会話は続いていく。
「神話っ? どんなのっ? 見てみたい」
吹雪はなんとなくであるが、明美の反応を予想していた。だからこそ、簡素に言葉を告げたのだ。
昨日、遥に教えて貰った鉄砲を自分より巧くする明美を見ているのが辛いから。明美の興味を故意に別の場所に引いたのだ。
「ええっ、いいわよ」
だからこその返答ではあるが、吹雪には意図的に誘導したい事実があっても許せないことがあった。
「でも、土俵場を使用したのだったら土がついているわよ。そのままでは畳には上がれないわ」
融通の効かない性格と言うには自分に取っても不都合に出来ている。吹雪が気にしなくていい所でも注意を払ってしまうのだ。
土ぐらいであれば、後で畳の上を竹箒で掃けばいいのだ。そのぐらい判らない吹雪ではない。
一時でも土で畳を汚している場所に同席していると、経験者の自分の責任であると考えるのだ。
だから、明美に鉄砲を見せつけられ続ける精神的なストレスを考えたとしても、忠告は出てしまう。
この事によって明美は神話を聞く為に畳の間には上がらず、鉄砲を再開するかもしれなくても。
「ふふふっ、それについては大丈夫なのだよ。吹雪くん」
吹雪ちゃんでは無く吹雪くんと呼ぶ。昨日見たドラマの探偵のポーズを取る。
「畳の間の隅にあるカバンを開けてくれたまえ」
探偵の仕草に口調。今、明美のなかではお気に入りなのだろう。そこには突っ込むことはしないでおこう、心に決めた後に視線をカバンへと移す。
全体がピンクでウサギのキャラクターが存在しているカバン。もはや説明は不要であろう。
ここにはいない凛の私物であった。
「和音さんの私物を覗くのは気が引けるわね」
「ふふっ、吹雪くんっ。そのカバン、ウサギのキャラクターをよく見たまえ」
明美の指示に従いウサギのキャラクターに視線を落とす。
可愛くもなく、不細工でもない、何より特徴がない。如何にもウサギの外見をデフォルメしました、と意図が見える。
吹雪はこのキャラクターの事を知らないが、取り敢えず心のなかで、『如何にもウサギ』と言う名前をつけることにした。
如何にもウサギはカバンの中のイラストでありながら、カバンを持っていた。
カバンの使用用途を小さな子供に伝えようとしている意図があるのだが、大人用のカバンの為に吹雪にはあざといキャラクターの様に感じた。
如何にもウサギの持っているカバンは口の部分から水筒、弁当の箸箱、レジャーシートが飛び出しており遠足に向かう途中である事が容易に想像できる。
「もしかして、このカバンの中には水筒、弁当、箸箱、レジャーシートが入っているのかしら?」
熟考、とまではいかないものの吹雪の思考時間は長かった。少なくとも本人はそう思っていたのだ。しかし現実的にはもっと短い時間であった。
明美は吹雪の考えを訂正するように歯を見せてニヤリ、と笑うと、「チッチッチッ」と立てた人差し指を振る。
「いい推理だよ。吹雪くん。しかし、ちょっと間違っている」
事実として吹雪は間違っている。しかし、それは敢えて間違えて見せたのだ。
カバンと離れている距離からでも、口が開いているエコバックタイプなら上から覗けてしまう。
意図的でなくとも、だ。
だからこそ、吹雪の先の発言、『和音さんの私物カバンを覗くのは気が引けるわね』に繋がるのだ。見えてしまった形になっていた。
口に出して発言することで凛に対して気を使ったのだ。
例えその場に凛がいなかったとしても口をついて出てしまう。悪く言えば四角四面、融通の利かない性格。良く言えば真面目な吹雪らしい発言であった。
しかし、明美は凛とは仲がいい。このカバンの中にあるものも、凛本人がいない場でも無造作に置かれている理由も知っている。
「凛ちゃんが部活動中にレジャーシート使っていいよっ、て置いてくれてるの」
口に出して見れば単純な理由だった。
吹雪は、「そうっ」と相槌を打つ。
そっけない返事をした理由は、明美の探偵口調が終わって普通の喋りになった事を、自分のノリが悪かったのではないか? と自責の念に捕らわれているからにならない。
吹雪のノリが明美の想定するものと違っていたのか? 明美が探偵口調に飽きただけなのか? その他、別の理由なのか? それは明美本人にしか判らない。
しかし、吹雪は安心していた。心は安らかだ。
『エコバッグを見る事によって、明美と視線を合わせなくて済むのだから』
どこまでも人と向き合うのが苦手な吹雪。蹲踞相撲によって交流を深めた明美に対してですら苦手意識を持っているのだ。
「そういう話だったら有り難く使わせて頂こうかしら」
エコバッグからレジャーシートを出して広げる。
使用した後にきっちり清掃されており、敷物全体としては土埃などは無い。ここだけ見るとお嬢様と言うよりかは、仕事のできる執事かメイドの様である。
皆の為に色々と考えているのが凛らしくもあり、備品と化した私物一つ取っても存在感を示している。
「うんうん。その方が凛ちゃんも喜ぶよぉ」
良かれと思ってしている行為が他者から受け入れられるのは気持ちのいいものだ。
例え自分がその場にいなくても相手にとってなんらかの幸福を与えているのならば尚の事良し! 凛ならそう感じるだろうと明美は判っているし、吹雪も多分そうなんだろうな? と感覚的に理解できた。
「ここまで綺麗に使用しているんですもの。私たちも綺麗に使いましょ。後で清掃がしやすいように新道さんの座る面積分だけ広げるわね」
「ありがとうっ。吹雪ちゃんは優しいね」
明美の発言は間違っている。
吹雪はレジャーシートを折り畳んで敷く事によって、座る場所を限定しているのだ。自分の座っているちゃぶ台前の位置より右横斜め前である。
自分の正面を避ける事によって、なるべく視線が合わないようにしている。そこに明美は気付く事なく座る。
明美は広げられていた本に視線を落とす。そこに書かれていた内容……
山と、海。古来、村はその二ヶ所に形成されていた。
山からの恵みと海の幸。
動物の肉と魚類の肉と言った方が判りやすいか。後は、お互いに農作物を交換していたりして過ごしていた。なんせたった二つしかない村だ。それなりに仲良くやっていたのだろう。
だが、その山からの恵み、海の幸が、それぞれ他の生物によってもたらされているものだと人間は気付いていなかった。食事をする時、いただきます、ごちそうさま、と言うだろう? あれは他の生命から栄養を頂き、今日一日を生き永らえる事が出来る感謝の意味を持っている。
簡単な話、人間はそこまで理解しておらず、感謝の気持ちを持っていない程には獣だった。
山の村、海の村をそれぞれ統括していた畑山中、波防人、二人の神は人間の成長を見守っていたのだ。
山の恵みと海の幸、動物と、魚と、農作物には限界があった。
人間は多いに悩んだ末に出した結論は……戦争だった。
足りない物は奪えばいい。
互いに結論付けた結果に異論は無く、反論は無かった。
人間の血で血を洗う凄惨な戦争は、動物、魚類、農作物、その他ありとあらゆる資源を豊潤に消費しつつ熾烈を極めた。
いつの間にか人間の数は全体の六割となっていたが、最早、元々の理由も忘れて如何に相手側を滅ぼす事に固執し、その数を実に四割まで減らす事となる。
人間の数を本来の半数以下に減った所で、食糧問題は解決しない。
戦争なのだ。
普段以上に体力、精神力を疲弊し、娯楽など食べる以外に無い。
喰う、殺す、寝る。これの繰り返しだ。
戦争が始まってからと言うもの、人間からの信仰心を頼りに生きていた神様。
その力は衰えていくばかりだった。
神通力の届かない世界では、太陽が昇らず、暗黒が支配する。山々の木々は枯れて、海は荒れる。
動物は死に絶えて、農作物は衰え、海に近づく事すら叶わない。神様無くして、人間は存在しない。
それにも気づかない愚かなる人類の残存は二割だ。絶対数が少ないのだ。誰がその事実に気づくのであろうか?
絶望的な状況にこそ、例外と言うのはある。
それは二人。
一人は少年、もう一人は少女だった。二人はそれぞれ山の村と、海の村の十代の若き戦士だった。
ある日の事だった。
山の村と海の村の国境での戦闘中、激しい雨が降った。
暗黒の世界で大粒の雨は隕石の様なスケールとして着の身着のままの二人に降り注ぐ。同じタイミングで洞窟に入った二人。
顔を見合わせる二人だったが、持っている武器は戦闘中に破損しており使い物にならなかった。だから二人は衣類を脱いだ。自身の身体の急所たる胸、股、腰回りを隠して、戦闘を開始する。
手を使い、足を使い、先駆者から教えて貰った徒手空拳を持ってして相手を滅ぼそうとする。山の村は、海の村はそれぞれが正義を主張し、滅ぶのは相手の村。
『だから相手はどうなっても構わない』
剣を持ち、槍を構え、弓を引き、何人も殺し、殺され、数を減らした来た人類だ。
ここで一人減った所で何一つ変わらない。
しかし、少年と少女は、武器を用いず、自分の拳が相手の顔面を殴り痣を作る様を、自分の蹴りが腹に入り、苦しみ声を上げる様を、顔色一つ変えずに見る程には獣に落ちていなかった。
刃なく人を殺す事は苦行に近い。
必殺の一撃を見舞うとしても、自分の手に、足にその感触がつきまとう。
足が竦み、拳は震え、精彩を欠く。だが、二人の感情を支配しているのは、たった一つ。
『殺さなければ、殺される』
相手が山の村だから、相手が海の村の出身だから、それだけで殺すに値する。
唇を引き締めて、身体を構える。
目で相手を見抜く。次に見舞うは必殺の一撃。
これで終わる。
苦しみから解放される。
二人の呼吸は静かにその時を待っていた。
近づき合い、拳を合わせて相手に向かって叩き……だが、その場を支配したのは稲光であった。
一瞬の事であった。暗黒の洞窟が照らされ、全体が見える。二人が目にしたソレは畑山中、波防人の変わり果てた姿だった。
人間からの信仰心を無くした神様は徐々に姿、形を変えて、最終的に手の平で握れる程度の木彫りの像へと形を変えていた。
少女の背を見守る様に畑山中、少年の背を見守る様に波防人の像があったのだ。
それは全くの偶然であった。少年、少女の生まれた時代は戦争の時代。
相手の神の形を知らない二人は、目の前にある像が逆であった場合、互いに殺し合いを続けてたであろう。
神は、一目見て、神様と判るぐらいには神通力が残っていた。
少年と少女は互いの神を取り、変貌した姿を見て泣き出した。
自分らの勝利を誓っていた神が今にも死にそうなのだ。
そんな二人を見て、神様は言う。言葉は二人の脳へと語り掛ける。
『戦え』
戦え、と。
殺し合うのでは無く、競い合い、切磋琢磨し、種の保存につとめよ、と。
武器を捨てても、素手で殺し合うのでは無い。
人類はお互いに命を奪うことなく、豊作、大漁、自身と他の種族の種の保存に努めよ。
それが滅びゆく神の言葉である。
それだけ告げると畑山中、波防人はその姿を消した。思いを握りしめる様に手の平に力を込めて立ち上がる少年。
少女もまた、その言葉に感銘を受けていた。
殺し合うために戦うのでは無い。自らを高める為に戦う。
いつしか雨はやんでいた。
天候が戻り、太陽が昇り、海は静かになった。
しかし、ここからだ。
荒れ果てた大地を立ち直さないといけない。
少なくなった種の保存と繁栄に力を入れないといけない。
少年と少女、二人は手を取り合って、洞窟を出て行った。
「あれっ? 相撲関係無いっ?」
明美が吹雪の補足説明を聞きながら神話の最後を聞いた感想がコレである。
「明美さん。いい所に気付いたわね」
吹雪は先程のお返しとばかりに人差し指を立てて、「ちっ、ちっ、ちっ」と指を振って見せた。
少し、ノリのいい所を見せようと頑張って見た。
人差し指の揺れを真剣な眼差しで追う明美の表情に、想像以上の反応だと顔を綻ばせる。
「いつの間にか探偵と助手の立場が逆転っ!」
驚愕の表情で天井を仰ぎ見る。今度は驚くのは吹雪の番であった。
「是非っ。そのまま続けたまえっ!」
どうやら助手と警部の二足のわらじをする事によって自分を保つ事にした明美。
吹雪の肩に両手を置き、ググッと力を込めていく。レジャーシートの位置関係に関わらず、肩を掴まれ正面から見据えられると同時に、視線が真っ直ぐ合ってしまった。
『あっ』
視線を合わせて気づく。明美はおちゃらけているが、知識の吸収に関しては貪欲であるらしい。
言葉の内容はともかく、全てを追及するその姿勢こそが吹雪に取っては敵なのだ。
もし、これが相撲に関する事では無く、自分に向けられたものであったなら吹雪は自分を保てなくなるだろう。
それほどに吹雪は脆く、儚い。
吹雪に取って幸いなのは、神話と相撲の関係性を追求されている、と言う一点のみだ。
吹雪は努めて優しく明美の手首に触れて、拘束を解くように指示する。明美も吹雪の動きに従い手を離す。
明美は吹雪の目を見つつも時折本へと視線を落としていく。それが、吹雪に取って次なる言葉を吐き出すスイッチとなった。
「そう、これはアレよね。要するに、ここの部分、
【 そんな二人を見て、神様は言う。言葉は二人の脳へと語り掛ける。
『戦え』
戦え、と。
殺し合うのでは無く、競い合い、切磋琢磨し、種の保存につとめよ、と。
武器を捨てても、素手で殺し合うのでは無い。
人類はお互いに命を奪うことなく、豊作、大漁、自身と他の種族の種の保存に努めよ。
それが滅びゆく神の言葉である。
それだけ告げると畑山中、波防人はその姿を消した。思いを握りしめる様に手の平に力を込めて立ち上がる少年。
少女もまた、その言葉に感銘を受けていた。
殺し合うために戦うのでは無い。自らを高める為に戦う。】
この部分が後年、相撲になったとされているわ。だから相撲って言うのは男女混合で行われる世界中を見ても稀有な競技となったのよ……とされているわ」
「へぇ~」
「新道さん。これはね、学校の勉強と違って正解とする公式が有って答えが存在する訳で無いの。民間伝承の類なのよ。風習、口碑、伝説、俗信、芸能、文献、その他ありとあらゆる歴史的事実、虚実を織り交ぜて未来に与えられる影響。関係も無関係も選ぶのは人間次第よ。現代における相撲の原点とは遡っていくと無数のルーツがあるのよ。私は、それを紐解いていきたいの」
それはある意味では納得できないものでもあり、だからこそ調査するのに値する、と吹雪は考えている。
気になるのは他者が調査した時にどういった結果を想像するのか? それを吹雪は最も重要視している。
自分が正しい訳ではない。
だからと言ってソレを否定する誰かが正しい訳でもない。
過去を知る事は誰にも出来ない。
未来を知る事も。
だからこそ知ろうとする行為は尊いのだ。
吹雪は相撲の歴史に向き合う事が好きなのだ。
吹雪の発言を聞いて、明美には一つの疑問が存在していた。それは自ずと考えなしに唇を割り言葉として発言される。
「二人、幸せになれたのかなぁ?」
この世に生まれた落ちた場所。
その場所が偶然にも山の村、海の村と言うだけで殺し合いに発展した若い男女。
明美はこの二人が手を取り合って生きていく事を望んでいた。フィクションの中の人物であってもハッピーエンドを望まずにはいられない。
優しい性格から生み出される感情は、吹雪の考えと同様に尊いものだと肯定されなければならない。