3 薫子吹雪といきなりバットエンド
「うぅ~、足がヒリヒリするよぉ」
翌日。
四股を十回六セット。六十回も踏んだことによって、生まれたての小鹿の様に震えながら夜を超えた明美。
ちなみに今は放課後。ようやく普通に歩けるようになり、武道場へと向かっていた。
「でも、これでちょっと痩せたかな?」
「いやっ、まだだっ」
「わっ!」
驚き、後ろろ振り返ると遥がいた。
「驚かせて申し訳ない。武道館に行くんだろう? 私も一緒に行こう」
「うっ、うん。いいよぉ」
「ありがとう。先程の話の続きだが、ダイエットとは継続する事に意味がある」
現実的な言葉。但し、その言葉の意味する所は、ゼツボウ、である。
「だよねぇ」
「明美くん。例えば君は今日、朝食、昼食と食事を摂っていると思う。それに関してのカロリーはどうなるのだ?」
「えっとぉ? どうなるのぉ?」
「贅肉になる、と考えてもいいぞ。なぜなら昨日の運動は今日のカロリーを消費しないからだ。今日に得たカロリーはその日の内に燃焼する。それが、四股って素敵な女子になる部活動の存在意義だ」
贅肉、その元が体内に……そう考えると体重が増え肥満体型になるイメージが明美の中に広がる。そうならない為にも運動は続けないといけない。
「よしっ、今日もシコるよぉ」
「んっ……シコるとはまた……まぁ、いいっ、その意気だ」
もはや突っ込むきも無い遥。
明美と二人並んで武道館に入っていく。
相撲場の扉まで来た時である。
唐突に明美が声を上げる。
「そうだっ、ちょっと気になっていた事があるの」
「ふむっ、なんだ? 言ってみたまえ」
明美が気になっていた事。
それは朝に確認したラインのグループだ。
グループメンバーに薫子と言う人がいた。
「薫子さんって誰?」
「吹雪くんの事かっ!」
「吹雪さん?」
「そぅ、薫子吹雪」
会話しながらだったからだろうか? 遥は特に警戒する事無く、相撲場へと続く扉を開ける。
「……」
そこにいたのは下着姿の女性……なのだが、下着の上、つまりブラジャーを今、まさに脱いで床に落としていたのだ。
遥の視線がブラジャーを見つめる。
上から下に重力と言う力がかかり、畳の上に落ちていく。
「……」
突然の状況に対応出来ないのは室内の女性だけではない。
遥も下着を視線で追った後、再度、視線を上に上げる。
誰よりも細い身体でありながらも健康的、胸は小さくブラジャーなど必要ないのでは無いか? そう思ってしまうほど。しかし、彼女は女性である。
薫子吹雪。
「きゃっ、きゃあーっ!」
片手で胸を隠した彼女。空いている手が頬を張る為に向かってくる。
「遅いっ!」
飛んできた張り手、咄嗟に手首を掴めるのが遥である。
「吹雪くん。学生相撲で張り手は禁じ手だぞ。気をつけたまえ」
「……」
「だが、もう少し早ければ当たっていたかもな。精進したまえ」
「なっ、何を言っているのよぉっ!」
裸を見られて怒った吹雪は筆箱、鞄、上履き、お菓子、コップ、やかん、ラジカセ、どこにあったのか? 包丁まで遥に向かって投げだす。
「私に当たるわけなかろう?」
冷静に顔をずらしながらかわした所になぜかブラジャーまで飛んできた。しかも、それだけ当たる。
「むぅ、これはブラジャーか?」
「とっ、とりあえず、出ましょう」
明美は遥の手を引いて一旦退室しようとする。
「返してよぉっ!」
引き戸をまたいで出ていこうとする遥の顔に手が伸びてブラジャーが剥ぎ取られる。
ピシャアッ!
扉が勢いよく閉まる。
「明美くん、今のが薫子吹雪。つまり、吹雪くんだ」
「えっ、ええっ」
明美は顔を引きつらせる。何事も無く説明する遥に引いているのではない。
武道館の入り口方向からドス黒いオーラを禍々しく感じたからだ。
「あらあら、今のは何の騒ぎかしら? ハルカくぅんっ」
呼び方が遥ちゃんから遥クンになっただけでもドス黒いオーラだったのに……ハルカくぅんっ、になると禍々しくドス黒いオーラが全身から湧き出てくる。
「ふむ、凛くんか?」
冷静に呟いている遥。しかし、一瞬の後、凛にアイアンクローで締め上げられる。
「うわぁ、すごいぅ」
明美の驚きも無理も無い。凛の身体はムキムキのマッスルボディになっている。しかも背後のオーラはなぜか悪魔の形になっていた。そんな女性(?)が遥にアイアンクローを掛けるとどうなるか?
「凛くん。私は吹雪くんの着替えを覗いた訳ではない」
答えは、遥の身体が腕一本の力で宙に浮く、だ。冷静な受け答えをしている遥だが、顔を掴まれただけで、顔が宙に浮き、足がブラブラと揺れている。
「フシュー……フシュー……」
凛は人間らしからぬ声を上げながら、遥に対してのアイアンクローの力を強める。
「いいぞっ、もっと力を込めるといい」
「遥ちゃん。早く逃げなきゃ」
ここに来てようやく明美が素に戻る。
「いやっ、いいんだ。明美くん。アイアンクローはプロレスの技だが、相撲の技術にも掴む、と言うのがあってだな……マワシを掴む事が重要なのだよ」
「とか言っている間に顔の形変わっていますよっ!」
「それで、いい。掴む力は重要だ。と言っても、少し意識が落ちてきた。私もまだまだ稽古不足だな……圧倒的なパワー、その前には私も無力だった、と言う事か?」
どんどん元気のなくなっていく声にどうする事も出来ない明美。
「だが、凛くん。アイアンクロー……それは……相撲では反則……だ」
遥の声が弱々しくなる。
「ああっ、遥ちゃんっ!」
「フシュー……フシュー……」
遥の意識が落ちると共に、凛の後ろにいた悪魔のイメージが消えていく。それにならうように、凛の身体も小さくなっていく。
「あらっ? 私は何をしていますの?」
倒れ込んでいる遥を見つめる凛。
「明美くん。これだけは聞いてくれ。いかなる理由であろうと、相撲で顔を攻撃するのは反則だ。我々は学生だから、な……ガクッ」
「あああっ、遥ちゃん! 起きてぇ」
「まぁ、まぁまぁまぁ。どういう事ですの?」
力尽きた遥と、その手をしっかりと握って声を掛け続ける明美。凛が不思議な人たちを見つめる感じになっている。だが、色々と不思議に思うのは明美だった。
「なっ、何も覚えていないのぉ?」
顔つやつやしてますけどぉ? と突っ込みたい気持ちが出てくる。凛は少し嫉妬深いのではなかろうか? そう考えている明美の視界に白い羽が落ちてくる。
「これ、なに?」
「ええっ、これは天使の羽ですわ」
「天使のはねぇ?」
「あれですわ」
明美が視線を上げるとそこに武道館の屋根は無い。なぜか空が広がっており、雲の間から天使が三匹ほど下りてくる。
「人はね、力尽きると天使に運ばれますの」
「えっ、どういうことぉ?」
「見なさい。ほらっ、次々に天使が下りてきますわね。十匹くらいかしら?」
「ええええっ!」
凛が指差す方向から十匹の天使は遥の身体を囲み、ふわぁっ、と飛んでいく。
「お逝きなさい。高見遥。貴方は罪を償うのです」
「ちょっ、ちょっと凛ちゃん。遥ちゃんが! 遥ちゃんがっ! 空に連れ去られる」
明美は駆け出してく。遥を助ける為に、全速力で。目の前に相撲場の扉は無い。なぜか真っ直ぐな道になっており、天使を必死に追いかける。
「明美ちゃん。遥ちゃんは罪を償うべきなの」
「あああっ、連れてかないでぇ!!」
明美の悲痛な叫びが武道館に木霊する。
お迎えが来てしまった高見遥。天上の世界まで連れていかれる。
残念。この作品はここで終わってしまった。
バッドエンド その一 高見遥、天上の高みへ逝く。
なんて事は無く、物語は続いていく。
「ぬぅ。どういう状況だ?」
目を覚ました遥の目の前にあるのは大きな山脈である。衣服に包まれた胸と言う山脈を見上げる形で、誰かの膝の上にある。
「ひざまくら、か?」
顔を上げると、ふよっ、と胸に当たる。
「高見君。ようやく起きたのね?」
「伊藤先生か。昨日ぶりだな」
「こらっ、昨日ぶりかな? じゃないでしょ? まずは先生の膝から下りなさい」
「これは失礼した」
遥は正座して伊藤先生と向かい合う。
「しかし、なぜ伊藤先生がここに来ているのです?」
「そりゃ顧問だもの。来て当然だわ。それよりも誰かに言う事があるんじゃないの?」
「むぅ?」
遥が周囲を見渡す。相撲場、畳の間でちゃぶ台を囲んでいるのは、伊藤先生、明美、凛、そして吹雪だ。
「吹雪くん。先ほどは申し訳なかったな」
「あっ、いっ、いえっ、こちらこそ、ごめんなさい。なんか大変な事になっちゃって」
アイアンクローでの気絶の事を言っているのだろう。
「高見君、よく出来ました。薫子さん、次から更衣室で着替えるのよ」
「はっ、はいっ、すいません」
「それに和音さんもよ。むやみに悪魔化しないの」
「申し訳ないですの」
「見慣れている光景なんだ」
明美は少し呆れている感じをだしながらも、凛がシュンっと小さくなっているのを見て、話題を変えようと凛の袖を引く。
「ねっ、ねねっ」
「明美さん、どうしましたの?」
「先生ってシコる部の顧問なの?」
「シコる部って言うのは略しているのかしら? 駄目よ。略して言うと知的に見えないわよ。四股って素敵な女子になる部活動の顧問よ。私、新道さんがしっかりと部活動を極めれていた事に安心したのよ」
ちゃぶ台の上に置かれている入部届。今は顧問である伊藤先生のサインも記入されている。これは昨日、高見が伊藤先生に渡したものだ。
「せんせぃー、これからよろしくお願いします」
元気よく軍隊式敬礼をして、か・ら・の・~! 慌てておじきをやり直す。
「そうよ。新道さん。女の子は礼儀正しくね」
「そして、こちらが薫子吹雪くんだ。明美くん、仲良くしたまえ」
「薫子、吹雪です、宜しくお願いします」
「新道明美です。よろしくお願いします。吹雪ちゃんって呼んでもいいのかな?」
「ええっ、いいですわよ」
「なんで和音さんが返事するのよ」
吹雪は不満の声を上げようとするが、明美がそれを遮るように、「よろしくね、吹雪ちゃんっ」と声を上げて吹雪の手を取る。
「あっ、えっ、よっ、よろしくっ、新道さん」
「ふぶきちゃん、大丈夫? 顔真っ赤だよぉ?」
「えっ、ええっ、大丈夫よ。新道さん」
「えっとぉ、呼び方なんだけど、明美さんっ、いやっ、明美ちゃんでいいよ?」
「そっ、それはちょっと……」
顔を赤くして背ける吹雪。
「早いんじゃないかしら?」
「えっ? 何かいった?」
「えっ、ええっ、なっ、なんでもないわ。よろしく、し・ん・ど・う・さ・ん」
「明美ちゃんでいいのに~」
「吹雪ちゃんは照れ屋なのですの」
「そうなんだ~?」
吹雪は顔を真っ赤にして畳を見つめだす。
「はいっ、自己紹介も済んだところで、今日の部活動を開始しましょうか?」
「おっ、と、そうだったな。準備をしよう……」
「明美ちゃん、私達も準備ですわ」
「うんっ、凛ちゃん。今日も沢山シコろうね」
「新道さん。それは四股を踏むって事なの?」
「そうだよぉ~。頑張ろうね」
皆、それぞれ会話しながら更衣室へ入っていく。
「元気があっていいわね~。さて、私はこっちを準備しないと、ね」
伊藤先生はスマートフォンを取り出して、連絡を取りながら部室を出ていく。
「もしもし、伊藤です。実はお願いしたいことがありまして……」
お着替え完了。
明美、凛、遥、吹雪の四人は距離を等間隔に取って、土俵の周囲を囲んでいる。明美、凛は体操服とブルマ。
遥は裸にマワシ。吹雪は体操服の上からマワシを締めている。細い身体の上から締め込んでいるので、その分マワシが太く見えている。
「おぉ~、マワシだぁっ! ふぶきちゃんも締めるんだねぇ」
「えっ、ええっ、少し不格好かしら?」
「そんな事ないよぉ。吹雪ちゃん、かっこういいよぉ」
「あっ、ありがとう」
赤面し、うつむく。
「……ふむ、今日は昨日のおさらいと、新しい動きを覚えようか?」
「新しい動きですの?」
「いいねっ、やってみたい」
「明美くんは元気いっぱいだな」
「がんばるよぉ!」
その声を聞いて、遥は意地悪い笑みを浮かべるが、当の明美は気づいていない。
「では、いこうか?」
まずは昨日までのおさらい。準備運動のラジオ体操から始まり、腰割、四股を行う。
蹲踞、塵手水に関しては動きを覚えているので省略である。
「はぁっ……はぁっ……疲れますわね」
「んっ……だねぇっ」
体力の削られている明美と凛に比べて、遥、吹雪の二人は涼し気な表情をしている。
「腰割十回二セット。四股十回三セット。まぁまぁ、ね」
「ここから、まだ続けるから……このぐらいで丁度いいだろう」
笑顔すら見せている。
「ふぶきちゃん、すごいねぇ」
「小さい頃からやっているから、このぐらいは、ね」
「そうなんだ。細くてキレイだもんね」
「きっ、綺麗だなんて、そんな事ないわ」と言いつつも赤面している。
「普段の運動量の差だな。明美くんも直ぐに慣れるさ」
「ほんとう?」
「ああっ、本当だとも……では次に行ってみよう」
「何をするんですの?」
「それはなぁ……運び足だ」
「はこびあし?」
「すり足と言ってもいいぞ。吹雪くん。手本を見せてやってくれ」
「ええっ、いいわよ。じゃあ、皆、土俵からもうちょっと下がってくれるかしら」
明美、凛、遥は土俵から下がって吹雪の動きに注目する。
中腰の姿勢から両方の拳を地面につける。
「すぅー……ふぅー……んっ!」
一回大きく深呼吸した吹雪。拳を上げて肘を九十度曲げると、低い姿勢のまま前に進む。右足、左足と交互に地面を擦るようにして土俵の外周を一回りする。
「おっ、おぉー?」
動き出すと結構早かったので見逃してしまった明美。
「なかなか難しそうな動きですわね」
「そうね。最初は戸惑うかしら」
「ふむ、ではこうしよう。四人で一列に並ぼう。私、凛くん、明美くん、吹雪くんの順番だ」
この順番で前の人の動きを確認しながら、土俵外周を一回りしてみた。最初なので動きは、ゆっくり判りやすく。
「おっ、おぉー。なんとなく判ったよぉ」
「私もなんとなく理解出来ましたわ」
「よかったわね。和音さん、新堂さん」
「では右回り、左回りそれぞれ三周してみよう」
「わかったよぉ。がんばるよぉ」
「その意気だ。ではいくぞっ!」
「おー」
先頭と最後の人を遥と吹雪にする事によって右回り、左回り、どちらの時も経験者の動きを見ながら運動する事が出来る。
明美、凛の動きも六周目を終わる頃には動きに迷いが無くなっていた。
「けっこう運動したねぇ」
畳の間に腰掛ける明美。凛に疲れが見え始めたので、今日の活動はお開きとなった。
「そうだなっ。今日は頑張って貰ったからカロリー消費も大きいだろう」
「だよねぇ」と言いながらブドウジュースに口をつけるのは明美である。
「新道さん。それ、何?」
ゴクゴクッとブドウジュースを飲んでいる明美を見つめる吹雪。顔色が宜しくない。
「えっ? これブドウジュースだよ。おいしーの」
その言葉を聞いて頭を抱える遥。
「明美くん、それは意味ないぞ」
「えっ、なんで?」
「明美ちゃん、運動した後にブドウジュースを飲んだらカロリーを摂っていますわよ」
……ナウ、ローディング
……明美は固まっている。確か、今日、家で筋肉痛に悩まされながら手に取って飲んだのは何だったろうか? ブドウジュースである……つまり、これは……
「二本目、飲んじゃった」
「さてっ、稽古を続けるぞっ!」
「明美ちゃん、頑張ってですの」
「ふふっ、じゃあ、カロリー摂取分、新道さんだけ厳しくしましょう」
「えっ、ええっ! ちょっ、ちょっとぉ待ってぇっ!」
遥に手を引かれて、明美は土俵に向かわされる。
復習の意味も込めて皆の運動の倍頑張った明美。
もうヘトヘトである。