21 遠慮なんかせず
ラジオ体操から始まり、腰割り、四股踏み、運び足、受け身まで。相撲の基本の動きを行っていく運動もこれだけの量となってくると流石に汗だくにもなってくる。
持って来ているタオルで時折、顔、身体の汗などを拭き取ってはいるが、そろそろ追いつかなくなってくる頃、身体状況とは裏腹に明美、凛の心理状況は晴れやかであった。
「はぁっ……はぁっ……運動もここまで続けるとなると流石に体力の違いが見えますの」
「はぁっ……はぁっ……だよねっ。私もダイエットの為とは言え、なかなかいい運動になっていると思う」
明美、凛の相撲未経験者組が息を切らす中、涼しい顔つきで何やら話し込んでいるのは遥、吹雪の経験者組だ。
同じ経験者であるはずの弓弦は早々にリタイアし、伊藤先生の隣で茶を啜っている。
「粗茶ですが」
「士道さん。それは本来であればお茶を差し入れしている先生の言葉よ。学校の給湯室で沸かしたお茶であるのは代わりないけどね」
本日、相撲部には大きめのヤカンの蓋ギリギリまで水平にお茶が入れられていた。
「取り敢えず、きゅーけいっ」
「次の稽古はなにかしらね?」
伊藤先生の疑問をほぼほぼ聞き流しながら、弓弦より受け取った紙コップに口をつけて水分補給をする明美と凛。
「以外と冷たいっ」
「部室に備え付けられている冷凍庫の氷を入れてますのね」
「そういうこと。この士道、製氷皿を家から持って来ておいた。水なら蛇口を捻れば出るからな」
「いいこいいこっ」
「気が利きますのね」
「でへへへ」
明美と凛の二人から交代に頭を撫でられて、まんざらでも無い様子の弓弦。頬が緩みきって顔が蕩けている。
「そうそう。凛ちゃんもマワシ購入したんだよね」
「ですの。和音財閥を盛り上げる為に金運上昇の効果がある金色のマワシにしましたの」
体操服、ブルマにマワシ姿の凛だったが……「弓弦ちゃん。もしかして今度は嘘をついて凛ちゃんを騙そうとしたの?」弓弦を撫でる明美の手に力が籠る。
「ちょっ、ちょっと待て。この士道、確かに金運が上昇すると言ったが、あくまで本人の努力次第。努力の末に最後に運に頼る的なお守り扱いにしてくれと伝えている。凛も了承済みだ。ボクのサラサラヘアーが乱れるから、撫で撫でをワシワシに変更しようとするのはやめてくれ~」
「凛ちゃん、大丈夫? 弓弦ちゃんは結構直ぐに嘘をつこうとするから気を付けた方がいいよ?」
「大丈夫ですわ。こう見えても嘘つき同士の会話には慣れていますの。このマワシも何やかんやありまして半額で購入出来ましたの」
「もうお店を経営できないっ。この士道、悲しいぞっ」
「どんなやり取りをしたか判らないけど、次は定価で買ってあげてね」
「明美は優しいなぁ! この士道、友達は君だけだ」
すがり付くように抱きついた弓弦。凛はその様子に呆れて、「嘘をついて一日マワシ姿で過ごさせようとしなければ定価で購入しましたの」と発言をした。
「前言撤回っ」
「あっ、明美。距離を取らないでくれ。ボクが悪かったぁっ。うううっ、この士道、愛が欲しいいいいいっ」
血涙を流しそうな勢いの弓弦に軽く引いた二人は距離を取った。そんな中、弓弦に救いの手を差し伸べた部員が一人。
「おおっ、君だけは判ってくれるか。遥、いやぁ、この士道、持つべきものは友達だなぁ」
遥の手を握って立ち上がらせて貰って感謝の言葉を述べたのだが、「そこまで声を出す元気があるなら稽古を再開しようか?」
「うっ、この波防人に相撲の稽古が必要なんてどうかしている」
「そうやって相撲の稽古を疎かにし続けるのもどうかしていると思うぞ」
「遥ちゃん、次の稽古決まったの?」
「ああっ、少し回り道ながら一つずつこなしていこうと結論付いた。まぁ、一つずつやっていこう」
「千里の道も一歩から、ですわねっ」
「そういう事だ。じゃあ、皆、稽古を再開しようか?」
現在の部員の恰好。
新道明美、ピンクのスポーツウェア、黒いマワシ。
高見遥、黒いスポーツウェア、白いマワシ。
和音凛、体操服、ブルマ、金色マワシ。
薫子吹雪、水色のスポーツウェア、白いマワシ。
士道弓弦、制服のような紺色のスポーツウェア、白いマワシ。
五人は等間隔で距離を取って土俵を囲むように立っている。
「まずは説明だ」
「これまで通り動きを見せるのは私がやるわ」
「このボクが遥の言う事を聞くなんて……この士道、後で絶対頭撫で撫でして貰うからな」
東西から土俵の中に入るのは吹雪、弓弦。
「仕切り、と呼ばれる動作がある。相撲の勝負、もとい取組前の準備となる。実際に大会となってくると細かい動作の順番があるが、今は割愛させて貰うぞ。取りあえずは本日の稽古に必要な部分のみにしておこう」
「わかったよぉ」
「判りましたですの」
明美、凛の肯定を受けて、遥は説明を続ける。
「土俵中央にある仕切り線に両手をついて、仕切りの姿勢となるのが相撲の取組には必要不可欠だ」
吹雪、弓弦は中腰の構えとなり、そこから両こぶしを前に出して仕切り線につける。
「これが、仕切りだ。この構えとなった後に勝負が始まる」
弓弦は吹雪が、吹雪は弓弦が拳を仕切り線についたのを確認して、前に飛び出していく。
「んっ! この士道の突進を受けよっ」
「くぅっ。小柄ながらなかなかのアタリねっ」
手本でありながらも割とガチな突進を受けた吹雪は足を数歩後退させる。
「ストップだ。二人とも。今日は、ここまでの動作を行う。相手と呼吸を合わせて仕切りの構えとなり、飛び出して組み合っていく。この動作を身体に染み込ませてみよう」
「ふっ、見たか、ボクの強さっ。この士道、全力である」
「もの凄い汗の量だけど大丈夫かしら?」
背を反らせて得意げな士道の額や頬をタオルで拭う吹雪。
「ぬがもあいとぅ(ありがとう)この士道、感謝する」
「そしてこの稽古についてだが、初心者の明美くん、凛くんの二人にやって貰う事にするぞ」
「わかったよぉっ」
「経験のない私達二人で大丈夫ですの?」
「うむっ。それについては秘策があるっ」
不敵な笑みを漏らす遥。その秘策とは……
土俵中央、明美と凛の二人は仕切りの姿勢となっているが、その距離は近い。
「遥ちゃん、これでいいのぉ?」
「うむっ、慣れて来たら徐々に距離を離していく。二人の習塾度によって立ち合いの稽古は変化するのだ。まずは額同士が触れ合う程の距離から始めていく」
「こんなに顔が近いと少し恥ずかしいねっ」
「なんとなく照れてしまいますわ」
『そうっ。その恥ずかしい、照れてしまう気持ちを失くしていくのが立ち合いの稽古だ。
目と目を合わせて見つめあう。それは日常生活では、なかなかしない行動ではある。
ダイエット感覚から競技としての相撲へと変化させていく。それが狙いでもある』
「では、これから合図を行う。はっきよい、と私が声を掛けたら低い姿勢のまま、すり足で踏み込んでいこう。まずは慣れることが肝心である」
「わかったよぉっ」
「やってみましょうですのっ」
「いくぞっ……はっきよい」
遥、凛の二人は両手を離して相手に対して向かって行く。
元々額同士が触れ合う距離の為、直ぐにお互いの身体が障害物となる。そこで感じるのは、相手の肉体が前にある事により、自分の身体が思い通りに動かせないと言う意識。
二人がそれを感じる前に、遥によって肩を叩かれる。
「ストップだ。なかなかいい感じだぞっ」
「本当?」
「うまく出来た感じがしませんの」
「向上心があるのはいい事だが、まずは素直に喜んで欲しいな」
遥は明美、凛に微笑みかける。
「うっ! なんか素直に喜べないような気持ち悪い笑み」
「その笑みはロクでも無い考えを思いついた時の顔ですの」
「ははっ、酷い評価だなぁっ。でも、そりゃ、そうさ。じゃあ、次はお互いにマワシを取る事を意識してやってみようか? 向上心があるのはいい事だなぁっ」
意地の悪い笑みに対して藪蛇だった、と凛は顔をしかめた。
「凛ちゃん、やってみようっ!」
「遥ちゃんっ。結構やる気ですのね」
「うんっ、だって折角マワシも購入したんだもん」
凛のしかめっ面も明美にかかれば柔和に戻る。
「判りましたわっ。これも、うまく出来るようになる為に頑張りますの」
「その意気だぞっ。二人とも」
再び額を突き合わせて仕切りの姿勢で構える明美、凛。
二人の顔付きには照れと緊張が入り交じっている。
「いくぞっ……はっきよい」
「んっ!」
「やぁっ!」
明美、凛はお互いにマワシを掴むことを意識して、低い姿勢で身体をぶつけあう。額を付き合わせた姿勢から、牛が角を付き合わせる様に頭を付け合って、お互いにマワシに手を伸ばす。
「ストップだ。なかなかな様になってきているぞっ」
「マワシって結構遠いんだね。取れないよね」
「今イチどの辺りにあるのか判りませんの」
「まぁ、まぁ、その辺りについては別の稽古の時にでも……取りあえずは立ち合いを続けよう」
遥は二人に少し距離を取るように指示を行う。そ距離は30センチである。仕切り線に拳を付けた時、その距離は70センチとなるので、約半分である。
「結構遠い気がするけど」
「先程まで額を付き合わせていましたの。この距離だと、どう動いていいか判りませんわ」
「一緒さ。低い姿勢のまま、すり足で踏み込んでいこう」
『問題は、その姿勢と踏み込む距離によって立ち合いにも変化が生じる事だが……今は気にする事はないだろう』
「と、言う事でさぁ、構えて」
「頑張ろう、凛ちゃん」
「判りましたですの。明美ちゃん」
明美、凛の二人はもう慣れた動作で仕切りの体勢に入っていく。
顔を突き合わせていた時の照れは若干無くなった……が、お互い距離感に不安がある。そういった意味合いでの緊張感が発生し、なんとも言えない表情の二人。
「いくぞっ」
だが、二人の心象、及び状況に関わらず合図は行われる事となる。
「はっきよいっ」
「んっ!」
「やぁっ!」
明美、凛の二人の踏み込みは浅い。お互いに遠慮があるのだろう。
遠慮がもたらしたものは、「はいっ、やり直し」ほぼ直立に近い姿勢になりつつあった二人を諫める遥の声であった。
「えっ? なんで、まだぶつかってないよ?」
「明美くんの疑問も最もだが、二人とも。相手に遠慮してはいけない。思いっきり踏み込んでみるといいだろう。もし、何かあっても二人の直ぐ後ろで監督している吹雪くん、弓弦くんの二人のサポートがあるんだから」
「未経験者同士、遠慮なんかせずに思いっきりぶつかっていけっ! この士道、もしもの時は全力逃走だっ」
「逃走しては意味が無いのだけれども。でも、そうねっ。新道さんも、和音さんもお互い未経験者であると言う事は事実、思いっきりぶつかった所で負傷にはならないはずよ。私と士道さんを信用して思いっきり踏み込んでぶつかり合うといいわ」
「弓弦ちゃん。吹雪ちゃんっ、ありがとうっ。頑張るねっ」
「私も、思いっきりいきますのっ!」
弓弦、吹雪からのサポート宣言を受けて、再び仕切りの体勢に入っていく。
「いくよっ、凛ちゃん」
「遠慮はいりませんわっ。明美ちゃん」
『二人とも準備万端の様だな』
「いくぞっ、はっきよいっ」
「んっ!」
「やぁっ!」
お互いの表情は真剣。
互いにすり足で低い姿勢。相手に対してぶつかっていく気持ちで前に出ている。その勢いが相殺されるのは、明美と凛の身体がぶつかった時である。
「「んっ!」」
明美には凛の身体が、凛には明美の身体が障害物として立ちはだかる。
相手の身体を壁として感じた瞬間、「ストップだ。そう、なかなかいい動作だぞっ」遥は笑顔を明美と凛に見せた。それは確かに相手を褒める為の嘘偽り無い笑顔である。
「ほんとぉ?」
明美の疑問に、「ああっ、本当だとも。低い姿勢のまま、すり足で踏み込む。その基本はバッチリだ」と答える。
「でも、仕切り線はここですの」
凛が指差した位置は、明美と凛の練習位置より少し後ろ。東西に位置する仕切り線同士の距離は七十センチである。
「その通り。そしてここからが立ち合いで最も重要なポイントである。低い姿勢のまま、すり足で踏み込む。この練習は問題無い。だとすれば次は、低い姿勢のまま、すり足で早く、強く当たれる様になるのが目標だ」
「早く、強く……」
どうすれば、遥の言っている動作が出来るのか? 明美は考える。
「仕切り線の位置から練習するとなると、そういった事が重要となる。そして、それは学生力士の課題でもある訳だ。じゃあ、少しやってみよう」
「まずは実践あるのみですの」
「その意気だぞっ。では、やってみるとしよう」
「判ったよぉ。じゃあ、いっくよぉっ」
仕切り線の位置まで下がる明美、凛。七十センチと言う位置は近い様で遠い。徐々に離れていく距離で感じる事。
今まで相手の身体を頼りにぶつかっていた、いやっ、ぶつからせてもらっていたのだが、これからは自分の技術をもってして相手に狙いを定め無いといけないと言う事だ。
実行の為に必要な事は、低い姿勢のまま、すり足で早く、強く当たる事。
仕切りの姿勢にも熱が篭り、先程までの照れはどこへやら、集中力が高まる事が緊張感にも出てくる。
目の前の相手をしっかり見る事による立ち合いの成立。
明美の凛の二人の集中力、緊張感が遥にも伝わり、『相撲に対して真剣になれそうだな』と微笑ましく思う。
「いくぞっ、はっきよい」
「んっ!」
「やぁっ!」
低い姿勢のまま、すり足で早く、強く当たる。初心者であり、これだけを念頭に考えた場合だからこそ、出る音がある。
明美と凛の身体の接触は、
バチィっ!
と快音を響かせてお互いにぶつかりあった。
「ストップだっ」
遥が二人の肩を叩いて硬直を解かせる。二人の真剣な表情、基本に忠実な姿勢は経験者から見ても問題は無い。
「完璧じゃないかっ!」
遥の声に、明美が反応するより早く、後ろから弓弦が抱きついてくる。
「いいぞっ、いいぞっ、これぞ相撲って言う醍醐味の積もった当たりだった。この士道、遥は、もっと語彙力の高い褒め言葉を準備しておいた方がいいと提案する」
「弓弦ちゃんっ。遥ちゃんもありがとう。なんかよく判んないけど、上手く出来たならよかったよぉっ。これで私も相撲が出来るね」
「もう、これは相撲と言って差し支えないと思いますの。これから私達二人、経験者に負けない様に上手くなっていきましょう」
明美の手を握る凛の手が熱い。
それだけ一生懸命運動し、集中し、真剣だったのだ。




