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深海の街  作者: 記章
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第二話「星空の待ち人」その5

第二話「星空の待ち人」その5


街は暗闇に沈んだ。

丸田宅のリビングでは、室内照度に反応して、

パナソニック製の有機ELシーリング照明が灯り、暗闇を窓の外へ押しやる。

歩美は相変わらず良い香りのコーヒーを飲みながら、

今夜はカフェインの摂り過ぎで眠れないかも、と思う。

「まぁ、夜まで待ってください」と言われ、2時間が経つ。

宮本と丸田は何でもない雑談で盛り上がっている。


その時インターホンが鳴った。

丸田は宮本と一度視線を合わせると、軽くうなずき、玄関へと向かった。

しばらくして、丸田は客人を連れて再びリビングに現れた。

若い男性。

無精髭を生やし、ユニクロのライトダウンジャケットにジーパン、

リュックサックを背負っている。

学生だろうか。

少し怯えた表情でリビングを見渡した彼だが、

その視線の先に歩美をとらえた瞬間、少し同様したように顔が揺れた。


「佐野くん、という」


丸田の紹介に合わせて、男性が頭を下げる。

歩美と宮本が自己紹介をして、4人とも席につく。

そして、丸田から「不審者の真相」が明かされた。


事の起こりは2日前だった。

深夜1時頃、物音に丸田は目を覚ました。

庭に向かうと、そこには佐野がいて、彼を不審者だと思った丸田と揉み合いになった。

佐野もまさか人がいるとは思わずに、突然の襲撃に驚いたが、

すぐに持っていたLEDランタンを灯して、話し合いを呼びかけた。

最初は警戒していた丸田だったが、話しているうちに徐々に事情が明らかになった。

丸田は佐野が凶器を持っていると思っていたが、それは佐野が持参していた天体望遠鏡だった。

佐野が言うには、2週間前から、夜間に特別行政区に入り込み、「星を見ていた」というのだ。

最初は、路上から見上げていたが、手入れされていない街路樹や、

放置されている住宅の植生が陰になってしまい、

見通しの良い場所を探して街を徘徊するうちに、丸田宅を見つけたという。

特別行政区に人が居住しているとは思わなかった佐野は、格好の場所を見つけたと、

一週間前から毎晩、丸田宅の庭で満天の星空を堪能し、天体望遠鏡を使って惑星を眺めたりしていた。


「いやはや、お恥ずかしい。自分の家の庭に一週間も前から人が入り込んでいても、

 なんにも気づかなかったわけですからな」


丸田の物言いには悪気がないが、その言葉に佐野は「すみません」と目を伏せる。

さて、丸田が歩美を呼んだのは、佐野の処遇をどうすべきか、ということを相談したかったからだ。

丸田としては、特に被害を受けたわけでもないから、事を荒立てたくはない。

ただ、一般論でいえば、特別行政区への無断立ち入りは、犯罪にあたる。

うっかり境界線を超えてしまったくらいであれば注意で済むかもしれないが、

佐野の場合は2週間近く自覚的に特別行政区に出入りしている。

良くても書類送検、最悪の場合、悪質とみなされれば起訴される。

特別行政区管理法への国民の支持は、厳格な行政区財産の保護政策の遂行と表裏一体の関係にある。

特別行政区における私有財産がしっかりと保護、保全されているからこそ、住民たちは納得して、

中核都市への移住を受け入れたからだ。


一方で、奇妙なのは、2週間近くも立入り許可証不携帯の状況で、

特別行政区を徘徊しているにもかかわらず、

そして、その事態を把握しているにもかかわらず、警察が何らの動きも取っていないことだ。

いや、それよりも歩美の心を捉えていたのは、

2週間分もの不審者侵入情報が、一切市役所だけに上がってきていないことだ。

やはり、真田と協議する必要がある。歩美は空中を素早くタイプし、

エバーノートにメモを追加した。


「彼も反省しているし、別に悪いことをしていたわけじゃない。

 黙ってやり過ごすことはできないもんかね」

「それは少し難しいかもしれませんね」


丸田のあまり褒められないその提案に、宮本が冷静に受け答える。


「いずれにせよ、彼の行動はセコムにすべて把握されて、監視データは蓄積されているでしょうし、

 少なくとも私が聞いている限り、警察は『彼』の動きを把握しています」


佐野の表情が見るからに曇る。

宮本は例の巡査の話をしているのだ。


「警察から何も動きがないのは不自然といえば不自然ですが、それは警察の事情によるのでしょう」

「いや、でも、彼にはまだ将来がある。まだ大学3年生だ。これから就職活動もしなきゃならん。

 このご時世だ、何がマイナスになるかわからん。宮本さんもわかるだろう」

「おっしゃることはわかります。ですが...」


宮本もその後の言葉を継げなかった。その時、小さなつぶやきが聞こえた。


「いいんです」


歩美にはそれが最初、言葉に聞こえなかった。

リビングのストーブがその出力を上げるため、ほんの少し唸ったようにしか聞こえなかった。

丸田が佐野の方を見つめているのを見て、今の唸り声が佐野のものだと悟った。


「いいんです」


佐野は顔を上げ、溜息のように吐き出した。


「何が良いんと言うんだね」


丸田が困ったように、佐野を見つめる。


「警察に行きます。僕が起こしたことは犯罪なんですよね」

「そんな。たまたま、夜空を見上げていただけじゃないか」

「でも、特別行政区と丸田さんのお宅に無断で立ち入ったのは事実ですから」


歩美は佐野の目に浮かんでいる諦めの色に戸惑う。

こんなにも何も見ていない瞳は久しぶりだ。

ただ、まぶたを開いているだけ。

視界に入るすべてのものをデフォーカスして、自らに結びついてくる、あらゆる意味を無視する瞳。

自分が認識しなければ、向こうからも認識されないとでも言うかのように。

深淵を覗きこまなければ、深淵もまたこちらを覗きこまないと信じているかのように。

あの目だ。あの頃の父の目だ。

ふいに胸の奥に苦味がせり上がるが、周りに気づかれないようにゴクリと嚥下する。


「僕はどうすればいいですか?明日の朝一で出頭すればいいですか?」

「そんなことを言うもんじゃ―」

「あぁ、まだこの時間なら警察署はやってるかな」

「私の好意をムダにする気か!!」


丸田の大声に、続けようとしていた佐野も口をつぐむ。

しばらく沈黙が降りる。丸田はふっと息を吐くと、佐野に頭を下げた。


「大声を出したことはすまない。君が警察に出頭するなら、それを止める権利も義務も私にはない」


佐野は驚いている様子だった。

自分の倍以上年上であるはずの丸田が頭を下げていることに。


「ただ、何事も投げやりではダメだ。自分にウソをつくこともいけない」

「なんで...」


佐野の声に、先程までにはなかった震えが交じる。


「なんで、あなたにそんなことを言われなきゃいけないんですか!」


丸田の返答は、今までで一番温かかった。


「私も同じだったからだよ」


つづく...

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