第二話「星空の待ち人」その3
ちょっと読みにくいので、一回分の掲載量を刻みます。
第二話「星空の待ち人」その3
エレベーターの扉が開いた。
フロアへと出てきた数人の中に、待ち人の姿を見つけると、真田は微笑む。
待ち人の方も彼に気が付き、一瞬、面倒くさそうな表情を浮かべて目をそらしかけたが、
気づかなかったフリもできないと思ったのか、
同僚らしい男性たちに先に行っているように促した。
「何のつもり?」
機嫌は良い方ではないようだ。
「何って、久しぶりに話をしたくて」
待ち人は何かを言いかけたが、人目の多いエレベーターホールから、
真田を端へと引っ張っていく。
「本町」の官公庁ビル、通称「新浜ランドマークタワー」。
新浜市の行政府や官公庁が同居する巨大なビルのエントランスフロアは、
昼時、人で溢れかえる。
あまり目立たない場所まで来ると、待ち人はようやく真田の腕から手を離した。
「なんで、人目を避けるのさ」
「あんた、自分の立場と私の立場、わかってないの?」
「市役所の職員と、県警の美人女性警部」
「いや、そういうことじゃなくて」
「僕らを見て何かを思う人がいても、放っておけばいいじゃない」
「あんたはそういう性格だから出世しないのよ」
「うん、出世には興味が無くなったからね」
「そう言うと思った。で、なに?」
「ありがとう。君はいつも優しいね」
真田はにっこりと笑う。
「優しさとかじゃないわよ!早くして。今日は部長とのランチだから、早く合流しないと」
「そっちの職場は大変そうだね」
「あんたとは違って、『窓際』じゃないからね。一分一秒、
ミリ単位で自分の立ち位置を意識しなきゃいけないの」
「昔から器用だもんね」
「あんたに言われたくないわよっ!」
そう言って真田を睨みつけるが、鋭い口調に反して、その眼に怒りの色はない。
ひと通りまくしたてて少し気が抜けたのか、一つため息をつく。
「分かった、分かった。私の負け。で、何が知りたいの?」
「うん、実は先日、特別行政区の四ツ街地区に不審者が入ったらしいんだ」
「立入許可証不携帯対象ってことね。そんなのよくある話じゃない」
「うん。それがね、おかしいんだよ。僕のもとにセキュリティ会社から報告が上がってこないんだ」
真田は少し言葉を切り、相手と目線が合うのを待って言った。
「何か知らない?」
待ち人は視線を外し、逡巡するように瞳をさまよわせた後、もう一つため息をついた。
「『知らない』って言ったら?」
「やっぱり、優しいね」
真田は満足そうに微笑む。これでうっすらと全体像が透けて見える。
「もういい?私、食事行くよ」
待ち人は高価そうな腕時計に目をやる。
「うん、大丈夫。あとは自分で調べられるから」
真田は去りゆく背中にひらひらと手を振った。
『今日早く抜けられませんか?』
宮本からダイレクトメッセージを歩美が受け取ったのは、
市役所の休憩室で一息ついている時だった。
何しろ宮本からメッセージが送れられてきたのは初めてだったし、
その上、いつもやり取りをしているパブリックアドレスではなく、
プライベートアドレスへのメッセージに、アリカが案の定ニヤついている。
『わぉ、デートのお誘い?』
『うるさい、そんなわけないでしょ』
いつも通りアリカへ反論しようとするも、歩美自身、なぜか周りに気兼ねして、
素早く空中をタイプし、テキストで対応する。
まさか、と歩美も思う。
別に宮本が嫌いなわけじゃない。
むしろ、ビジネスパートナーとしては、気が合う方だと思っている。
でも、好意を抱いてはいても、それは、仕事の先輩として、
あるいは人生の先輩として、だ。
今まで宮本を「男性」として見たことはなかったから、
歩美はこのお誘い(?)をどう受け取っていいのか、正直分からなかった。
『なに妄想してんの?』
気がつけば、“目の前”にはアップになったアリカのニヤケ顔。
もう!
アリカを強制的に最小化して、歩美は宮本に返信する。
『どうかされましたか?』
堅い?
プライベートなメッセージなら、もう少しフランクな口調のほうが良かったかな?
宮本を意識している自分に気がつき、なぜか自然と顔が熱る。
ダメ。こういうのは苦手だ。
それも当然のことで、歩美は男性と付き合ったことがない。
もちろん、今までも殿方からの「そういうお声掛け」は何度かあったものの、
その時々で、部活や、勉強、就職活動、仕事などに夢中になっていることがあり、
もともと「恋に恋焦がれる」ような性格でもなかったから、丁重にお断りをしてきた。
歩美自身、自分はいわゆる「モテない人間だ」と冷静に分析しているつもりだが、
親友の菜々や、めぐみに言わせれば、
「あんたは異常なくらいに鈍感か、ものすごーく計算高い悪女のどっちか」だと、
なぜかいつも説教をされる。
最近は、仕事に慣れるのに精一杯で、男性との接点といえば、
同じ役所の職員か、それこそ宮本くらい。
菜々達に合コンも誘われるが、未だに役所の仕事は、
「時間を掛けなければ終わらない、古き良き時代の遺産そのもの」で、
結局、一度も参加できていない。
とはいえ、いずれは結婚もするんだろう、と思う。
子どももできて、どこかのタイミングで仕事をやめて、
専業主婦になる日も来るのかもしれない。
でも、それは小学生が中学生になるように、自然に訪れるものだと思っていた。
いや、違う、ダメ、ダメ!
自分は何を考えているんだろう。
こんなんじゃまた、アリカにからかわれる。
歩美は冷静になるため、自販機でアイスコーヒーを購入すると、
冷たい苦味の塊を一気に喉奥に注ぐ。
少し頭がクリアになった。
普段冷静で慎重な宮本が、敢えてプライベートアドレスにメッセージを寄越し、
さらには早退を促す、というのはよっぽどの内容だと思った方がいい。
心のどこかに、浮つく部分はあるが、
落ち着いて考えれば、仕事に関わる大切な内容を伝えたいのだと、理解すべきだ。
最近、宮本は元気がないようにも見えたから、もしかしたらそのことかもしれない。
メッセージを確認すると、すでに宮本から返信が来ていた。
『折り入ってお話があります』
歩美もすぐにテキストで返信する。
頭では整理してみたものの、なぜかそわそわする。
『メールや、通話ではお話できませんでしょうか?』
『お付き合いしていただきたく。できればお会いして、お話がしたい』
心が大きく跳ねる。
違う、違う、絶対にそういう意味じゃない。
宮本も人が悪い。歩美は思った。
なぜ、誤解を招くような表現をするんだろう。
心にふつふつと浮かぶ複雑な感情を振り切るように、歩美はすぐに返信する。
『業務後ではいけませんか?』
『できるだけ早くお会いしたいのです』
あぁ、もう!
もしかして、からかわれてる?
でも、乗りかかった舟だ。
『分かりました。どこに伺えばよろしいでしょうか』
『市役所にお迎えに上がります』
それはダメ!
心が再びざわつく。
『早引きする関係で、人目もありますし、お迎えは結構です。私がご指定の場所に伺います』
『それでは―』
3時間後、予定通り早退した歩美の姿は、四ツ街駅にあった。
「お呼び立てして申し訳ない」
丸田の淹れるコーヒーは、相変わらず美味しい。
この味と香りに免じて、宮本の紛らわしい物言いは水に流そう。
初めから「丸田宅に同行して欲しい」と言ってくれれば良かったのだ。
どことなく期待して、なぜか損した気分。
歩美がちらと横を見ると、当の宮本は満足そうにコーヒーを啜っている。
もう...
コーヒーカップの中で、誰にも見えないように一人口を尖らせた。
丸田宅の窓ガラスの修繕は終わったらしく、新調したガラス越しに見える庭は、
丸田の性格を現すように、几帳面に整えられていた。
「一体どなたにお話していいのか分からなかったから、宮本さんに相談差し上げたんです」
「はぁ」
早く核心を伝えたいのだけれど、歩美にそれを聞かせてもいいのかを探るかのように、
外堀から埋めるような話し方だ。
「宮本さんが、木下さんに直接お話したほうが良いということだったので」
丸田らしくない遠回り。
「どういった内容でしょうか」
歩美は促す。
「うん、どこからどうやって話したらいいものやら、ね」
丸田はふと黙り、庭に目をやる。
歩美もつられて庭を見るが、特段何もない。
徐々に日が陰る時間。
街灯をつけることを忘れた街は、うっすらと灰色がかって見える。
静かだ。
竜巻による一帯の修繕は一段落ついたようで、一週間前と違って工事の物音ひとつしない。
街全体が、永い眠りにつこうとしているよう。
来る日も来る日も、明日のない眠りが訪れる。
静かに、深く、暗く、永く、ぬるく、柔らかく。
不安とともに自分が閉じていく。
心の奥が締め付けられる。
丸田は毎日こんな気持ちを味わっているのだろうか。
「丸田さん、私からお話しましょうか」
「いやいや、宮本さんには色々とお気遣いをいただいているので、私から話しますよ」
そう丸田は宮本に断ると、覚悟を決めたのか、歩美の目を見据えた。
「木下さん」
「はい」
こわばった丸田の声色に歩美も心なしか緊張する。
「不審者と出くわしました」
つづく...




