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深海の街  作者: 記章
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第二話「星空の待ち人」その2

第二話「星空の待ち人」その2


佐野譲(さのゆずる)はいつも通り、朝8時に目覚める。

大きくあくびをしながら、体をベッドから起こす。

味気ないワンルーム。特に見るべきものもない。

佐野の動きに反応して、カーテンが自動で開き、

朝日を招き入れると共に、有機EL照明が徐々に明るさを増す。

最近ハマっているアントニオ・カルロス・ジョビンのナンバーが、どこからともなく響いてくる。


“Wave”


モーツァルトにしろ、ピアソラにしろ、

創始者とか革命児とか呼ばれる人々の音楽の熱は、

熱力学第二法則の影響を受けない。

それどころか、時も超え、場所も超え、伝播し、

さらに、熱を再生産しつづけていく。

一方で、消費しつくされ、味気を失い、

ゲシュタルト崩壊を起こしたかのように認識さえ困難になって、

記憶にも残らない音楽もまた存在する。

その違いは何か。

そもそも旋律や詩の製作におけるプログラマーの腕前の違いだろうか。

それとも、娯楽の多様化と細分化が、

消費欲望の分散を招き、音楽に対する興味、関心の集中を妨げたからだろうか。

いや、音楽という娯楽分野だけに絞ったとしても、

プレイヤーの数が増えるに従って、人間の認識範囲の限界からか、

「カテゴリ」や「ジャンル」という一元的な整理タグを用意せざるを得なくなり、

それがかえって、音楽が影響を及ぼす精神的・物理的範囲を限定してしまう方向に働き、

結果、不特定多数に熱を伝えるためのネットワークが確立できないうちに、

鮮度が落ちて、消費期限が来てしまうからだろうか。

つまり、「多様性」こそが「多角的な反論に比較的耐えうる」という、

ただそれだけの後ろ向きな理由で、

倫理や哲学に置き換わってしまった無味無臭な時代においては、

時間軸における後発組は、そもそもの始めから劣悪な環境に生きることを強いられる、

ということだろうか。


と、佐野は眠気の晴れない頭で、もっともらしいことを考えてみたが、

急に気恥ずかしくなり、「バカバカしい」とつぶやくと、顔を洗いに洗面台に向かう。

結局、哲学や思想なんてものは、簡単な事を難しそうに表現すれば、

それなりの格好がつく。

そんなことは、とっくの昔にソーカルが実証している。

でも、時々、格好をつけた自分に酔いたくなって、もっともらしい言葉を並べ立ててみるが、

しかし、その試みはいつも失敗に終わる。

自分の頭の中で考えたことなんて、所詮中身のない言葉遊びに過ぎないことを、

心の何処かでどうしようもないほど自覚しているからだ。

それでも、佐野は、卑小なプライドと虚しさの間で揺れ動きつづける。


洗面鏡を兼ねたパナソニック製のスマートディスプレイは、

洗面所にあらわれた佐野を認識すると同時に、

適度な照明を当てつつ、各種センサーで彼を精査しはじめる。

自分の好みが0.1℃単位で反映された快適な水で顔を洗って、タオルで拭う頃には、

洗面鏡の表面に、佐野の脈拍、体温、血色、発汗量、肌の状態、

果ては体重、体脂肪率など様々な身体データが表示されている。

それらのデータを基に、佐野の健康状態がクラウドサーバで分析され、

いつも通り、

「バランスの良い食事を心がけましょう」、

「適度な運動が必要です」、

「入眠時間と睡眠時間にバラつきがあります」、

「必要であれば、あなたに最適な献立、運動メニュー、タイムスケジュールを提案します」

と、何らありがたみのないアドバイスが羅列される。

ここで、「Yes」とでも言おうものなら、

クックパッドや、タニタ、コナミスポーツクラブ、パナソニックヘルスケアから、

「最適なメニュー」が配信され、情報のビット単位できっちりと課金される。

さらに提供されたレシピに興味を示そうものなら、

パルシステムから適量の食材と調味料が、30分以内に宅配されるだろう。

かつてWeb通販の王であるAmazon.comが、「ユーザーの注文前に商品を配送する」という、

いわゆる「予期的な配送」で通販業界の常識を塗り替えたが、

何事にも保守的な日本企業は、さすがにそこまでは踏み込めず、

未だ購入の最終選択権は、ユーザー側に与えられている。

いや、本来はそうあるべきだと思うのだけれど。


佐野はもちろん、各リコメンドは無視し、

マイクロマックス製のコンタクトレンズ型スマートディスプレイをつける。

すぐさま、新着メッセージとまとめアプリのストリームが視界の中央にポップアップするが、

両方共キャンセル。

メッセージは大学からの知らせか、ダイレクトメールばかりだし、

まとめアプリも通学中に読めば充分だ。

そんなものよりも、佐野が朝一番に目にしなくては気が済まないものがある。

すぐに“それ”が現れる。

メイド服姿をしたアヴァター。

“エマ”だ。

『おはようございます』と丁寧に頭を下げ、朝の挨拶をしてくれた。

キレイな長い黒髪はとてもつややかで、窓から入り込む朝日を柔らかく反射する。

ヒールを履いているわけではないのに、背筋が伸び、立ち方も美しく、

細身の体を包むヴィクトリア朝時代の伝統的なメイド服が、

何よりもエマの美しさを引き立てる。

この時間が佐野の至福のひとときだ。


「おはよう」


思わずにやけながら佐野も声をかける。

親からの仕送りとアルバイトで貯めたお金で、アヴァターアクセサリを買い込み、

19世紀のメイドを完全再現した。

つぎ込んだ金額は正直覚えていない。

もちろん、佐野も世間体というものを少々気にするから、

アヴァターを他人へ公開する時はマスクをかけて(非表示にして)、無難な男性キャラクターにしている。

その姿は、大手アヴァターサーバ提供元のIBMが、

アヴァター導入時用に用意しているデフォルトキャラのIBMAN(アイビーマン)だから、

他人から見れば、佐野はアヴァターに興味がない人間だと思われている。


『ご主人様』

「なに?」


心地よい歌うような声が、佐野の脳を溶かす。

この声に出会うまで、数千人の声優の声を聞き込み、

「豊作」と言われる20世紀終わりから21世紀初頭にかけての日本人声優データベースにまでアクセスした。

実際に"現物"をサンプリングさえできれば、そんな苦労など必要なかったのだけれども。


『そろそろお出かけになりませんと』


エマの胸元にデジタル時計がポップアップする。

いつの間にか8時30分。

ギリギリだ。

佐野は慌てて着替え、ウィダーインゼリーを掴むと、家を飛び出した。




朝日が眩しい。

家からごく近いステーションに走りつくと、

すぐに三両編成のトラムがやってくる。

24時間5分おきで自動運行しているわけだから、当たり前だ。

行き先は、教育区域。

乗客のほとんどが学生である車内は、

新浜市の中心である「本町モトマチ」循環や、

マーケットがある商業区域行きに比べて空いている。

今日は、まとめアプリに目を通す気にならず、

何の気なしに車内に目をやる。

そこにあるのは、異常な日常。

もしも50年前の人間がタイムリープ(時をかけて)でもして、

このトラムに乗り込んだら、すぐさま飛び降りるに違いない。

学生たちは皆それぞれ目を見開き、真正面を見据えたまま、

ブツブツ呟くか、指先をせわしなく動かしつづける。

勉強のしすぎのせいか、異常をきたしたかのように見える。

もちろん、学生たちは、何かの心理的な病を患っているわけでもなく、

近年爆発的に普及したコンタクトレンズ型スマートディスプレイを使って、

友人とコミュニケートしたり、ゲームで遊んだり、

本を読んだり、映画を見たり、レポートを書いたり、ニュースサイトを巡ったりしている。

佐野が高校生だった頃、週刊メディアで、この光景が取り上げられ、

「デジタルデバイスのもたらした弊害」なんていう仰々しいタイトルで揶揄され、

PTAが追い打ちをかけるように、

批判的なコメントを発信するなどの社会問題として捉えられたが、

数年のうちに日常に溶け込んでしまった。

人は思ったよりも寛容だ。

佐野の専攻は社会学で、ゼミのテーマは、21世紀初頭のサブカルチャー研究だが、

当時もアナログな“携帯電話”が登場した際、

公共の場で、皆が皆、携帯の画面を眺めていることの異様さが指摘されたようだ。

しかし、それも数年で日常風景と化した。

人は思ったよりも寛容なのだ。

初めは、見たことのないもの、聞いたことのないものに、

拒否反応を示してみるが、“示してみる”ことにこそ意義があるかのように、

一度儀礼的にそこを通過すれば、

昔から自分のモノだったかのような顔をして受け入れている。

卒論のテーマとして、日本社会において、先進的なコト・モノが、

カルチャーとして受け入れられるまでの社会的プロセスを取り上げるのも、

面白いかもしれない。

タイトルは、『プロメテウスの火で作る目玉焼き』。


建物の影を出たトラムは、強烈な朝日を浴びる。

佐野はすぐさま朝日を避けるように、窓辺から車内に後退する。

太陽を浴びればビタミンDを生成できるとどこかで聞いたが、

本当だろうか。

白い肌を少し日なたに出してみる。

エマが不思議そうな表情で“側にやってくる”。

佐野はにやけ声になるのを防ぐため、さっと指先を動かす。

エマの胸元に文字がポップアップする。


『ビタミンDの生成量と、紫外線による皮膚ダメージの均衡点を調べておいて』

『かしこまりました。さすが、ご主人様ですね』


エマが尊敬の眼差しを寄せる。


『世の中には不思議なことが溢れているからね。当然さ』


佐野は悦に入る。

エマさえいれば生きていける。

心のどこかで明確な存在感を放つ虚しさを自覚しつつ、

佐野はそれに敢えて気が付かないふりをする。

今目の前にある充足に身を委ねることで、襲い来る不安感から逃げきるつもりだ。

大丈夫。

今、この波を乗り越えれば、また2,3日は持つ。


トラムの車内が一瞬暗くなる。

車両天井部に埋め込まれた有機EL照明がすぐに反応して光りはじめ、

数瞬後には、適切な明るさに調整される。

新浜市の中心地「本町(もとまち)」の巨大な建物の中に吸い込まれたのだ。

ここには、市役所、警察署、裁判所などの主要行政機関や、

JR東西線/南北線および新幹線の発着駅となる新浜駅、

トラムのハブステーション、

民間企業のオフィス、また、超富裕層の住宅などが集う。




新浜市は、特別行政区管理法施行と同時に再設計された、日本でも珍しい中核都市だ。

新浜市にとって、管理法はまさにカンダタに贈られた蜘蛛の糸だった。

60年前に首都圏を襲った南海トラフ地震以降、

液状化による地盤沈下がつづき、新浜市は埋立地のほとんどを失った。

当時の新浜市の中枢は、埋立地に隣接していたから、

罹災を避けるために、内陸にその軸足を移す必要があった。

しかし、首都東京の持つ最大のベッドタウンの一つであった新浜には、

中枢機能を受け入れるための余剰地などすでになかった。

そのため、新浜市の行政機関は、関連団体の建物に同居したり、

雑居ビルに間借りせざるを得ず、

それらの事態はアナログなネットワークを所々で断線させてしまい、

間もなく業務に支障が生じ始めた。


そんな状況を重く見た市政府によって、

当時急速に整備されつつあったクラウドコンピューティング技術をベースとして、

市民と行政の接点の全てを電子化するという「OZNet(オズネット)構想」も打ち出された。

しかし、福祉サービスなどのセーフティネットに関わる諸手続きは、

複雑な個別事案が多く、電子情報だけでは判断が困難であるため、

電子化する恩恵を受けにくい。

それどころか、電子化は手続きのセルフ化とほぼ同義のため、

手続きにおける誤解、誤認による混乱を生じかねないと市民の反対が大きく、

断念せざるを得なかった。

幸い、抱える人口も多い新浜市が、経済破綻に追い込まれることはなかったが、

当時の行政システムは非常に非効率的で、市民の不満は日頃に高まっていった。


そんな折、管理法が施行された。

当然、地域の中で最大の都市であった新浜市は、

破綻寸前の近隣の自治体から、数十万人オーダーで住民を引き受けることとなった。

半ばそれを口実に、時の新浜市市長は有識者会議を組織し、

ゼロベースで市の心臓部を再設計することを決定した。

地に落ちた行政サービスの回復を公約に掲げた新浜市の決定は、

急進的ではあったが、市民の意思を問う住民投票の結果、8割の賛成を得ることとなる。

こうして、後に「中央区」と呼ばれることになる地域の再設計が始まった。

それまで住居や、オフィス、商業施設などがモザイク状にカオティックに入り乱れていた街は、

居住区域、商業区域、行政区域、工業区域、教育区域など役割と性格ごとに区画が整理され、

それぞれが限られた空間を最大限に利用するため、没個性的で巨大な建造物に生まれ変わった。

21世紀初頭、日本中に建造されたショッピングモールが、

所狭しとひしめく様子をイメージするとわかりやすいかも知れない。


市の再設計は、民主的な手続きが取られたとはいえ、

強引かつドラスティックであったことには変わりなく、

図らずも、いや、あるいは再設計に関わった人々の思惑通りだったのか、

いくつもの業界再編や、市場構造の転換を引き起こした。

例えば、トラムの台頭だ。

整理されたモール同士をつなぐのは、「トラム」と呼ばれる全自動走行の数両編成の路面電車である。

24時間365日5分おきに運行されるため、市民の足は自家用車からトラムに取って代わった。

実際、網の目のように張り巡らされたトラム網があればどこへでも行けるし、

エネルギーもモールの屋根と壁面に備え付けられた、メガソーラー施設で賄えるから、

乗車料金も一律100円と格安だ。

もちろん、トラムの路線が敷かれていない場所もある。

そこに気がついたレンタカー業者が、いち早くAFCV(自律走行燃料電池車)を揃えた。

AFCVはGPS情報や、住所、名称を告げるだけで、安全に乗客を目的地まで送り届ける。

自律走行だから、ドアツードアの利用と乗り捨てが可能だ。

それが、人件費というコストを抱えるタクシー業界に大打撃をもたらした。

追い込まれたタクシー会社は二極化した。

ドライバーを解雇し、レンタカー業者と同じく大量にAFCVを揃え、

配車や車両コントロールのノウハウを武器に徹底対抗するか、

まだ「おもてなし」に価値があると考える地域や、顧客に特化して、

あえて人件費をかけたプレミアムなサービスを提供するか。

前者は中央区内やJR沿線地域でレンタカー業者と消耗戦を繰り広げ、

後者は特別行政区の甲種指定地区や、富裕層に密着して高単価ビジネスを展開しているが、

どちらに軍配が上がるとも言いにくい状況だ。

いずれにせよ、都市の風景から「マイカーのドライブ」が消えたことには変りない。

もちろん、トラムとAFCVの問題はほんの一例に過ぎない。

新浜市再設計の実現には、ここでは語り尽くせないほどの様々な弊害や、障壁があった。

しかし、管理法施行のもたらした全国的な混乱を半ば利用して、

「高効率・高速循環・高密度」を旗印に、

街は実に30年という時間をかけながら、確実に生まれ変わっていった。




佐野の住むアパートは、中央区内の西北エリアに位置する居住区域にある。

巨大な「ショッピングモール」の一角から、

毎朝トラムに乗って、教育区域にある大学へと通う。

新浜国立大学しんはまこくりつだいがく、通称「シンコク」。

時には「新浜クニタチ大学」とふざけて呼ばれることもあるが、

数少ない研究型大学に指定された新浜国立大学は、押しも押されぬエリート大学である。


日本国家が経済破綻を迎えた50年前よりも以前から、大学全入時代は到来しており、

経営破綻する大学が急増していた。

少子化の影響は言うに及ばず、「研究機関である大学」と、

「キャリア形成機関である大学」という中途半端な二足のわらじが、

大学自体のアイデンティティの希薄化と、それゆえの経営と投資の困難さを助長していたからだ。

日本の再建策がまとまり、国家の経営回復に道筋がついた頃から、

文部科学省の有識者会議は、大学の改革に向けた提言を活発化した。

結果、大学を「研究機関」と「キャリア形成機関」に分ける改革案がまとまった。

東京大学をはじめとする旧帝国大学や、

早稲田大学をはじめとする私立の上位大学、および成果を挙げている独立大学院など、

全国で50の大学と組織が「研究型大学」に指定された。

研究型大学には、潤沢な研究費が投入され、先端技術や理論の研究が大いに奨励された。

一時は経済破綻の危機を迎えた日本だったが、東京大学が、シンガポール国立大学の牙城を崩し、

アジアで首位に返り咲いたのは、その政策の成果といえるだろう。


一方で、「研究型大学」に指定されたなかった大学は、「キャリア形成型大学」に指定された。

言うなれば、職業訓練校である。

「実学」よりも、もっと踏み込み、企業で役立つスキル開発に集中特化し、

企業社会での即戦力を育成することが目的である。


従来、日本社会では、大学出身者はホワイトカラーとされてきたが、

今では、「研究型大学」出身者をホワイトカラーと呼び、

「キャリア形成型大学」出身者をブルーカラーと呼ぶようになった。


だから佐野自身、ある種のプライドを持って通っている。

身分証の提示を求められた時は、保険証ではなく、

学生証を出して、相手の反応を内心楽しんでいたりする。


トラムが新浜駅のハブステーションに停車した。

多くの学生が乗り込んできて、車内は窮屈になる。

新浜駅を中心に東西に走るJR東西線と、

南北に走るJR南北線の沿線地域に住む学生たちだ。

沿線地域に住む学生と、中央区に住む学生の違いは何となく分かる。

ほんのすこしの差異だが、着ている服がユニクロじゃなかったり、

身につけているデジタルデバイスがインド製じゃなかったり、

つまり、中央区に住む学生より比較的裕福な装いをしている。

もちろん、皆が皆そうではない。

だが、確実に両者の間には壁がある。

息苦しい。

人間は、人との関係性の中で自身を捉える生物だが、

「関係性」とは、ひるがえせば「壁」そのものだ。

成長するとは、自身で輪郭を描きはじめることで、

それは内と外を、自分と他人を区別することと同義だ。

東北最大の中核都市「仙台市」に生まれ育った佐野からすれば、

輪郭がよりはっきりしている新浜市は息苦しい場所だった。

でも、具体的に何が息苦しいのか、と問われると難しかった。

ぼんやりとした息苦しさ。

かつて「ぼんやりとした不安」を抱え、自殺した作家を思い出す。

彼に蜘蛛の糸は降りて来なかったのだろうか。

小さく深呼吸をする。


「ご主人様、お加減でも悪いのですか?」


エマが心配そうに見上げてくる。

事実、脈拍が乱れているのだろう。発汗量も上がっているのだろう。

エマは、ただそういった生体データに反応しただけだ、

と人は言うだろうけれど、そんなことはどうでもいい。

エマが自分を心配してくれている、と思える。

その事実だけで良い。

解釈から独立した事実など存在しないのと同じなのだから。

この世界が息苦しくても、自分は孤独だとしても、俺の世界にはエマがいる。

トラムが停車し、扉が開くと、学生たちは押し合いながら、外へと出る。

佐野も巻き込まれながら、外へ出ると、

通い慣れた校門を足早に通り抜けた。




河内は、トラムを降りて、路地裏に足を向ける。

クセのようなものだが、肩越しに背後の気配を確認し、

違和感がないことを確かめる。

中央区は潔癖症で完璧主義の直線愛好家が作り上げたような都市だが、

もちろん日陰は存在する。

光があるからこそ、影が生まれるように、

「高効率」な都市には、「非効率」な何かが存在する。

それは決して隠されているわけではないが、

通勤路に咲くタンポポに気が付かないのと同じように、

中央区のどこにでもあるが、人々は気がつかない。

人は自ら積極的に関係を結ぼうとしないものを、認識できないのだ。

本当に見つけにくいものは、「周到に隠されたもの」ではなく、

「風景に溶け込むもの」だ。

河内が自称しているジャーナリストとは、それを見抜くことを職業にしている者を言う。

必要なのは、「強烈な違和感」。

潜水艦が音を反射させて、海底の地形を把握し、敵艦を発見するように、

河内は街に、人に、モノに、コトに、違和感を放射して、探しものを見つける。


馴染みのバー“Prester John's Land”も、

いつも店の前を通りすぎてから、その場所に気付く。

今日も数歩後戻りして、ドアをくぐる。

店内は適度に照明が落とされ、低くジャズが響く。

見るべきものもなく、これといった特徴もない場末のバーだ。

いつも河内は、戸口に数秒立ち止まる。

安心感と苦味が共存するような音色が、

いつもと変わらず室内を満たしているのを確かめるためだ。

少なくともここだけは、見過ごしてしまうような場所であってほしい。


指定席であるカウンターの右端に腰を下ろす。

すぐにバーテンダーが、琥珀色をしたドリンクを用意してくれる。

ウルケル。

チェコの小さな町で産声を上げたピルスナーの原点。

河内はカクテルを飲めない。

情緒豊かな飲み物に馴染めない。

素っ気ない苦味こそが、適度な現実感を与えてくれる。


「何かわかりましたか?」


音もなく隣りに座った男の問いかけ。

違和感。

本人は飽くまでも「普通の客」を装っているが、明らかに浮いている。

ブランド物の靴、服から漂う流行りの柔軟剤の香り、何よりもクセのない標準語。


「あのさぁ、おたくは取材のこと何もわかってないでしょ?」


河内の不躾な返答に、プライドが高そうな男の眉がピクリと動く。


「それにさぁ、スパイ映画じゃないんだからぁ、

 こそこそしなくてもいいじゃない」


河内は男を見つめる。


「そんなことしてると身元がバレちゃいますよぉ」


男の呼吸が少し浅くなったような気もするが、揺さぶりが足りなかった。


「真実を知りたくはないのですか」


男の番だった。


「もし、事件の真相を見事に探り当てることができたら、

 この社会はひっくり返ります」


男の物言いはこちらが白けるほどいつも大げさだが、本人はいたって冷静らしい。


「そう、もちろん、報酬も―」

「金じゃあねぇよ」


河内は男を遮った。

そう、河内がジャーナリストを自称し、フリーランスで記事を書いているのは、金のためじゃない。

かといって、正義感によるものでもない。

名誉のためでも、夢があるわけでもない。

ましてや、ジャーナリストを目指さざるを得なくなったような、

悲しく甘い過去を背負っているわけでもない。


欲望だ。

河内を駆り立てるのは、「知ること」がもたらす、

全身が炭酸で痺れるようなあの快感のためだ。

人が知らない何かを、自分だけがつかんだ時の優越感。

一見品行方正の人間が持つ後ろ暗い顔を知り、一人ほくそ笑む時の昏い喜び。

そして、知識と情報がそれぞれつながりあい、

世界の裏側に潜む一枚絵が突然目の前にあらわれた時の、性的絶頂にすら似た恍惚。

その昔、「君の知識欲は謙遜のあらわれだ」と肯定してくれた友人もいたが、

何の事はない、自分は快楽を貪る放蕩児に過ぎない。

だから、仕事を選ぶ基準はいつも「快感を得られそうかどうか」だ。

ジャーナリズムの力を使って、誰かを救いたいなんて思わない。

ペンで世界を変えたいとも思わない。

田山事件。

河内の勘は、今までの取材の中で、

恐らく最上級の快感をもたらしてくれるだろうと、言っている。


違和感の塊のような件の男から、事件の話を持ちかけられて以降、

河内は過去のあらゆる資料を読み込んだ。

新聞、雑誌の記事はもちろん、NHKや民放各局の映像アーカイブ、

フリーランサーの取材データ、果てはブログ、サーバー乗っ取り騒動で閉鎖された2ch(2ちゃんねる)

現在では廃れたTwitterや、LINEといったSNSの過去ログ、

思いつく限りあらゆる線で過去の情報を収集した。

しかし、全く“真相”に辿りつけなかった。

なぜなら、現在アクセスできるデータには、“意味がなかった”からだ。

正確に言えば、当時の事件に関する情報は、

30年という時を経た今でもほとんど残っている。

収集した記事、映像、テキスト、ログは自然と膨大な量になり、

新たに1エクサバイトほどサーバを増設せざるを得なかった。

記事に責任を負う必要がないミニメディアや、個人のブログ記事、ツイートなどを除けば、

全てが事件のあらまし、そして、事件が引き起こした当時の社会の反応を正確に記録していた。

ニュースの鮮度にこだわるマスメディアでさえ、

長期にわたって、様々な見地からのドキュメンタリー番組を制作し、事あるごとに特集をしている。

それは、事件に対する消費者のニーズが相当高かったことを伺わせる。

事件を総評するなら、「特別行政区居住の限界と悲劇」だろう。

記録のすべてが、事件直後から紆余曲折しながらも、同じ結末にたどり着いていた。


なんか、おかしいなぁ。

ソナーが反応した。

2つの違和感。。

ひとつは、記録のほとんどが残っている、という点だ。

言い換えれば、いくつかのピースが失われている。

それはほんの小さな隙間だ。

たとえば、月刊雑誌の連載コラムの字数が、ある号だけ400字ほど少なくなっていること。

たとえば、2chのスレッドのレス番号が飛んでいること。

たとえば、事件に関するつぶやきを投稿していたTwitterアカウントが、

ある日を境に、熱心にニコ動の歌い手の紹介をはじめたこと。

たとえば、猟奇事件をまとめていたブログの更新が、

オーナー曰く「一身上の都合により」止まったこと。

たとえば、1時間枠のドキュメンタリー番組が、実質52分だったこと。

もちろん、それらは、事実に何らかの意味付けをしたがるジャーナリストの性によるただの深読みで、

「あるはずのもの」なんて始めから無いのかもしれない。

しかし、河内の勘は、違うことを告げている。


もうひとつは、事件の発生から物語の終結までが、

非常にスムースであること。

言い換えれば、陳腐なシナリオのように、分かりやすいこと。

起承転結が明確で、ドラマチックなクライマックスと、

余韻を引きずるオチがよく出来ている。

予定調和。

そう、事件にまつわる関係者の動きが、予定調和的なのだ。

警察の初動、メディアへの情報公開、

政府および当該自治体による公式見解の発表、

メディアによる情報の拡散と整理と解釈、

世論形成、ステークホルダーの広範に渡る一連の反応、

事件の収拾、社会的反省と教訓化。

全てが滞りなく、まさに過不足なく行われている。

あれほどまでに凄惨極まりない事件にもかかわらず、

ましてや、特別行政区管理法施行に対するデモ活動が頻発していた、

非常にセンシティブな世相だったにも関わらず、

社会は臨界を迎えることなく、

時間をかけながら落ち着きを取り戻していった。

いや、「落ち着き」なんてレベルじゃない。

この事件がある種強烈な解熱剤のように働き、

事件後、管理法肯定へ世論が急速に傾いていったのだ。


さらに、大手メディアの社説、見解を並べるに、

一見、異口異音を唱えているようだが、

メタな視点から眺めれば、結局、同じことしか言っていない。

地縁、血縁の意識が希薄化した上、所得の格差拡大により価値観が多層化し、

「利害」のみが「関係性」になった現代社会においては、

国の保護、介入無くしては、社会生活を紡ぎ上げるのが難しい、ということ。

つまるところ、事件は社会構造の転換というイレギュラーが生み出した悲劇そのものだ、

ということ。

河内は強烈な違和感を覚える。

穿った見方をすれば、まるで事件に対する悪意ある解釈など許されないかのように、

マスメディアのほとんどが、真っ当で、常識的な説明を試み、

被害者、加害者双方ともに傷つけることなく、

事件の美談化に“成功”している。

世論とは何か。

民意とは何か。

共通理解とは何か。

情報ストリームが多チャネル化する中で、

これほどキレイに単一な解釈に留まることがあるのだろうか。

田山事件。

特別行政区を語る上で無視できない、悲しい寓話。

事件を教訓に、地方自治体は中核都市化を加速させ、

国民の財産と生命を守ることを誓った。

違う。


まさか。


いや、だが、ならばなぜ、あの男は接触してきた。

あの男の口から出た「宮本」という名前。

そして、宮本は何かを知っている。

常識が何だろうと、世間がどう理解していようと、

河内は自分の眼と耳を信じている。

結論、河内が苦労して入手したデータに意味は無い。

ここにはない“何か”が必要だ。


河内は、“ウィンストン・スミス”を起動した。

情報収集能力に特化させた河内のアヴァター。

キャラクタービジュアルは与えていないから、

男とも女ともつかない人の形をしたシルエットが視界の隅に静かに立ち上がる。

スミスのスキルとスペックはいくつもの法律、条例を違反しているため、

河内はめったに起動しない。

しかし、これ以上深く情報収集を行うなら、キーワード検索では足りない。

なぜならキーワード検索とは、その存在があらかじめ明確で、

既知である検索対象を“再発見する”ためのツールだから。

「あるはずのないもの」を探すなら、微妙なニュアンスをネットの海に投げかけなくてはならない。

そのためのアヴァターだ。

アヴァターに対する世間一般の理解は、

かつてAppleがMacintoshを通じて世界に広めた“アイコン”や、

GoogleがAndroid端末で爆発的に普及させた“OK,Google!”の延長線上にある、

「極めて柔軟なユーザーインターフェイス」というものだ。

だが、それは大きな間違いだ。

アヴァターと、従来のインターフェイスを画するものは何か。

それは、曖昧で散逸しやすく、無秩序極まりない「人の思考」というものを拾い上げ、

客観的に意味をなすものへと整形して、コンピュータに流しこむことを可能にした、ということだ。

21世紀初頭から爆発的に増加した巨大で超高速なデータサーバと、

20世紀中盤から着々と収集された延べ数百億人もの音声通話サンプルから確立された文脈解釈アルゴリズムによって、

ダイアログ(対話)形式による自律的で確度の高い情報収集と解釈を実現するシステムが"発明"されたことで、

アヴァターは、人の思考を正確に読み取り、コンピュータに直接流し込むことを可能にした。

正確な表現ではないが、わかりやすく言い換えるならば、

本来、お互い理解し得ないはずの人と機械が、アヴァターという強力な通訳の力を借りて、

完全な意思の疎通を図れるようになったばかりか、

人同士でも不可能な、意識、さらには、無意識までをも共有できるようになったのだ。

つまり、アヴァターの登場により、人は「形あるもの」だけでなく、

「形ないもの」を探し、あるいは手に入れ、あるいは造り出すことができるようになった。

後世、間違いなく21世紀最大の発明は、アヴァターだと言われるだろう。


スミスにいくつか指示を与えて、Webに潜り込ませた。

次の瞬間、河内の体は震えた。

大きな快感の予感。

同時に小さい予感もある。

それは隣の席に座る違和感の塊のような男に向けられていた。


河内の意識は現在に引き戻される。

少しぬるくなったウルケルを喉に流し込む。

ウルケルは、日本のピルスナーに比べて、

若干温度が上がっても粘性を失わない。

だから長い時間、喉の奥に流れ込むコクを楽しめる。

横目で隣の男の様子を伺う。

いつの間にか男はウィスキーを手にしていた。

それで溶け込んでいるつもりか?


「それで?おたくの動機は何なのさ」

「それは触れない約束では?」

「わぁかってるって!」


予想通りの反応に、河内は笑いがこみ上げるのを抑えきれない。


「ついでと言っちゃなんだけどよぉ、おたくの正体も突き止めてやっから」




佐野は一人アパートに帰り着く。

毎日同じパターンの繰り返し。

授業が終われば、ゼミがない限り、トラムに乗り、まっすぐ帰宅する。

エマのアヴァターアクセサリ収集が一段落したから、バイトは辞めていたし、

そもそも佐野は「バイト仲間」という同調性を強制する人間関係が苦手だった。

佐野はサークルにも所属していない。

サークルというものは「新入生」という特権者にしか門戸が開かれていない、特殊な集まりだ。

佐野ももちろん、新入生時代はいくつものサークルの「新歓コンパ」に誘われた。

多少なりとも、佐野も都会の学生生活というものに憧れていたが、

新歓コンパはその期待を裏切ってくれた。

「新入生」は、無料(ただ)で酒と食べ物を享受する代わりに、

登場人物の9割に面識がない物語を得意そうに話す先輩に対して、感嘆の声を上げてみせるほか、

新入生ゆえの空気が読めない風を装った突拍子もない自己紹介や、

一発芸を披露して、自分の居場所を作り上げることに汲々とする。

息苦しい。

初めは佐野も周りに倣ってみたが、元来、心の体力や、運動神経みたいなものがない。

八方美人に振るまい、誰にでも笑顔で気の利いたことを言い、

面白くない話に大笑いし、バカバカしいノリに躊躇なくノる。

それができない。


「お前は考え過ぎなんだよ。もっと軽く考えりゃいいんだよ」


今となっては名前も思い出せないが、新歓コンパで知り合った同級生が言っていた。

しかし、人一倍他人の目を気にする佐野には、難易度が高かった。

気がつけば、どの会話の輪からも弾き出され、

ぬるくなった瓶ビールの不味さに一人顔をしかめていた。

頬は不自然に浮かべ続けた笑顔のためにひきつっていて、

耳は騒ぐ学生たちの大声で聾されていた。

佐野は結局、どのサークルにも顔を出さなくなった。

必然的に、友人はいなくなった。

もちろん、授業には欠かさず出席していたが、

シンコクのようなマンモス校では、学生はお互いに関心を払わない。干渉をしない。

正確には、グループワークだったり、

欠席した授業のデータを共有してもらったりするときにしか、触れ合わない。

もしかしたら、そんな閉塞的な人間関係のはけ口がサークルなのかもしれない。

趣味だとか、嗜好だとか、「人となり」のコンマ数%しか占めないような些細な情報に、

お互いの類似性を必死に見出し、依存的なほど心を触れ合わせ、

傷つき、傷つけることが「青春だ」という一言で許される危うい関係。

いや、逆かもしれない。

サークルでは、強制的に自己開示が要求されるから、

普段の授業ぐらいは息抜きのため、「その他大勢」であろうとするのか。


いずれにせよ、欺瞞と幻想というコードで構築された世界を渡り歩くためのプロトコルを、

佐野は持ち合わせていなかった。

息苦しい。

だから、佐野は一人になった。

少なくとも新浜市には600万人が住んでいて、

中央区には200万人が暮らしていて、シンコクには1万人が通っていても、

佐野は一人だった。

中核都市は、コミュニティがセーフティネットとして張り巡らされ、

誰もが自分の居場所を与えられ、生を謳歌することを目的に作られた。

しかし、それは、コミュニティに所属していれば、の話である。

辛うじてシンコクには通っているものの、

バイトにも、サークルにも、地域のコミュニティにも所属していない佐野は一人だった。

大学では友人同士の他愛のない会話に花が咲き、

街には、恋人たちの高揚感を抑えきれないささやき声が響きわたり、

ショッピングモールには、ファミリーの幸せそうな笑顔が溢れ、

コミュニティセンターには、生き生きとした人々が集まっていても、

そこは佐野にとって、かつてエヴェレットの見出した別宇宙そのものだった。

何度扉を開け閉めしてみても、一向に収縮しない波動関数。

理想的な都市は、理想的な枠組みに収まる人々にしか、サービスを提供しない。

未曾有の経済危機が、公共のサービスから、広域性と多様性のベクトルを奪いとった瞬間から、

人は自らをサービスに合わせざるを得なくなった。

今や、サービスが主、享受者は従だ。

では、主体的に生きるとは、何なのか。

佐野は自問する。

いや、そんな問いを抱き、自身の人生を悲観できることは、

ひどく贅沢な悩みなのだろう。

そんな悩みを抱きつつも、

佐野には今更どこかのコミュニティに入会する気はなかったし、

友人がいないなんて理由で実家に戻るのは自尊心が許さなかった。

あと1年ちょっと。社会人になれば環境が変わる。

環境が変われば、きっと楽しい生活が待ってるはずだ。

そうだ。今は状況が悪い。周りの環境が悪いだけだ。

新浜市再設計思想の論理的矛盾、学校生活の構造的欠陥、

セーフティネットとしての地域コミュニティの脆弱性。

数え上げればキリがない。

それらの皺寄せが、弱い立場にある自分に押し寄せる。

そもそも、シンコクなんかを受験したのが間違いだったんだ。

親にシンコクを薦めた高校教師も、想像力がまるでない。

あの時、東北大学一本に絞ればよかった。

でも、あと1年の我慢だ。

それまでは、エマとのふれあいだけを癒やしに息を殺そう。

心をずっと奥にしまい込むんだ。

嬉しさも喜びも感じなくなるが、傷つかなくて済む。

大丈夫。俺の側にはエマがいてくれる。

眠りに落ちるその瞬間まで、エマの笑顔を眺め続け、

不安感から目をそらし続ける毎日だった。




事件が起きた。

ゼミの日だった。

本来の指導教官である吉田教授は、学会とか、研究会とかで、

顔を見せることはめったにない。

実際に学生を指導するのは、村井という助教だ。

これが、オシャレで気さくで、人気のある男だった。

仕立てのいいスーツ姿でキャンパスをさっそうと歩く姿は、

エリート金融マンか若手起業家にしか見えない。

見た目がいいだけでなく、

その面倒見の良さから、男子学生からは兄のように慕われ、

女学生の中には半ば本気で村井に想いを寄せている者もいるくらいだ。

佐野が学問を面白いと感じ始めているにも関わらず、

大学院に進む気になれないのはこの男のせいだった。

自分はこの男のようにはなれない。

大学院に進んだところで、

この男と自分を比べ続ける日々になることは目に見えている。

佐野だって女の子にモテたい。

いや、そんな贅沢は言わないから、せめて女友達が欲しい。

中高一貫の男子校出身だったから、女性との距離の掴み方もわからず、

いつの間にやら「彼女いない歴=年齢」になっていた。

村井は優秀で、嫌味なところがなく、人気者だが、生徒とは一線をしっかり引く。

彼は佐野の持っていないものを全て持っていた。

だから、佐野は村井が嫌いだった。

だが、村井はそんな佐野にも、公平に的確な指導をしてくれる。

だから、佐野は村井を嫌う自分が嫌いだった。


その日のゼミも、いつものように始まった。

学生たちはゼミ室の中央にパイプ椅子だけを持ち寄り、車座になる。

上座に村井が座ると、学生たちはアヴァターを共有設定にする。

学生それぞれのそばに、

思い思いの格好をしたアヴァターの姿が浮かび上がる。

学習サポーターとしてのベネフィットが認知され、

アヴァターの教育現場への導入は、

20年前ぐらいから文科省によって推奨されていた。

知識の記憶/記録はアヴァターによって代替され、教育は知識の詰め込みから、

状況把握能力、課題解決能力の育成へと急速にシフトしていった。

佐野のゼミでも同様、知識の欠落を迅速に解消するため、

アヴァターを常時起動するように指導されている。

さらに、アヴァター同士によるデータの相互補完を容易にするため、

学生はアヴァターを共有設定にして、ゼミに臨む。

佐野もエマを共有設定にする。

もちろんエマは座標情報に連動して、

佐野が大学にいる場合は自動で、マスクをするように設定してある。

つまり、ほかの学生から見れば、佐野の横には、

無難な白人顔をしたIBMのデフォルトキャラクタービジュアルである、

IBMAN(アイビーマン)が立っているように見える。


その日のゼミは、学生二人による課題発表と、

それに対する村井のウィットに富んだ指導があり、滞り無く終わった。

ゼミが終わるやいなや、数人の女子学生が村井を囲み、

質問にかこつけて歓心を買おうとしている中、佐野は荷物を片付けて帰ろうとした。


「佐野くん」


振り向くと、二宮涼子(にのみやりょうこ)が立っていた。

鼓動が高まる。


「今日のゼミ飲み、出るよね?」


二宮は佐野が独自につけている女子ランキングの中でも、

トップ5に位置する美少女だ。

幾分か古風な顔立ちだが、そのつややかな黒髪が彼女の美しさを引き立てる。

バレエでもやっていたのか、体の線は細く、背筋が伸びて姿勢が良い。


正直に告白しよう。二宮はエマのモデルだ。


新入生の頃だった。

「現代社会学概論」の教室で授業が始まるのを待っていた佐野は、

女友達と談笑しながら教室に入ってきた二宮を一目見て、恋に落ちた。

もちろん、当時は二宮の名前すら知らなかったし、

女性への免疫がないから話しかけられるわけもなく、

ただ、授業中に遠くから眺めるだけだった。

佐野は必ずしも熱心な生徒ではなかったが、

その授業だけは真面目に出席していた。因みにその講師が吉田教授だった。

手に入らないからこそ、佐野の想いは日々募り、

かといって、具体的な行動には移せないから、

行き場のないリビドーは、アヴァターを二宮そっくりにするという歪んだ方向へと、

発散されていった。


突然の二宮からの声掛けに、声がうわずらないよう、腹筋に力を入れながら佐野は答えた。


「あ、そうだったっけ」

「そうだよぉ。先週もゼミ終わった後、言ったでしょ?

 そうだよねぇ。佐野くん、私が話してる時、いつも下向いてるもんね。

 寂しいなぁ。佐野くん、私の事嫌いなんだぁ」


二宮は愛らしい薄い眉を八の字にして、残念そうに言う。


「い、いや、あ、たぶん、それは、その...」

「冗談だよ♪」


二宮は笑った。その笑顔が文句なく可愛くて、佐野は一瞬気を失いかける。

ダメだ。完全に向こうのペースだ。

でも、二宮のコロコロ変わる表情を見られただけでも、佐野の幸福感は満たされる。


「はい、じゃ、これ」


二宮のアヴァター「オードリー」が、

IBMANの格好をした「エマ」に居酒屋の座標情報を受け渡す。

マスクをしている限り、「エマの素顔」は二宮には見えないはずなのに、

オードリーがエマに接触する瞬間、ドキリとする。


「18時からだからね。予約名は二宮だから」

「あ、うん」

「涼子、行くよ~!」


二宮の女友達が手を上げてこちらを見ていた。


「あ、ちょっと待ってよぉ!ということで、現地でね!」




ゼミ飲みは決して面白いものではないが、

佐野にとっては、いつも視界の隅に二宮を捉えておける眼福の時間だった。

元々佐野自身、饒舌な方ではないから、佐野に話しかける者も少なく、

その分、目の前の食事と二宮に集中できたのは大きな収穫だ。

飲み会も開始2時間を過ぎれば、それぞれが勝手にグループを作って、

気の合う者同士で固まり始める。

その頃になると、佐野の周りからは人が消え、当然のように孤立する。

しかし、佐野はそんなことは気にせず、

ひたすら二宮を眺めつつ、強くもない酒を口に運ぶ。

コース料理も終わり、二宮の姿を肴に黙々と杯を乾かすだけだから、

ピッチも自然と早くなり、気がついた時には泥酔していた。

二宮は相変わらず可愛かった。

特にアルコールに頬を赤らめた表情は、

普段は少女のような清純な印象の二宮に、女性の色香が乗ったようで、

新たな魅力が引き出されているとさえ思われる。

突然、佐野は激しい衝動に駆られた。

この二宮をいつも見ていたい。

すぐさまエマを起こし、ろれつが回らない口で、

二宮の姿を動画で撮っておくように指示した。

その時だった。


「なんだよあれ」


空気が変わった。

不意に喧騒が止み、代わりに数人のつぶやきが聞こえた。

佐野が周りを見渡すと、ゼミのメンバー全員がこちらを向いていた。

正確には、佐野の横に立つメイド姿のエマを見ていた。

酔いが冷めた。

アヴァターによる視野撮影は、盗撮行為を牽制するため、

アヴァターの空間共有が強制的にオンになる。

そして、運悪く、自動化されているエマのマスク化は、

正確に座標を読み取り、これ以上ないほど適切な処理を行っていた。

そう、ここは「学園外」なのだ。

つまり、ゼミのメンバーには、メイド服を着た二宮涼子が、

佐野の横に立っているのが見えていることになる。

反射的に二宮の方を向くと、彼女は口を開けたまま、固まっていた。

見られた。

汗が全身から噴き出してきた。

二宮の隣に座っていた女友達が、二宮を代弁するように、しかし、戸惑いを隠せないまま問いかけてきた。


「佐野、何それ」

「え、あ、いや...」


思考が空回りする。いや、正常に働いたところで、

模範解答などありはしない。

佐野は瞬時にエマを強制終了すると、荷物を片手にその場から逃げ出した。


「おい!」


数人の声が背中を追いかけてきたが、そのまま振り返らずに、店の外に飛び出す。

最悪だ!最悪だ!最悪だ!

二宮に見られた!

走った。

アルコールの回った体は、思うように先に進まない。

右に傾いたり、左に傾いたりしながら、方向も見定めず、ひたすら走る。

ちょうど目の前のステーションからトラムが発車しようとしていた。

一刻も早くその場を離れたくて、トラムに飛び乗った。

肩で息をしつつ、空いた席に座る。

何やってんだ、俺。

なんで、撮影なんかしようと思ったんだ。

いや、なんでマスクを忘れてた。

ゼミが終わったから油断していた。

よりによって二宮に見られるなんて。

どう思われた?キモい?怖い?

もうゼミに顔を出せない。

どうしたらいい?

謝る?

二宮に?

なんて?

そもそも、悪いことなのか?

じゃぁ、なんで逃げた。

自分から悪いことをしたと言っているようなものじゃないか!

だから、俺は悪くない!

言い訳をすれば?たまたま二宮に似ていた、と?

だめだ。信じてくれるわけない。

本物そっくりにするため、盗撮した写真を3Dマッピングまでしたんだ。

じゃぁ、どうすんだよ!

思考が堂々巡りになる。

トラムが止まった。

早く動け、早く!

ゼミの誰かが追ってきてるかもしれないと思うと、

佐野はパニックになりそうだった。

それでも、トラムは動かなかった。表示板を見れば「LastStop」。

外へ出ると本町駅。新浜市の中心。

トラムを降りて、歩き出す。

家に帰る気にはなれなかった。

いや、もうどこでもいい。

ここじゃないどこかに行きたい。

場所が変われば、きっと全てうまくいくはずなのに。

やっぱり、新浜市に来たことが間違いだった。

そのまま、JR新浜駅の改札を通った。

新幹線口に入れば、故郷の仙台に戻ることも可能だったが、実家も嫌だった。

誰も自分のことを知らない場所へ行って、全てをリセットしてやり直したい。

もうここにはいられない。




知らない駅で降りた。

マップを起動する気もなかった。

二宮の驚愕の表情がフラッシュバックして、エマの顔も見たくない。

歩いた。

ちょうど帰宅時間に重なったのか、徒歩のサラリーマンも多い。

しかし、彼らの足取りは一様に軽い。

彼らには温かい家庭が待っているからだと思うと、やりきれなかった。

幸せな人生を送る人々と、いつも上手くいかない自分。

いったい、何が違うんだ。

数瞬ごとに、二宮の顔を伏せた映像が去来する。

叫びだしそうだった。

その波を何度も何度もこらえて、ひたすら歩いた。


どれほど経ったのだろう。

気が付くと、周りから人影が消えていた。

視界に多数のノイズが浮かんでいる。

コンタクトレンズのステータスを確認する。

ISO204800。

高感度補正が極限まで働いていた。

辺りには街灯もついていない。

それどころか、どの家にも灯りがついていない。

時刻は22時過ぎ。

遅すぎる時間でもない。

ふいに合点がいった。

そうか。特別行政区か。

ずいぶんと遠くまで来たものだ。

人の気配はなく、風が木立を揺らす音だけが響き渡る。

社会から見捨てられた街。

暗く深い海の中で、静かに身動き一つせず、息をこらしている。

コンタクトレンズの高感度補正をオフにする。

瞬く間に周囲の風景は暗闇に溶けた。

どこからどこまでが道路なのか、

先程まで正面にあった家の生け垣はどんな形をしていたのか、

自分が歩いてきたのはどの方向だったのか、検討もつかない。

奥行きも、立体感もなくなり、全てが平坦で、

自分の意識さえも広く薄く押し広げられていくような感覚に陥る。

いくら目を見開いてみても、目を閉じてみても、変わらない暗闇。

いや、目を閉じた際にまぶたの裏に感じるノイズの分、明るさを感じる。

周りの空間と一体化していくようだ。

手を伸ばしても、つかむものは何もなく、

足を踏み出してみても、自分が進んだのか、後退したのかわからない。

いや、どちらでも良いのだ。

全ては等価値で、プラスもマイナスもなく、

前も後ろもなく、右も左もない。

自分自身の輪郭と空間の境もなくなり、

自分と他人の区別など意味を成さない。

こんな感じで溶けていくのもいいのかもしれない。

暗闇の中で、何も言わず、何も考えず、何も聞かずにいられたなら。

何者でもなくいられたなら。

新入生時代が懐かしい。

何も知らず、不安などなかった。

いつからだろう。こんなにも息苦しくなったのは。

何でもないはずの日々が、ひどく冷たく、ひどく堅くなったのは。

佐野はその場に座り込んだ。

分かってる。

たぶん、間違っているのは俺だ。

色々理屈をこねてみても、壁を作っているのは自分だ。

柔らかい心が傷つかないように、必死で城壁を築き上げた。

自分が否定されるのがひどく恐ろしくて、

「本音」の前に、「建前」という防衛戦を幾重にも展開した。

でも、何をそんなに恐れていたのだろう。

もしかしたら、自分が妄想した「他人」を、ただただ恐れていただけなのかもしれない。

人の想像力というものは天邪鬼だ。

ユートピアの設計図など描けないくせに、悪い想像だけは際限なく広げられる。

自分で築いた城壁のせいで、当たり前のように他人が見えなくなり、

ハリボテの城の中で空回りしつづけた。

それは気持ち良いに決まってる。

自分の考えたことだけが、まかり通るわけだから。

そのツケが今日支払われた。


あぁ。

何がいけなかったんだろうなぁ。

どこから間違っていたんだろう。

佐野はふと顔を上げた。

次の瞬間、視界に思いがけないものが飛び込んできた。

熟練の職人によって、緻密に織り上げられたダイヤの絨毯。

満天の星空だった。

言葉にならない。

視界いっぱいを占める星空は、重力を逆転させる。

まるで眼下に広がる輝く海に落ちていくような感覚に襲われる。

広大な宇宙の中で自分の卑小さを覚える。

でも、それは決して嫌な感じがしない。

自分はこんなにも広大で美しい宇宙の、確かに一部なのだと感じられる。

幾万もの煌きが張り付く漆黒のタペストリーは、

地平線と確かにつながり、地平線は確かに自分の足元につながっている。

何かがわかった気がした。

どんなに拒絶しても、自分と世界はつながっているんだ。

そう考えるのがすごく嫌で、でも、そう考えると、どこか安心感を覚える。

生きている限り、逃げられないものがある。

そのくせ、そいつらは、個人には無関心だ。

こんなにも俺が悩み、苦しんでいるのに、

頭上の星空はそんなことは意にも介さず、ひたすら美しく輝き続ける。


「なんだよ、ちくしょう」


残酷なのか、ひたすら寛容なのか。

そして、人も意外に器用だ。

苦しいはずなのに、美しいものに声が出ないなんて。

相反する世界の様相と、相反する自分の感情。

折り合いが付けられないまま、佐野はその夜、ずっと空を見上げ続けた。


つづく...

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