インターミッション 「田山事件 現地調査」②
インターミッション 「田山事件 現地調査」②
ウィンストン・スミスが、ドローンの家屋調査が終了したことを、
河内に告げた。
河内は次に、ドローンを集落全体に飛ばした。
集落全体をマッピングするためだ。
「そろそろお戻りになりますか?」
気がつけば、集落到着から2時間程度が経過している。
考え事をしながら歩いていると、時間の経過に鈍感になる。
男の方に視線を向けると、男はきまり悪そうに顔を背けた。
男の名前はなんと言ったか。
そうだ、吉村だ。
吉村とは、砂原市のレンタカー屋で出会った。
正確には、吉村はレンタカー屋の店員だ。
新幹線とJRを乗り継ぎ、砂原市に到着した河内は、レンタカー屋でFCVをレンタルした。
「元瀬地区に行かれるんですか?」
吉村は、河内の申込内容が表示されたスマートペーパーに目を落としながら、
なぜか小声でそう尋ねた。
「あぁ、そーだ。なーんか、問題でもあるんか?」
「いえ。その、元瀬はいわくつきの土地で、今では誰にも住んでいませんから」
「そんくらい、知ってるさぁ。田山事件だろぉ?」
「ご存知なら良いんです」
吉村はそう言って会話をそそくさと終えたが、
その後も何か言いたそうにちらちらと河内を見ている。
「なぁんだよぉ。気持ちわりーんだよ。
なんか、言いたいことあるならはっきり言え」
吉村はあたりに目を配って、誰も二人に注目していないことを確認すると、
「ガイドを雇う気はありませんか?」
と小声で言った。
「んー?どーいうことだぁ?」
「河内様は、元瀬地区にお詳しいんですか?」
「んーにゃ、そーんなことねぇなぁ」
「私は、元瀬地区の元住民です」
「ほぉ」
「時々、河内様のように、田山事件に興味があると言って、
元瀬地区を訪問されるお客様がいらっしゃいますが、
すでにあの土地には廃屋しか残っておりませんで、
実際には、行っても何がなんだかわからないのが実状です。
私なら、田山事件にまつわる場所にご案内できます。
時々、ガイドを務めているんです」
「なーるほどなぁ」
「私を雇う気はありませんか?」
「いくらだ?」
河内は吉村が「元住民だ」という言葉を口にした時から、
すでに雇うことを決めていた。
もちろん、元瀬地区の地図データは持っているし、取材のために構築した膨大なデータベースから、
田山次郎の家も、矢来忠則の家の場所もわかる。
別にガイドなどいなくても、元瀬地区を迷うことなく歩き回れる自信はある。
しかし、それとは別に、今回の現地取材では元住民とどう接触しようかと、考えていた。
渡りに船だ。
「私が運転しますので、一日で5万円」
「よし、雇う」
「え?この値段で良いので?」
吉村としてはふっかけたつもりなのだろう。
値切っても良い額だが、ここで変に駆け引きするよりも、
金払いのいい客だと思わせて、向こうから情報を持ってくるくらいの関係の方が良い。
同時に、ウィンストン・スミスに元瀬地区の住民リストを洗わせた。
確かに、吉村の名はあった。
吉村和也。
事件当時11才というから、今は40才をとうに超えていることになる。
吉村は翌々日が休日だということで、
河内は2日間のあいだ、砂原市をぶらついた。
砂原市は、よくある地方の中核都市だ。
JR砂原中央駅を中心に、近隣市の人口を受け入れるため、
大型のタワーマンションとショッピングモールが林立する。
管理法は街のあり方を大きく変えた。
街は塗り重ねられ、堆積されるものではなく、
プラモデルのように設計され、組み立てられるものとなった。
土地の歴史は、デジタルデータにしか存続を許されず、
都市での生活は、過去と断絶した。
管理法施行は、かつての日本との決別だったとも言っても良い。
幸か不幸か、管理法の運用は功を奏し、今、日本は経済的にも物質的にも、
豊かさを取り戻してきている。
今は良い。
だが、もし、また、日本が危機を迎えた際、
日本人が立ち戻る場所は残されているのだろうか。
まぁ、俺には関係ないけどな。
河内は冷ややかに砂原市を眺める。
河内にとっては、所詮、すべては他人事だ。
河内の意識の大半を占めているのは、今、田山事件にほかならない。
それ以外のことは、瑣末なことだ。
「お昼もだいぶ過ぎましたので、そろそろ街に戻りましょう。
うまい蕎麦屋があるんです」
吉村がFCVを指差していた。
ドローンも集落全体のマッピングを終え、一機ずつアタッシェケースへと姿を消していく。
確かに腹も減った。
「そーだなぁ。あと少しだけぶらついたら帰るかぁ」
「でも、もう見るべきところもありませんよ?山にも何もありませんし」
「おーいおいおいおい、見るべきところがないかどうかはぁ、俺が決めるんだよ」
河内の視線に、吉村は気まずそうに頷く。
「そーいやぁ、お前はいつ、ここから砂原市へ移ったんだぁ?」
「中学校に進学するタイミングです」
「そーか、田山事件は実際目にしたんか?」
「いえ。もちろん、事件当日のことは覚えていますが、
学校から帰った途端、親が家から出してくれませんでした」
「そりゃ、そうだ。
田山家の子供たちのことは知ってるんか?」
「はい。ただ、学年も違いますから、同じ集落の子供、という程度の認識でした」
「じゃぁ、田山家と矢来家の間にトラブルがあったことは知ってるか?」
「何ですか、これは取り調べですか?」
吉村が苦笑交じりに河内に問う。
しかし、その目には、少し怒りが滲んでるのを、河内は読み取る。
作戦変更だ。
「そーんなに、怒んなよぉ。じゃぁ、最後の質問だ」
吉村が、一瞬うんざりしたように、ただ最後なら付き合おうと鷹揚に構える。
「はい、何でしょう」
「山には何があるんだ?」
吉村の動きが止まった。
ビンゴ。
しかし、吉村はすぐに自分を取り戻す。
自然な呼吸と、自然な動き。
その復旧までの時間の短さが、かえって、河内により深い確信を与える。
「普通の山です。強いて言えば、元瀬神社跡がありますが、ご覧になりますか?」
吉村が「普通の山です」と言った瞬間に視線を送った先を、
河内はすぐさま、ウィンストン・スミスに命じて、
ドローンによって取得しなおした地図データ上に表示させる。
少なくともそれは、元瀬神社跡の方向ではない。
河内は何も言わずに、視界にルートデータを重ねあわせると、
そちらの方向へ歩き出した。
「ちょ、ちょっと待って下さい」
吉村がすぐに追いかけてくる。
ただ、河内には待つ気などさらさらない。
「俺は急いでんだ。なにか言いたいことがあるなら、歩きながら喋んな」
「そちらには、何もありませんよ、ムダ足になります」
「さっきから、言ってるだろう。それは俺が決めることなんだよぉ。
俺に話を聞いてほしいことがあるんなら、まずは俺が見たいものを見てからだ」
「危険、そう、危険なんです!林道も整備されていませんし」
「そーれは嘘だな」
河内は元瀬地区に着いてからというものの違和感を覚えていた。
それは、道が整いすぎている、ということだ。
数十年も放置されている山奥の集落にもかかわらず、
道すがら、車での移動には何も問題はなかった。
集落の中でも、道路脇には植生は旺盛に生えているものの、
道路上の侵略には至っていなかった。
もちろん、新浜市のように、特別行政区と中核都市の距離が近く、
また、中核都市へ住民が移住してからも日が浅いような地域では、
元住民の行き来が継続している場合も多く、
メインの道路というのは比較的きれいだ。
しかし、元瀬地区は、家屋が時間の流れに敗れ、
崩れ落ちているような場所だ。
人の気配すら、する。
確かに、事件マニアや、廃屋好きなどが、田山事件の影を求めて、
時折は訪れるのだろう。
それにしても、整いすぎている。
林道の入口が視界に入る。
きれいなものだ。
道は踏みしめられ、人の往来が未だにあることを裏付けている。
吉村の制止を振り払い、河内は足早に山を登り始める。
腹の底が浮き立つような感覚を覚えた。
体が勝手に踊り出しそうだ。
そもそもは、吉村が口を滑らせたのだ。
何を警戒していたのか、吉村は、河内を砂原市へ帰還するように促した。
その時、彼はこう言った。
『山にも何もありませんし』
河内は「ぶらつく」と言っただけだ。
「山に行く」なんて、元瀬地区に到着してから、一度も発していない。
河内のセンサーが反応した。
あとは、その直感に従って、吉村にカマをかけただけだ。
山には何があるのか。
何が河内を待っているのか。
そして、ついに視界が開けた。
「これは...」
言葉が出なかった。
視覚から得た情報を、脳が急速に処理し、意味づけていく。
そんな、まさか。
いや、そうか。
そういうことだったのか。
田山事件とは、そういう事件だったのだ。
だが、まだピースがいくつかハマらない。
次に調査すべきは...
次の瞬間、体に衝撃が走った。
河内はゆっくりと後ろを振り向く。
吉村の手には、コンクリート製のブロックが握られている。
ブロックは一部が黒く染まっていた。
血液?
誰の?
その時、視界が震えだした。
視点が定まらない。
膝から力が抜け落ち、なぜか手が土にめり込むのを感じる。
何が起きた?
「だから、危険だと言ったでしょう」
吉村の声が遠く聞こえる。
そして、河内の意識は暗転した。
インターミッション『田山事件 現地調査』了。
第四話へつづく...




