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深海の街  作者: 記章
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インターミッション 「田山事件 現地調査」①

第四話の構想ができるまで、遊んで、時間を稼ぎます...

インターミッション 「田山事件 現地調査」①


FCV(燃料電池自動車)のドアーを開くと、乾いた風に頬を撫でられた。

土臭い。

そして、埃っぽい。

空気そのものが乾いており、何かを貪欲に飲み込もうとしている気配さえ感じられる。

まさに、「餓え乾き」だ。


河内は『ウィンストン・スミス(アヴァター)』を起動する。

同時に360度空間撮影と録音を開始させる。

空間共有がオンになると、そのシルエットが見慣れないものだったからか、

河内の横に立つ男が軽く息を呑むのがわかった。


河内らの前には、廃墟と化した村が広がっていた。

まだ昼前だというのに、山間の寒村はすでに夕暮れのように薄闇が立ち込めている。

木造住宅が多かったせいか、多くの家は柱が崩れ、基礎の上に直接屋根が乗っている。

その周辺には、植生が旺盛に生い茂り、まるで何かを隠そうとでもしているかのように、

かつて家だったものを包みこんでいた。


ウィンストン・スミスが、ドローンを起動させる。

地面に置いたアタッシェケースの口が自動で開き、

名刺大のドローンが無数に“這い出してきた”。


まるで生物のような生々しさに、いつも河内はぞっとする。

もちろん、地球上での活動を前提に、エネルギー的な効率を追求していくと、

その果てに生物の模倣に行き着くことは、容易に理解できる。


だが、「滑らかさ」と「生々しさ」には違いがあるべきだ。

人型に「不気味の谷」があるように、機械にも「不気味の谷」は存在する。

しかし、DJIのプロダクトデザイナーは、そのあたりを理解していない。


今度カスタマーサポートにクレームしよう。

河内はそのアイディアを脳内のハンガーに引っ掛けると、

すぐに目の前に意識を向ける。


ドローン達は躊躇せずに、家屋跡に飛び込んでいく。

カメラとセンサーを使って、空間情報を根こそぎ収集し、

その情報をウィンストン・スミスに結合させて、

廃墟内部のイメージを過不足なく把握することが目的だ。


ドローンが全家屋の情報収集を終えるまでには時間があるので、

河内は男を従えて、村を歩きまわることにした。


空山市元瀬地区。

田山事件の舞台。


凄惨な事件の現場だと知っているからなのか、

それとも、もともとこの地区がまとう雰囲気がそうさせるのか、

どことなく、薄暗さと肌寒さを覚える。


見上げれば雲一つない快晴だというのに、

目線の先には灰色がかった村の跡。


全部で40戸ほどだろうか。

中には崩れずに形をかろうじて保っている家屋もあるが、

ガラスは全て割れ、屋内も吹きさらしの様子で、廃墟には違いない。


少し小高い丘になっている場所に、ひときわ大きな屋敷跡が見える。


「あれが、矢来の本家の屋敷です」


受け取った小銭分くらいは、仕事をしようと思ったのか、

男が説明口調で案内を始める。


矢来家はこの辺りでは有名な資産家で、

古くから元瀬地区は矢来家の持ち物だった。


集落から車で20分ほど行ったところに、

ローカル線の「上元瀬(かみもとせ)」という廃駅があるが、

その昔は、駅から屋敷まで自分の土地の上だけを通って帰ることができた、

というから、よほどの地主だったといえる。

集落を囲む幾つかの山も矢来の持ち物だった、と男は説明した。


しかし、矢来家の何代か前の当主が、リゾート開発詐欺にあい、

ほとんどの土地を手放すことになった。

その結果、屋敷の後ろにそびえる山一つと、いくつかの農地と、

屋敷だけしか、手元に残らなかったという。


それでも、いわゆるプロレタリアートの河内からすれば「広大な土地」だ。


一応、現在でもそれらの土地は、矢来家が所有しているらしいが、

「思い出処分」をするわけでもなく、事件以降、そのまま放置されている。


念のため、屋敷跡まで行ってみたが、

荒廃状況は他の家屋に劣らず、内部の調査はドローンに任せることにした。


次に河内は、男に「矢来忠則」の自宅跡を案内させた。

その現場には、当然、「跡地」しかなかった。

そう、矢来忠則宅は全焼した。

その後、忠則は自宅を建て直すことなく、本家に身を寄せていたと男は話す。


土地の所有権は、忠則自身にあったが、田山事件後、

忠則の遠縁の者に、相続されたという。


しかし、その「遠縁の者」も、いわくつきの土地には興味がなかったのだろう。

今でも荒れ果てた空き地の姿を晒すだけである。


当然のように、次に田山家跡に訪れた。

矢来忠則の家から、徒歩で15分ほど。

報道にあったように、佐藤宅と思われる家屋跡に隣り合うように、

こちらも家屋跡が残っていた。


こうして歩いてみると、彼我の距離から、

田山家と、矢来家にはそれほど頻繁な付き合いがあったとは思えない。

両家とも子育て世代ではあったものの、

矢来家の次女が当時15才、一方で田山家の長男が当時8才だったから、

小学校で重なることもなかった。


田山家と矢来家の接点は何か。


そこが、この事件を紐解く鍵となるはずだ。


当時、旺盛な食欲で田山事件を貪っていた各メディアも、

ことその疑問に至ると、途端に口が重たくなる。


もともと田山家は、元瀬地区にとって「よそ者」だった。


田山家の世帯主、田山次郎が「田舎暮らし」に憧れて、

管理法施行前に東京都内から越してきたことは、当時の報道が明らかにしている。


田山次郎が越してきた当時、空山市は人口減少の歯止めと、財政安定化を目的として、

積極的な「田舎暮らし希望者」の受け入れを行っていた。


例えば、市が買い上げた中古住宅を無償提供し、

リノベーション費用も半額を負担したり、

転入3年間は住民税を免除、

また、子育て世代には高校卒業まで医療費を無償化するなど、

あの手この手で転入希望者を募っていた。


田山家もそのキャンペーンに乗った一家族である。


ある雑誌は、「地元の住民」である矢来忠則と、

「よそ者」である田山次郎の間に、

トラブルがあったのではないかと考察する。


しかし、それは考えにくい。


田山家は、いたく元瀬地区が気に入ったらしく、

管理法施行後も、元瀬に居残り、反対運動にさえ参加していたのである。

「地元住民」と「よそ者」の対立という構図は分かりやすいが、

いまさら対立が発生したというのは理由としては弱い。


また、ある新聞メディアは、反対運動を継続する中で、

だんだんと立場の違いが先鋭化し、対立に至った、とする。


可能性として考えられないわけではないが、

放火による一家殺害を決断させるほどの対立とは、

一体何なのか。


このように、田山次郎と矢来忠則の関係を突き詰めていくと、

袋小路に入り込んでしまうのだが、

ここで多くのメディアが「いずれにせよ」という便利な言葉で、

強引に「田山事件の凄惨さ」に焦点をズラしていく。


一つ、都市伝説系のブログで面白い指摘があった。


それは「因習」だ。


そのブログによれば、空山市元瀬地区は古来より、蛇神(へびがみ)信仰が根強い地域らしい。

地域の名前に「元瀬」とあるように、

「もともと、湿原/水辺だった場所」という意味だ。

近くを流れる元瀬川を水源として、その豊かな水を求めて、

人々が寄り集まり、いつしか元瀬集落となった。


もちろん、崇めるのは水神である。

そして、水神は、蛇神と同義である。


その証拠に、矢来家当主が代々宮司を務める元瀬神社には、

倭大物主櫛甕魂命ヤマトオオモノヌシクシミカタマノミコト

つまり、日本を代表する蛇神、大物主(オオモノヌシ)が祀られている。


おそらく、大物主は権威付けのための“後付け”であろうが、

元瀬地区には、古来から蛇神がいたことは想像に難くない。


ブログはここで、「神とは何か」という根本的な問いへと論を進める。


もともと「神」という言葉の初出は、

孔子の弟子の遺した『春秋(しゅんじゅう)』という書物の注釈書、『春秋左氏伝(しゅんじゅうさしでん)』である。

もちろん、『春秋左氏伝』に登場する「神」は農耕技術を民草に指導した、平凡な「呪術者」にすぎない。


それが、日本に輸入された時に「kami」と発音され、

「自然を超越した不可知な力」という意味を帯びるようになった。


ここで疑問が持ち上がる。

日本人が「神」を「kami」と読み、「不可知な力」と理解した時、

そのイメージを重ね合わせた現実の存在とは、何だったのか。


日本語には、「神」以外にも、「kami」と発音する名詞は数多(あまた)存在する。


「紙」

「上」

「髪」

「守」

という単語のほか、

「加味」や、

「狼」

などという名詞もある。


だが、国語学的に厳密に発音すれば、

「神」と、それ以外の名詞では、発音が異なる、というのだ。

具体的には「ka」は一緒ではあるが、「mi」の発音が違う。


では、この「神」と同じ発音をもつ言葉は何か。


実は存在しない。


つまり、「神」という単語は異次元の名詞なのだ。


しかし、「神」の「mi」の発音だけが重なる名詞が、たった一つだけ存在する。

()」である。


ブログはこう考察する。


古来、日本の「神」は「蛇」だったのではないか。


後に、「神=蛇」は、大陸から上陸する八百万の神々の侵略により、

徐々に人型を取るようになり、好々爺のようなイメージに変貌はしたが、

その素顔は今でも「蛇」なのではないか、と。


そして、話は元瀬地区に戻る。


元瀬地区は矢来家の土地だと言っても良い。

矢来家がいつ頃から元瀬に住まっているか、は定かではないが、

昭和60年に空山市郷土史編纂委員会が発行した『空山市風土記』によれば、

最も古い記録に、すでに「矢来家」の名が記されている。


そして、矢来家は莫大な資産を築き上げている。


ブログは指摘する。

矢来家こそは、「蛇神憑(へびがみつ)き」だったのではないか、と。


あらゆる、「憑き物」の中で、「蛇神憑き」は特殊で、異様で、そして強力である。


まさに、日本古来の「神」を憑依させる行為そのものだからだ。


矢来家は、おそらく「蛇神憑き」の力を駆使して、

富や幸福を引き寄せたのではないか。


では、矢来家はどのように「蛇神憑き」になったのか。


それは、「元瀬地区」の名前に関係がある、とブログは言う。


なぜ、元瀬地区が「()瀬」ではなく、「()瀬」なのか。


つまり、「もともと存在していた湿原/水辺」はどこに行ったのか。


結論から言おう。

集落の下、だ。


つまり、封神(ほうしん)である。


神=蛇神が住まう水辺を埋め立て、逃げ場をなくす(封じる)ことで、

矢来家は当主の身体そのものを「水辺」として差し出した。

そこから、「矢来家=蛇神憑き」の歴史が始まった。


そして、ここから、ブログ管理人の筆は加速する。


田山事件とは何だったのか。


結論からいうと、

「蛇神憑き」の力を欲した「マレビト」である田山次郎による「神譲(かみゆず)りの失敗」と、

「蛇神の復讐」である。


矢来健児らの本家ほどではないものの、

分家である矢来忠則一家にも「蛇神憑き」の力があると見込んだ田山次郎は、

「神譲り」を試みる。


それが、矢来忠則一家の放火殺人の動機だ。


水神は火に弱い。


逃げ場を求めて矢来一家の体から離れた水神に、

田山次郎はその身体を「新たな水辺」として差し出し、

その力を自らに憑依させるはずだった。


しかし、ここで2つの誤算が生じた。


ひとつは、蛇神は世帯主の矢来忠則だけに憑いていたこと。

そして、忠則が当日、不在だったこと。


田山次郎の計画は失敗に終わる。


当然のように、蛇神は怒りに燃えた。

その怒りは、不甲斐ない宿主である忠則自身と、

自らを火攻めにしようと画策した「何者か」に向く。


だが、蛇神=忠則は、その「何者か」を突き止められなかった。

しかし、代償を蛇神は求めた。


そう、(にえ)を求めた。


蛇神が溜飲を下げるのに充分な贄とは、何か。


それは、「マレビト」である田山一家だった。


つまり、矢来忠則は、放火犯を田山次郎だと知って犯行に及んだのではなく、

贄としてふさわしい「マレビト」が、偶然田山一家だった、ということだ。


だから、村の中で、放火犯だと疑われていた田山次郎の殺害にこだわることなく、

「マレビト」であるその妻と、子供たちを殺すことで満足した、というのだ。

そして、蛇神は、贄の儀式の最終段階として、宿主自身の命を奪い、復讐劇を終えた。


田山事件とは、古くから元瀬地区を支配する蛇神をめぐる、血なまぐさい争いだった。


とブログは締めくくる。




ただのほら話だ。

管理人の妄想以外の何物でもない。


そう河内は断ずる。


よくある伝奇ネタを散りばめて、それらしく虚飾しているが、

「神」と「蛇」の発音の類似性には何の根拠もないし、

「封神」の使い方も、「マレビト」の概念の理解も誤っている。


そして、何より、基本的な知識不足によって、致命的な間違いを犯している。


田山次郎一家は「マレビト」ではない。


確かに、田山次郎の出身は千葉だ。

しかし、次郎の妻は元瀬地区の出身である。

妻自身は、父の転勤をきっかけに、

中学進学と同時に埼玉県へと居を移したが、

立派な“元”元瀬住民なのだ。


「蛇神」というのが、もし実在するなら、

そんな基本的なことを間違いはしないだろう。


もちろん、特定の集団が共有する「物語」の中に、

「倫理」や「共通の価値観」などと、

ほぼ同レベルの概念としての「神」が存在することは否定しない。


だが、元住民の次郎の妻ならいざしらず、

次郎自身が「放火」という現実の行動を取るほどまでに、

元瀬地区の「物語」を信じていた、というのは理解しにくい。


結局、このブログも、

田山家と矢来家のつながりを明らかにできてはいない。


やはり、田山家と矢来家の接点が鍵となる。

それを最初に解明するのは、この俺だ。


河内はふつふつと身中に湧き上がる、炭酸のようなしびれを感じていた。


つづく...

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