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深海の街  作者: 記章
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第一話「思い出処分」(後編)

第一話「思い出処分」(後編)


翌日、葦原駅に降り立った歩美の前には、

ジャージー姿の宮本がいた。


「昨日のこと、なんだけどさ...」


歩美は少し驚き、手に持った花瓶を落とさないように気をつけた。

今日も海咲と一緒に片付けをしながら、

女子高生に何故か受けているデジタル育成ゲーム「ちぎょっち」について、

話をしている時だった。


因みに「ちぎょっち」は、読んで字のごとく「稚魚」を育てて、立派な成魚にするゲームだ。

グラフィックデザインはリアル志向で、なおかつ、育てたい目標の成魚があれば、

魚卵の段階で見分けなければならないという高度な魚知識が求められる上、

さらに、育て方を少しでも間違えばすぐに死んでしまうという、

冷酷極まりない徹底した現実主義的なゲームだが、

女子高生に言わせれば「リアかわいい」(リアルで、かわいいの略語)らしく、

爆発的に流行している。

最近では、AmazonKindleのダイレクトパブリッシングには、稚魚の育成日記をはじめ、

稚魚との恋愛小説(!)などをまとめた「ちぎょっち」カテゴリも登場。

光源氏の紫の上に対する愛みたいなものだろうか。

また、ボーカロイドアイドルグループ「七台目ねるそん提督」が、

「ちぎょっち」への愛を歌った新曲、

「サカナへのそこはかとない愛的な」をリリースし、

YoutubeではPVが1週間で300万回も再生された上、

ニコニコ動画(女満別)では、「歌ってみた」「踊ってみた」動画の投稿ラッシュが続いており、

メディアミックスも急速に進んでいるようだ。

これらの社会現象について、海咲は時間をかけて丁寧に解説してくれた。

海咲のプライベートアヴァター「なぎさ」を通して、

現在育成中の「タイガートラウト」の“トラちゃん”も見せてくれたが、

歩美の食指はピクリとも動かなかった。


ふと、会話が途切れた。

あの独特な気まずい雰囲気の中、突然海咲が昨日のことを切り出したのだった。

歩美は何気ない風を装い、作業の手を止めない。


「あんなことおじさんに言っちゃったけど、

 実は私が一番お父さんのことわかってないんだよね」

「なんで?」


思わず強い声が出てしまった。

初日から海咲のことが心配だった。

もちろん、逸夫の怪我も心配したが、あの日の海咲の叫びこそが、歩美の心にひっかかっていた。


「あ、ごめんねぇ、なんか変なこといっちゃった」


努めて明るい声を出して、ごまかす。

海咲は少し驚いたようだったが、軽くため息をつくと話し始めた。


「亡くなったおじいちゃんと、おばあちゃん、つまり、お父さんの家族はね、

 すごく仲が良かったんだって」


しかし、佐々木一家も例に漏れず、特別行政区管理法が施行され、

移住を余儀なくされた。

しかし、移住とは言っても、元々一家が暮らしていたのは、比較的境界線に近い地域だったため、

となり町に引っ越すくらいの感覚だった。

反対運動をするほどのことではないし、国からの補助金も出る。

佐々木一家が住んでいた地域は、さして大きな抵抗もなく、移住が進んだ。

逸夫が高校生の頃だった。


住居は戸建てから集合住宅になってしまったものの、

佐々木家は変わらず、それまでの生活を続けた。

逸夫は東京の大学に合格し、新浜から上京した。

勉学を終えると、逸夫は新浜市の企業に就職し、故郷へと戻ってきた。

東京で出会った清子を連れて。

すぐに海咲が生まれ、佐々木家は当たり前の幸せな家庭を築いた。


海咲が中学生になる春休みだった。

逸夫の父、つまり海咲の祖父が亡くなった。

平均寿命が90歳を超えた日本では、驚くほど若い死だった。

それから祖母がよく出かけるようになった。

祖母の行き先は、移住前の「自宅」だった。

荒れ果てた庭をキレイにし、20年以上放置された家の掃除をしていた。

来る日も来る日も、天候と健康が許せば、毎日のように自宅に通っていた。

最初は逸夫も心配したが、特に危険な作業をしているわけではないし、

警察や、管理技官の定期見回りもあったため、祖母の好きにさせていた。

それを聞きつけたのが、祖母の兄にあたる倉石亮太だった。

亮太は独身だった。

そのせいか、妹への執着は強かった。

亮太も祖母と共に自宅へと通い始めた。

何をするわけでもない。

掃除と言っても、毎日のようにしているため、時間がかかるものでもない。

水筒に熱いお茶を持ってきて、二人で時を過ごすようになった。

そのうち、逸夫家族も時折「実家」を訪れるようになった。

祖父の姿はないものの、また一家が揃ったような幸せな時間だった。


「やっぱりさ、家族なんだなって思った。

 何でもない話をするんだよ。わざわざ言わなくてもいいことばっかり」


しかし、つかの間の「家族団らん」は終わりを告げる。

祖母が祖父を追うように亡くなった。

祖父がなくなってからわずか2年。

祖母は亡くなる前、逸夫にこう言い遺した。


「『実家葬』がしたい」


実家葬とは、特別行政区内の自宅で葬儀を執り行うことをいう。

5年ほど前からブームのようになった。

佐々木一家は、祖母を実家葬で見送った。

再び自宅は静かになった。

逸夫達の足も遠ざかった。

亮太とも何となく疎遠になった。


「あの時の家族みたいな集まりは何だったんだろうなぁって思う。」

「楽しいひと時だったのね」

「ん~、楽しかったっていうか、

 なんか、うまく言えないけど、普通の家族の感じがしたから」

「おじさんも含めて?」

「うん、亮太おじさんもすごく楽しそうだったし」


しかし、ある日逸夫が決断した。


「あの家を売ろう」


「お父さんはそれ以上何も言ってくれなかったけどね。

 なんとなくお父さんの気持ちもわかるし」

「どんな風に?」

「え?なんとなく...」


自宅の家財も土地も建物も全て逸夫に相続されたが、

逸夫は自宅を処分する旨を、念のため亮太に報告した。

しかし、亮太は反対した。

亮太は逸夫の家にまで訪れたが、逸夫は「もう話すことはない」と、取り合わなかった。

そして、昨日を迎えた。

処分に反対した亮太は、逸夫家族を自宅前で迎えた。

いつものように逸夫は亮太の話を聞かず、

それが亮太の逆鱗に触れ、あの喧嘩へと至ったのだ。


「なんでなんだろ」


海咲は独り言のようにつぶやいた。


「なんで家族なのにわかってくれないんだろ。

 皆でおばあちゃんの家に遊びに行ってた時は、

 何もかもうまくいってたのに」


在りし日のことを思い出しているのか、遠い目をしている。


「海咲ちゃんはさ」


海咲が振り向く。


「さっき、お父さんの気持ちがわかるって言ったけど―」

「わかってる。お姉さんの言いたいことは。

 んー、ううん、やっぱ、わかんないのかもしれない。

 お父さんの気持ちも、おじさんの気持ちも」

「わかんなくて当然だと思うよ」


海咲が眉をひそめたのが分かる。

歩美は少し躊躇した。

でも、たぶん、こういうことは、全部言い切っちゃったほうが良い。


「家族だけどさ、わかんないんだよ。

 ううん、違うな。家族だからこそ、わかんないんだよ」

「どういうこと?」

「家族ってさ、すごいと思わない?」

「どこらへんが?」

「だって、『あれ』とか言えば、何のことだかわかっちゃうし、

 手を出しただけでも、何がほしいか分かるし、

 お母さんなんて、赤ちゃんの泣き声で、何言ってるかわかっちゃうんだよ」

「うん」

「でも、それが当然だと思うでしょ?

 それが、たぶん、間違いなんだろうなぁって思う」


歩美の脳裏に父の笑顔が浮かぶ。母のしかめっ面が浮かぶ。


「家族ってさ、『ある』ものなんじゃなくて、『なる』ものなんだよ。

 そして、ホントは皆が『家族になろう』って、努力しなきゃいけないものなんだよ」

「そうなの...かな」

「でも、意識しなくても、いつも一緒に暮らしてるから、家族だから、

 いつの間にかそれに甘えて、なんか思ったことと違うことが起きれば、

 『なんでわかってくれないんだろ』とか思っちゃう」

「うん」

「ホントは些細な事なのに、友達に同じことをされても、

 そんなに腹が立つことじゃないはずなのに、

 すごく裏切られた思いがして、

 なんでかわかんないけど、気がついたら大げんかになっちゃたりして...」


父と母のすれ違いの日々が目に浮かぶ。

母は父を徹底的に無視していた。

そんな刺々しく冷たい家の空気に、あの頃は、ただ泣くことしかできなかった。

今なら少しはまともなことを言えるのかな。

二人のことを、つなぎとめることができるのかな。

やばい、泣きそうだ。

歩美は唇を噛み、波をやり過ごした。


「ホントにそうだね」


海咲がつぶやいた。


「でも、どうしたらいいかわかんないよ。

 『家族になる』ってどんな事すればいいの?」

「それはね、簡単なんだよ。すっごくめんどくさいけどね」


私にはできなかったけれど。あなたならできる、きっと。




「どうでした、初のお仕事は?」


少しずつ慣れてきたガソリン車の車内。

初めは妙に生々しく感じたエンジンの唸り声も、

今はなんだか甘えた猫の鳴き声のように、可愛らしく感じるから不思議だ。


「そうですね...疲れました」


心地よい疲れではあるけれど。


「でも、やっぱりお手伝いをして良かったです。

 宮本さんも巻き込んじゃいましたけど」

「いえいえ」


宮本は優しく笑う。


「あの―」


歩美は言いかけて、少し深呼吸をし、居住まいを正した。


「あの、今回のやり方が正しい、なんて思ってません」


宮本は前方を見つめたままだが、その目には面白がっている光が見える。


「もしかしたら、職員の“立ち会い”としては、

 ふさわしくない行為なのかもしれません。

 まぁ、規定に何にも書いてないのがいけないと思うんですけど」


宮本が笑顔で少し頷いた。


「えと、ちょっと話がズレましたが、

 まだまだわからないことだらけで、管理課職員の仕事も、

 満足にできていませんが、でも、少しでも―」


そう、自分はまだ未熟だけれど、少しでも。


「市民の方々の気持ちに寄り添えるような職員になりたいと思います。

 そのために、ご指導・ご鞭撻よろしくお願いいたします!」


もしかしたら、宮本にきちんと挨拶をしたのは、これが初めてだったかもしれない。


「はい、こちらこそ」


宮本も姿勢を正し、目は前方に向けながらも、真面目な顔をして返答した。

しかし、すぐに吹き出した。

歩美も、なんだかおかしくなって笑う。

宮本が笑いをこらえきれない様子で、言った。


「にしても、あの家族、倉石さんと仲直りできたら良いですね」

「大丈夫ですよ。海咲ちゃんがいれば、きっと...」


宮本は不思議そうな表情をしたが、歩美はあえて暗闇に溶けた車窓に目をやる。

ちょうど車は、特別行政区から中核都市の境界線に差し掛かるところで、

唐突に周りの風景に光が浮かび出す。

まるで、真っ暗闇の深海から、陽の光の届く海底に戻ってきたかのように。


歩美は思う。


深海には光は届かないから、

だから、見つけにくいけれど、そのせいで誰もが忘れかけているけれど、

とても大切なモノが眠っている。


特別行政区はもしかしたら、そんな場所なんじゃないだろうか。

でも、私達はとても不器用で、皆が深海ばかりで生きられるわけじゃない。

浅瀬にしか棲めない魚がいるように、中核都市でしか生きられない人もいる。

いや、今となっては、そっちの方が多いだろう。

でも、それが悪いわけじゃない。

いつまでも深海にこだわることも、

中核都市で生きることを選ぶことも、どちらが間違っているわけじゃない。

倉石遼太が非常識なわけでも、佐々木逸夫の判断が間違っているわけでもない。

ただ、不器用なだけだ。

でも、あの家には海咲がいる。

だから、たぶん、大丈夫。

何の確証もないけれど、大丈夫。

深海魚も、浅瀬の魚も、海は等しく包み込むのだから。



宮本との初仕事を終えて、ひと月が経った頃。

新浜市庁舎の休憩室で缶コーヒーを片手に座っている歩美のもとに、

アリカがいたずらっぽい笑みを浮かべながら、

メールの着信を“伝えにきた”。

ラベルはプライベート。

海咲からだった。

一目見て長文だったので、その日帰宅してから開いてみた。

好きなハーブティーを片手に。


本文には、女子高生らしい大雑把だけれど愛らしい言葉遣いで、

色々なニュースが綴られていた。

まずはメインとして念願の彼氏ができたこと。

ご丁寧にプリクラまで添付してあった。

結構真面目そうな風貌に、歩美は少し安心する。

それから、新しく赴任してきた英語の先生が、「チョーヤバイ」こと。

文脈から判断するに、「とてもカッコいい」ということらしい。

もちろん、「ちぎょっち」の“トラちゃん”が、

順調に成育していることも、スナップ数枚と一緒に記されていた。

自分にもこんな歳があったなぁ、と懐かしくも、

気恥ずかしさを感じながら、読み進める。

そして、「お父さん」と「おじさん」が大喧嘩をしたこと。

たぶん、書きたいことが多かったのと、メールを打ちながら、

気持ちが段々と高ぶっていったのだろう。

主語と述語が一致しないし、時系列もめちゃくちゃだったが、

何とか解読すると、このようなことがあったらしい。


逸夫と亮太は、家財搬出後一切の連絡を取らなかった。

そこで、海咲は歩美が言った「すっごくめんどくさい」ことをした。

逸夫が家にいる時を見計らって、亮太を家に呼びつけ、

とことん話をするように仕向けたのだ。

初めは押し黙っていた二人だったが、亮太がボヤキはじめ、

いつしかそのボヤキが逸夫の気持ちに火をつけ、

口論となり、最後には大喧嘩になった。

亮太も海咲を気にしてか、手を上げることはなかったが、

また、喧嘩別れに終わった。

ただ、帰ろうとする亮太に、海咲はある約束を取り付けた。


「月に一回必ず家に来て、お父さんと話をすること」


海咲のすごい剣幕に押され、亮太は渋々了承したらしい。

海咲に言わせれば「全然、先が見えなくて、うるさいし、すっごくめんどくさい」けれど、

「少しずつやっていくしかないよね。家族だからこそ、話し合わなきゃ」。


海咲自身も、食事中はテレビを消して、アヴァターもスリープして、

逸夫と清子と話をするようになった、とのこと。

学校のこと、テストのこと、部活のこと。

さすがに彼氏のことを話した時は、逸夫の追求が厳しかったが、

佐々木一家は、なんでもないことを、きちんと話すようになったらしい。

歩美は素直に羨ましく思った。


願わくば、そんな「なんでもないこと」が、いつまでも続きますように。



宮本はガソリン車をマンションの地下駐車場に入れた。

中核都市内の駐車場代は、決してバカにならないが、

業務に必要だということで、車の維持費共に、新浜市が支払ってくれている。

車内でスマホから、本日の業務報告を、

歩美と、歩美の上司にあたる特別行政区管理課課長の真田にメールする。

車を降り、エレベーターホールに向かうところで、

居住階につながるエレベーターの前に、人がいることに気がついた。

濃紺のダウンジャケットに、黒いジーパン、

グレーのメッセンジャーバッグを斜めがけした男は、

宮本の顔を認めて、笑った。

少し記憶を探ったが、面識はない。

男はゆっくりと近づいてくると、もったいぶりながら口を開いた。


「ふぅ、探しましたよぉ、宮本さん」


声を聞いたが、やっぱり面識はない。

だが、次の男の言葉に、宮本の目は見開かれた。


「教えてくださいよぉ、田山事件の真相♪」


第一話了。第二話につづく...

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