第三話「回遊魚は故郷の夢を見るか」その2
第三話「回遊魚は故郷の夢を見るか」その2
歩美たち3人は若手職員研修プログラムで、茨城県の中核都市「水戸市」を目指していた。
歩美とめぐみと菜々は同期職員だ。
3人とも入所後の所属はバラバラになってしまったが、
今回のプログラムに“偶然”3人が選出された。
ということになっているが、歩美の脳裏には真田の含み笑いが焼き付いている。
あの人のことだから、何か仕掛けたのかもしれない。
もちろん、何の裏もない“ただのおふざけ”の可能性も高いけれど。
いずれにせよ、3人は水戸市に出張し、特別行政区甲種指定地区について、
その現状と課題などをこれから一週間かけて学ぶことになっている。
甲種指定地区。
それは、特別行政区管理法における与野党の攻防の産物の一つと言える。
特に一次産業従事者を支持者の大半に抱える当時の与党が、
野党の多くの要求を飲む代わりに、死守した特例だ。
そもそも、特別行政区管理法は、野放図に拡大したライフラインの大部分を放棄し、
一部の地域に人口を集約することで、大幅なコスト削減と、
経済の高速循環を狙った政策だった。
一方で、日本の独自産業として長らく聖域化されてきた農業は、
たとえ国家が未曾有の危機を迎える中にあっても、
「日本の農産業文化存続」という錦の御旗のもと、保護されることとなった。
当時の農水相が発した、
『稲作文化を守る約束』を意味する「米ットメント」というダジャレは賛否両論を招き、
その年の流行語大賞にノミネートされるなど話題になったほどだ。
いずれにせよ、与党の懸命な努力の結果、
特定の農業地帯は「甲種指定地区」と称される特例地区に指定され、
住民たち、つまり農家は移住させられることなく、従来通りの生活を保証された。
与党は一定の支持者の生活を、最大限保護することに成功したのだといえる。
もちろん、日本全国におけるすべての農業地帯が保護されたわけではない。
農水省の組織した有識者会議によって、
保護対象は稲作を始めとした「日本独自の農業文化」に限定され、取捨選択された。
この選定をめぐる議論においても、族議員の介入によって、一時は混迷を極めたが、
時の農水省次官水沼告の英断によって、なんとか事態は軟着陸し、
甲種指定地区の管理はスタートされた。
もちろん、新浜市の管轄でも、いくつか甲種指定地区は存続している。
特に「地域の景観保護」と、「地場産業の振興」を題目に21世紀初頭に始まった、
金沢地域の酒米栽培は有名だ。
そのような事情もあり、甲種指定地区への見聞を広めることは、
歩美自身、もちろん職務に直結するし、
同期のめぐみや、菜々も、いつ特別行政区管理課に転属になるかわからない。
そのため、新浜市役所の若手職員は、甲種指定地区の取り組みについて「成功モデル」とされている、
茨城県水戸市に、毎年派遣されている。
「研修プログラム」という仰々しい名称が付いているものの、
指導役が同行するわけでもなく、
先輩職員に言わせれば「単なる研修旅行だよ、羽伸ばしておいで」という程度のものらしい。
最近、仕事が立て込んでいたから、いい息抜きになるかも。
歩美自身そう思ったから、喜んで引き受けた。
宮本も笑顔で送り出してくれた。
水戸市までの道のりは、あっという間だった。
3人とも、同じ所内で仕事をしているとはいえ、
普段は顔を合わせる機会もなかったから、近況報告に花が咲く。
めぐみが思ったことをすぐ口に出して話の腰を折るものの、
菜々がうまく牽制し、歩美がなんとなく全体をまとめる。
3人の掛け合いは途絶えることがなかった。
もちろん、女子が3人も集えば、自然と恋愛トークになる。
めぐみの今の彼氏は、グローバルシェアNo.1である日用品メーカーの執行役員だ。
「パパのお友達」だという。
因みに年齢は25才も年上。
めぐみは内定者時代から「オジサンキラー」の異名を持っていたが、
それを地で行くのはさすがだ。
彼氏は普段から世界中を飛び回っているらしく、
お互い休日が取れた際は、彼氏が滞在する国にめぐみが飛んで行くらしい。
もちろん、飛行機代は彼氏持ちで、滞在先は最低でも5つ星ホテル。
先々月は、かつての温暖化の影響で海中都市になった「ヴェネチア」で歴史のロマンスにひたり、
先月は、緑化が成功したネヴァダ砂漠に建てられた「バーニングマンシティ」で踊り明かし、
来月は、昨年オープンしたばかりの軌道ステーション「ネクサス」で初の宇宙遊泳だというのだから、
やはり歩美の想像を超えている。
「んー、でも、今のダーリンと結婚は考えられないかな」なんてサラッと言うところが、
めぐみの怖いところだ。
人懐っこい小動物のような顔をして、考えていることは徹底的に現実家だったりする。
「だって、恋愛で大切なのはお金で、結婚で大切なのは時間でしょ?」
めぐみ曰く、恋愛は楽しむことが目的で、そのためにお金は必須だから、
若いうちは、「お金持ち=年上の男性」と付き合うに限る。
しかし、結婚生活は、一緒に歩む時間が何よりも大切だから、
結婚するなら若い相手が良い。
じゃぁ、若くてお金持ちの男性と付き合えばいいと思うけれど、
「めぐみのわがままを、なんでも聞いてくれるのはやっぱりオジサマだもん♪」
ということらしい。
ひどく自分に都合のいい考え方だが、
結局、天動説というか、天上天下唯我独尊が服を着ているのがめぐみなのだ。
でも、彼女は突き抜けていて、自分にどこまでも正直で、
それは自分のことをよく分かっていることの裏返しで、
なんだか歩美は、そんなめぐみをにくめない。
一方、菜々は高校時代から付き合っている彼氏と、仲良く続いているとのこと。
その「普通」に歩美は少しホッとする。
最近では、結婚もなんとなくお互い意識しはじめているという話に、
歩美も自分のことのように嬉しくなってくる。
因みに菜々の彼氏も公務員だ。
とはいえ、歩美らとはキャリアが違い、国家公務員一種で経産省で働いている。
高校時代、荒れていた菜々を、当時生徒会長だった彼氏が更正させたエピソードは、
とてもロマンチックで、二人は今後どんなことがあっても離れることはないだろう、
と、歩美は勝手に確信している。
「で?歩美は?」
「へ?」
「いやいやいや!あゆみん!『へ?』じゃないよ!」
「いや、私は別に。仕事も忙しいし...」
なぜか、脳裏に宮本の顔が浮かび、慌てて消し去るが、
「あぁ、そっか」と菜々がしたり顔をする。
「えっと、なんて言ったっけ、歩美のパートナー」
「あ!私知ってる!管理技官の宮本さん、でしょ!結構イケメンよね」
「わぉ。なんだかんだ、歩美もオジサンキラーじゃん」
「ちょ、ちょっと!違うよ!」
「あゆみん、宮本さんっていくつ?」
「ん、わかんないけど、15コくらいは離れてるんじゃないかな」
「え!全然ストライクゾーンじゃん!」
「で、どうなの?歩美は好きなの?」
「え、好きとかじゃないと思う。人としては尊敬してるけど」
「じゃぁさ、あゆみん、ほかに好きな人とかいるの?」
「いないけど...」
「じゃぁ、あゆみん、宮本さんでいいじゃん!」
「こら、そーいうことじゃないでしょ!とにかく、宮本さんとは何もないから!」
その時、歩美を救うように、車内のアナウンスが流れる。
あと3分で水戸駅到着だという。
「ほ、ほら、準備しないと!仕事だよ、仕事!」
歩美は必死に話題を変え、二人にゴミを片付けるように促す。
実際、歩美自身、よくわからないのだ。
好きだとか、タイプだとか。
そういうことを考えると、なぜか心のどこかが痛くなって、
いつも遠ざかってきた。
だから、めぐみや菜々には笑われるかもしれないけれど、
歩美はこの歳になって、未だに「恋愛感情」というものがわからない。
つづく...