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深海の街  作者: 記章
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インターミッション 「田山事件 その表象」②

インターミッション 「田山事件 その表象」②


空山市元瀬(そらやましもとせ)地区は、当時全国的に散発していた管理法反対運動地域の一つだった。


矢来宅火災の3年前に管理法が施行され、空山市では、中核都市である砂原市への移住が進んでいた。

しかし、元瀬地区は、地主が多い地域で、また、比較的地縁の結びつきも強く、

ほどなく管理法への反対運動が始まった。


運動の中心を担ったのは、矢来忠則の本家筋にあたる矢来健児(やらいけんじ)(当時40才)。

矢来健児は地元の高校を卒業後、東京大学へと進学し、

その後、外資系の大手コンサル会社に務めていたが、

家業である農業と林業を継ぐため、地元へと舞い戻ったいわゆるUターン組である。


社会人時代に培った柔軟な発想と、先見性、決断力で、斜陽産業となっていた家業を上昇軌道に乗せた。

一風変わった一次産業の若手社長として、一時期メディアにも注目されたこともある。


しかし、実家へと戻って数年もしないうちに管理法が施行された。

矢来健児は、すぐに管理法の矛盾とデメリットを指摘し、地域住民をまとめ上げ、反対運動を開始。

行政側は、段階的にインフラのメンテナンス放棄などを実施したが、住民たちの連帯は強く、

反対運動は続いた。

その運動はSNS等を介して徐々に認知され、反対運動のモデルケースの一つとして、

管理法反対派から賞賛されることになる。

ついには、元瀬地区を中心として、全国の反対運動が有機的に繋がり始めるきっかけになるまでに至った。


そんな中、矢来忠則宅が火災に見舞われた。

それを機に、矢来健児の提案で、元瀬地区は「自警団」を組織。

二度と悲しい事故や事件を起こさないように、お互いに注意を払うことが目的だった。

この取組は、防災と安全を行政に期待することができない特別行政区にとって、

まさに必須事項だとされ、全国の反対運動地域も、こぞって真似をするようになった。

しかし、結果から言えば、自警団は機能せず、田山事件という、

最悪の事態が引き起こされることとなった。


分家筋とはいえ、親戚の起こした惨劇の故か、事件後、矢来家は求心力を失い、

住民間の連帯は急速に希薄化。

半年以内に残存世帯の4分の3以上が砂原市へと移住した。

矢来健児をはじめとした矢来家も、人目を避けるように遠方へと引っ越していった。


これだけであれば「有力視されていた反対運動の一つが潰えた」ということで、

管理法反対派にとっては、当然残念な事象ではあれ、正直、対岸の火事と言っても過言ではなかった。

しかし、その評価は覆ることとなる。


その後、旧元瀬地区住民を取材した複数のメディアによって、

当該の「自警団」の本来の目的は、矢来忠則宅の「放火犯」を探すことだったことが、

明らかにされた。

そして、田山事件が起こる一週間前の土曜日に行われた寄り合いにおいて、

「田山次郎」が放火犯であると結論が導き出されたというのだ。

もちろん、その場には矢来忠則も田山次郎も同席していなかったが、

寄り合いに参加した誰かから、その情報が矢来忠則の耳に入り、

凶行に至ったのではないか、と推測された。

つまり、田山事件は、矢来忠則による私刑だったのではないか、ということだ。


その頃からである。

複数の反対運動地域において、段々と自警団が力を持つようになり、

私刑を行う集団へと変貌しはじめた。

地域に事件や事故が起きれば、到着まで数時間掛かるような消防や警察を呼ぶことなく、

自警団が独自の調査を行い、独自に解決しはじめた。

自分たちで裁判を行い、罪があると認定された人間は、

その地域独自の方法で罰を受けるようになった。

当然、地域の事故や事件は恥とされ、地域の外に公開されるはずもない。

特別行政区はある種の密室となり、反対運動を行う住民の連帯は、

強烈な緊張感と裏返しになっていった。


時が経つにつれ、隣人の何気ない行動が疑心暗鬼を生み出し、

疑心暗鬼が被害妄想を引き起こし、被害妄想は暴力で解決されるようになっていった。


人が自らの判断で「正しさ」を決めた時に、人はお互いを信じられなくなった。


そんな動きを疎んだ住民たちが、反対運動をやめ、中核都市へ続々と移住するようになった。


ゆるやかにその毒は、管理法反対地域に広がっていき、

ついには最大の運動団体である「みどりの市みんなの町協議会」が自壊した。

それからは加速度的に事態は変わっていった。

どこが安全地帯であるか理解した人々は、

特別行政区で住みつづける夢など忘れたように、中核都市へと集中した。



以上が、田山事件の表象である。

だが、こんな情報には何の意味もない。

すでに他人によって解釈され、言語化されてしまっているからだ。

すすり終えたスルメのように、噛み終えたガムのように、もはや、何物でもない。

河内の口元に笑みが浮かぶ。

だから、自分の出番だ。

ここからが本番だ。

河内は笑いをこらえきれなかった。


インターミッション了。


第三話「回遊魚は故郷の夢を見るか」へとつづく...

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