インターミッション 「田山事件 その表象」①
幕間劇。田山事件をひも解きます。
インターミッション 「田山事件 その表象」①
河内はLAN回線が外部と遮断されていることを注意深く確認したうえで、
アヴァター“ウィンストン・スミス”を起動する。
もちろん、スタンドアロンでは、IBMの提供するアヴァターサーバの能力は借りられないが、
データは室内のサーバに保管されているし、今、河内が必要としているのは、
ウィットに富んだコミュニケーションではなく、単純なクロス検索機能だけだから問題はない。
年代物のLG社製8Kディスプレイ4枚を正方形型にヴァーチャル配置したスクリーンに、
情報を出力するように設定する。
そういえば、LG社の社名が“Lucky Goldstar”から、“Life's Good”に変わったのはいつだったか。
河内は疑問が生まれると、すぐに調べないと気がすまない質だったが、
今はLG社の社名よりも、目の前の田山事件のほうが優先順位が高いため、
頭の中の洋服ダンスに「ハンガー」を掛けた。
「ハンガー」は河内流の短期記憶の延命方法だ。
人の短期記憶にはキャパシティとタイムリミットがある。
トレーニングによって、それらは増やし延ばすことができるとはされているが、それでも限界がある。
だから、人は忘れないように、外部記憶装置にキャプチャする。
それは、「紙に取るメモ」だったり、「記念写真」だったり、もはや死語だが「写メ」だったり、
「画面キャプチャ」だったり、「EvernoteのWebページクリップ」だったり。
もちろん、それが「形あるもの」であれば、
もっと正確に言えば、視覚で捉えることができて、言語で表現できるようなものであれば、
外部記憶装置に任せておけばいい。
だが、自分の中にふと浮かび上がってきた火花のような「疑問」や「考え」、「アイディア」は、
メモをすべきではない、と河内は考えている。
言語化は、「ある事柄」を「言語」という型に流し込んで、「形を整える」ということだ。
それは、余分なものを削ぎ落とすことと同義だ。
河内はニュアンスを大切にする。
レトリックを重視する。
幹よりも、枝葉に注目する。
そこにこそ、「人の感情」が込められるからだ。
「人の感情」は大切だ。
客観的なデータや、第三者的な視点が重視される傾向があるが、
河内からすれば、そんなものは愚の骨頂だ。
事物はすべて人の解釈で成り立つ。
客観的な事実など存在しえないし、たとえ、哲学上は存在しえたとしても、
そんなものには何の意味もない。
今ビルの裏側でひっそりとダンゴムシが死んだとして、それが河内には何の影響も及ぼさないように。
そして、解釈こそは感情と切り離すことは、決してできない。
だから、河内は浮かんできた疑問やアイディアを、
その時のニュアンスや、感覚と一緒に、架空の洋服ダンスのハンガーに引っ掛ける。
ハンガーの数は全部で20本。
洋服ダンスは、短期記憶の消失タイミングを先延ばしする。
時間にして24時間程度。
一日の終りに、洋服ダンスを開け、中身を整理し、ハンガーをすべてキレイにするのが、河内の日課だ。
気がつけば、ウィンストン・スミスは起動を終え、
河内が必要とするデータをディスプレイに展開済みだった。
河内はすでに暗唱できるほど、資料を読み込んでいたが、
今一度先入観は捨て、田山事件を整理してみる。
表象として現れてくるのは、2つの家族をめぐる2つの事件だ。
27年前の3月14日未明。
空山市元瀬地区の矢来忠則宅で火災が発生。
近隣の住民たちは、消防署に通報した後、懸命に消火活動を行ったが、火勢は止まらず、
ほどなく矢来宅は全焼。
完全鎮火は、火災発生から実に5時間後のことだった。
焼け跡からは、世帯主矢来忠則の実母(当時72才)、
妻(同45才)、長女(同17才)、次女(同15才)の遺体が見つかり、
同時に死亡が確認された。
当時、矢来忠則は県外に出張中で不在だった。
忠則以外の家族全員が死亡したことになる。
警察と消防の調べによると、出火原因は実母の寝タバコとされた。
不幸な偶然も重なった。
まず、その日は、乾燥注意報が発令されるほど、空気が乾燥していた。
次に、矢来宅がある空山市元瀬地区は、火災の3年前に特別行政区に指定されており、
ライフラインのメンテナンスが放棄されていた。
住民たちの消火活動中に、上水道が突然破裂し、消化に必要な水が充分に確保できなくなった。
また、特別行政区で自活する矢来宅には、当然ながら燃料が日頃から大量に備蓄され、
連鎖的な延焼の原因となった。
加えて、消防車は中核都市に指定された隣市の砂原市からの出動となったため、
元瀬地区に到着するまで、1時間半ほどの時間を要した。
それらの事象が重なりあい、炎は爆発的に燃え広がって、
消防車が到着する頃には、すでに矢来宅は炎に包み込まれていたという。
因みに、消防車の到着よりも、マスコミが派遣したドローンの到着の方が早かったというのは皮肉な話だ。
非常に悲しい事故ではあるが、事件性はなかったため、
世論は、「特別行政区における居住の難しさが露呈した」程度に受け止めた。
当時は中核都市への移住の過渡期であって、
特別行政区内における居住世帯は依然少なくなかった。
また、「みどりの市みんなの町協議会」をはじめとする市民団体が「住の多様性」を求め、
全国で中核都市移住に対する反対運動が散発していた。
もちろん、全国民が「反対運動をすれば従来の生き方を選択できる」と考えているわけではなかったが、
中核都市への移住は「自由意志に任されている」と漠然と捉えられてもいた。
つまり、「特別行政区に住みつづける」ということは「多少カネがかかり、不便になる」くらいで、
「それでも良ければ、特別行政区に住み続けることは任意だ」という風に考えられていたのだ。
だから、矢来宅での火災は、新聞でも社会面で取り扱われるにとどまり、
管理法支持派や中立派からは「ほら見たことか」と呆れられ、
反対派からは教訓として受け取られた。
国家的な経済破綻という未曾有の危機を経験したにも関わらず、
各国から「平和ボケ」と揶揄される日本人の気質は大きく変わることはなく、
当時の日本は楽観的な雰囲気に包まれていた。
それが激震する日が訪れる。
矢来家と同じく元瀬地区に住まう田山宅から、ある日警察に通報があった。
通報から1時間後にようやく駆けつけた警察官が目にしたのは、
3人の惨殺された遺体と、
立ち尽くす田山宅世帯主田山次郎とその横で泣きじゃくる幼児、
そして、矢来忠則の自殺体だった。
これが「空山市元瀬地区田山一家殺害事件」、世に言う「田山事件」である。
事件に関する報道は当初錯綜したが、日が経つに連れ、
全貌が明らかになってきた。
それは矢来忠則による殺人事件だった。
矢来忠則は、12月14日(土)の午後1時過ぎ、田山宅を訪れている。
田山宅の隣家に住む佐藤花代(当時58才)がその姿を目撃している。
田山宅には、世帯主の次郎をはじめ、妻(当時35才)と、長男(当時8才)、
長女(当時7才)と次男(当時3才)の5人家族が住んでいた。
事件当日は土曜日だったこともあり、妻と長男と長女は在宅。
次郎は次男と砂原市へ週に一度の買い出しに出かけていた。
矢来家と田山家はそれほど親しい仲ではなかったものの、
元瀬地区に残る決断をした同志としての繋がりはあり、
もちろんお互い面識もあった。
居間には、矢来に供したのであろう来客用の茶器と緑茶が残っていたことから、
田山家族は特に警戒することなく、矢来を迎え入れたと考えられている。
矢来忠則が田山宅に上がってから30分ほどした時、大きな物音と叫び声がした。
これも隣家の佐藤花代が耳にしている。
不審に思った花代が、夫である蓮と共に田山家を訪れてみると、
玄関口に子供二人が血まみれで倒れていた。
その場を花代に任せて、蓮が家の奥に入ったところ、
居間には同じく血まみれの次郎の妻の姿と、自らの喉を切り裂いたと思われる矢来の姿があった。
蓮が矢来を発見した時は、まだ息があったが、その後すぐに息を引き取った。
蓮が見る限り、矢来は笑っていたという。
蓮は現場をそのままにして、すぐに警察へ通報。
さらに、次郎にコンタクトし、至急帰宅するように伝えた。
鑑識による調査の結果、矢来は自宅から持参した包丁で、まず次郎の妻を殺害。
その後、玄関口に逃げた子どもたちを続けて殺害した。
そのやり方は凄惨極まりないもので、長女に至っては、顔の形がわからないくらいに、
包丁で切り刻まれていた。
その後、矢来は居間に戻り、自らの喉を掻っ切って自殺した。
事件としては、被疑者死亡で幕引きとなり、
田山次郎はメディアに何も語らず、葬儀が済むと、次男とともにその姿を消した。
その後を追うように、元瀬地区の住民たちは、管理法への反対運動をやめ、
ほどなく砂原市への移住を完了し、元瀬地区は名実ともに放棄された。
非常に後味の悪い事件ではあったが、
この事件はその後、予想以上のインパクトを持って、列島を揺るがすことになる。
つづく...