表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
深海の街  作者: 記章
10/34

第二話「星空の待ち人」その8

第二話完結です。

第三話のネタ考えなきゃ。

第二話「星空の待ち人」その8


「何度失敗しても良い。愚痴を言うのも良い。

 時に泣いて、吐き出すのも良い。

 ただ、逃げてはダメだ。

 私のような、本当に大切な物を、はき違えるような人間になってはダメだ」


長い独白を、丸田はそう締めくくった。

丸田宅に沈黙が降りる。


「奥様は...?」


佐野だった。瞳には涙さえ浮かんでいる。


「まだ連絡はない。もう6年も経ってしまったがね」


丸田が苦笑いする。


「ただ、毎月送る手紙は、差出人不明や受取拒否で戻ってくることもない。

 どうやら、読んでくれているようだ。

 また身勝手な解釈だって言われるかも知れないがね、少しでもそうやって、前向きに考えている」


佐野がうなずいた。


「まぁ、気長に待つさ。妻は30年も待ったんだ」


丸田が穏やかな笑みをうかべる。

ホッとしたような、すこし温かい空気がリビングに集う4人を包む。


「やっぱり、僕、出頭します」


佐野の声は、先ほどとは違い、はっきりしていた。


「反省している旨をしっかり伝えて、もし、許されれば、今度はきちんと許可を取って、

 また、区内に来たいと思います。あの―」


佐野は、隣りに座る丸田の方へ体を向ける。


「もし、良ければお庭を使わせていただけませんか?」

「あぁ、もちろんだとも」


丸田は笑った。

その時、アリカが視界の隅で着信のジェスチャーをする。

「重要」のラベル。

真田からだった。

3人に断って廊下に出ると、視界の前方に真田の顔が現れる。

いつもの何かを面白がっている表情だ。


『結論から言うね。佐野くんの件は、大丈夫』

「え?」


歩美から真田に佐野の件を報告した覚えはない。

歩美自身、佐野とは出会ったばかりだ。

宮本は、事前に丸田から事情を聞いていたようだから、宮本が直接真田に伝えたのだろうか。


『だからね、出頭の必要なんかないのさ。

 たぶん、警察署に行ったところで、職員がただ困惑するだけかな』

「ちょ、ちょっと待って下さい」

『ん?』

「なんで、佐野さんのこととか、出頭の件とかご存知なんですか?」

『なんで、って言われてもね~』


真田は、やや大げさに右手を顎の下にあてて、考えるようなジェスチャーをする。


『勘?』

「なわけないじゃないですか!」


思わず大声が出て、歩美は慌てて声のトーンを落とす。


「子供じゃないんですよ、まじめに答えてください」

『ま、とにかく、そういうわけだから。

 あ、それと、佐野くんには明日からは正式に許可証を取って、入域するように伝えといて。

 木下さんが検印すれば問題ないはずでしょ。

 じゃ』


そこまでいうと、真田は一方的に通話を切った。

ため息が出る。真田には振り回されっぱなしだ。

でも、悪い報告じゃない。

歩美にとっては、いろいろとわからないことが多いものの、丸田と佐野にとっては良い報告に違いない。

歩美は足取りも軽く、リビングへと戻った。




「本日はお疲れ様でした」


ガソリン車を運転しながら、宮本が言った。

佐野を四ツ街駅まで送り届けた後、宮本は歩美を「家までお送りします」と言った。

歩美は最初、その申し出を断った。

単純に電車で帰ればいいと思ったのと、

それよりも、今日はなんだか、宮本の態度に心がざわついていて、

ふたりきりで密室で過ごすことに抵抗があったからだ。

でも、宮本に「プライベートで来ていただいたのですから」と説得されてしまい、

歩美は市内の自宅まで送ってもらうことになった。

住所を伝えるときに、どこか落ち着かず、早口になり、

そんな歩美の内心を悟ったのか、アリカがニヤニヤしている。


『なに意識してんのよ』

『そんなんじゃないわよ!』


空中をタイプして、アリカに反論する。


『なによー。そんなムキにならなくてもいいじゃない』


もう。

誰がこんなアヴァターをデザインしたんだろ。

私だ...

にしても、最近のAIは性能が良すぎる。

ムーアの法則は、実は悪い予言でしかないことに、人々はそろそろ気づくべきだ。


『家でお茶とか振る舞わなくていいの?』

『宮本さんもお忙しいから、そんなのご迷惑じゃない』

『へぇ、宮本さんが忙しくなければ、歩美は一緒にお茶したい―』


途中でアリカを最小化(ミュート)した。

ダメだ、彼女に付き合っていると、どんどんテンポが崩される。

今まで自分の長所はマイペースなところだと思っていたのに、

就職してからというもの、周りに振り回されっぱなし。

真田にも、アリカにも、そして宮本にも...

当の宮本を見やると、いつもどおり、涼しい顔をして運転をしている。

黙ったままでいるのも変だと思って、


「でも、丸田さんの夢、叶うといいですね」


と言った歩美の言葉に、宮本は言葉を探すようにしばし瞳を動かすと、

思い切ったように告げた。


「それは難しいでしょうね」


宮本の回答は、歩美の想定外だった。

決して宮本の口調には辛辣さもなく、皮肉も込められてはいなかったが、

なんで、そんなネガティブな言い方をしなくてはならないのだろう。

心が冷える。

しかし、宮本の次の言葉は、さらに歩美の想像を超えていた。


「丸田さんの奥様は亡くなられています」


衝撃だった。


「3年前になります。もちろん、丸田さんもご存知のことです」


横隔膜が痙攣して、うまく息を吸うことができない。


「奥様は最期まで、あの家に戻ることはありませんでした」


頬が熱い。

いつの間にか、涙があふれていた。


「じゃぁ、なんで、あんな嘘を...」


宮本に聞かなくても分かっている。

丸田は懸命に佐野を励まそうとしたのだ。

自らの痛みを飲み込み、笑顔を作って、

投げやりになっていた佐野が自身を諦めることがないように諌めたのだ。

過去の丸田がどんな人間だったのか、歩美は知らない。

だけれど、今の丸田はそれほどまでに優しい人間だ。


歩美は運命なんて信じない。

因果律なんて、まやかしだ。

人はいつも突然、結果だけを突きつけられる。

現実はいつも理不尽なんだ。

シーシュポスが岩を持ち上げるのに、納得のいく理由なんてないように。


丸田は贖罪を果たしてきたはずだ。

今、丸田は何を想って暮らしているのだろう。

何を支えに生きているのだろう。

あの大きな家で、一人何を待ちつづけているのだろう。


歩美は声を抑えることができず、ひとしきり泣いた。


宮本は歩美が落ち着くのを待つためか、車を沿岸に回した。

かつて「新浜新道」と呼ばれた道路。

今は「湾岸線」と呼ばれ、すぐ東側には海が迫る。

暗闇に溶ける海を横目に、車はゆっくりと進む。

しばらくして、歩美は落ち着きを取り戻した。

鼻声な上、メイクも全部流れてしまって、恥ずかしい。


「すみませんでした。取り乱して...」

「いいえ。私もお伝えするタイミングと、言葉を選ぶべきでした。

 申し訳ありません」


宮本が頭を下げる。


「でも...」


でも、丸田はどのような想いで、あの家にいるのだろう。

他人が言うべきことではないけれど、今の丸田には、本当に何もなくなってしまった。

...違う。

そうか。


「もう、あの家しかないんですね」


もうあの家で生活することしか、丸田には他に何も残されていないのだ。

それはあまりにも(むご)い、まさに呪いのような「生」だ。


「奥様の葬儀のあと、私に話してくれました」


宮本は語り始めた。

丸田は妻を看取ることもできなかった。

妻が入院した時と同じように、妻の死も当然友人の口から聞かされた。

ただ、妻の葬儀や、私物の引き上げなどは、さすがに友人に頼むわけにも行かず、

丸田は喪主として走り回った。

特別行政区内の「自宅」で執り行う「実家葬」も考えたが、

妻の人間関係は現在のコミュニティに根ざしているため、

結局、新浜市の斎場にて行った。


すべてが終わり、妻の私物を整理していた際に、

比較的新しいモレスキンノートが出てきた。

デジタルデバイスの進歩や、アヴァターの登場によって、

「メモ/ノートを取る」という行為は日常から消え去った。

また、日記やライフログといった類も、膨大なメタデータと共に、

ほとんど自動で記録されるし、アヴァターを導入していれば、

ウィットに富んだ日記を代理で書いて(ゴーストライター)くれる。

つまり、現代では、一般消費者が紙のノートを持つことは非常に稀だった。

同時に、非常に高価だ。

やはりモレスキンが主流だが、その他はツバメノートや、

マルマンのボストンノートなどがわずかに残っている程度。

だから、嫌でもそのノートは目を引いた。

丸田は震える手で、ノートを開いた。


ノートには何も書かれていなかった。

だが、ページをめくる度、丸田の目には涙が溢れていった。

すべてのページをめくり終えると、丸田はノートを抱いたまま嗚咽した。


ノートには、丸田の送った手紙が、キレイに貼り付けられていた。


そこには、返信を書こうとした跡もないし、コメントすら、メモ書きすらなかった。

あったのは、ところどころが(にじ)んだ文字。


なぜ、お互い、素直になれなかったのだろう。

お互い、分かり合っているつもりだった。

期待と遠慮のせめぎあいの果てに、

一度切れた糸を、ただただ悲観するしかなかった。

恥ずかしくても、敬遠されても、糸は結び直すべきだったのだ。

現実は不可逆だ。

選択肢がある分岐点など、実際には存在しないのだ。

だったら、切れた糸は結び直し、また切れても結び直し、

結び直す度に太くしていけば良かったのだ。


ならば。


人生は後戻りもできず、後悔すら意味が無いのだとしたら。


踏み出すしかない。

歩んでいくしかない。

あらゆるものを背負って、生き抜くしかない。


「この決断は悲壮に思えますかね」


丸田は、にこやかに宮本にそう問いかけたという。


「今は私も、悲壮感を覚えているが、いつかこの気持が、

 もっと前向きになれたらと思っているんだよ」





「穿った見方になりますが、佐野さんを励ましたのは、もしかしたら、

 佐野さんのためだけを思ったのではないのかもしれません」


宮本のその言葉には、歩美も同感だった。

丸田なりに3年もの間、整理しつづけていたのだろう。

妻との出来事を、自分の中でどのように位置づけて、

そして、それをどのように物語るか。

その試みは、まだ完成していない。

まだ、「妻の死」までは、物語に包含できていない。

しかし、それは、まだ丸田には生きる意味があるということだ。

いつか、前向きに妻との物語を他人に話すことができる日が来るまで、

丸田は過去を振り返り、整理し、意味付け、そして自分と重ね合わせていくのだろう。


「丸田さんにとって、もしかしたら、

 佐野さんの存在が良いきっかけになるかもしれませんね」


歩美はそう答えた。

丸田も気づいているかもしれない。

自分の中に答えなんかない。

自問自答の果てにあるのは、自己嫌悪か、自己満足だけ。

佐野という「他人」を受け入れて、丸田はどのような答えを出すのだろうか。

それが丸田の言う「前向き」なものであることを、歩美は望まずにはいられない。





「あ、あの、お茶でもいかがですか!」


マンションの入口まで送り届けくれた宮本を、

なぜか歩美は呼び止めてしまった。

自分でもなぜ宮本を誘ったのか分からない。

21時を過ぎ、一人暮らしの女子が、独身男性を家に招くには、

含蓄がありすぎるタイミングだ。

そのことに歩美自身、気がつき、自然と顔がほてる。

視界の隅でアリカがニヤリとするのを無視して、宮本の顔を見つめる。

宮本の表情には、下心のようなものが浮かぶわけもなく、

ただ、不思議そうに歩美を見つめている。

その視線に耐えられなくなって、歩美は取り繕った。


「今度、また、丸田さんのお宅で。あの、コーヒー、美味しいですし...」


しどろもどろになった歩美に、宮本は笑いかける。


「今度、星、見ましょうか、丸田さんのお宅で」

「あ、はい!」


宮本は何事もなかったかのように、走り去っていった。


「はぁ」


今日はなんだか疲れた。

ふと、空を見上げるが、そこには全天候型半透過式照明ルーフがあるだけ。

そうだ。

中核都市からは、星空は望めない。

雨風の心配もなく、夜の闇も、暑さ寒さからも無縁となった都市は居心地がいい。


だけど...


別に不便な生活が良いと思うようなナチュラリストでもないし、

「大自然との対峙の中に人間の本質がある」なんて思想は時代錯誤もいいところだと思う。


だけど...


時々、丸田宅で星空を見てみるのも良いかもしれない。


次の休みには、丸田宅にプライベートでお邪魔しよう。

そう思って歩美はアリカにスケジュールを確認させた。




第二話「星空の待ち人」了。

第三話につづく...

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ