第08話
衝撃が校内全体に響いた。
連続する強烈な振動は璃々子のいる第二校舎職員玄関まで響き渡り、頭の片隅で結城達が作戦の終盤に差し掛かったのだと理解する。
しかしそれに安堵していられるほど気楽な状態ではなかった。
「あらあら? 黒柳が張り切ってるのかしら? ワタシには関係ないけど」
伝わってきた振動に刃を交える女は適当な結論を出し、涼しい顔のまま右手を振るう。
女の持つ直径30センチはあろう5本の黒い爪が、璃々子の首を狙って襲い掛かった。
光粒子ブレードを放出する2本のマサムネを巧みに操りそれを迎撃しながら、対する璃々子も敵の首を刎ねるべく絶え間ない連撃を叩き込む。
隙を埋めるように後方より霧島が援護射撃を送り、両者の攻防は拮抗していた。
だが、
(拮抗してるだけでも異常でしょう……!!)
こちらは二人。加えてたった一撃でも致命傷は免れない兵器を携えている。
傍から見れば戦力差は圧倒的。でありながら、女は右手の篭手から伸びる凶器を片手に、2本のマサムネと1丁のパルサーから繰り出される数々の攻撃を弾き落としている。涼しげな表情で、焦る素振りも見せずに。
(速すぎる……!!)
いくらなんでも異常すぎる。左右の光剣を振るいながら璃々子は思考を巡らせる。
確かに目の前の女は異能力者、それも世間に認知されているそれとは違い一線を画す存在だ。レジスタンスであれば、きっと璃々子よりいくつもベテランのEP室員と世間の目に留まらぬ場所で何度も抗争を繰り返しているはずだ。加えて霧島の言うことが正しければ、『武器』を表に出せる異能力者特有の身体強化のようなものもあるらしく、奴の動きが人の平均レベルとは抜きん出ているというのは分かる。
しかし、それにしたって速すぎる。
動きが、ではない。
何よりも奴の反応速度だ。
(まるで動きを読まれてる!)
璃々子が次にどう攻撃してくるのか。
霧島の射撃がどのタイミングで飛んでくるのか。
それを事前に察知でもしているのかと疑うぐらい、女の攻撃に対する反応が敏感すぎる。幾重にも斬り合いながら分かってきたことだ。
奴の経験と身体能力だけで再現できるとは思えない速度である。
「こ……のぉ!!」
左右のマサムネを交互に繰り出し、間隔に隙の生じない二連撃を首と胴体目掛けて抜き払う。
女はその一方を黒の爪で受け流して軌道を逸らし、もう一方へぶつけるようにして攻撃を回避する。それらの手馴れた動きから一連の動作のように、爪が璃々子の頭部目掛けて振るわれる。
直後に援護として飛来するパルサーの射撃。しかしそれさえも脅威の速度で反応を示すと、爪の軌道が変わり閃光を打ち落とす。
先程からこれらの駆け引きが何度も続いていた。
どちらも傷つかない様はまるで演舞のようであったが、繰り出す怒涛の連撃をこうも簡単に回避されては焦りが募る一方であった。
「あらあら。なんでって顔をしてるわね」
異常すぎる回避能力で次々と璃々子の攻撃を受け流しながら、女は口を開く。
「心配しなくてもちゃんと仕組みはあるわよ? まあ、知ったところであなた達にどうこうできる代物ではないのだけれど」
余裕の態度でペラペラ語る女は、まるで生徒にモノを教える教師のようである。
その口を黙らすべく奴の顔面目掛けて重ねた2本のブレードを全力で振り下ろすが、やはり当たりはしない。軽く身を逸らすことで避けられてしまう。
弄ばれている。
その事実に奥歯を噛み締めながらも、攻撃の手を休めずに刃を振り続ける。
「ワタシの異能力がなにか分かるかしら?」
「うっさい!!」
「あらあら。そんなに怒らないで? 私の異能力は、」
全身の運動能力をフルに活用し2本の刃から何十にも及ぶ連撃を次々と繰り出す。
それら一撃一撃に的確な対処を行いつつ、女の妖艶な唇が自身の異能力を口に出す。
「"電力使い"」
一字一句紡がれた言葉に思わず眉をひそめる。
霧島や結城の予想していた通りではある。が、電力を操るそれが奴の反応速度に繋がるとは思えない。
「正確には細かい点で少し違うのだけれど、あなた達にも分かるように言えばそんな所かしら。シンプルでしょう?」
女の言葉には返答せず、2本の刃を重ねた回し斬りを脇腹目掛けて振り払う。女はそれを正面から受け止めた。バチバチッ、と火花が舞う。
互いの刃が鍔迫り合いをしながらも、全力で力を込める璃々子対し女は表情一つ変えない。
「使い方は色々あるのよ? 気付いているでしょうけど、電波妨害の領域を作っているのもワタシ。この裏口付近に微弱な電磁波の領域を作って、誰かが来た時の探知機にも使っているのよ」
「探知、機?」
「そうよ? センサーとでも言うべきかしら。だからさっきまであなた達がこっそりワタシを見ていたのも知っていたのよ?」
なんて応用力だ。関心と同時に恐ろしさが湧き出てくる。
裏口から逃げようとする生徒や教師を奴がただの一人も見逃がさなかったのはその為だろう。この付近を通った時点で、この女に自分の居場所を知らせてしまうようなものなのだから。
(……? 待って、センサー?)
鍔迫り合いでマサムネにギチギチと力を加えながら、奴の言葉からある一つの仮説が浮び上がる。
まさかと思った璃々子の様子を察すように、女の顔がニタリと嗤った。
「あらあら。分かったかしら? ワタシは自分の周囲にもセンサーを作っているのだけど、使い方を工夫すれば目を閉じていたとしてもあなた達の動きが手に取るように分かる……筋肉がどう動いて、次にどういう風に攻撃してくるのか、なんてこともね」
女の驚異的な反応速度に合点がいく。
それは即ち、反応しているのとは少し違うのだろう。異能力を通して相手の動きを完全に見切っている、第六感とも言うべきもの。感じているのだ、説明しがたいその感覚を通して。
「人間には生体電気が流れているわ。センサーを通しそれを読み取ればあなた達の行動は全て把握できてしまう。分かってみれば簡単な話でしょう?」
「っ……、」
「あらあらあら。つまりあなた達は、ここにいる以上ワタシには勝てないわよ?」
「……、でもあんただって、こちらに攻撃を加えることができないんじゃない?」
動揺を隠すように挑発の意味も込めて女を睨み上げる。
こちらの攻撃は確かに通用しない。そのカラクリも奴の異能力である以上、そう易々突破できるものではない。しかし現に、手数の違いから璃々子へ攻撃を与えることができていないのも事実だ。
元より璃々子達の目的は時間稼ぎ。
可能であれば躊躇なくその首を刎ねるつもりでいたが、無理に倒す必要はない。
そして先程響いてきた轟音は、例の『圧力鍋爆弾』が爆発した音だ。順調に事が進んでいるのであれば、あとは『合図』がくるまで耐えればいいだけ。勝ちは目前なのである。
だが。
璃々子の言葉に女の顔が不気味に嗤った。
「あらあら。さっき言ったこと、忘れてないかしら?」
「なに……?」
「ワタシの異能力は"電力使い"……そんな微弱な電力ばかりを扱うのが、ワタシの本領だと思って?」
ゾクッ、と。
その瞬間、何やら得体の知れない寒気を感じた璃々子は慌てて武器を引き後ろへ跳んでいた。隙を埋めるように後ろから霧島の射撃が飛来し、璃々子の脇下を潜り抜けて女を襲うが振り上げられた爪が一瞬で掻き消す。
数メートル離れた璃々子に女は追撃をしてこようとはせず、とても愉しげな視線を送ってくる。
「でもね、あまり使いたくないの。だってワタシはコレで引き裂いてこそ快楽を得られるのに……感電死させちゃったらつまらないでしょう?」
「つまらない、ですって……?」
「肉を斬られて骨を断たれて、命を乞いながら甘美な悲鳴を響かせる……それこそが最高の瞬間だというのに勿体無いわぁ……」
恍惚の表情で己の武器を見つめる狂気的な姿は最早見飽きたが、感電死、と女は間違いなく口にした。
それはつまり、"相手を感電死させる手段"を秘めているということ。
奴自身の好き嫌いで今は武器による近接戦闘しか行っていないが、その気になってしまえば異能力での戦闘も可能ということだ。
「そうね……ふふっ。折角だから死なない程度に見せてあげるわ。ワタシの大切な"画材"なんですもの、それぐらいのご褒美はあって当然よね?」
おもむろに女の左手が前に掲げられる。
まずい。
本能は即座に判断するが、どんな攻撃が来るのか、どう対処すればいいのか、何も分からない為にその場を動くことができない。緊張の面持ちでマサムネを構え迎撃体勢を取る。
バチバチッ、と突き出された女の左手に何かが走った。
それは視認できるほどの青い稲妻。何も握っていない白い肌に、蛇が纏わりつくような青い光が帯電する。奴の異能力が現実に顕現する、僅かな予備動作。
「おい坂井ッ!! ボケっと突っ立ってんじゃねぇ!!」
「え?」
後方から霧島の警告が響いた。
思わず振り返りかけて、それは起きた。
帯電する女の左手が一層輝いたかと思えば―――直後、手の平から射出される一筋の閃光。
雷の矢。
女と僅かな距離しか空けていなかった璃々子は、視認できるとはいえ恐ろしいまでのスピードで迫り来るそれにマサムネを動かすことが出来ず、
ドンッ、と体が真横に吹き飛ばされた。駆け寄った霧島が、璃々子の小さな体を突き飛ばしたのだと脳が理解するのは数瞬後。
バチィ!! と強烈な閃光を迸らせ、霧島の体へ雷の矢が直撃した。
彼の持っていたパルサーが宙を舞い、しかしそれ以上に筋肉質の大柄な霧島の体をまるで紙くずのように吹き飛ばす。廊下の床に叩き付けられゴロゴロと転がっていく様を見て、ようやく璃々子の思考が復帰した。
「……っ、き、霧島先生!!」
跳ね飛ばされ尻餅をついていた璃々子は、慌てて立ち上がり倒れる霧島の元へ駆け寄る。
ピクリとも動かない。
パチパチと彼の全身に小さな電気が流れ、体に触れると静電気のような刺激が伝わってくる。服はあちこちが焼け焦げ肌にも火傷ができていた。
嫌な予感が浮かび顔が青くなる。すぐに厚い胸板に手を当てると……かろうじて鼓動は伝わってくる。しかし目を覚ます気配はなく、璃々子を庇った今の一撃だけで致命傷だというのは十分に理解できる。
「あら……少し強すぎたかしら? 制御が難しいのよね。まあいいわ、今のではまだ死なないでしょうし」
あれが。
あれが異能力。
お遊びでもなんでもなく、人を傷付けるために振るわれる異能力。
これで手加減しているという現実に、全身から冷や汗が流れてくるのが分かった。霧島の言う『化け物』という表現を改めて実感する。自身の力を掌握してみせた異能力者は、ここまで異常だというのか。
今まで璃々子が仕事で見てきたESP症候群者の若者達とは確かに違いすぎる。
比べるのが申し訳ないほどに。
「少し邪魔だったし、眠ってもらうためと考えれば結果オーライかしら? あらあら、これで二人っきりね? 可愛い先生ちゃん?」
「……っ」
「今ので分かったかしら? これで殺しちゃうのは酷く無粋なの。悲鳴一つなければ恐怖で震え上がる顔も見られない……つまらないと感じるのは当然でしょう?」
気を失っている霧島は何とか息はある……が、今この現状が作戦の頓挫を意味することに璃々子は気付いてしまった。
残るは結城達からの『合図』を待つだけだったというのに、ここにきて霧島が行動不能。こんな状態では、仮に『合図』があったとしても逃げることができない。
いや……璃々子だけなら逃げ切れる。しかし霧島も一緒となると、気絶した彼を運ばなければならない。そんな隙だらけの逃亡をこの女が許すとは思えなかった。
(だからといって見捨てるなんてこと……!)
できる訳がない。
ただでさえ璃々子を庇ってこうなってしまったというのに、彼を放って逃げるなんてできる訳がない。例え死ぬことになってもそれだけは選べない選択だ。
ならば残された選択は一つ。戦って勝つ他ない。
しかし、その選択を容易に選べるほど簡単な相手ではないというのも事実。
どうすればいい。
奥歯を噛み締め、マサムネを強く握り締め、冷や汗を流しながらも必死に考える。
「あらあら……そうだわ、いい事を思いついた」
愉しそうに言葉を紡ぐ女が、ふと何かを思いついたようにわざとらしく手を叩いた。その視線は璃々子を見つめているが、まるで自分の玩具や人形でも相手にしているような不気味な色が覗いている。
「殺さず、意識も奪わず、丁度良い加減具合で動けなくするというのはどうかしら? 全身がビリビリして、きっと気持ちいいわよ?」
「!! この……っ、」
このままじっとしていてはまずい。ただの的でしかない。
焦りと恐怖が入り混じりながらも、すぐにそう判断した璃々子は慌てて立ち上がり女へと容赦なくマサムネを斬り払った。難なく弾かれるが、決して勢いを衰えさせることなく何度も何度も我武者羅にブレードを叩きつける。
何としてでも今は奴に異能力を使わせてはならない。その隙を与えてはいけない。恐怖を振り払うように、体を動かし続ける。
だが、
「あら。そんなに近寄ってきていいのかしら?」
振り抜かれる二本の刃に対し、黒の爪が蛇の如く迫り来る。
一瞬だった。
先行していた右のブレードを5本の爪で掬うように掴むと、流れのまま左も掴み取る。まるで金魚掬いでもするようなお手軽な動作で、璃々子の持つ双刀を無力化する。
「ッ!?」
慌てて引き寄せようとするが、ガッチリとホールドされたマサムネはピクリとも動こうとしない。女の細腕から来るとは思えないほどの怪力で、火花を散らしながら掴まれている。
武器を捨てるかと一瞬脳裏をよぎるが、これを無くしたら璃々子に戦う術は存在しない。よって手放すことはできない。
だがその迷いが隙を生んだ。
僅かに動きを止めた璃々子の左腕を、女の左手がそっと握ってくる。優しく、包み込むように。しかしその左手は、決して生易しいものではなく、
「精々愉しんでね?」
バギンッ!! と体の中で何かが悲鳴を上げた気がした。
同時に心臓が僅かに止まりかけ、視界が白く点滅する。体が硬直しいつの間にか両手のマサムネを手放していた璃々子は、視界が傾く最中、全身に焼けるよな激痛が走り抜けてようやく理解した。
強力な電気を全身へ流し込まれた。
思いもよらぬショック攻撃に体はまともに動こうとせず、背中から床に倒れる。立ち上がることさえもできず、熱い痛みと吐き気を催す不快感が璃々子を襲う。
「あっ……が、ぁ……!?」
ビクビクッ、と体を痙攣させる璃々子に、女は掴み取ったマサムネを投げ捨てゆっくりと近寄ってくる。魔の左手が再び伸びて、タイツに包まれた璃々子の細い足首掴んだ。
「あらあら。今のは小手調べよ? 本番はこれから……」
瞬間、バチバチバチィ!! と青い閃光が璃々子の全身を駆けずり回った。
「ぁぁあああああッ!?」
継続する強烈な痺れと激痛に、海老反りになった璃々子の喉が悲鳴を響かせる。
経験したことなどない脳さえも焼けるような苦痛に、涙が溢れ、涎が流れ、のた打ち回り、ただただ叫ぶしかできない。
痛い。痛い。痛い。頭の中が真っ白になり、その二文字だけが繰り返される。
「ふふっ……いいわぁ、その声が聞きたかったのよ……ふふふ、それじゃあメインディッシュといきましょうか?」
全身を巡り続ける雷撃に苦しむ璃々子を紅潮しうっとりとした表情で見下ろす女は、ゆらりと右手の黒の爪を持ち上げた。
何をやろうとしているのかは、最早明白である。
(こ、んな……こんな、ところ……で……、ゆう君……)
痛苦にやられ、邪悪な輝きを秘める5本の黒刃を見つめることしか出来ない璃々子の脳裏に、大切な家族の顔が思い浮かぶ。同時につらつらと、今までの思い出がよぎって行くように感じる。
走馬灯のように感じる、とはまさにこのような事を言うのだろうか。
苦しみながらも頭のどこかで冷静に考える自分がいて。
痛みだけではなく、愁傷からも涙が流れてくる。
悲しかった。ただ悲しかった。
大切な弟の言う『全員を助ける』という願いを自らが挫いてしまうことが、悲しかった。
『絶対に死なないこと』。璃々子が結城に対し約束した言葉。
それを自らが犯してしまうのは、とても、悲しいように思えた。
「あらあらあら。じゃあまずは……左足から調理していきましょうか」
狂気の瞳が璃々子の左足首へ固定される。ゆっくりと、刃が近づいてくる。
これから襲い来るさらなる痛みに。眼前の絶望から目を背けるように、璃々子はキツく目を閉じた。
そして。
刃は柔肌へと迫り。
璃々子の足を切断。
―――しようとした、その瞬間。
ズドンッ!! と衝撃が走り抜けた。
それは璃々子の体ではない。倒れる霧島や、刃を構える女でもない。
―――天井。
丁度倒れる璃々子の足元付近。つまり、女の真上。その天井からの衝撃。
直後にそれは起きた。
衝撃と同時に、真上の天井から迸る一筋の青白い光。刹那の間もなく一直線に落下する閃光は、璃々子の左足をがっちりと掴み異能力を流し続ける女の左手―――その中央へと落下する。
「………………、!?」
ブシュッ、と肉の焼け焦げる音。気がつけば女の左手はボトリと床に落ち、左手首から先がなくなっている。
上空から落下してきた光により女の左手が千切れ落ちたのだと理解するのに数秒。
混乱に包まれる璃々子だが、天井に空いた風穴から響いてきた声に再び現実へと意識が覚醒した。
「璃々子さん!! 大丈夫ですか!?」
ハッキリと耳に届く綺麗なソプラノボイス。その声の主は、璃々子も良く知っている人物。
愛場柚木。諏訪結城の幼馴染み。
そして。
作戦前の連絡係だけでなく―――逃げる『合図』を璃々子達へ送る係まで引き受けてくれた女の子。
それが意味するところはあまりにも単純だ。
璃々子達へ逃げの『合図』を送りにきた彼女は、遠目に絶体絶命の状況を確認し、その後上の階から『合図』も兼ねて物音と声を頼りに援護射撃を行ってくれたのだ。当たったのは偶然だろう。しかし、奴のセンサーが及んでいない天井を挟んだ二階からならば、動きを読まれることもない。
つまりはそういう事。
「ぐ……っ!!」
そこまでの思考を一瞬で巡らせた璃々子は、敵の異能力が切れたことで咄嗟に体が動いていた。
痛みの残留する体に鞭を打ち、尻餅をついたまま後ろへ下がる。そこに落ちている霧島の使用していたパルサーへと手を伸ばす。
―――できる。まだできる。
『全員を助ける』という少年の想いを、決して無駄にしないことが。
まだ、できる。
「……さ、せるかァァアアアアア!!」
左手を飛ばされた女の意識がようやく引き戻され、今までからは想像できないほどの金切り声を上げて右手の爪を振り上げた。
無論、今の璃々子に避ける術も防ぐ術も存在しない。
振り下ろされた刃は容赦なく璃々子の右足脹脛へと突き刺さり、鮮血が宙を舞う。ボタボタと真下に血溜まりができる。
しかし……痛みは感じない。つい数秒前まで雷撃による帯電攻撃を受けていたために、体が麻痺しているのだ。よって今この瞬間だけは、痛みを感じずに肉体を動かすことができる。
「ぐっ、ぁぁあああああ!!」
持てる気合を咆哮と共に吐き出す。
ここでは止まれない。止まるわけにはいかない。
今の璃々子にある全力を持って。
止まるわけにはいかない!
「く、たばれぇッ!!」
背後のパルサーを掴み取った璃々子は、右脚に突き刺さる刃を半ば無視してその銃口を突き付けた。
1メートルもない距離で放たれるパルサーの射撃。
冷静を欠いていた目の前の女は今度こそ璃々子の反撃に反応を示すことができず。
空間を走り抜けるレーザー光が、奴の右肩を溶かすように吹き飛ばした。
黒の爪を携える右腕が重力に従い力なく崩れ落ちる。女の顔に貼りついていた余裕の表情はすでに剥がれ落ち、左手に続き右腕を失ったことで呆然と目を見開くだけだった。
視線が交わる。たった一瞬で様々な感情が伝わってくるけれども、容赦する必要など存在しない。
大切な生徒達を殺戮したこの女を、璃々子は絶対に許すことなどできない。
銃口の狙いを修正する。
無論、狙うは脳天。
「はぁ……っ、はぁ……、あんたの―――負けよ!!」
チェックメイトの宣告と同時。
璃々子はトリガーを引き絞って。
苛烈を極めた命の駆け引きは、それを合図に幕を閉じた。
◇
複数の圧力鍋爆弾による爆破攻撃をモロに受け、全身から血を流しボロボロとなった大男はその場に片膝を突いて荒い息を吐き出していた。
対する結城は、自分自身も多くの傷を受け最早走ることもままならない状態で、しかしズタボロに引き裂かれた体育館の床を踏み締めながら男の目の前まで移動した。
右手に持つ拳銃を構え、あの爆発を受けて尚一切の傷痕を残さない長剣―――それを持つ男の右手へ向けて発砲。パンッ、と乾いた音が響き、男の右手首に風穴を空ける。
「ぐっ!?」
ガシャン、と剣の柄を床に落としボタボタと血を垂らしながら、男の獰猛な瞳がこちらを睨み上げてくる。
結城は極めて冷静に見つめ返し、ついでとばかりに銃口をその額へ向けた。
残弾はまだ数発残っている。
つまり、完全に勝負はあった。
「お前の負けだ」
爆弾を点火したステージ上にいた生徒達は男の異能力を受けないようステージ脇を身を隠し、その内の一人である柚木は決着がついたことで職員玄関へ向かっているはず。今頃は璃々子と霧島先生に『合図』を送っていることだろう。
残るは結城が最後の引き金を引き、全て終わり。
一方的にやられるだけだった人間の逆転劇で、一連の出来事は幕を閉じる。
「テ、メェ……なにを、しやがったァ……」
まともに立ち上がることさえできない男は苦渋の表情で未だ衰えぬ殺意を飛ばしてくる。
「言っただろう? 爆弾だ。お前達が呑気に出入り口を張っている最中に作らせてもらったよ」
淡々と事実だけを語る。目の前の敗者への勝利宣言でもするように。
「鍋は調理室。飛ばす金属類は集めようと思えばどこにだってある。火薬は……ここはEPの訓練校だからね。火気厳禁の科学教室へ行けば少しぐらいなら手に入る。即席爆弾の作成は十分に可能だ。問題は点火だったけど……パルサーのレーザー光をうまく当てれば瞬間的な燃焼は何とかなったよ」
この手の即席爆弾の威力は器の密閉力によって威力が変動する。
本来であれば強力な熱であっても器に穴を空けて燃焼させたのでは意味がないが、
「粒子化させたESPフォトンはお前の剣と切り結ぶことができたように、質量を持っている。加えて一発のレーザー光の長さはおおよそ1メートル。さらに、触れるだけで恐ろしいレベルの熱量を火薬に移せるから、内側から容器が破裂するほどの圧力を一瞬で高めることができるんだ」
圧力鍋爆弾とは言っても、作ろうと思えば1万円程度で出来てしまうお手軽爆弾というのが特徴の一つ。そのせいでテロ事件に使用されるケースが非常に多い。
しかし簡単なレシピが幸いし、結城達の通う学校の特殊性も加わって、こうして大量に作成することができた。例え化け物相手でも、瞬く間に無力化できてしまう程の兵器を。
「……まさかこれでも生きてるのは正直驚いたよ。君達のような異能力者は余程人の道を踏み外しているみたいだ」
「チッ……、くそが……ッ」
普通であればこうも至近距離で爆発を、それも周囲から複数に受ければ即死は間違いない。
全身血だらけでまともに動くこともままならないとは言え、五体満足で喋る力が残っているだけでも十分に異常なことではある。
……と言っても、今ばかりはその強靭さに感謝すべきかもしれないが。
「……質問に答えろ」
爆発で死んでいてはこちらから問いを投げ掛けることすらできない。
敵を動けないようにした上で話しの場を作ることができたのは幸運であった。
「どうしてこんな事をやった。お前達……レジスタンスの目的はなんだ」
拳銃を突きつける結城の瞳に感情の色が覗く。
それが怒りなのか悲しみなのか、結城自身にも分からないけれど。共に過ごしてきたクラスメイト達や、大切な親友がこの若さで死を迎えた理由を問い質さずにはいられなかった。
「……ハッ、どうして、か」
「答えろ」
苦しそうに息を吐き出し全身に受けた傷から血液を滴らせながら、しかし男は不気味に笑ってみせる。
それだけの余裕を持っているのか、ただの強がりか。警戒しつつも結城はじっと男を睨み続ける。
「ヒヒッ……分かんねぇか? 俺達異能力者が、ここのクソ掃除をする理由なんざ、一つだろうがよォ……?」
「…………、やがてお前達の敵になる卵を、先んじて処理する。そういう事か?」
「ク、クククッ……」
結城の回答に、男は怪しげな含み笑いをする。否定はしない、ということは決して間違いではないのだろう。
しかしそれだけとは思えないのが結城の本心である。
理由は2つあった。
「なら、どうして今まで今回のようなことを行わなかった。僕だったら警戒に警戒を重ね、一期生の卒業生が出る前に同じ事をしている。そして作戦を行うにしても、たった二人という戦力は少なすぎる。いくらお前達個人が強力とはいえ、今回のように敗れる可能性だって十分にあるんだ。お前達レジスタンスのトップはそこまで考えが及ばないほど間抜けじゃないだろう」
どんな事にだってイレギュラーは付き物。今回のケースであれば、マサムネやパルサーといった兵器が偶然にも校内にあった。そしてそれを活かせるだけの戦力があった。
こういったケースに対応できる技量がなければ、反政府組織を纏めるリーダーなど務まらないはず。
多くの生徒が死んだ。それそのものは敵に言わせれば成功といえるかもしれないが、随分と荒が目立つのも事実である。
「ククッ……そうだなぁ……確かにそうだ……」
「……?」
「テメェの言う通りだぜぇ? ……俺達の目的は、EPになるクソガキどもの掃除……っつーのが、表の理由」
「という事は、裏もあるんだろう。それはなんだ」
「ヒヒヒッ、そいつを知ってどォする……? テメェにはなんも出来ねぇよ」
「いいから答えろ!」
ガシャ、と拳銃を鳴らし声を大にする。
男はただ不気味に笑みを浮かべていた。場の主導権を握っているのは結城のはずなのに、それすらも覆すのではないかという邪悪なオーラーを携えて。
「そんなもん知るかよ、バァーカ。あんなサイコ野郎の考えてることなんざ、俺の知ったことじゃねぇ」
「それはレジスタンスの頭の事か? それとも別の何かか? 『整理整頓』だの『部品』だの言っていたが、それと関係があるのか?」
「ヒヒッ……さぁ、どうだろうなァ」
「……っ、答えろ!」
煮え切らない男の言葉に苛々が募っていく。
これだけは。友へのせめてもの手向けとして、これだけは聞き出さなければならないのに。男は核心となる部分を出し惜しんでいる。
「なら……一つだけイイことを、教えてやんよ……」
「なに……?」
男の笑みが一層深く歪む。まるで人に死期を告げる死神のように。
奴は血に濡れた左手で自分の目を指差した。
「俺の見せる幻覚が、テメェは見えていなかった。そして酒匂の奴が作った電波妨害の結界が、テメェは見えているんだろう? ……そんな事、あり得ないってのによォ」
「……? どういう意味だ。お前の幻覚は、対象に条件が必要なんじゃないのか」
結城の言葉に、男はさぞ面白そうに声を出して嗤った。
「……条件? ハハハハッ!! んなもんねぇよ、見えてねぇのはお前だけだ。それがどういう意味か、いずれ分かるんじゃねぇのかァ?」
「……今答えろと言っている」
「そいつは出来ねぇ相談だなぁ! 精々あいつの手の平で踊ってろよ、クソガキ。お前はボードに並べられた駒の一つでしかねぇんだからよォ!!」
叫びと共に。
血塗れで膝を突いていた男の手が、結城目掛けて勢い良く突き出された。
狙いは―――首。
「ッ!!」
警戒していた故に、結城の反応は速かった。
奴の手が首を掴み締め上げるよりも速く、トリガーを引き絞る。寸分狂いなく男の額へ照準を合わせられていた銃口から鉛玉が飛び出し―――バシュ、という小さな貫通音。
男の手は結城へ届かずダラリと垂れ下がり、その体が糸の切れた人形のように焼け焦げた地面へ崩れ落ちた。
「………………、」
風穴の空いた額から血が流れ出し、あっという間に頭部を覆うほどの血溜りができあがる。
ふと見れば、男の振るっていた長剣が空気へ溶けるようにして姿を消していく。淡い光の粒子となって、獰猛な姿から想像もできないような美しい輝きを放ちながら。
男はピクリとも動かない。当たり前だ。いくら異能力者とはいえ、人間。頭部を打ちぬかれたら誰だって死ぬ。
当然の結果だった。
「…………はぁ」
長い沈黙の末、息を吐き出す。意外にもその瞬間は呆気ないものだった。
震えもなく、動悸もなく、躊躇なく引き金を引けた。そして一つの命を奪った。
この男が殺戮者だからなのか、それは分からないけれど……結城の心には不思議と悲しみも怒りもなく、淡々とそれを眺める冷静な感情があった。
……仇は取った。
けれど、一抹の疑問を残したまま。
(成司、僕は……)
気持ちを落ち着けるように僅かに目を閉じると、一旦男の言い残した言葉は忘れ、今やるべきことを明確に定めた。
まずは校内からの脱出。
柚木、璃々子、霧島先生の3人は今頃正面玄関へ向かっているはず。他の生徒達は結城達が敵を引き寄せている最中に外へ脱出し、今頃警察とEP本部へ連絡を取ってくれているはず。こちらもすぐに脱出すべきだろう。
結城は身を翻すと、ステージ脇に声を掛けるまで隠れててと指示していた生徒達に合図を送ろうと声を張り上げようとして、
「みんな―――、」
―――その時だった。
トンッ、と背後からわざとらしい足音。
結城は即座に言葉を打ち切り、拳銃を構えたまま背後へ振り返る。
まさかあれで生きていたのかと一瞬危惧するが、その予想は外れる。結城が撃ち殺した男は確かに息をせず、血の海に沈んでいる。
故に、そこに立っていたのは。
「……驚いたな。まさか黒柳まで返り討ちにするとは。足を運んだのは無駄骨だったな」
―――見覚えのない美形の男性だった。
見たところ20代半ば。欧米の印象が強い金髪のショートヘアを揺らし、しかし日本人らしさを際立たせる整った顔立ち。スマートな体躯を隠すようにベージュ色のミリタリージャケットを羽織り、両手にはレザーグローブを着けている。なぜか既視感を感じるのは気のせいだろうか。
彼は床に沈む黒柳と呼ばれた殺戮者を見下ろすと、その場でしゃがみ込み、じっくりと観察していく。
「全身に複数の火傷と小さな刃物で刻んだような切り傷……金属を飛ばす爆弾でも使用したか。トドメは頭部に銃弾を一撃。到底学生に為せる技とは思えんが、お前は一際優秀なようだな」
「……、誰だ。その男の仲間か?」
拳銃を構えたまま静かに問い掛ける。
目の前の金髪の男からは殺意も敵意も感じない。寧ろ親しげな空気まで感じる。だが、それとは別に……別世界の住人のような不気味な雰囲気を漂わせている。
まるで―――"異能力者"のような。
「俺か……お前も一度ぐらいは見たことがあるはずだが」
「なんだと……?」
結城の構える拳銃を一切気にすることない男。彼はスッと立ち上がると、美しい碧眼が結城を射抜く。
次に彼の口から発せられた言葉は、あまりにも結城の予想を飛び抜けるものであった。
「―――音之宮慶二。レジスタンスのリーダー、と言えば話は早いかな」
「……あ、」
一瞬、頭の中が真っ白になった。
思考が復帰した時、結城は思わず一歩後退する。
金髪の男―――音之宮慶二と名乗った男の顔に妙な既視感を感じていたのはこの為だ。
レジスタンスの創設者にして現リーダー。言われてみれば、その名前も顔もすでに手配書として世間に出回っている。今までほとんど意識したことはなかったが、間違いなく結城はその顔を記憶している。記憶と目の前に立つ男の姿は、紛れもない同一人物であった。
警戒レベルを最大限まで引き上げた結城に対し、音之宮は相変わらず余裕の表情を崩さない。敵意の欠片も表へ出さない。
「そう睨むな。俺はお前達と事を構えるためにここへ来た訳じゃない。勝手な部下を止めるためにきたんだ。まあ、杞憂となったがな……もっとも、その引き金を引くのであれば相手をしても構わないが」
「……すでに僕の仲間がEPに連絡を入れてる。増援が来るまでお前を引き止めればいい」
「ほう、ならば試してみるか? お前と後ろに隠れている三人。俺であれば十も数えぬ内に始末できるが」
僅かに細くなる音之宮の鋭い瞳。ゾクリ、と得体の知れないプレッシャーを感じ取り、結城の言葉が詰まる。
まずい。何がどうという訳ではないが、この男と戦うのはまずい。
結城の中の生存本能が訴えかける。気付けば銃を構える手が震えていた。
「フッ、賢明な判断だ。勇敢と無謀の区別はつくようだな」
「…………今回の件は、お前の指示なのか?」
無駄に命を散らすわけには行かない。結城は拳銃を放しはしないものの銃口を下げて、代わりに問いを投げ掛ける。
音之宮はそれを見て出来のいい生徒を褒める教師のように笑った。
「言っただろう? 勝手な部下を止めにきたとな。ここを襲撃したのはこいつらの独断だ」
「……その男は言っていた。EPになるであろう卵を先に始末するのが"表の理由"だと。お前から何か別の理由で指示を受けていたんじゃないのか」
「表の理由……? ああ、なるほど」
僅かに笑みを崩す音之宮は、改めて屍となった男を見下ろす。その瞳には品定めでもするような、慎重な色が見え隠れしている。
「……やはり黒柳と酒匂はスパイだったか。ということは俺達以外にも……」
「何を言っている……?」
「ああ、いやなに。俺がリーダーを勤めるレジスタンス以外にも、異能力者で構成された別の組織がある……かもしれない、という憶測の話だ。お前達には関係ないさ」
つまり。
今回結城達の学校を襲撃したのは、第二の異能力者組織のメンバーであり、レジスタンスにスパイで潜り込んでいた黒柳というこの男と、酒匂と呼ばれている女の二人が何か別の目的を持って行った、ということなのだろうか。
レジスタンス以外の異能力者組織など話にも聞いたことがない。噂だって勿論のこと。しかし目の前の青年が嘘をついているとも思えなかった。
「こいつらを止め切れず多くの若い命を亡くしたことは、俺に責任がある。それは謝ろう。無論、謝罪したところで済むことではないというのは承知だが……それ以外に出来ることはないのでな」
「……お前は本当にレジスタンスのリーダーなのか?」
「なんだ、素直に謝罪されたから疑問に感じたか? しかし紛れもない本人だ。ここの生徒はあくまで生徒、EP室員ではない。やがてEPとして俺達の前に立ち塞がった時には、容赦なく斬り捨てるがな」
底が知れない。音之宮と名乗る男への率直な感想はそれだった。
自身の中に絶対的な正義を抱え、例え世界から悪と罵られようが自分の正義を貫けるような。結城達人間と同じステージに立ちながら、見ているもの、目指すものがあまりにも違いすぎる。そんな雰囲気が伝わってくる。
自分自身への疑いや間違いを、微塵も感じさせない様子を秘めていた。
「……もう一つ聞きたい」
「なんだ? こちらも次の別件があるのでな。時間は少ないが、俺の仕事を代行してくれた礼だ。少しは質問に答えよう」
腰に手をあて気楽な姿勢で返す音之宮に、結城は警戒だけは解かないようゆっくりと口を開いた。
「そいつが言っていた。僕には奴の異能力である幻覚が見えていないだとか、外の結界は見えているだとか……それが普通はあり得ないと。僕が誰かの手の平で踊っていると。何を指して、それを言っていたんだ」
聞いたところで意味はないのかもしれないが。
目の前の男ならば、それを……まるで今回の渦中に結城がいるような物言いの言葉を、その意味を、知っているかもしれない。なぜだかそう感じた。
結城の言葉を聞いて、音之宮はじっとこちらを見つめてくる。感情は見えない。しかし何かを探るような視線で、結城の『目』をじっと凝視する。
「……そうか。反応にあった"三人目"はお前の事か」
やがてポツリと呟いた。
「随分と特殊なケースのようだな。"それ"が『触媒』の代わりになっているのか。どうりで……しかしこれでは、引き入れるのは諦めた方が良さそうだな」
「……?」
「……お前は『こちら側』に限りなく近い『そちら側』の人間ということだ。なに、心配するな。その『眼』は今後もお前の力になるだろう。こちらとしては厄介な話だがな」
突然、音之宮の声色が優しさを帯びたのは気のせいだろうか。
彼の言葉に含まれる『眼』という一文字に、真っ先に思い浮かぶのは結城自身の『赤い瞳』であった。10年前の事件以来、なぜか色の変色したこの両目。医者に相談しても何の解決にも繋がらなかったこれが、何か関係しているとでも言うのだろうか。
「悪いがそれ以上のことは分からん。黒柳が本当に別組織の人間だとすれば、そちらの情報だろうからな」
「……、」
「嘘は吐いていないさ。それに、お前が本当に誰かのゲーム上で動いているのだとすれば、真実に気がつくのは俺よりお前の方が早いかもしれない」
あとはそっちで考えろと言外に言わんばかりに不敵に笑って見せると、彼はその場で身を翻し体育館の出入り口へと歩き出す。
ここにもう用事はない、という事だろうか。
「そろそろ時間なのでな。いずれ機会があったらまた会おう、少年」
遠ざかっていく背中に、結城は右手に持つ拳銃を改めて構えようとして―――すぐにやめた。
やはりどう見積もっても勝てる気がしない。奴の持つ絶対的自信の表れのようなものが、結城が手を動かすのを拒絶した。
結城は代わりに言葉を投げ掛けることにした。
「諏訪結城」
「?」
「僕の名前。次会う時はお前の敵だ。例え今回の主犯格が別人だったとしても、お前たち異能力者を許せるほど僕は器用な子供じゃない」
宣戦布告とも取れる結城の言葉を聞いて、僅かに音之宮慶二の目が見開かれた気がする。
彼はすぐにニヤリと笑うと、改めて正面に向き直り、片手を振って歩き出した。
「覚えておこう。その時を楽しみにしているよ」
その背中が廊下の角へと消えていく。足音も遠ざかり、やがて空間は静寂を取り戻した。
じっと音之宮の消えていった先を見つめ佇む結城は、静かに手元の拳銃へ視線を落とす。
「おーい!」
「諏訪君! 大丈夫?」
背後から声がする。振り返れば、爆弾の点火を任せた仲間達が顔を覗かせて心配そうに手を振っていた。
結城がいつまで経っても声を掛けないものだから、心配になって様子を窺っていたのだろう。片手を挙げて応えると、人差し指と親指でOKサインを作った。
……これでよかったのか、答えは分からない。いくつかの疑問も残っている。しかし今は悩んでいる暇もないだろう。さっさと行動を再開しなければ。
ステージから仲間達が降りてくるのを横目に、結城も体育館の外へと小走りで向かう。
ここに一つの戦いが決着を迎えた。