第02話 SecondPrologue
―――例えば、世の中には『異能力』などというオカルトが現実に存在する。
そういった『普通だったら有り得ないこと』が実際に一つでも存在していることが証明されてしまうと、人間の感覚というのは少しずつ鈍っていくものだ。
異能力が世間に顔を出し始めた当初は、それこそ誰もがガセだと思っただろう。どうせ何かしろのトリックがあって、不可解な現象を起こしている。そうに違いないと深層心理から信じたに違い。
だが異能力は決して手品ではなく種も仕掛けもない超常現象の類だと証明され、人々の常識の本棚に一度でも収納されてしまうと。きっと、人の中では『有り得ない』の壁が少し低くなるのだ。当たり前である。絶対に越えられないと信じていた壁を、越えてしまう規格外が現れたのだから。
話を戻し統合すると、『有り得ない』壁を越えられたせいで人の感覚はその『有り得ない』を許容し、感覚が鈍る。もっと言うなら麻痺し出す。
この2037年の日本、その中でも特に東京に住まう人間のほとんどが現在その状態であろう。異能力などという超常現象と隣り合わせで生きているのだから。
そして麻痺が起こることでどんな影響が出てくるのか。
答えは単純だ。もし次に異能力レベルの『有り得ない』が現れたとしても、『すごい! でも異能力なんてものがあるくらいだし当然なのかな』と以前ほどの驚きや、それを調べる熱意も膨らまず、新しい発見も見つかりにくくなる。感覚の麻痺とは、その規模が大きすぎると意外にも人類の歴史にでさえ影響を与えかねない侮れない思考回路なのである。
そんな『異能力』の発見から生まれた感覚の麻痺によって世間ではあまり話題に取り上げられていないが、新たな『規格外』がすでに世の中には誕生していた。
それこそが『ESPP』である。正式名称は『Extrasensory Perception Photon』。日本語で言うなら『超感覚的知覚光子』。
基本的には『ESPフォトン』と呼ばれることが多いが、既に存在する素粒子のフォトンとはまったく別物である。性質としては太陽光エネルギーに若干近しいということは分かっているが、詳しいことは未だ解明されていない。
そもそも『ESPフォトン』とは何なのか。初めてそれが見つかったのは異能力の研究が進んだ頃。
そう、異能を発現させる源となるエネルギーは何なのかという疑問から辿り着いた答えがこの『ESPフォトン』であった。
言わば異能力の主となる源。念動力で離れたものを動かすにも、空を飛ぶために肌に触れる重力を操るのも、手から炎や雷を生み出すのも、異能力者が起こす現象の根源には必ず視認できない光の粒子エネルギーがあり、それこそが『ESPフォトン』であった。
分かりやすく例えるのであれば、RPGの魔法や魔術でいうMPや魔力といったエネルギーと思えば間違いないだろう。そういった力の源が異能力が発見された2年後に見つかり、現在は異能力研究と平行して解明が進められている。
そして現在『ESPフォトン』は、不可視だった粒子を結晶化させる技術と、その結晶化させた『ESPフォトン』を再び粒子化させようとすると、地球上でもっとも硬い物質と言われているカーバインでさえも容易に焼き切るような熱とも電力とも言えない光学エネルギーに還元されてしまう、ということが判明している。
もし『ESPフォトン』を異能力者のように自在に操ることのできる方法が確立すれば、火力、電力、ありとあらゆるエネルギーの代用ができる万能エネルギーとなり、それこそ世界的革命となる。故に異能力者を抱える日本はその手の界隈からは強い期待を抱かれているのだが、上記のことしか判明しておらず、何の代用もできない為一般普及できるようなレベルでもなく、ほとんど話題にはなっていない。
研究も現在は進展がなくほぼ平行線が続いており、これを操れるのは異能力者だけなのではないのか、という半分諦めの声も上がっている。
だがもし。
この『ESPフォトン』を自在に操ることができれば、先ほども述べたとおり、文字通り革命が世界中で起こる。
異能力者が取り締まられているように、ただ解明できたからといって『ESPフォトン』を正しく扱うことが出来るかは分からない。が、その全てを暴く事は消して悪ではないだろう。
だからこそ感覚の麻痺に溺れることなく今後も『ESPフォトン』の研究は進めて欲しいと思う。
◇
「―――っていうのが、僕のレポートの中身を掻い摘んでまとめた内容だけど。参考になった?」
「ね、簡単でしょ? みたいに言うなよ! なんか書くべきこと全部先取りされてる気がしてむしろ逆効果な気がすんぞ!」
東京都杉並区の一角にある、少し風変わりな高校。その一室で午後6時になっても机を挟んで居残りしている二人の男子生徒がいた。
その内の一人。僅かに茶色がかった黒髪と、誰もが一度は奇妙に思う特徴的な『赤い瞳』の少年、諏訪結城は特に表情を浮かべることなく口を開く。
「別にいいんじゃない? そもそも『ESPフォトン』について何でもいいから自分の意見をまとめて来いっていう課題の曖昧さもあるし、レポート内容が被ることは先生も考慮してると思うよ」
まあ、誰かの丸パクリはさすがに怒られるだろうけどね、と念のため後ろに付け足す。目の前で机に突っ伏す同じクラスの友人、大崎成司はそこまで成績が悪いわけではないが、どうもこういった生徒側にもある程度の自由がある課題やテストは苦手らしい。
ようは自分から行動するのが苦手なタイプだ。
だけどそれは、裏を返せば指示されたことや人から頼まれたことはしっかりと全うするタイプでもある。そんな彼の良い所も悪い所もちゃんと理解した上で結城は彼と友達でいる。そして彼の背中を押してあげるのも、そこを理解できている友の役目だ。
結城は少しだけ考えると、まとめた事を提案してみた。
「……じゃあさ、『ESPフォトン』の成り立ちや今後どうなるかを考えるんじゃなくて、仮に『ESPフォトン』が一般に普及した場合に、人々の方がどうなるかを考えてまとめてみたらどうかな。これならあまり
被らないと思うけど」
「ええっと……? つまり『ESPフォトン』の研究が大成功したと仮定して、その後人々がどうなるかを考えるってことか? でもそれって心理学寄りじゃね?」
「『ESPフォトン』が無関係ってわけでもないでしょう? それにこの課題を出したのはあの優しい楠木先生だよ。多少の無理は許してくれると思うよ」
確かに、と呟いて成司はしばし難しい顔で考え込んだ。たぶんもしそのテーマでレポートを書くとしたらどうするかを思い浮かべているのだろう。
やがておもむろに頷くと、彼の瞳に再び闘志が宿った。
「……よし! それなら何とか今日中に仕上げれる気がする! すまん結城、助かった!」
「うん。ところでアイディア出しだけで本当にいいの? 明日までに仕上げるのがキツイならそっちも手伝うよ」
今日学校に二人で残っていた理由は、3日前に出されたそのレポート課題がまだほとんど仕上がっておらず、せめてアイディアを一緒に考えてくれ! と成司にせがまれたからだ。
まあどうせ暇だったし、『部活動が存在しない』うちの高校では放課後の部活もなく、快く成司の申し出に付き合った。あれやこれやと話したり、たまに無駄話に逸れたりで結局こんな時間になってしまったが。
「いや、そいつはいいよ。さすがに悪いしな。徹夜すれば何とかなるだろ」
「……本当にいいの?」
「うっ……え、ええい! 一度決めたからには一人でなんとかするんだい!」
意地を張ってるのは明白だったが、彼はやるといったらやる男だ。ここはプライドを守らせてあげるべきかと結城は引き下がった。
そうと決まれば早く帰るぞ! と机の上に散乱していた教材やノート、筆記用具を鞄の中に詰めていく成司。結城はとっくのとうに用意はできており成司と話していただけなので、特にすることもなく手持ち無沙汰にスマートフォンの通知をチェックする。気付けばメールが一件届いていた。
「……柚木から。向こうも丁度女子会終わりだって。今こっちに向かってる」
「お、グッドタイミング。あれ? ってことはアレか!? 璃々子先生ともしかして一緒に帰れる!?」
「残念ながら姉さんは仕事残ってるって。まあいつもの事だけど」
んだよ期待させやがって、とぼやきながら荷物をまとめ終わった成司は改めて椅子に腰を下ろした。もう一人学校に残ってる女子生徒、愛場柚木とすれ違いにならないためにここで待っているつもりなんだろう。
「ちくしょー、愛場の奴が恨めしい。オレも璃々子先生とお茶したい……」
「仲良いからね、あの二人。成司も休日にウチ来たら? 柚木はしょっちゅう来てるよ」
「……ああ、よく考えたらおまいは同じ屋根の下で先生と暮らしてるんだった。こなくそ羨ましいぞ」
「姉さん、家じゃただのぐーたらだけどね。成司が見たらきっとイメージ崩れるよ」
いやいや仕事はしっかりしてるけどプライベートはっていうギャップが良いんじゃないか分かんねぇかなぁ? とか何とか、それからしばらくくだらない会話をして時間を潰す結城と成司。
成司は入学当初から、結城の姉でありこの高校の実習講師でもある、坂井璃々子に随分とご執心であった。
もしかして姉さんのこと好きなの? と一度尋ねたことがあるが、どうもそれは違うらしい。
本人曰く。
『なんつーか……日本で言う大仏っつーか、アメリカで言う自由の女神っつーか……そう! 見ているだけ癒されるマイエンジェルなんだよ!!』
とかなんとか訳の分からないことを口走っていた気がする。
普段のだらけきった姉の姿の方が印象強い結城にとってその気持ちはいまいちよく分からないのだが、事実、男女両生徒から多大な人気を得ていることは確かで。人事みたく納得していた。
……ちなみにこの間、生徒との距離が近すぎると校長に説教されたという愚痴を散々聞かされたのだが、姉は態度を改めるつもりはないらしいし、成司には言わない方がいいだろう。
「ところで話を戻すんだけどよ。愛場の奴、そんなにお前んちよく行ってんの?」
「うーん……少なくとも週2かな」
「おおぅふ。仲良しかッ!」
「そうだね。あの二人教師と生徒とは思えないぐらい仲良いよ」
「あ、いや、そっちじゃなくて……まあいいか」
何か言いかけて断念する成司。『愛場も大変だな……』と呆れたように呟いているが、はて、どういう意味だろうかと結城は首を傾げる。
まあ、隠してるような素振りでもないのに口に出さないという事はさほど重要な話ではないのだろう。深く追求するのはやめた。
「愛場と結城って幼馴染みだっけ? どれぐらい長いの?」
成司の質問にちょっと考える。
確か柚木と仲良くなったのは幼稚園の頃だから……、
「……もう10年以上前になるのかな。ほら、空港の爆破事件。あれよりも前から仲良かったから」
「うはっ、なげぇ。ってことはお前を引き取った璃々子先生よりも長いのか。幼馴染みというより家族に近いんじゃねぇの」
成司に指摘され、そうか、もうそんなに経つのかと結城自身も少しビックリする。
10年前にあった例の空港爆破テロ事件の日、両親と海外旅行に出かけるために空港に来ていた結城は不幸にも事件に巻き込まれ、両親を失ってしまった。そんな結城を引き受けてくれたのが従姉妹である坂井家だったのだが、両親が亡くなった以上考えてもみればもっとも長い時間ともに過ごして来たのは幼馴染みの愛場柚木だ。
そう考えると成司の言ったことは非常の的を射た言葉であった。
「そうだね。柚木とはもう家族というか兄弟とか、そういう距離感な気がする」
「……すまんオレのミスだ! 結城、間違ってもそういう事は愛場本人には言っちゃいけないぞ」
「……? なんで?」
「近すぎる距離というは時に茨となるんだぜベイベー。まあ愛場の性格ならあまり気にしないってのもあり得るけど」
「あたしがなんだって?」
唐突に乱入してくる第三の声。綺麗なソプラノボイスの主は、開けられた教室の扉の前に立っていた。黒髪ショートヘアを揺らす歳相応の可愛らしさを持つ同級生、愛場柚木である。
「ごめん少し待たせちゃった。さ、帰ろ」
「うん」
「了解っす」
わざとらしく空いた手で敬礼を取る柚木に対し、結城と成司も倣って同じポーズを返すことで彼女に応えた。
◇
「結城。璃々子さん、今日は帰り遅くなるって。残業はすぐ終わりそうだけどその後EPにも顔出さなきゃって言ってたよ」
「……姉さん、教師も向こうもまだ新人だからね。やること一杯あるのかな」
結城、成司、そして新たに加わった柚木の3人で肩を並べ帰路を歩く最中、柚木がそう話を切り出した。
姉からの伝言を伝えてくれる柚木の言葉に、晩御飯作り置きしておかなきゃなとか、洗濯物はどうしよう、溜まってなかったら姉さんが帰ってくるまで待ってようとか、色々と自宅での活動スケジュールを脳内で組んでいく結城。
昔からしょっちゅうあることだ。
爆破テロ事件以来坂井家に引き取られて、中学からは姉と共に2DKの部屋で二人暮らしをしているが、色々と世話になっている以上、結城は姉や坂井家の家族に対してできる事は少しでもやろうと努力している。
自宅では少々ダラけ癖が目立つ姉の世話はまさにそれの基本中の基本であった。
「璃々子先生も大変だよなー。確か3年前に一期生でうちを卒業して就職したけど、『実技』の成績がトップクラスだったからほぼ強制的にEPに入れられたんだっけ? しかも仕事辞めさせられて、あの若さでうちの実技講師やらされてるって」
成司の言葉に、結城と柚木は思わず苦笑いを浮かべる。
今となっては先生という仕事を楽しめているようで減ってきたが、当時は姉は愚痴がとにかく苛烈を極めるばかりだった。EPの上司がどうとか校長のハゲ頭がとかとにかく刺激の強い話を聞かされて、さすがの結城も同情を感じずにはいられなかった。
璃々子と昔から仲の良い柚木もまたしかり、であろう。
「EPの連中も酷なことするよな。いくら権力の塊だからって強制的に引き入れるなんてよ」
「姉さん言ってたよ。EPはそういう所だってさ」
『EP』。つまるとこ、ESP症候群者対策室『イクスプローション』。
異能力者が世に溢れ出した頃に生まれた政府直属の組織である。異能力者を取り締まり異能犯罪が激減したことで良い評判を受けがちだが、反面過剰とも思えるやり方が目立ち批判的意見も世には珍しくない。
結城達3人は通っている高校が高校であり、そのEPに所属している人が身近にいるせいでその人本人からよく悪い評判を耳にしてしまう。よって結城のEPに対する評価はどちらかというと後者に近かった。
左隣を歩く成司が呆れたように口を開く。
「人事みたいに言ってるけどお前だってそうなるんじゃねぇの? 学年首席なんて肩書きあるんだからさ」
「……僕は元々そのつもりでこの学校に入学したから。姉さんはまだ納得してないけど」
結城や成司、柚木が通う高等学校は、少し、いやかなり風変わりした学校であった。
日本政府直々に理事を務め、ある一点に重点を置いて生徒を育成する教育機関。―――そう、いずれはEPに所属するための人材を生み出すために設立された高校であった。
EPという組織があまりにも特殊であるためか、公表はされていないが人手不足が深刻化している昨今。ならばと学生の頃からEPで動けるだけの人材を生み出すため、ここ東京に3つそういった高等学校が設けられた。結城達の通う高校はその中でもっとも生徒数の多い一つであった。
そんな校風もあってカリキュラムはかなり特殊。一般五教科の他にESP論という異能力やESPフォトンに関する知識を習う授業の他、学年が進むにつれて対異能力者を想定した実技演習が増えてくる。部活動も存在せず、代わりに7、8時間目の授業が週に3回あり、それらは全て実技や実際のESPフォトンが結晶化したものに触れてみようとかいう内容ばかりである。
結城達は2年であるが、3年にもなれば五教科の授業が必要最低限に絞られ、そのほぼ全てが『そっち』寄りになるらしい。
「お前も物好きだねぇ。オレなんて学費安い、勉強はしたくないって理由で選んだのに」
「姉さんが心配だから」
「……家族想いなんだかそうでないんだか」
あまりにも特殊な高校であるため生徒数は少ないのではと思われがちだが、実はそうでもない。成司が言ったように、学費、入学金が通常の高等学校に比べ破格の安価であり、入学試験も筆記が存在せず面接のみ。それでいて驚きなのが、高校卒業と同時に大学卒業の資格までもらえるという本来であれば絶対に有り得ない特典が付いてくる。
しかもEPの人材育成のため、という目的でありながら一定以上の実技成績を収めていない生徒は就職先を自由に選ぶことができる。よって成司のように、勉強嫌い、中学での成績が非常に悪い、高校には行きたいけど家計が苦しくそうもいかない、といった事情を抱えた生徒が自然と集まりやすく、都内の高校と比べれば下回るが、地方の県立高校程度の生徒数は抱えていたりする。
「愛場はどうするか決めてる? 就職」
成司が結城を挟んで歩く柚木に何気なく問い掛ける。
彼女の回答に特に迷いは見られなかった。
「あたしは結城と同じ。強制になるほどの成績はないけどEPに持ち上がりでいいかな」
「マジか愛場まで……二人ともそうなら、オレも就活厳しかったらそうすっかなー」
「成司。ブレブレ」
「うっせ」
鞄を担ぎなおしダラダラと歩く成司は、ふと何かに気付いたようにニヤリとわざとらしく口角を吊り上げた。
彼の視線は柚木に向けられている。
「……な、なに? 成司目がいやらしい」
「いやいや? 別に面倒だし、みたいな雰囲気で言っておきながら実は心配で心配で仕方ないんだもんナ! 一緒にいたいんだもんナ!!」
「!? ちょ、ちょっと! 結城の前でそういう事言うなアホ!」
成司の言葉に即座に顔を真っ赤にさせて叫ぶ柚木。どういう意味だろう、と二人の今のやり取りを振り返るがイマイチ分からない。柚木は何を慌てているいのだろうか。
「て、てゆーかさ! 居残りしてて二人はちゃんとやる事やったの!?」
熱でもあるんじゃないかと心配になるぐらい頬から耳を紅潮させた柚木が、あまりにもわざとらしく会話の方向転換を提示してくる。
対して成司が『愛場も早く結城とやる事やったら?』と何やら含んだ言い方で、しかし柚木にとってはボディブローを受けるほどの衝撃があったらしく、ぎゃーぎゃー怒鳴り始めてしまった。
「まあそう怒るなって! で、なんだっけ? オレのレポートは何とかなりそうだよ」
「あ、あんた次の実習見てなさいよ……ギッタンギッタンにしてやる……」
ぐぬぬ、とでも言いそうな苦渋の表情で睨む柚木に対し、へらへら笑う成司はさらっと話を元に戻してしまう。
「結城様様だよホント。どうも一から全部考えるのって苦手でさ」
「僕はアイディア出しただけだよ。それに一番キツイのはこれからレポートを仕上げる成司だよ」
「……そうだった。鬱だ」
成司は家に帰ってからの事を考えてしまったのか、ガクッと肩を落とす。だからそっちも手伝おうかと聞いたのに、彼は変なところで意固地なのだから。
だからといって今再び提案しても断るだろうけど、と考えて結城は思わず口元を綻ばせる。意固地とは言うが、そこも成司にとっての良い所の一つなのだ。
これ以上彼にレポートの話を振るのは酷なので柚木に視線を流した。
「柚木は楠木先生の出したESPフォトンのレポート何書いた?」
「え? あたし? あたしは……」
彼女は結城と同じく課題は早め早めに終わらせてしまうタイプの生徒だ。レポートも課題を出された次の日には終わっていたのだろう。
柚木は少し思い出すように空を仰ぐと、
「ESPフォトンの軍事利用について、かな。その辺をまとめて自分なりの意見書いたよ」
「あー」
聞いた成司が、なるほどそんなのもあったのか、とでも言いた気に相槌を打つ。
「ほら、明日だっけ? 初めてあたし達の学年も実物の光剣と光線銃触らしてくれるって話じゃん。だからタイミング的にも丁度いいと思って」
「PS-2マサムネとPAR-4パルサーだね」
結城があとから付け加えたのは柚木の言う光剣、光線銃の正式名称である。
「よく世代型まで覚えてんな……しっかしあれだな。ESPフォトンも難儀なもんだな。まさか異能力意外で初めて利用されるのが軍事兵器だとはよ」
成司がつまらなそうにする言葉に、結城も内心同意する。
異能力者が異能を行使する際に利用される光粒子『ESPフォトン』。未だ解明はほとんど進んでおらず、結城もレポートにまとめた通り、視認できないエネルギーの結晶化、および結晶を粒子化させる際に生じる粒子エネルギーというのが現在分かっていることだ。
特に後者に関しては非常に危険であり、言葉通り『どんな物質でも』焼き切ってしまうほどのエネルギーのため危ぶまれているのだが……ここ数年で、その結晶化されたESPフォトンを粒子化させる際に生じるエネルギーを直接利用したものが現れた。
それが軍事兵器。
マサムネ、パルサーと名称のつく、例えるならば『ライトセーバー』と『ビームライフル』が開発されたのだ。
無論、日本は戦争をする国ではない。そんなものを開発したところで本来使い道はないのだが……ここ東京では別だ。
―――そう。異能力者。
彼ら超常現象を操る者に対抗するEPに向けられてこれらが開発されたのだ。
最初こそは通常の軍事兵器で威嚇、もし異能で抵抗してくるのであれば射撃も躊躇わないといったやり方だったらしいが、レジスタンスが現れ、明確な『敵意』を持って攻撃行動に出てくる異能力者が出てきてからはそれも思い通りにはいかなくなった。
よって敵が格上の力を使うのならば、こちらもそれと同じエネルギーを利用すればいい、ということで、生身の人間でも異能力者に対抗できる術としてこの二つが開発されたのだ。
事実、異能力者を拘束するEPにこれが支給されてからはレジスタンスに押され気味だった状況が好転したらしい。―――その分、死ぬ命も増えたが。
「……軍事利用は仕方のないことだと思う。それを利用しなければならない環境があって、そもそもESPフォトンはまだ粒子そのものでしか利用できないんだ。電力や火力への変換ができるようになれば話は別だけど」
「今までの銃火器とは比べ物にならない威力って話だよな……あれだろ? マサムネを使った実験じゃダイヤモンドの3倍は硬いカーバインですら紙みたいにサクッと切ったって話じゃん」
そんなものが人体に向けられたら……想像は容易い。
よってEP候補生とも言える結城達が通う学校の生徒であっても、あまりに危険な品であるためそうそうお目にかかれないのだが……2年生の後期に一度だけ、安全装置に固められてそれを振るったり撃つことはできないが、実物を触らせてもらえる機会がある。
それが明日の最後の授業、8時間目で行われる予定だ。
いくら珍しい経験ができるとしても、楽しみ、とは言い難いだろう。どれだけ文明の最先端を行くものであっても、それは"人殺しの武器"でしかないのだから。
「お前ら二人ともEPに入るつもりってことはさ……いつかは日常的にそれを使うってことだろ。だとしたらさ、その……人を……」
成司はどこか気まずそうにしながら途切れ途切れに言葉を紡ぐ。
言いたいことは分かる。
それを聞かれて返せる正論を、結城も、もちろん柚木も持っていない。だから曖昧な回答しかできなかった。
「……それも仕方のないこと、だと思う。ESP症候群者対策室だなんて言うけど、ようは軍隊と一緒だ。敵がその気である以上、こちらも現実を見なきゃ駄目なんだ」
「……だよな。悪い、変なこと聞いちまったな」
結城自身、自分にその覚悟があるのかどうか分からなかった。
偉そうにEPを目指すと姉の猛反対を押し切ってこの学校に入学し、学年首席を取って、あと一年これを維持し続ければ嫌でもEPに入れることは間違いない。
だが、いずれ抗争の最中に身を投じて『その時』が来たとき。
果たして自分はどうするのだろうか。
不安がないと言ったら嘘になる。きっと悩みに悩むだろう。
(……でも、姉さんを一人にはしておけない)
両親を失いたった一人だった結城を受け入れてくれた従姉妹の坂井璃々子。その家族達。
結城は彼女達に感謝してもしきれないぐらいの恩がある。
だから結城にとって目指す先はその一点のみだった。
結城の面倒を見ながら生活し、学校では人気者の女性教師ではあっても、裏で姉はすでにその世界に身を投じている。学校やEPでの上司に対する愚痴は言えど、『それ』に関しては一切を口に出そうとしない。弱音を吐こうとしない。
ならば自分が支えてあげなければ。
結城の中でいかにEPの評価が悪かろうが、EPとレジスタンスどっちが正義だとか、そういうのは一切関係なしに。
(こういうのシスコンって言うのかな……まあいいけど)
家族を大切にすることは決して間違ってはいないだろう。
◇
そんな姉、坂井璃々子ではあるが。
彼女が自宅に帰ってきたのは時計の針が夜中の23時を回った頃だった。
『ただいま~…』という聞くだけでも疲労困憊した様子が窺える声に、ダイニングでノートパソコンを広げネットのニュース記事を眺めていた結城は顔を上げた。
玄関から姿を現したスーツ姿の姉は、まるで中学生のような小さい背中をまるめ、長い黒髪を一つにまとめたサイドポニーを揺らしながら玄関の扉を閉めた。随分とゲッソリしている。
パソコンを弄っていた結城に気付いた彼女は少し驚いたように目をぱちぱちさせた。
「あれ? ゆう君起きてたの?」
「ただいま、姉さん。最近の男子高校生は日付変わるまで起きてたって珍しくないよ」
「えー、でも夜更かしはいけないぞ」
言いながら手に持っていた鞄を部屋の隅に置かれたソファーへ向けてぶん投げると、靴を脱ぎ、とてとてと部屋に上がる。その姿はまるで思春期の子供だ。4つ年上でありながら、結城どころか同じ女性の柚木よりも低い身長というのが余計に拍車をかけている。
「キッチンに晩御飯置いてあるから。温めて食べて」
「わっ、ありがとうゆう君。我ながらできた弟ですよ」
「姉さんはそこはかとなく妹って感じがするけどね」
「おいおいおい」
軽い冗談を言い合いながら、璃々子は真っ先にキッチンへ向かい晩飯の残りが入った皿を電子レンジで温め始めた。ヴィーン、という稼動音が響く中、冷蔵庫を開けて何かを探し始めた。
「んん……? ゆう君、牛乳ってもうなかったっけ?」
「あったと思うよ。この間買ってきた奴、姉さんが修行とか言って自分で上の方に入れたじゃないか」
「あ、そっか」
彼女の視線の高さからでは冷蔵庫の最上段は後ろへ下がらないと見えないのだが、おそらく場所を把握したのだろう。そこへ必死に手を伸ばし始めた。
「ぬ、ぐぐ……!」
足りない背を爪先立ちと腕のリーチで補い、牛乳パックを取り出そうと奮起。そのちんちくりんの背中をぼけっと見つめながら、ああ、こういうところがあるから学校でも人気なんだろうな、と勝手に納得してみる。
なんというか、マスコット的な存在なんじゃないだろうか。歳が近いということ以上に、見た目があまりにも子供すぎるため、本人は必死で教えているつもりが生徒からみたら小さい子供が難しい知識を喋っているようにしか見えない。そんな姿が生徒達の母性を刺激し、璃々子先生の人気へと繋がっているのだろう。
……だとしても、休日の彼女はどちらかというとダラしなさがおっさんに近くなるので、今更結城は彼女の見方を改めたりはしないが。
「……僕が取ろうか?」
「いい! いいから!」
一応助け舟を出したが即座に却下され、尚も必死に手を伸ばす璃々子。しかし到底届くとは思えない。
なんたってあの牛乳パック、椅子に乗った璃々子が自分で入れたのだが、一体どこにそんな自信があったのか、あえて横向きに倒し一番奥にくっつけるようにして配置。その手前に他のものを障害物かのように置いている。彼女の低身長では到底無理だと思うのだが、それを修行と称しあえてそんな面倒なことをしているようだ。
……ちなみになぜ牛乳なのかというと、まあ、お察しである。
それから2分ほど。
しぶとく冷蔵庫と格闘していたが、ドアを開いてしばらく閉められない時に鳴る注意音を冷蔵庫が訴えたことでさすがに諦めたのか、ダイニングから椅子を引っ張っていく璃々子だった。
「我、憤慨である」
「自業自得でしょ」
「くぅ……どうしていつまで経っても私の身長は伸びないのかしら……成長期はいつ来るというの?」
忌々しく呟く璃々子に、小学生ぐらいの頃に過ぎちゃったんじゃないの、と心の中で突っ込んでおく。
こんな風にたかが冷蔵庫に悪戦苦闘している璃々子も、実際には講師だけでなくEPの一員として給料を貰っているのだから驚きである。
学校での実習演習では、EP現役講師相手に訓練用の棒切れとペイント弾を使用して一対一の模擬戦を行うというものがたまにあるが、結城も、それ以外の生徒も、璃々子相手には一度も勝てたことがない。さすがというか国からEPに強制で入れられただけはある。
成司は以前、そんな璃々子こそがギャップ萌えだと熱弁していた気がする。
「ところで……」
結城の作っておいた晩御飯の残りを温め、コップに牛乳を注いでテーブルの前に座った璃々子は箸を動かしながら結城の顔……というよりも、その赤い瞳をじっと見つめてきた。
「最近眼の調子はどう? 何もおかしなことはない?」
「うん」
「本当に? 何も無茶してない?」
「本当だよ。それに10年間異常はないんだ。今更何も起きないと思うけど」
璃々子が言っているのは結城の瞳の色のことだった。
赤い瞳。
日常生活を送る上で何も不便はないし、視界に何か変な影響が現れたりもしていないが、元々結城はこのような目の色をしているわけではなかった。勿論、カラーコンタクトをしているわけでもない。
10年前の爆破テロ事件。
あの爆発に巻き込まれて以来、結城の瞳が突然変色したのだ。
「でも心配だわ。お医者さんも原因分からないって言ってたし」
「仕方ないよ。原因不明な以上放置しておくしかない」
あの事件の際に何か特殊な赤外線に当てられてこうなったのではないか、という憶測だったがそれにしたって目の色にだけ影響が出るなんて妙なことだ。
しかし先ほど璃々子にも言った通り、おかしな事は何も起きていない。劇的に視力が低下したり、目が痛むなんてこともない。よってここ10年、特に触れることなく過ごしている。
「もし何かあったらすぐ私に連絡するのよ?」
「うん」
こんなやり取りもここ10年ずっと続いている。
心配してくれるのはありがたいが、ちょっと心配しすぎかな、とも思う結城であった。
「……そうだ。明日の8時間目って姉さんが担当なの?」
随分と幸せそうに肉じゃがを口に放り込む璃々子に何となく尋ねてみる。
明日の8時間目とはつまり、例の『PS-2マサムネ』と『PAR-4パルサー』の実物を触らせてくれる、というあれだ。
本来であれば明日の8時間目は璃々子が担当の実習授業なのだが、その辺りどうなのだろうと少し疑問に思った結城である。
「ん。私もね」
「もってことは姉さん以外にも?」
「射撃実習の霧島せんせ。私はパルサーの方ほとんど触ったことないし、機能とか構造を基礎しか分かってないから」
なるほど、と相槌を打つ。言われてみれば璃々子は模擬戦の際もペイント銃を握っているところをあまり見たことがない。
実際にESPP粒子機構の武器を触れるといっても、それを体験するのが授業の目的ではないのだ。材質や構造、ESPP結晶の粒子化機構、はたまたどういった扱い方が危険で、故障する際にはどういう原因が多いのか、といったことを学ぶための実物を前にした授業だ。
たった二種類とはいえ、二つの取り扱い説明書を作成し重ねたらおそらくは辞書のような分厚さになるぐらい、扱う上で必要な知識は膨大な量なのであろう。璃々子はその点で片方に重点を置いている、ということだ。
「明日のそれのためにマサムネとパルサーの持ち出し申請出すのをわざわざ残業で残ってる私に頼んできたのは今思い出しても納得いかないわ! しかも理由が『お前部下、俺上司』って! あーむかつくー!」
「あぁ、だから帰りにEPに顔出すって言ってたんだ」
どうやら璃々子の心に炎をつけてしまったようだ。
それを合図にペラペラペラペラと一体どれほどのストレスを抱えているのか、あれやこれやと璃々子の口から愚痴という愚痴が吐き出され、彼女が晩御飯を食べ終わるまでそれは続いた。
まああまり楽しい話とは言えないが、それで姉のストレスが発散されるのであればと結城はいつも相槌しながら彼女の話を聞いているのだった。
「はぁ、いくら話してもキリがないわ。特に霧島の野郎、奴にはいずれ制裁を加えるべきだわ」
「はは……でも霧島先生、いい人だと思うけど。教え方上手だし生徒の話はちゃんと聞いてくれるし」
「それが仮面なのよ奴にとっては! あの何に対しても面倒くさげなだらしない態度をあなた達にもいずれ見せてあげたいぐらいよ」
割とブーメランな気がするがそこは黙っておいた。
食事を終えた璃々子は小さくごちそうさまでしたと呟くと箸を置き、目を伏せながら結城へ向けて言った。
「……ところで、さ。ゆう君」
「なに?」
何やら言い出しにくそうな様子の璃々子。
だが結城は、彼女に言われるであろうことはすでに予想できていた。それでも聞き返したのはとぼけるためなのだが、璃々子は続けて口を開いた。
「今からでも……成績落とす気はない?」
この話題だろうな、ということは何となく分かっていた。
そもそも教師が生徒に対し成績を落とせなどと言語道断な発現なのだが、璃々子はまったく別のことを気にしている。いや、心配している。
「あなたは確かに諏訪さんのお父さんに似てすごく頭がいい。お母さんに似て運動神経もいい。学年首席の成績を納めているのは亡くなった二人への手向けとしてもとても素晴らしいことだと思うけど―――、」
「ごめん、姉さん」
しかし、結城の回答は早く、迷いもなかった。
璃々子が言っているのは、結局は結城をEPに入れたくないということなのだ。姉として、家族として、結城を心配している。このまま好成績で高校に通い続ければ間違いなく結城は国からの指示でEPに入ることになるだろう。結城が今の学校に入ると言い出した時から、彼女はそれを快く思っていなかった。
……だが心配しているのは結城も同じであった。だから引くつもりは一切なかった。
「っ、………そう……」
一瞬悲しそうな表情になり、しかし璃々子は肯定するでも否定するでもなく辛そうな表情で俯くだけだった。
昔は猛反対された。それでも結城が頑として意見を曲げようとしない為少しずつ璃々子も結城の目標に反対の意見をぶつけることをやめてきたのだが、やはり姉のそんな顔を見るのは心が痛んだ。
(……ごめん)
心の中でもう一度謝ると、パソコンを閉じて結城は席を立つ。自分の部屋へ向かう最中、扉の前で立ち止まり一度璃々子の方へと振り返った。
「……そろそろ寝るよ。姉さん、明日早いだろうからちゃんとアラームセットするんだよ」
じゃあおやすみ、と付け加え結城は自室へと入っていった。
「……うん、おやすみ。ゆう君」
後ろ手に扉を閉める際、璃々子のそんな声が届いてきた。
悲しみを押し隠すような響きは眠りに就くまで結城の耳を離れようとはしなかった。
◇
「……しまった。洗濯物干してから出るつもりだったんだ」
翌日の早朝。
成司、柚木といつもの場所で合流し学校へ向かう際、うっかりやるべき事を忘れていた結城はそんな事を呟き、慌てて二人を先に行かせて小走りで自宅へ戻った。
別に忘れたなら忘れたでよかったのだが、早朝にタイマーをセットして起きる時間に合わせて丁度終わるようにしていた洗濯物をその日の夜まで洗濯機の中で放置しておくは少々気が引けた。
普段から2人とは早い待ち合わせにしてるので時間はそこそこ余裕があり、よって戻ることに決めた訳だ。すぐに済ませればギリギリ間に合うだろうという算段であった。
……であったのだが、そんな日に限って洗濯物用の物干し竿の足が根元から折れてしまい、しかも晴天だからとベランダで干していたため洗濯物のいくつかがマンションの2階から下へ落下。慌てて拾いに行ったり、シャツが一枚下の階のベランダへ落ちてしまい律儀にも玄関へ回って頭を下げながらそこに住んでいるご主人に取ってきてもらったり、まあ色々とあり。
事を終えて再び通学路を歩いている時にはとっくのとうにレッドゾーンを越えていた。
つまり遅刻である。
(……こんな日もあるか)
昨晩璃々子にあんな事を言っておきながら、自分が遅刻とは我ながら情けない。
しかし過ぎてしまったからには詮無き事。たまには不良行為の一つぐらいしてみようかと、特に急ぐことなく通学路を歩いていた。
普通に歩いても結城の住むマンションと学校までは15分程度だ。1間目の最中には到着するだろう。
(遅刻した理由なんて言おうかな。正直に言っても信じてくれるか微妙だろうし)
適当に理由を考えながら、結城はポケットからスマートフォンを取り出し軽く操作してテレビ機能に切り替えた。ニュースチャンネルに切り替え、イヤホンを耳につける。
いつもならホームルーム前に教室で聞いている日課の一つだ。
基本ニュースというのはネットの方が早く最新のものを入手できる上、テレビ局の印象操作などもないため(記事を書いた者の偏見などはたまにあるが)わざわざテレビの方を聞く必要もなかったりする。
が、テレビで報道されるニュースは悪く言えば確かに印象操作だが、よく言えば『そういう主張、意見の一つ』である。そういったものを、色んなニュース番組を見て、同じニュースを見て、最後にネットニュースの記事を読みながら記憶と照らし合わせていくと様々な角度から一つの物事を見ているようでなかなか面白い。あまり人には理解されないが、結城にとってのささやかな趣味の一つだった。
これはその一環。学校までの距離はもうあまりないが、少しぐらいなら聞けるだろう。
結城の耳に届いてきたニュースキャスターの声は、こんな内容を語っていた。
『―――にて、昨晩『EP』所属の20代男性3人の遺体が見つかりました。遺体は胸部を貫かれる、上半身と下半身を裂かれる、首を斬られるといった統一性のない痕跡でしたが、解剖によりますとどれも刃物のようなもので犯行が行われたのではないかと考えられております。尚、先日はレジスタンスとの衝突はどの区域でも発生していないとEPは発表しており、個人のESP症候群者によるEPのみを狙った異能力による辻斬りのような事件ではないかと調査を進めております。通報を入れた女性によりますと―――、』
「…………」
歩きながら、結城は思わず眉間に皺を寄せる。
この事件を語る内容は随分とEP寄りであったが、そういう事はあまり気にしない。それ以上に気になったのは後半、EPのみを狙った異能力者による辻斬り事件なのではないか、という文章。
実際そうと決まった訳ではないだろうし、もし別の憶測を立てるとすれば、『EPに見つかった異能力者が決死の逃走。しかし捕まりそうになったところを抵抗のため異能を振るい、そのまま殺害』……といった感じで十分他の可能性も考えられる。
しかし一度気になってしまうと頭から離れなくなってしまう。
結城自身は関係ないが、姉の璃々子はEPだ。もし辻斬り事件だとすれば、彼女も危険な目に合う可能性は十分にある。……EPに所属している時点で危険ではあるのだが。
仕事でもない限り外出する際はできるだけEPの制服を着ないよう伝えておかないと、と結城は自らの記憶に深く刻み込んだ。
それからしばらくニュースを聞きながら通学路を進む内に、気がつけばもう高校の目の前まで来ていた。
時間が時間なだけに周囲に生徒や教師は見当たらない。この校舎自体少し入り組んだ場所にあるせいか、関係のない歩行者も見当たらなかった。いつもと違う光景にささやかな新鮮味を感じる結城である。
(……あれ?)
そんな時、イヤホンから聞こえるキャスターの声に違和感を感じた。
ところどこノイズが入り、たまに無音が挟まり音声が途切れる。どうしたのだろう、とポケットからスマートフォンを取り出し画面を確認する。
(……この辺こんなに電波弱かったっけ?)
電波の強さを示すマーカーが一本表示になったり消えたりしている。無慈悲にも『圏外』の二文字が出ない程度には微弱な電波は飛んでいるらしいが、これでは映像と音声を安定して取得するのは難しいだろう。
どうせ学校は目の前だ。諦めてスマートフォンをスリープにするとイヤホンを耳から外し、まとめてポケットに突っ込んだ。
(急いで教室行かないと)
改めて気分をリセットし、少しだけ早足になる結城。今まではのんびり歩いていたが、この距離は職員室の窓からだと十分に視界の届く範囲だ。誰かに見られていることも考慮して、ここから先はせめて急ぐ素振りぐらいはしておいた方がいいだろう。
そうして軽く駆けながら校門を越え、学校の敷地内に踏み込む結城。
―――その時だった。
「っ……!?」
―――突如、視界が赤く染まった。
外から内へ。まるで魔の手が侵食するように。
同時に襲いくる痛み。
いや、痛みなんてものじゃない。激痛。まるで瞼を開けたまま眼球を焼き鉄板に擦りつけてるのではないかと錯覚するほどの強烈な激痛が瞳の奥から迸り、一瞬心臓が止まりかけた結城はその場に膝をついた。
肩に掛けていた鞄を落とし、きつく瞼を閉じて両手で目元を押さえる。それでも激痛は止むを事を知らない。
「づ、ぁ……っ!? ぐっ……!」
痛い。痛い。痛い。
すぐさま救急車を、と頭だけは回るがポケットのスマートフォンに手を伸ばすだけの余裕すらない。
その場に蹲り何とか痛みが引いてくれるのを待つことしかできなかった。
(ま、さか……目になにか異常が……!?)
昨日の今日、姉に心配されていたことが降り掛かったとでもいうのだろうか。
まさかそんな訳、と思う。
だがこれほどの激痛をこの人生で今まで一度も感じたことはない。
「はぁ……! っ、あ……!」
一体どれほどの間そうしていたのだろう。
一分とも一時間とも感じる間、ひたすら痛みに耐えていた結城はようやく激痛が引いてきたことに荒い息を吐き出した。全身が冷や汗でびっしょりと濡れているのが確かめなくても分かる。
呼吸を整えようとしつつ、両目を覆っていた手をどかした。そして緊張した様子でゆっくりと瞼を持ち上げる。もし失明でもしていたら―――と嫌な予感がヒシヒシと脳にこびり付いていたが、幸いにも最初に見えたのは学校の敷地内だと一目で分かるスタンプコンクリートだった。
顔を上げて周囲を見渡す。綺麗な青空。正面に佇む未だ新しさを感じさせる校舎。所々に植えられている紅葉した桜の木。教師の車が止められた駐車場。先ほどと何も変わらない光景。
―――だが、たった一つ。
見たこともない、信じられない光景が広がっていた。
(なんだ……これ)
結城の視界に広がっていたのは。
『光の網』。
青白く淡い発光をするそれは、学校の敷地、校舎を全て覆うように囲われていた。
(……冷静になれ)
混乱しかける思考回路を落ち着かせるように自信の頭に訴えかけ、ゆっくりと周囲を観察する。
『光の網』は、それこそ学校全体に超巨大な虫取り網を被せたような状態であった。結城のすぐ真後ろ、つまり校門はその外周であり、至近距離でその光を確かめることができる。
(なんの光だろう……粒子化したESPフォトンに似てるけど……)
しかしだとすれば、この『光の網』に触れている地面も敷地を囲う柵も全て消滅しているはずだ。そんなことは起きておらず、網は全て突き抜けている。何というか……空間に浮かぶホログラム映像、といったところだろうか。
とにかくいつまでもここで座り込んでいるわけにもいかない。何が起きているのか確かめなければ。
先程の激痛で少し震える脚にグッと力を入れて立ち上がる。何が何だか分からないがまずは校舎の中で話を聞こう。こんな状況だ、きっとパニックになっているに違いない。
正面玄関を目の前に思考を巡らせつつ校舎の1階から3階を見上げ―――そこで再び違和感に気付いた。
(……。なんだろう、様子がおかしい)
随分と静かだ。
こんな状況なのに誰一人として窓から顔を覗かせている者がいない。
……それどころか、割れていたり、内側から何やら赤い染みが付着しているガラス窓が所々見受けられる。
どういう事だ。
何が起きている。
根拠はない。だが結城の脳が危険信号を訴えかけている気がした。何か分からないが、とにかくここは『危険』だと。早く離れた方がいいと。
しかし脳に反して体は言う事を聞かず、謎を解明したいという欲求に従うかのように前へと一歩踏み出して。
パリン、と上空からガラスを割るような音が聞こえた。
いや、実際に割れたのだろう。音の大きさからして3階だろうか。
発生源を確かめようと視線を持ち上げて、すぐにガラス窓を割って外に飛び出してきたものが瞳に写った。
"それ"はグチャ、という果物の果肉でも潰すような音をたてて結城の目の前に落下した。そして水風船が破裂でもしたかのように、赤い液体を撒き散らし靴とズボンの裾を汚す。
「……、」
"それ"は丸いものだった。
だった、というのは、"それ"が元はといれば丸い形状をしており、現在はグチャグチャに潰したイチゴのようだったからだ。
所々から赤い液体が流れ出し、ぶよぶよしたピンク色の具が飛び出している。
それは、
それは、
それは、
―――人の頭、だったもの。
首を切断され、抉られたかのように全体の形は崩壊し、
肉が飛び出し、眼球が転がり落ちて、鮮血が流れ出し、
僅かに赤みがかった白子のようなものが半分無くなっている頭部から覗かせ、
「っ……、」
そこまで情報を処理したところで結城は目を逸らした。
これ以上は無理だ。見ていられない。僅かに込み上げてくる嘔気を堪え、心臓の高鳴りを落ち着かせようと深い息を吐き出す。
思った以上に冷静でいられたのは、きっと、10年前の事件で似たようなものを大量に見ていたからだろうか。
とにかく、顔が分からないほど崩壊した人の頭が校舎の3階から落ちてくる意味が分からない。
まさか今校舎の中では何かとんでもない事が起きているのか。あまりにも静かなのはそれが原因で……、
「―――オイオイ。外に残ってるだなんて聞いてねぇぞオイ」
途端、男の声が聞こえた。
それも上空。
次の瞬間、何者かがダンッと結城の5メートル程先に落下してきた。
しかし目の前に転がっている頭とは違い、その何者かはしっかりと二の足で地面に着地する。
大男だった。到底学生とは思えない、だからといって学校の教員でも見た事のないその男は、大体20代半ばから30代といったところか。
男の右手は奇妙なものが握られていた。言うなれば剣とも、巨大な鉈とも、鎌とも言えるかもしれない。例えるなら外骨格を纏った昆虫の脚。その形状に似た2つの間接を持つ片刃の剣。刃は凹凸を繰り返しまるでチェーンソーのようである。
あまりにも歪で獰猛でありながら、美しささえも感じる混沌とした『狂器』。
全身あらゆる箇所が血で塗れた大男は全長2メートル近いその『狂器』をまるで自分の手の一部かのようにつまらなさげに弄り、さも不愉快そうに口を開く。
「アレだよなァ。力のねぇ虫けらをプチプチ掃除する作業ってのはクッセェ便所掃除と変わんねぇよなぁ……俺ぁラバーカップじゃねぇんだからよォ。テメェもそう思わねぇ?」
「え……?」
「あーいいわ。別に無理に応える必要ねぇって。ほら、糞が喋ったらおかしいだろ? 汚ねぇ汚ねぇ排泄物はパパッと掃除されるのがお似合いだからよ」
何を。
何を言っている、この男は。
全身に嫌な汗をかきながらすぐにでもこの場を逃げ出したい気持ちを必死に堪え、震える唇で結城は何とか声を絞りだした。
「お、まえが……」
「あ?」
「お前が……これをやったのか……?」
結城の足元に転がる、『人の頭だったもの』。
それに視線を送りながら恐る恐る尋ねる結城に、しかし男は一旦停止すると、心のそこから呆れたように溜息を吐き出した。
「ちょいちょいちょいちょいそこの糞。俺さぁ、さっき言わなかった? 糞が喋るのはおかしいって言ったろ? な? なのになんで無視してくれちゃってるわけ? 最近の糞は口が付いてんのか? あ?」
本当に心の底からそう感じているかのように男は言う。
……もし。
もしこの男が頭の持ち主を殺した犯人だったとして。
やけに校舎が静かで様子がおかしいのは、中にいる人達の誰もが"こんな状態"だというのが原因で。
だとしたら
唾を飲み込む。汗が一層吹き出し、動揺が激しくなっていく。
成司、柚木、姉さん―――。
あまりにも嫌な予感が、何としてでも否定したい想像が頭の中を駆け巡る。
「オイ何とか言えよ。……あー、だから糞は喋らねぇんだった。ま、いいけどよぉ」
男が面倒くさげに呟く。
その瞳には、ただただ『無関心』の色が染み渡っていた。
男は同時に薄っすらと嗤う。
その笑みからは喜びも楽しさも感じることはできず、何を考えているのかその一切が掴めない。
ただ一つ、読み取ることができるとしたら。
それは、
「―――どうせすぐ喋れなくなるんだしよ」
『狂気』に嗤う男は『狂器』を手に、死へ誘う一歩を踏み出す。