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ESP:Children  作者: ゆたなるい
Chapter01 喪失者達は世界を知る
1/8

第01話 FirstPrologue

初投稿です。

趣味の範囲ですので拙い文章ではありますがご了承ください。

尚最初の方は世界観の説明のため説明回が多いですが、気長に呼んでいただければ幸いです。

投稿スペースは不定期となります。

誤字脱字などご報告いただけると大変ありがたいです。






 ―――少女は目を覚ます。


 瞼はあまりにも重く、体中が言うことを効かない。

 全身が熱された鉄板の上に投げ出されているかのように熱い痛いを訴え、だけど痛みに対して体は動こうとせず、必死に動かそうとしても指先が震えるだけ。

 誰かに助けを乞おうと声を絞り出そうとするが、喉の奥に何かがつっかえているかのような感覚に声帯が狂わされ、うまく声を出すこともできない。それどころか何か言うおうとするたび……いや、息をする度に喉の奥が焼けたように痛み、同時に砂でも吸い込んだようなジャリジャリとした触感が舌から伝わってくる。


 痛かった。


 苦しかった。


 だけど助けを呼ぶことも。


 ましてやその場でのた打ち回ることすらできない。


 自然と涙が出てきた。嗚咽もなければ、表情はきっとピクリとも動いていないのに。

 涙が出てきた。

 全身を迸る痛みからなのか、ただ生きることへの渇望なのか、その理由は呆然と何も考えること出来ない少女に自覚をする術は存在しなかったが、たぶん、悲しかった。理由は分からないけれど、ただ、悲しかったのだ。


 曇天の灰色の空。

 ポタポタと雨が降る中、少女はじっと空を見つめる。

 沈黙の空。どこまでも深く、深く、遠い空。世界は空で繋がっているというけれど、まるでそこだけは、沈黙のこの空だけは、別世界のように感じだ。

 そんな静寂の世界で、不意に少女は眠いと感覚的に感じた。

 もう一度瞼を閉じよう。そうすれば楽になれる。この痛みからも、苦しみからも、沈黙からも、きっと解放される。何も根拠はないのに少女は不思議とそう思った。

 だから、再び少女は瞼を閉じる。

 世界から、自分自身から離れるために。

 瞼を閉じる。


「     」


 ―――けれど不意に『声』が響いた。

 閉ざされかけていた少女の目の前に、誰かがいた。

 その誰かは必死になって少女に呼び掛けていた。何を言っているのかは分からない。そもそも誰なのかも分からない。見たことも聞いたこともないその誰かの声に、けれど少女は再び瞼を持ち上げた。

 視界が広がりその誰かの顔が写る。

 それは見たことも無い少年だった。

 けれど少年は最愛の人にでも相手にするかのように、必死に、両目一杯に涙を溜めて、少女に向けて叫んでいた。

 そんな少年の顔はあまりにも綺麗で、少女は少し眩しいと感じた。


 気付けば少女は少年に背負われていた。

 コンクリートや鉄、それ以外にも色んな『モノ』が転がっている中を、少女を背負った少年はゆっくりと、でも1歩1歩を力強く踏みしめ前に進んでいる。

 歩きながら少年はずっと何かを喋っている。まるで少女が再び瞼を閉じてしまうのを恐れているかのように。ひたすらにそれを避けようとしているかのように。


 痛い。

 苦しい。

 少女は何も変わらない。

 けれど涙は止まっていた。なぜだか少女にとって少年の声は心地よく、まるで自分を助けてくれる救世主のように感じた。

 ふと視線を泳がせると、変わらず空は灰色だった。雨が体を打っている。

 けれど。

 沈黙の世界を破るように、少年の声は響き続けていた。




     ◇




 ―――異能力、というものを信じるだろうか。


 多くのフィクションでは魔法、魔術、超能力、等々……様々な表現をされるが、この場合『他とは異なった能力』という意味で異能と言われる、五感や論理的な類推などの通常の手段を用いずに超常的な現象を発生させるものを言う。

 

 一昔であればそんなもの作り話の世界だろうと馬鹿にされていたかもしれないが、今この時代では決して笑い飛ばせるような話ではなかった。

 例えばテーブルの上に置かれたみかんを、種も仕掛けもなく、一切触らずに浮かせることができたら。昔ならば衝撃の一言。それを成し遂げた人物はたちまち有名人となり、多くのメディアに引っ張りだこであっただろう。

 だが今のご時勢では、「あぁ、異能か」と驚くわけでもなく落胆するわけでもなく、さも当然のことかのように流されるのが関の山だ。それぐらい、異能力という概念は世間に浸透していた。


 そもそも異能力などというものが生まれたのはいつなのか。

 多種多様の見解があるが、その中でもっとも多い意見が10年前に東京の羽田空港で起きたとある事件が原因であるという主張だった。


 ―――2027年 東京 羽田空港


 その日そこで何が起きたのかと聞かれれば、人はみな口を揃えてこう答えるだろう。


『羽田空港爆破テロ事件』


 言葉通り、2027年の夏。羽田空港全域を覆うほどの巨大な爆発テロがあったのだ。

 いや、より正確には爆破テロと呼んでいいのかさえ分からない。爆発の原因は一切合財不明の二文字。ただ被害にあった者の多くが『突然目の前が真っ白になった』『気が付いたら瓦礫の山だった』『火の手も上がってたしきっと何かの爆発があったんじゃないか』と言っており、旅客機の爆発程度では決してありえないレベルの被害であった為、何者かが人為的に起こした爆発じゃないのかと噂され、それを取り上げたマスコミによっていつしか爆破テロと呼ばれるようになっていた。

 死者は総勢8000人以上。負傷者に関しては数え切れないほどのこの事件は大地震の直後と同じような空気を人々の間に落とし込み、それからしばらく事件の話題が薄れる事はほとんどなかった。


 だが意外にも事件の話は押し流されることとなった。

 その原因となるのが爆破テロ事件のあった直後、ほぼ同じタイミングで思春期から低くて成長期、高くて二十歳までの子供を中心に『異能力者』が日本の東京を中心に現れ始めたからだ。


 最初は些細なものだった。物体を透視できるという人物が某動画サイトにてそれを実演した動画をアップしたのだが、インチキだ釣りだと流されていた。だが次第に世間から『念動力を覚えた件』『手から炎出たwww』『実は空飛べるんだけど質問ある?』みたいな動画投稿、匿名掲示板への書き込み、ブログやHPでの暴露が重なり、やがてテレビなどでも報道されるように。いつしかそれは『異能力』と呼ばれ世間を震わせる大ニュースとなった。


 爆破テロ事件の被災者も悲しいこと考えているよりかは魔法のような夢のある話に耳を貸したほうが少しでも楽しくしていられる、といった感じで事件の事を忘れろと神のお告げでもあったかのように人々は異能力に熱中した。


 しかし誰かが言った。


『なんかタイミング良すぎない? もしかしてあの事件に原因があるんじゃないの?』


 その言葉に耳を貸すものは最初こそ少なかったが、次第に『東京付近でしか異能力者は現れていない』『異能力者の皆が事件の被災者』といった情報や『言われてみればあの事件で怪我して眼が覚めたら使えるようになっていた』という異能力者本人の言葉などが積み重なり、『もしかすると爆破テロ事件と異能力は何か関係があるのでは?』というオカルトちっくな噂が世間に流れ始めたのだ。

 挙句『あの爆発は異能力を生み出す儀式だったんだ』と根も葉もない噂まで流れ、いつしか万人の多くが本気だろうと冗談だろうと、そういった事を真実かのように語り、異能力者という存在はますます話題性が伸びていった。


 やがて少しばかりの時を経て。

 異能力に関することを少しでも解明しようと様々な研究機関が動き出したと同時に、異能力者は正式的にこう呼ばれることとなった。


 ―――『ESP症候群』と。




     ◇




 異能力。実に夢のある話だ。

 とある平凡な高校のパソコン実習教室。学校の予算で購入された低スペックPCをポチポチ弄り、とうに授業中の課題を終えた橘彼方たちばなかなたは残り時間の暇つぶしに、異能力者―――『ESP症候群』についてまとめられたwikiページをつらつらと読み進めていた。


(…実際、そんなに夢のある話じゃなかったけどね)


 他人事のように考える彼方は、しかし実際他人事。彼方は異能力者ではないからだ。

 いやそもそも。彼方は当事者―――いわゆる異能力者なる人間を一度も見たことがない。いくらニュースや新聞、バラエティ番組でそれらの話題を引っ張りだされても、彼方のように自分が異能力者でもなければ近くにそういった知り合いのいない者はみんな創作小説でも読んでいるような気分なのではないだろうか。

 例えるなら……そう、画面越しの芸能人や売れっ子アイドルを見ているような。実際には存在するのだろうけど、会うことも喋ることも叶わないため何というか、2.5次元的存在なのだ。


(どこかですれ違ったりはしてるかもしれないけど……それはただの他人な訳だし。異能力も見れないし)


 wikiのページにはこう書かれている。


『2032年 ESP症候群患者による異能力の危険使用、犯罪行為の増長を防ぐためESP症候群と診断された者は専用の収容施設で衣食住を取ることを義務付けられる。また外出の際は届出を提出すること』

『同年 許可なき異能力の使用を禁ずる』

『同年 異能力の無断使用、および施設からの無断外出を行った場合第二収容施設へ強制送還される』


 ……読むだけで参ってくる内容だ。

 つまるところ5年ほど前から、ESP症候群者を徹底して取り締まる法案が可決されたのだ。原因は無論、異能力者の犯罪行為がそこら中で増加してきたからだ。

 考えてみれば、透視できたり空を飛べたり、挙句RPGの魔法みたいに手から光線を出せるような異能力者までいるこの世の中。それを利用した犯罪が増えないわけがない。異能力者が生まれてたった5年。しかしされど5年。その間に異能力者を中心とした警察では手の付けようがない犯罪係数は増す一方で、ついにこれが法令に加えられたわけだ。

 おかげで舞い上がっていた異能力ブームは鎮火を向かえ、あまりに徹底した取り締まりにむしろ異能力者であることがデメリットとなる空気が生まれ始めている。


(……世知辛い世の中)


 収容施設、といっても実際にはちょっと監視カメラが多いだけの割りと綺麗なホテルだったりするらしいので言うほど不便ではないとページには書いてあるが、いつだって誰かに見られる生活なんて考えるだけで恐ろしい。その上もし間違ってでも異能を使うところをカメラに見られてしまったら、第二収容施設―――こちらは間違いなく完全監視の牢獄に近い場所だという場所に連れて行かれるらしい。こちらはあくまで噂だが。

 10年前の爆破テロ事件。その被災者の一人であった橘彼方は、もしかすると自分も異能力者なのではとこの法案が世の中に出てきた時はビクビクしたものだが、結局それらしい兆候はいつまで経っても体に現れることなく、今となってはぼんやりと世間を眺めている一人ではあるが。


(異能力、かぁ……もし使えていたら、私はどんな能力だったのかな)


 なんて夢馳せる行為も、今のご時勢ではあまり楽しみを見出せない。

 すぐに考えを打ち切り、ずれかけていた眼鏡の角度を直してブラウザを閉じようとマウスを動かした。

 そんな時、ふとまとめページ下の方に興味を引かれる文章が連なっていることに気が付いた。


(レジスタンス……? あぁ、最近話題になってる……)


 レジスタンス。

 それは半年ほど前から東京中で話題になってる反政府組織だ。

 ……といっても彼方は直接見たわけでもなく、ニュースなどの文面で見たことある程度のにわか知識なのだが。

 このページにはそこそこ詳しく記されていた。


(異能力者の自由と解放を目指す、異能力者のみの反抗組織。連行されている異能力者を見つけては助け出している……)


 ずらずらと難しいことが書かれているが、略すとこんな感じだろうか。

 ともあれ第一印象は『漫画みたいな連中』である。実際にいるのだからフィクションもクソもないのだが、異能を持った組織ってだけでなんだか魅力がある。

 ……まあ、いくら魅力があろうが世間的には大悪党なのでなんとも複雑な気分だが。


(……昨日も確か一般人で怪我人が出たってニュースで言ってたような)


 まず異能力者が収容施設に連行される最大の原因は街中のいたるところに仕掛けられた監視カメラだ。24時間いつだって回っているそいつに、法令制定以来異能を隠していた人が、何かの拍子につい異能を使ってしまうと、警察とは違う、特殊な訓練を受けた連中が鬼のような速さで拘束しにくるのだ。

 レジスタンスのやっていることはそれの妨害、及び異能力者の保護。その特殊な訓練を受けた連中相手に、例え命を奪おうとも襲い掛かるのである。

 おかげで最近の東京は少し空気がピリピリしている……ような気がする。

 死傷者が出たという話はテレビをつけていればたまに耳に入ってくる。そのどれもがレジスタンス絡みであり……いくらなんでもやりすぎなのではないかと彼方でさえ思うところがあった。


(一部では抗争だとか小戦争だなんて言われてるけど……あながち間違いでもないんじゃないかな)


 といっても犯罪組織ということもあってか、映像がメディアやネット上に上がったことは一度もないらしく、ほとんど噂話の域を出ないらしい。

 少しページをスクロールしていくと、レジスタンスの面々で顔が割れている数人の異能力者の指名手配が添付画像として貼り付けてあった。そのどれもが彼方と対して歳の変わらない顔立ちをしており、そんな若者に何百万もの懸賞金が掛けられていることはどうも現実味がなかった。


(はあ……通学路とかではどうか起こりませんように)


 ここ最近街中のあちらこちらに工事現場を見かけるのはどうもレジスタンスとの抗争で出た被害のせいなんだとか。まあ、当たり前と言えばそうだ。相手は機械ではなく、超常現象を扱う存在なのだ。建物の一つ吹っ飛んだっておかしなことではないのかもしれない。

 一つ軽い溜息をつき、彼方はパソコンで時間を確認。もうすぐで授業が終わる時間だ。

 最後に完成した課題を教師と生徒共同のフォルダに入れてるかをちゃんと確認し、彼方はネットブラウザを閉じた。

 何にせよ世間の移り変わりは激しいなと、ここ数年の出来事を振り返ってぼんやりと考える彼方であった。




     ◇




 橘彼方は友達が少ない。

 あえていないと言わないのは、まったくいない訳ではないからである。

 元より人付き合いが苦手、声も小さい、目を合わせて喋るのも困難、自分で言っちゃうのもあれだが奥手で引っ込み思案ですぐ自己嫌悪に陥る、そのくせ頭の中で考えていることだけは一丁前な駄目に駄目を重ねたクソ根暗女。それが彼方の自己評価だ。

 が、そんな彼方にもたった一人。たった一人ではあるが、高校に入ってから友好を深めていただいてるご友人様がいらっしゃる。


「つまりさー、アタシはここ最近の騒ぎについて思うわけよ。EPの連中はもっとしっかりすべきだってさ!」


 教室の隅で弁当を突きながらそう語るのは、橘彼方にとってただ一人の友人である佐藤華さとうはな

 初めてその名を聞いたときは、最も多い姓と女の子に付ける名前ランキング1位の名が組み合わさった最強のフルネームに驚愕したが、彼女自身は没個性とは言い難いほどの色鮮やかさを持った女性であった。


「まず例のあの法令。かなっちも知ってるでしょ? いくらなんでも過剰だと思うんだよね。だからレジスタンスなんて生まれちゃった訳だしさ」


「……で、でも、それぐらい強く取り締まらなきゃ犯罪は減らなかったんじゃない?」


「かもしれないけどさー。でもさすがに一度罰則に触れたら問答無用で第二収容所という名の牢獄だよ? 症候群患者はまだほとんどが学生だってのにさすがにやりすぎっしょ」


 佐藤華の良い所はここにある。

 ハッキリ自分の意見を口に出す、というのもあるが、それ以上にこの話題そのものだった。

 彼女は彼方と違って非常に友達が多い。しかもそれら全員と円滑な関係を築けているのは彼女の引き出しの多さにあるのだ。

 つまるところ華は話す相手に合わせて話題を正確に切り替え、尚且つ会話を完璧に成立させている。例えば今を例とするならば、昔からインドアでネット住民に足を突っ込んでいる彼方には、そんな彼方が知っていそうな話題をしっかりとチョイスし、逆にバラエティー番組やドラマ、スポーツ関連の話は一切振ってこないのだ。

 相手の好きなことを最初の短い会話で把握し、それに対応できるだけの柔軟性も兼ね備えている。彼方は華ほどの出来た人間を未だ知らない。そしてだからこそ彼方もあまり緊張することなく華とは接することができる。

 真のリア充とはこういう人のことを言うんだろうな、とぼけっと考える彼方であった。


「だからって異能を犯罪に使う奴も、レジスタンスのやってることも擁護はできないけどね。EPとレジスタンス、どっちもどっちかな~」


「……人権を無視して他人の人生を殺すのと、自分達の承認のために躊躇なく人を殺すのと。どっちが正しいとは言い切れないよね」


「おっ、かなっち的確なこと言うね! まさにそんな感じ」


 数十分前、授業中に考えていた内容を更に切り詰めた話を昼食中に繰り広げる彼方と華。我ながら女子高生の日常会話とは随分とかけ離れた話題だが、こういったネット上で騒ぎになる話の方が意見を口に出し易いし、それに合わせてくれる華には感謝しつつ会話を続ける。

 華が弁当に入ったプチトマトをコロコロ転がしながら言う。


「最近多いからなー、レジスタンスとEPの衝突。頼むからうちらは巻き込まないでほしいよ」


 レジスタンス。そしてEP。

 前者に関しては先ほどwikiページであらかた調べたが、後者に関しては情報量が少ない……というほどでもない。

 正式名称はESP症候群者対策室『Exploration《イクスプローション》』。通称『EP』。

 警察ではなく、政府直属の対異能者取締りの為に5年前の法案が可決されると同時に作られた組織だ。反社会派といえば聞こえはいいかもしれないが、言ってしまえば犯罪組織であるレジスタンスに比べて法に則った行動をしているEPの方がメディアの注目は当然浴びやすく、知っていない人はほとんどいないのではないだろうか。

 EPに所属する人間は特殊な訓練を受けているらしく、近年着々と進歩を続けている最先端の科学技術も用いて異能力者を徹底取締り。抵抗する者、そして妨害してくるレジスタンスに対抗できるだけの力を持った唯一の純粋な生身を持った者達だ。ここ近年では将来はEPへの配属を目的とした政府が理事を務める特殊な学校まで出てくる始末。少しずつ世間からの評価が悪い方向へ下がっていく異能力者に対し、EPは分かり易い正義として世に浸透していた。

 ……が、こうして言葉を並べるとEPが正義、レジスタンスが悪と感じるかもしれないが、そもそもレジスタンスが行動を起こすようになった原因である行き過ぎた法を象徴するのがEPであり、彼らは異能者に対して一切の容赦がないと聞く。収容所への強制連行もそうだが、その際に抵抗を見せたや者や、情報を嗅ぎつけ妨害をしてきたレジスタンスの異能者には殺傷兵器を振るうことも躊躇わないとか。

 異能者の大半がまだ10代前半から後半の子供、高くても20代半ばという未来ある若者ということもあり、法を守るためとはいえ殺しに到ることもあるのはどうなのかと、一部では反感の声も少なくない。

 よって世間でもネット上でも『あなたはEP派? それともレジスタンス派?』という話題は頻繁に耳にする。特に抗争のあった翌日などは匿名掲示板の荒れっぷりは酷いものだった。


「アタシは断然EP派かな。改善してほしい点はいっぱいあるけど、危険な異能者を何とかするって点は納得できるし。EPが変わるにはまず政府から何とかしないと駄目だろうから、なんというか、改善の余地なさそうだけどね」


 華は弁当箱に残っていた僅かな白米を口に放り込み、咀嚼しながら『かなっちは?』とでも言うように視線を流してくる。


「私は……、」


 少し考える。

 客観的にものを見れば、どちらとも正義と言えるし、どちらとも悪と言える。正義の反対はまた方向性の違う正義だとよく言うが、まさにそれを象徴する対立構造であった。

 どっちを答えても正論が言えるだろうし、正論が返ってくるだろう。だから彼方はすぐに答えを出した。


「……私もEPかな。どっちかを取れと言われたら、こっちかなって」


 とりあえず意見を合わせておいた。

 実際その言葉は本心であるし、答えを出さないよりかは中途半端にならず良いだろう。

 華は『だよねー』と言いながら『でも知り合いに仲の良い異能者でもいたら違ったかも』とぼやきながら残りの弁当の中身をかき込んでいく。

 昼休みもそこまで長くはない。彼方も一旦会話を区切り売店で買った焼きそばパンを口に入れていく。

 当事者でも関係者でもない彼方達部外者はこうして影で勝手なことを口にするしかないのだが、実際、レジスタンスの異能者やEPに所属する人達は何を考えているのだろうと、分かりもしない疑問に思考を巡らすのだった。

 無論、答えは出ないのだが。




     ◇




 時計の針は16時を過ぎ、部活に入っていない生徒は下校時間となっていた。

 自身に取り柄を見出せず入学当初特にやりたい事もなかった無気力人間である彼方はもちろん部活には入っておらず、周りの帰宅部生徒に混ざりながら校門を潜った。

 唯一友である佐藤華は活発でノリの良い性格を現すように陸上部に所属しており、今はグラウンドで部活に勤しんでいる頃だろう。

 『この間2年の先輩でかっこいい人見つけてさ! イケメンって見てて飽きないよねー! あっ、万年男っ気がないかなっちにはこの気持ち分かんないかな? ん??』と彼女が部活に入った当初は舐めたことを言われたもので、彼方も一時期は青春ライフに憧れ部活動への興味が湧く時期もあったが……なにぶん人見知りだけは彼方の得意分野だ。痛い目を見る前に速攻諦め、大人しく帰宅部を全うしている。


 季節は秋。衣替えがついこの間あったばかりの、まだ僅かに暖かい空気が人肌を包むこの時期。

 高校から家までの帰路を踏みしめつつ、ふと視線を流すと小さな服屋のガラス張りの壁にA2サイズのポスターが貼られていた。ポスターにはデカデカとした文字でこう書かれている。


『新羽田空港設立祭 開催決定』


 最近人々を沸かせている話題はレジスタントやEPのような『黒い』ものばかりではなく、こういったものもあったなと忘れ物を思い出した気分になる彼方。

 書かれたままなのだが、つまりはこういうこと。10年前の羽田空港爆破テロ事件で多大なる被害者と莫大な損害が出て世界的なニュースにまでなった羽田空港の全壊。実際には異能力者の出現ですぐに話題性がすり替わっていったのだが……お偉いさんとしては日本の中心である東京の空港が機能を失ったのをそのまま放置しておくこともできず、早急に災害の後始末と、重度なる防災設計が組み込まれた新たな空港、新羽田空港の建設を開始。そしてついに今年の春。事件の跡地に新羽田空港が完成した訳だ。

 その設立祭を今年の冬。正確には12月31日の2037年最後の日に、空港を一日だけ機能停止し会場として催しものを行おうというものだ。大体2ヶ月先といったところか。

 実際たった一日でも空港の機能を止めるのは輸入輸出等の面でかなり問題らしいが、事件のあった10年前から今年の春までは別ルートを何とか開拓し上手くやり繰りできていたそうで、国としてもたった一日なら何とななるだろうと全面的に前向きな姿勢だとか。

 面倒なしがらみがあるならいっそ別の場所で、という話もあったらしいが、それでも新羽田空港を開催場所と決めた決定打はやはり敷地内にある慰霊碑であろう。

 事件の後、身元が分かり、生きている親族の許可が下りた死体の骨はその全てが巨大な慰霊碑の下に埋められ名を刻まれた。つまりはそういう事。そこで開催する事に意味があるのだ。誰もが、事件の傷跡を少しでも癒したいと考えている。


(……私はあんまり実感ないけど)


 他人事のように語ったが、実際には橘彼方も事件で被害を受けた者の一人だ。

 当時6歳だった彼方は生死を彷徨うほどの大怪我を負い、それでも何とか治療が間に合い命を取り留めることができた。しかし一緒に事件に巻き込まれたであろう両親は亡くなったらしく、身元引受人もなかなか現れず生存者の中では頭一つ抜けて困った子供だった。

 亡くなったらしい、というのは。それらの情報が人から聞いた話だからだ。

 つまり。


 橘彼方はあの事件より前の記憶を完全に失っていた。

 記憶喪失、である。


 両親のことは愚か、自分の本当の名前、一般常識に関しても一部欠損しており、まるで相槌だけを繰り返す人形のようだったと、その時期の事は若干覚えているが、物心ついた頃に聞かされ実感した。

 名前すら思い出せず持ち物も一切なかった為親戚どころか両親さえも見つからず、おそらくは身元すら分からないぐらい『壊れた』死体の中に両親がいて、事件のショックで記憶に影響が出てしまったのだと。今でも月一で通っている病院の担当医師にはそう言われた。

 回復の兆しは今現在でも感じない。事故の現場に行けば何か思い出すかもと何度か新羽田空港の建設工事現場を覗きにいったりもしたが、やはり何も思い出せず。

 彼方にとっての一番古い記憶は、気が付いたら曇り空の雨に打たれ、瓦礫の山の上で息も絶え絶えに呆然と空を見上げていたこと。―――そして、歳の近い誰かが必死に呼びかけてきて、彼方を被害のあった外まで背負い運んでくれたこと。その後の記憶は曖昧としており、意識がハッキリしたのは病院のベッドの上だった。

 ようするにだ。


(親の顔も覚えてないし、知らないうちに大怪我していつの間にか助かっていただけなんだよね……)


 事件の傷を癒すためと万人は語るが、彼方にとっては何だか実感の湧かないことで。いまいち設立祭への高揚した空気に乗り切れずにいた。

 だからと言って事件以前のことを何も覚えていないが故に自身の記憶喪失を嘆くつもりもなく、天邪鬼なんだかよく分からない複雑な心境であった。


(たぶん行かないし)


 元より彼方は人混みが苦手だ。近所のお祭りごとにも一切顔を出した事はない。

 どちらかというと家で本や漫画を読んだりゲームしたり、ネットを眺めていた方が性に合ってるし、純粋に楽しいと感じることができると思う。根暗だぼっちだ引き篭もりだと何とでも言えばいい、私は一人が好きなのだととっくの昔に開き直っている。

 年頃の乙女が、時々、いやたまに、ほんと極稀に、こんなんでいいのかと自問自答する時があるが、あまり深く考えずに思考を放棄する。今更どう足掻いたって華のようなリア充になることは到底不可能なのだから。

 信号で止めていた足を、青信号になったことで再び動かす。

 異能力がなんだ、それの規制がなんだ、設立祭がなんだと時の流れと同じくして人々の熱は沸き立つが、何でもいいので割りと気に入ってる今の生活が少しでも長く続いてくれることが彼方にとって一番の願いなのかもしれない。




     ◇




 夕焼けの美しい光が照らされ、その反面暗い影を落とす市街地内の建物、施設の合間を縫う細いストリート。

 そこを駆け抜ける小さな人影があった。

 年端も行かない小柄な少女である。彼女は右にも左にも分岐のある細い路地裏を、まるで自身の庭を駆けるように一切の迷いなく突き進んでいく。地面に不法投棄された空き缶を蹴り飛ばし、道を塞ぐように横たわっているゴミ箱を飛び越え、荒い息を吐き出しながらも一切スピードを落とすことなく走り続ける。

 少女の顔には焦りが見え隠れしていた。

 だからといって狼狽している暇はないと、自身に訴えるようにきつく食い縛っている。


 ……それから5分ほど駆け抜けて、やがて少女は小さな公園に辿り着いた。

 動かし続けていた脚を止め、公園の中を見渡す。誰もいない。これ幸いと少女は『追跡者』から身を隠すために公園脇の茂みに飛び込もうと思考を巡らせ、


 バシュッ、と奇妙な音が響いた。

 その音が耳に届いた刹那、少女は慌てて背後に振り返り―――直後。

 夕日の中を飛来する一筋の青白い閃光が、少女の胸元に直撃した。


 ズバチッ!! と雷撃を思わせる衝撃音が周囲を震わせ、同時に直撃した接地面が爆発でもしたかのように眩い光が一瞬の間辺りを照らした。

 それはまるで水平に飛ぶ小さな雷。

 まともに受け止めた少女の小柄な体はあまりの衝撃に両足が地面から浮かび上がり、3メートル程度。後方へ吹き飛ばされた。

 が、少女は無事だった。その体に傷はない。

 気が付けば、彼女の右手に奇妙なものが握られていた。それは直径1メートルほどの丸い『盾』。この世のものとは思えないほどに美しく流麗な曲線を描いた、幾何学的な形状をした『盾』だった。

 少女は閃光を受ける直前、この『盾』を間に挟み強烈な雷撃を難なく受け止めてみせた。

 敵意の宿った少女の視線の先には、3人の男が立っていた。

 3人ともが特徴的なデザインの黒を基調とした軍服を着込んでおり、銃口が青白く光る銃のようなものを構えて少女に対峙している。

 『追跡者』。少女を執拗に追い回すハンター達。

 奴らの目的は少女を捕らえること。または、殺してでも(・・・・・)少女を止めること。

 故に、振り切ったという一瞬の油断から追い詰められてしまった少女に迷っている時間はなかった。

 彼女の意思に呼応するように、右手に握られた『盾』から3本の刃が伸びた。爪のように展開する刃は3本ともが長さも太さも異なっており、しかしそのどれもが小柄な少女の身の丈を越え、攻撃と防御を混同させた歪な形状をしている。

 その武器を言葉に表すのであれば『クロー』。篭手を付けるようにして握られた中心となる盾、そこから伸びる3本の刃。恐ろしくも美しく、歪でありながら輝かしい、まさしくそれは『狂器』。

 身の丈を超える獲物を、まるで体の一部かのように軽々しく構える少女に対し、しかし銃を構える男達も臆することなく少女へと眼光を光らせる。

 果たして。

 どちらがエサを喰らうハンターとなるか。

 どちらが捕食させるだけの獲物となるか。

 瞬間、少女の小さな足が砂地を蹴り上げ、男達の指先が銃のトリガーを引き絞り、『殺し合い』が幕を開けた。




     ◇




 夜中。午後7時を過ぎた頃。

 自宅……といっても2DKの小さなアパートを借りてるだけだが、その一室で橘彼方はフローリングの上に座りじっとクローゼット内の引き出しを見つめていた。

 彼女は一度自身の体―――正確には胸部辺りに視線を送った後、改めて引き出しと向き合う。

 やがて決心した様子で一番下の段を引くと、中は綺麗に収納された白下着の数々。そんな中、特にデザイン性のない白下着に埋もれるようにして、ただ一つ、黒生地にピンクのフリルがついた随分とアダルティな下着上下ワンセットが鎮座していた。

 彼方は少し迷うような手つきでそれらに手を伸ばすと、バストの形状を整えると共に形が崩れることを防ぎ、かつ若年層には乳首保護も目的の一つとされる補正下着―――いわゆるブラジャーを手に取ると、バッと広げて見せた。


「……、」


 真剣な眼差しで黒ブラジャーを凝視する彼方は、おもむろに服を着たその上からストラップに腕を通すと、背中のホックを留めた。服の上からブラジャーをつけるというのは、一昔前に流行ったブラトップと呼ばれる、シャツやドレス上に重ねて下着を身に付けることでスタイルを良く見せる着こなし方を何となく彼方は思い出した。

 そして改めて視線を胸元へ落とす。


「……………くっ」


 がばがばだった。

 何ががばがばって、主にカップ付近ががばがばだった。


「すぅ……はぁ」


 一度深呼吸。

 深く息を吸い込み、吐き出す。それを3回ほど繰り返すと、再三胸元へ視線を向けて、


「………………、」


 がばがばだった。


(ば、馬鹿な……なんで……可能な限りパッド詰めて、ただでさえ服の上から試したっていうのにそれでも隙間がこんなにも空くのはなんで!?)


 確かこのブラジャーのカップ数はD。ただしパッドで盛ればBの女性でも身に着けることは叶う。

 つまりすでに別のブラジャーを着け、さらにその他衣服まで来た上、パッドを詰めてもがばがばが改善しない橘彼方の胸部装甲は。

 お察しである。

 文字通り装甲板であった。


(くっ……そぉ……! 身体測定から少しは成長したと思ったのに! ちくしょう!!)


 自ら挑戦したことで気がついたら自分で自分の腹を切っていた装甲少女。

 毎日欠かさず牛乳をがぶ飲みしていたあの日々はなんだったのか。豊胸マッサージを調べてあれやこれやと試そうとしたら、そもそもマッサージできるだけの胸がなく絶望に打ちひしがれながらもとりあえず実践だけしてみたあの日々はなんだったのか。

 まるでのこの世の終わりと直面したような表情で呆然と平坦なおっぱいを身下ろす彼方。死んだ魚のような瞳をしていた。

 そんな時。


「おーい彼方。晩飯できたぞ~」


 ガチャ、とノックもなしに部屋の扉が開け放たれ、大柄な男が部屋に顔を覗かせた。

 他者の介入を予想していなかった彼方は思わずビクッと全身を震わせる。


「わぁっ!? と、とと、父さん!?」


「おう。だから晩飯……あん? お前何やって、」


「か、勝手に入って来ないでよっ!!」


 そこに佇むのは彼方にとって唯一の同居人であり、身元引受人がなかなか見つからなかった彼方を快く迎え入れてくれた義理の父親でもある、橘義弘(よしひろ)だった。

 程よく鍛えられた体と薄い無精髭を生やす整った顔立ちをした大男。

 普段は大学教師をしながら、とある研究を熱心に続ける研究者としての一面もあり、気さくな正確と持ち前のダンディーな雰囲気、顔立ちもあって間違いなく大学では若い子からモテモテなのだろうなと予想の容易い人だ。

 ……が、いくらモテモテだろうが彼方には関係ない。ここは娘として説教してやらねば、と顔が赤いまま彼方は勢い良く立ち上がった。


「ちょっと父さん! いつも入るときはノックしてって言ってるでしょ!」


「ははっ、そんな怒んなよ。別に着替え中だったわけじゃあるまいし」


「そう言ってこの間着替え中に入ってきたじゃん!」


「そいつは悪かったって。……それより彼方、今のファッションは父さん的に無いと思うぞ」


「!? ぁ、あれは……っ! と、父さんには関係ないし! てゆーかファッションじゃないし! サイズ見てただけだし!」


 説教するつもりがものの数秒で言い訳になってることには気付かない彼方である。

 父・義弘は何やら思い出すように顎を撫でる仕草をしつつ、


「えーっと……佐藤さんだったか? たまにウチに遊びに来る元気な子」


「そ、そうだけど」


「あの子から誕生日プレゼントでもらった下着だろ? でもサイズが合わなくて一度も着けられてないと」


「ちょ!? なんでそんな詳細の情報まで知ってるの! 話してないよね!?」


「いやこの間あの子が遊びに来たとき。お前がトイレに言ってる最中に話してきてさ」


「あの野郎!!」


「佐藤さん申し訳なさそうにしてたぞ? 『あの子のおっぱいがまさかあんなに薄いなんて。きっと胸の発育だけを殺すウィルスに感染してる』って」


「1ミリも申し訳なさを感じないんだけど!!」


 佐藤華。奴の評価を改めなければいけないかもしれない。非常にできた女の子だが、少々口が軽いのが難点かもしれぬ、と彼方は呆れたように肩を落とす。

 そこで、はっと我に返る。今華のことは関係ないのである。


「と、とにかく! 私だって女子なんだから色々プライベートもあるし、部屋に入る時は絶対にノックして声掛けてね」


「はいはい。……それより彼方、お前はまだ若い。黒ってのは流石に早いと父さん的には」


「そ、その話はもうなし! お馬鹿!!」


 顔を赤くして義弘の背中を押し慌てて部屋から追い出す。その際に『若い子の勝負用はピンクがイイと父さんは思うぞ? 幼くも可愛らしさを出す為のほんのちょっぴりの見得ってのがイイんだよ。実際父さんが若い頃にベッドインした相手もピンクが多くて』『うるせー!!』という無駄な問答があったのだがこの際どうでもいい。義理とはいえ父親の女性経験事情など恐ろしくて聞けたもんじゃない。

 義弘を追い出し部屋の扉を閉めると、晩御飯食べる前に片付けなければと改めて乱雑に閉められた引き出しを開く。黒ブラジャーと、それを突っ込んだ時に手前から飛び出した安いものの貧乳用ブラを畳み直し綺麗に収納した。


「はぁ……無駄な贅肉がほしい……」


 自分の胸部をぺたぺた触りながら忌々しく呟く。

 別に近い内に誰かに見せる予定があるわけでもなければ、彼氏どころか男友達すら概念的存在の彼方にとって胸の大きさは完全にプライドの一種なのだが、女のプライドは時に命よりも重いのである。せめてパッドなしでBカップブラジャーを着けるという密かな目標を掲げる橘彼方であった。

 ―――ふと。

 昔の事を思い出す。

 あの夏。爆破テロの起きた曇天の下。

 あの時彼方に必死に声を掛けて、自身を省みず助けてくれた『誰か』のことを。

 少年……だったと思う。あまりにも曖昧とした記憶の為定かではないが。響き続けていた声は、背負ってくれた小さくもなぜか逞しく感じた背中は、きっと少年のものだった。

 今の彼方は恋人もその候補となる人物も、もっと言うなら気になっている男の子すらいないだろう。いた覚えもない。

 けれどもし、年頃の女の子にそんな事は有り得ない、好きな人の一人や二人いて当たり前だというのなら。

 彼方にとっての初恋は、たぶん、きっと、あの少年だったのではないだろうか。


(……なんて、メルヘンじゃあるまいし)


 仮にあの時の少年の顔や声を完全に覚えていて、どこかで偶然出会うことができたとしても。正直なところ、人見知りの激しい彼方に男性とまともに話す事はできないだろう。

 先ほども言った通り、橘彼方にとって男友達なる存在は概念。都市伝説の類だ。

 この人見知りを何とかしない限り永遠に春は訪れないだろう。


(さて、冷める前に晩御飯食べなきゃ)


 おっぱいの柔らかさとおっぱいの健康は比例するとどこかのサイトで見たが、柔らかさが分からないド貧乳はどうやって確かめればいいのうだろう、とか果てしなくどうでもいい思考を打ち切りつつ、クローゼットを閉めて早々に部屋を出た。




     ◇




 時計の針は午後9時を回った頃。

 彼方は簡単な私服を着て、財布と家の合鍵だけを持って夜の街に外出していた。

 といっても近所にあるコンビニまで。その距離は往復でも5分程度であるため散歩にもならないが。

 わざわざこんな時間にコンビニへ向かうのには理由がある。


(まったく……父さんったらどうしてお酒飲んじゃうのかな。そんなにアルコール強くないのに)


 義弘はたまに晩飯の最中ビールを飲んでいるのだが、そもそもお酒に強い人ではないことは共に暮らしてきて何となく察している。ではなぜ飲むのかと聞くと単純にお酒が好きらしい。好きだけど弱い。難儀なものだ。

 といっても、缶ビール1本でやられるほど耐性がないわけではないのだが……どうも今日は晩飯前にも1本開けていたらしい。そのせいで晩飯を食べ終わるとほぼ同時、頭痛いだの気持ち悪いだの嘆き始めて、現在は気分を悪くしてトイレに篭っている。

 とりあえず彼方としてはできる事は少ないので、アルコールを少しでも薄めるため水を飲ませ、二日酔いを防ぐためにそういった薬用ドリンクをコンビニまで買いに出かけてきたのだ。


(ウコン系のドリンクって実はそんなに効果ないって聞くけど……まあ、飲まないよりかマシだよね)


 そもそもお酒を飲めない、飲んだこともない彼方には分からぬ世界。きっと飲んだという事実によるプラシーボ効果とか色々あるのだろう、とか適当に考えつつ歩いているとあっという間にコンビニに到着した。

 店内に入り、それらしきドリンクを2本取ってやる気なさそうなバイト店員に会計を済ませてもらう。小さなボトル状のアルミ缶が入ったビニール袋を片手に外へ出た。


(昼間はまだ暖かいけど、夜はさすがにちょっと肌寒くなってきたかな)


 季節は10月。そろそろサイズの合わない冬着は処分して新しい服でも買いに行くべきかとぼんやり考える。その際は華でも誘って、是非リア充ファッションセンスでお力添えしていただきたい。


(自分のセンスが心配なら人形が着てる服をワンセットで買えば間違いないって言うけど、そこまで豪遊できるお金はないし……あ、そういえば父さんがベルトの金具壊れたって言ってたっけ。ついでに新しいの買ってあげようかな)


 その後も、冷蔵庫の中身少なくなってたっけ、暖房壊れてないかな、暖房といえばコタツっていくらぐらいするんだろう、などと色々考えてるうちにアパートが見えてきた。

 父は無事だろうか。酔っ払ったまま風呂に入って溺死しちゃったりしてないだろうかと冗談交じりに考え、さっさと帰ろうと彼方は少しだけ小走りになった。

 ―――そんな時だった。

 ボスッ、と真横から何かがぶつかってきた。

 というより寄りかかってきた、という方が近いだろうか。不意の衝撃に思わず足元をふらつかせるがすぐに立て直す。その寄りかかってきた『何か』はズルリと彼方の体を撫でるように滑ると、べチャっと何やら奇妙な音を立てて真後ろに倒れてしまった。


(なに……?)


 まさか外まで彼方を負ってきた父だろうか。はたまたまったく関係ない泥酔したおっさんとかだろうか。

 何はともあれもし人間なら無視はできない。何気なく振り返り、倒れたそれを確認するため地面へと視線を向けた。

 そして、最初に目に映ったのは。


「………ぇ」


 赤黒い液体だった。

 コンクリートの地面に赤い液体が花開いたように散っていた。

 それと何か、鉄臭いような、妙な匂いがする。


(これ、は)


 何か。そう考えると同時に、すでに彼方は理解していた。

 だって知っていたから。10年前のあの時、すでに彼方はそういう光景を朦朧とした意識でありながらも幾度となく目にしていたから。

 故に理解は早かった。


(血、だ……)


 なんで。どうして。思考がその疑問を処理するより早く、自然と彼方は飛び散る鮮血の中心を見た。見てしまった。


 ―――人が、倒れていた。

 頭の先からつま先まで大量の血で塗れた小さな女の子が。


「ひっ―――」


 赤黒く全身を染めたその女の子を見た瞬間、あまりにも唐突過ぎる衝撃に見舞われ、ドキン! と心臓が跳ね上がる。喉が引きつり、足をもつれさせ尻餅をついてしまう。

 ただ震える目線で倒れる女の子を見つめ、なにかしなければ、と考えるが予想以上に頭が回らなくその場で思考がショート寸前になる。


「な……っ、あ…!」


 ―――そうだ。まずは救急車。

 とにかく助けを呼ばないと。何とか狼狽する脳を少しずつ冷静にすることに成功した彼方は慌ててポケットに手を突っ込むが、


「な、ない……携帯……! ぁ、そ、そうだ! 持ち出さなかったから……」


 だがアパートはすぐそこだ。

 忘れたからといってすぐ取りにいける距離にある。彼方は震える体を押さえつけ、少しでもパニックにならないよう冷静という言葉を脳内で繰り返し立ち上がろうとした。

 しかし直後、ぎゅっと足首を何者かに掴まれる感触。

 確認するまでもなかった。血まみれの少女が彼方の足首を弱弱しい力で掴んできたのだ。


「―――ま、……って…」


「ぇ……?」


 先ほどまで生きているのか死んでいるのかさえ判別できなかった血まみれの体から、あまりにもか細い声がもれる。わずかに瞼を持ち上げ、何かを訴えかけるような瞳を彼方へと向けてくる。


「……っ、どこに、も……れん、ら…く……しないっ、で……」


「……え?」


「た、す……け…っ、」


 あまりにも悲痛な表情で、それでも確かな意思の篭った声で一言一言を紡いだその小さな少女。そこで今度こそ完全に気を失ったのか、彼方の足を掴んでいた手はダラリと落下し、彼女の体から何かが抜け落ちるかのように瞳が閉ざされた。


「ちょ、ちょっとぉ……!」


 慌てて少女に近寄り声を掛けるが反応はない。

 まさかと思い冷や汗をかきながら少女の口元に耳を寄せると……良かった、息はあるようだ。

 ならばすぐに、今度こそ救急車を呼ぶためにアパートへ戻ろうとするが―――思わず足を止める。

 意識を失う直前、少女が浮かべていた表情を思い出す。

 どんな思いで彼方に訴えかけてきたのかを想像してみる。

 ……その表情の意味を、彼女の気持ちを、決して理解することはできない。けれどそれを考えると、どうしても振り払うことはできなかった。

 本来ならばこのような怪我人を見つけて、救急車を呼ばないなんてあまりにもおかしい。本人が何と言おうが人命救助のため、それを無視してでももっとも可能性のある選択を選ぶのが正しい解答のはずだ。

 でも、

 それでも、


「………っ、」


 ―――瞬間、目の前で倒れる少女と、10年前の自分自身が重なった。

 それが彼方にとって決定打だった。故に『無視』なんてできる訳がなかった。

 迷いを振り切るように少女の下まで駆け寄ると、小さな、あまりにも華奢な体を抱きかかえ、運びやすいように背中に背負う。自分が血で汚れるのは一切気にしない。気にしている暇なんてない。

 今度こそアパートへと足を向けて歩き出す。

 こんな時彼方はどうすればいいのか分からない。だから模倣することにした。状況は何もかも違いすぎるけどれど、あの時の『誰か』を。


「ねぇ、しっかり! しっかりして! 本当に(・・・)眠っちゃ駄目だからね! 絶対助けるから……!」


 語りかける。意識を失っている少女だけれど、少しでも引き寄せるように語りかける。

 ただひたすら語り続ける。

 今自分に出来ることを。

 橘彼方に出来ることを。






 ―――事件に触れる。

 しかしそれはほんの始まりにすぎない。いや、始まりですらない。

 手の平で転がされる前準備。今はまだ、手の平の上に立っただけにすぎない。

 ここから動き出し、喪失者達は世界を知る。






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