依頼
開いてくださりありがとうございます!
楽しんでいただければ幸いです。
うっそうとした木々の間を一人の少年が走り抜けていった。
いや、この森は山の一部だから『駆け降りる』と書いた方が正確かもしれないが、どちらにしても少年は急いでいた。
だいぶ高くなってきた太陽の光も生い茂る深緑の葉にさえぎられてしまい、森の中へは僅かに射し込む程度しか入ってこない。
風が運んでくる初夏の空気は熱を帯びていて、少年の頬を一筋の汗が流れていった。
「いい、加減、振り切」
足を止めた少年が息を弾ませながら後ろを振り返った瞬間、後方で地響きと共に木が押し倒された。
明らかに自分を追いかけてくる巨大な存在に少年は一度舌打ちをして、再び急な斜面を走りだした。
この少年の名前はウィル、年は十五歳。
人懐こい印象の瞳は澄んだ泉を思わせる深い青、肩まで伸びた髪は前髪の一部だけが燃えるように赤く、残りは墨で染めたように黒い。
背中には鞘に収まった剣を背負い、腰にまいた大きめのウェストポーチは中身で膨れていた。
やがて森の中に木々のないぽっかりと開いた空地が現れ、ウィルはそこで後ろを振り返った。
間をおかず猪のようなモンスターが広場に入ってきて、立ち止まった人間をもう逃がさないというように立ち塞がった。
ウィルの身長よりも大きな体、口から突き出た大人の腕ほどの二本の牙、こぶ程の大きさの角を右目の上に生やしたモンスター《ナゴウ》である。
「二つもあるんだからいいでしょ、一つくらい」
そう言うとウィルは背負っていた鞘から剣を引き抜く。
その剣は刃が片側にしかついておらず、やや長めの刀身は頑丈さを重視して厚く作られいた。
実は、ナゴウの左目の上にも右側同様小さな角がついているはずなのだが、今はなくなっている。
その左目の上の角こそウィルのウェストポーチの中身である。
この角は毎日使っても一年は出汁がとれるという珍味で、この時期に一番味が良くなる。
しかし、ナゴウには初夏の満月の晩に角が生え代わるという特徴があり、古い角はナゴウが自分ですぐに食べてしまうので、抜け落ちた角を入手するのはほぼ不可能と言ってもいい。
ウィルが薬でこのナゴウを眠らせている間に角を一本頂戴したのほつい先ほど。
ところが予想よりも早くナゴウが目覚めてしまったため、逃げようとしたところで見つかってしまい追い回されているのだ。
荒い鼻息を吐きながらナゴウは前足で地面を削り、不届きな人間に襲いかかる瞬間を見定める。
ウィルは剣の柄を両手で握ると正面に構え、いつでも動けるように体を揺らす。
しびれを切らしたナゴウは咆哮とも怒号とも取れる鳴き声を上げながらウィル目掛けて一直線に突進、ウィルは真横に跳ぶことでその攻撃を躱す。
目標を逃がしたことに気付いたナゴウが急停止して向きを変えた時、自身のもとに駆け寄ってくる愚かな人間を視界に捉えた。
ナゴウが牙を振り上げようとしたのに合わせて、ウィルは剣を牙めがけて振り下ろす。
硬いもの同士がぶつかる鈍い音がした次の瞬間、ナゴウの右の牙が根本から折れて地面に落ちた。
ウィルは剣をすぐさま持ち直すと、その峰でナゴウの鼻先を思い切り打ち付ける。
鼻先からくる激痛で悲鳴のような鳴き声を上げたナゴウに剣を向けたウィルは、残った左の牙を剣でとんとんと叩いてみせた。
人語を解さないナゴウでも、相手の放つ威圧感や力量の差は理解できる。
もう一本の牙まで折られてはたまらないナゴウは、逃げ帰るように森の中へ姿を消した。
「ちょっとやり過ぎたかな?」
誰にというわけでなくウィルは一人つぶやいたがすぐに思い直す。
あの若いナゴウが今回のことで慎重さを学んでくれれば、これから先なにか悪さをして討伐の対象となることもないだろう。
足下に転がっているナゴウの牙を肩に担ぐと、ウィルは再び森の中を歩きだした。
所変わって子爵領メルボ、村の外れにある一軒の店の中では、一人の青年が心配そうな表情を浮かべながら椅子に座っていた。
白髪が少し混じったこの店の主 ラーズは、青年の前に湯気の立つマグカップを置いた。
「少し落ち着きな、兄ちゃん」
「いや、でも、しかしですね」
「まぁまぁ。お客さんはどっしり構えてりゃいいのさ」
諦めた青年がマグカップの中身を少しすすと口の中いっぱいに独特の苦味が広がるが、後味がすっきりしていて嫌な味ではない。
「けっこうクセになる味ですね、このお茶」
「だろ?クドミダの葉を煎じたお茶でな、夏バテ予防にいいんだぜ」
青年が二口目を飲もうとした時、店の扉が開きウィルが姿を現した。
「お待たせ、お兄さん。はい、ご依頼のナゴウの角」
「すごい、本当に一人で…おやっさんがメルボ産のナゴウの角にこだわってるんだ。助かったよ」
「どういたしまして。一千クレジットいただきます」
「えっ、それだけ!?ギルドに依頼したら二千は下らないのに!」
手渡されたナゴウの角とウィルの顔を見比べながら、青年は驚きの声をあげた。
「ギルドのは人件費込みの値段だからな。こいつはまだ十五だからローマーになってねぇんだ」
なるほどとつぶやきながら青年は財布から百クレジット硬貨を取り出して、枚数を確認してからウィルに手渡した。
「ウィル君ありがとう。ローマーの登録に来たらうちの店にも寄ってくれよ!僕がおごるからさ」
青年はそう言い残すと店を出ていった。
「おっちゃん、ナゴウの牙も獲れたから表に置いておいた。今日の紹介料ってことでタダでいいよ」
「おっ、ありがてぇ。だが、さすがにタダってわけにはいかねぇな」
そう言ってラーズは数枚の硬貨をウィルに渡してから外へ行き、両手で抱えてどうにかナゴウの牙を店内に運んできた。
「お前、こんな重いのを担いで山から帰ってきたのか!?昔みたいにひょいっと飛んできたわけじゃないんだろ?」
「もう魔法使えないよ、俺は」
そういうとウィルは帰り仕度を始めた。
「そういえばそうだったな。あ、さっきヴァンペルト卿のとこの」
「じゃ、さよなら」
いろいろな買い物と明日のことを伝えようかと思っていたのだが、ヴァンペルトという名前を聞いてウィルは反射的に店を出てしまった。
また後で来るか、と気を取り直したウィルは、ポケットから不思議な紋様と"S"というイニシャルが彫られた小さな木のお守りを手の中で転がしながら山へと帰っていった。
ローマー、それはモンスターの討伐から用心棒まで様々な依頼をこなしながら旅をする国公認の旅人である。
富や名声を求める者、更なる力を求める者、まだ見ぬ世界を夢見る者、それぞれの理由を抱え、今日もローマー達は旅を続ける。
ありがとうございました!
1章分は書き貯めてありますので、次話はすぐに更新すると思います