第二章 再会
レイヴァンセルグに付いて行くまま、辿り着いたのは彼の私室だった。
だだっ広い空間に、金の刺繍がされた赤い絨毯が一面に敷き詰められている。重厚な木枠の黒革のソファと、艶のある木製の椅子とセットになったテーブル。そしてカティアには無駄に見えて仕方のない、長身のレイヴァンセルグが使うにも長大過ぎるベッド。それが部屋の内装の全てだった。
「さて」
ややって、レイヴァンセルグの魔力で作り出された水の擬似精霊が、二人分のお茶とお菓子を持って来てテーブルに置き、その場で掻き消える。
人手を魔力で補う物ぐさ振りも、魔王ならではの魔力量があって可能となる技だ。
「……それで、何?」
言われるがまま付いて来てしまったが、何を言われるのか、カティアには彼の用が分からなかった。
「貴様も当然承知の事だと思って放置していたが、貴様の体の封印、どうしたい」
「どうって」
ついさっき存在を知ったばかりの物を、どうしたいといきなり聞かれても、すぐに答えが出てくる訳がない。
レイヴァンセルグがわざわざ気に掛けてきた事にも戸惑った。
(それも、退屈しのぎで、大した労力を使う事でもないから、って事なのかしら)
それ以外に理由はないはずだと自分を納得させ、心の中で整理をつけてから、改めて自分の中にあるという結界と魔力へ考えを戻した。
「それがあると、私は死ぬのよね?」
「あぁ。我が視る限り、後十数年といった所だな。ガルに使った分、多少内容量が減って猶予が増えた」
「でも、武器にもなるのよね?」
「貴様の得手は、光系統の魔術だったな」
「ええ」
世の中の魔術は地水火風・光と闇の六属性に分類される。これはどの世界でも次元でも共通だ。
魔力は、『司』と呼ばれる存在が生み出している力なのだという。永き時を経て自身に魔力を溜め込んだ魔族や天使などが、今度はその力を世界に還元するシステムになっているのだそうだ。
レイヴァンセルグ曰く、後数千年も生きれば、自分が司の役を引き継ぐだろう、との事だった。
カティアが得手とするのは水系統と光系統の魔術。ちなみにレイヴァンセルグは『我に不得手など無い』と豪語する。
「貴様の体内にあるのも、光系統の魔力だ。修練を積めば、利用できるようになるだろう。内に溜めている魔力を外に出せば、特に心配する事もない代物ではあるな」
「だったら、このままでいいわ」
今のカティアには、体の内側にあるらしい、扱いきれない魔力の存在を感じ取る事もできない。しかし、レイヴァンセルグが『できる』と言うなら、信じるつもりだった。
レイヴァンセルグは横暴で傲慢だが、嘘はつかない。彼には必要がないからだ。
「そうか。ならばいい。用はそれだけだ。戻れ」
「……あの」
「何だ?」
考えている事があって――自分から切り出したものの、レイヴァンセルグに正面から見つめられ、カティアは言い淀んだ。
馬鹿げている、と自分でも思ったからだ。
「カティア?」
「……あの。一度、故郷に戻りたいの」
「別に、我に一々報告する必要はない。カウラと戦いに行くのならば、尚早だ、とは言うが」
「違うわ。――その、私以外にも、体にそういう結界がある人がいないかどうか、確かめたいのよ」
もし、魔族の――イルスカウラへの最後の手段として、自爆用の人間爆弾を作っているのだとしたら、カティアだけとは限らない。いや、一つで用を成さないのなら、いない方がおかしいと言ってしまっていいだろう。
同じ人間同士でそんな事などしない、と言い切るには、カティアの故郷は追い詰められ過ぎていた。
「帰った所で、お前には視えぬだろう」
「だから、一緒に来て欲しいの」
言い出しにくかった理由は、これだ。
「貴様、我を使おうというのか?」
「そうなるわ。……私に、貴方に返せる物は何もないけど……。どうか、お願い」
言って深く、頭を下げる。
しばし、レイヴァンセルグは無言だった。ただ、否定的なものではない。頭を上げずにしばらく待つ――と。
「行くぐらいならまだしも、カウラの世界に我は干渉しようとは思わん。貴様は我の領界内に入ったから別だが、他の世界に干渉するという事は、宣戦布告と同じ。別に我はカウラなど怖れはせんが、貴様のために争うつもりもない。これ以上支配地域を増やすのも面倒だからな」
「面倒って、何もしてないように見えるけど」
レイヴァンセルグは、支配はすれども統治はせずで、各々の世界は勝手に統治しているらしい。中には、魔族という存在すら知らないような星まであるのだという。
「それが王というものだ」
「違うと思う」
ふんぞり返ったレイヴァンセルグに、即座に否定した。
「王は、守るためにあるものよ。権力は責任を全うするための手段だわ」
「人間の考え方に興味はない。我はしたいようにするだけだ」
「……そうだったわね」
うっかり言葉を続けてしまった事を、カティアは少し、後悔した。話が通じないのは、もう十分に分かっていたと言うのに。
疲れた気持ちが、自然、肩と首を落とさせた。俯いたまま、カティアは息を付く。
自分が戻って、何とかできるものならば、今すぐ行動する。
(でも、私にはそれを成すだけの力がない……)
「……」
強く握られたカティアの両拳に、レイヴァンセルグは眉を寄せ。
「まあ、その結界を施した人間には、我も興味がなくもない。中々上等な術式だ」
「!」
「視るだけだ。我は手出しはせん。解呪したいと思うなら、貴様はさっさと腕を磨け」
「ありがとう……!」
本当にいるのかいないのか、猶予がどれぐらいあるのか。
それを知る事が出来るだけで、心の余裕が大分変わる。
(私と同じぐらいであるならば、少なくとも、年単位の猶予があるはずだわ)
知って、安心したいのだ。
「礼など言うな。貴様のためではない。請われたためでもない。最強の魔王たる我は、他人のためになど動かん。我は我の好奇心のためだけに行くのだ」
冷やかに自分を見下ろすレイヴァンセルグの目を見ながら、カティアは先程のガルとのやり取りを思い出す。
『力及ばぬ者の手段として正しい』と、レイヴァンセルグは言った。
それは、人質や何か――相手にとって大切なものを盾にする手段が、横行している事を示している。カティアの倫理感では下種な手段の一つだが、彼らの常識から言えば、当然の手段だろう。
そしてレイヴァンセルグは、その手段が自分に効果を及ぼす事を自覚している、という事でもある。
(多分、その時が来ても、レイヴァンセルグはためらわないけど……)
しかし犠牲にしたものに、何の痛みも感じない訳ではないのだろう。
「分かったか?」
「ええ、分かってる」
だからこそ、頼るような真似もしてはいけない。本当は。
――レイヴァンセルグは、きっと、断らないから。
今のように。
(分かってるけど……)
そこに望む力を持っている相手がいると知って、どうして縋らずにいられようか。
「ならば、良い」
――理解など出来る訳がないと思っていた魔王の心が、ほんの少しだけ、分かった気がした。
それは案外人間と変わらない感じ方なのだと、そんな気がした。
力がなければ、何も出来ない。
力がないために、同族の命そのものすら武器にするような非道を行ってしまったのなら。
(きっと、正しくは、あるわ)
けれどカティアの心は、はっきりと否定する。
そんな非道が正しい世界では、いけないのだと。