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「だから、逃げ――」
「いや、逃げても我は呪いに殺されるだけだ。生き残るには、この呪いに殺される前に、術者であるラプスミュリアンを倒すしかない」
「そのザマで何ができんだよ。テメーの代わりにやってやろうか?」
「止めておけ。お前では魔法陣の中に入った途端、ろくな魔力も使えなくなるわ」
「んだとォッ!」
いきり立つガルには構わず、億劫そうに息をつき、レイヴァンセルグは部屋の中の様子を見つつ。
「しかし、今我の手の中にある戦力の中で、お前が一番マシなのも確かだ」
「一っ々言い方がムカつくんだよテメーはよッ! 素直に力を貸してくれって言いやがれ!」
「特別に、我に力を貸す事を許そう」
「違う! 内容は一緒でも感じが全然違う!」
吠えるガルに、レイヴァンセルグは楽しげに笑って乱れた髪を描き上げてから。
「セルグ……? どうするの?」
「少し思い付いた事があるのだ。お前とアンリが折角戻ってきたのだからな」
「? 俺もか?」
「そう、お前もだ。ガル、アリアを呼んで来い。カウラ一人で支えるのは辛いだろうから、お前はそのまま奴の相手をしてやれ。勝たなくて構わん。足止めをしろ。そして、こちらに注意を向けさせるな」
「いいけど、どうすんだよ」
「我の魔力があれば、あの程度の輩一撃で十分だ。その分の魔力をここから補填する」
「あ」
と、と鎖骨の少し下をレイヴァンセルグの指に押され、カティアも理解した。
「私達の中の魔力を使うのね?」
「そうだ。しかし、今の我に使いづらい魔力を御する力はないのでな」
「それならまあ、確かにアリアが適任だろーよ」
何を果たすべきかに納得すると、ガルは乱戦の部屋の中へと飛び込んだ。
新たに現れた獣王に気が付き、ラプスミュリアンは表情を引きつらせた。
だが、ガルがアリアンローシェやイルスカウラよりも、余程魔力の制御に手間取る様を見て、すぐに安堵の表情へと変わる。
入れ替わりにアリアンローシェが抜けるのを目が追ったが、追いかけられ続ける程ガルとイルスカウラの相手をするのは容易くなく、すぐに視線はそれた。
手負いのアリアンローシェと呪いで無力化したレイヴァンセルグは、もう恐れるに足りないと思ったのかもしれない。
「セルグ。私を呼んだって馬鹿に聞いたわ。どういう事?」
「こいつ等の体の中にある魔力を、我に送れ」
「貴女!」
カティアが再びこの場所に足を踏み入れた事に、アリアンローシェは憤慨して指をさす。しかし、その手をレイヴァンセルグに掴まれ下ろされて、言葉の先を飲み込んだ。
「今はむしろ、幸いと言うべきであろう」
「セルグ……っ」
「アリア。我の言葉が聞こえたな?」
有無を言わせぬ口調だった。問答をしている時間は、確かにない。レイヴァンセルグにも、ずっと戦い続けのイルスカウラにも。
アリアンローシェはそれでも何か文句をつけたそうに、二、三度口を開閉させたが、諦めた。
「っ。ええっ。聞こえたわっ」
「では」
多少よろけたものの、全体的には大事なさそうに、レイヴァンセルグは座っていた床から立ち上がった。
僅かにではあったが、自分の肩を支えにして体重をかけ、立ち上がったレイヴァンセルグの行動がカティアは少し、嬉しかった。
「始めろ」
「でも、それで本当に、今の貴方であの魔法陣の中で制御できるの? それよりは、呪いを弱める方に使った方が」
「こいつ等の中にある魔力だけでは、この呪いを破るには足りぬ」
「でも――」
つい先程まで、ラプスミュリアンの結界の中で戦っていたアリアンローシェは、言われて尚、ためらった。
常のレイヴァンセルグであれば、心配などしない。しかし――
「……大丈夫、なのよね?」
きゅ、と袖を掴んで、下から見上げて言ったカティアに、レイヴァンセルグは不機嫌に目を細める。
「お前にまでそのようなつまらぬ事を言われるとは、思わなかった」
カティアが自分の実力に疑いを抱く事は、レイヴァンセルグにとって、アリアンローシェから同じ言葉を向けられるよりも、不快な事だった。
「分かってるわ。でも」
「……まあいい。お前には先程、我を心配する権利を与えてやった所だからな」
「……っ」
傲慢な言い様だが、それはレイヴァンセルグが、少しは己の弱味を見せる事を了解したという証だ。本人の口から改めて言われるのに、気恥かしさを覚える。
八千年越えの魔王は、そんな初々しい感情とは無縁の様だったが。
「だが、今お前が我に言うべき言葉は一つだけだ」
「――信じてるわ」
自身の望みのままを、口にする。それが言われるべき台詞だったのか、レイヴァンセルグも満足げに笑った。
「そうだ。それでいい」
「だから」
「?」
「側に、帰って来て」
「信じるがいい。全てお前の望み通りになる事を。我にはそれを成す力がある」
「ええ」
今度はためらわず、頷いた。
「アリア、我に力を」
「――いいわ」
少しもの問いたげな様子を見せたが、実際に口にはしなかった。何とかするつもりならば、もうあまり時間がない事をアリアンローシェも分かっている。
「カティアよ」
「何?」
「我に不得手はないが、最たる得手は火の魔法だ」
「知ってたわ」
とっさの時に使う魔法は、全て火系統の魔法だったので。
だがそれも、他人には与えない情報だ。小さな事ではあるが、レイヴァンセルグ自らが明かしてくれた事が特別である事を分かっていた。
カティアが笑みを浮かべると、レイヴァンセルグも笑みを返し、己の魔剣を取り出した。
「獄炎に棲みし魔炎の司ガイドルクスよ! 我が声に応え、業火よ宿れ!」
ごっ、と生まれた炎が荒々しく耳を打ち、魔剣を渦巻き天井にまで立ち上る。カティアは一瞬、レイヴァンセルグが制御し損ねるのではないかと思った。――が、すぐに自分で打ち消した。
(信じると言ったわ)
だからただ、安心して彼を見ていればいい。
自分の内側から何かが流れ出て行くのを全身から感じていたが、それは元々カティアのものではなく、器にも不似合いな力。むしろ、出て行った事で体が軽くなっていくような気さえする。
「……ちっ!」
ギリ、と小さくレイヴァンセルグが歯軋りをする音がして――すぐに、炎は見慣れたただの赤い魔力と化し、レイヴァンセルグの魔剣を輝かせるだけの姿に納まった。
だが、長くは維持できないのだろう。安定すると同時に、レイヴァンセルグは床を蹴って部屋へと飛び込む。
「ガル、カウラ! どけ!」
「――っ!!」
レイヴァンセルグの声に反射で従う事の出来たガルとイルスカウラは、揃って飛びのき、道を空けた。声の出所を振り向いたラプスミュリアンとは、歴然の差が生まれる。
「馬鹿な、何故――!?」
「分からぬなら教えてやろう」
それも反射だったのだろう、ラプスミュリアンが掲げた杖を、振り上げた魔剣を袈裟がけに振り下ろし、体ごと両断する。
悲鳴を上げる暇もなく、驚愕に目を見開いた顔のまま、ずるりっ、と半身がずれて。
「我が最強の魔王であるからだ!」
ちりっ、と傷口から真紅の炎が上がる。次の瞬間、炎は瞬く間に体中に燃え広がり、数秒で骨も残さず蒸発させた。
「貴様の死が、またその名を広めてくれるだろう。もう十分で、我には不要であるがな」
軽く剣を振って赤の輝きを消し、レイヴァンセルグはカティアを手招く。
「何?」
「今日は特別に、お前に我の治療を任せてやる」
「もう魔力がないから治してくれって、素直に言ったら?」
苦笑しつつそう応えて、カティアはレイヴァンセルグの傍らに歩み寄り、治癒魔法を掛けた。
白く浮かび上がった魔法陣はすでに彼の肌から消え失せていて、今度はちゃんと血も止まって、ほっとする。
「セルグ」
「何だ」
「お疲れ様」
「大した事ではない。我は最強の魔王だからな」
「そうね。でも、お疲れ様」
「……うむ」
二度目の労いの言葉には頷いて、レイヴァンセルグはカティアをそっと抱き締め、はあと大きく息をつく。
(……温かい)
かつて不思議にさえ思ったそのぬくもりに、今はとても、ほっとする。
それは生きている、という事だから。




