5-3
カティアのみならずアンリもぎょっとして、二人はガルを見つめた。
「ないってのは、どういう事だ?」
「そこにいねえか、もうくたばってるか、感知出来ねー程弱まってるかのどれかだ。俺ぁセルグやアリア程魔力探査上手くねーんだよ」
ひょい、とガルはカティアの腕から飛び降り、地面に着く前に人化し、二本の足で大地に立った。
「ちょっと様子見て来るわ」
「――……っ……」
自分も行く――という言葉を、カティアは危うく自制し、飲み込んだ。
(駄目よ……ッ!)
今まさに危機的な状況にあるのなら、尚更行けない。自分が行って、更に状況が悪くなる事はあっても、好転する事はない。
だから、近くに行く事すら、出来る訳がなかった。
「――気をつけて」
ぐ、と強く拳を握り締め、カティアは喉から声を絞り出し、何とかそう言った。
「あーっ、ったく!」
「っ?」
「来たいなら来いっ!」
「行けないわ」
カティアへ向かって手を差し出したガルに、首を左右に振って断った。
「でも、出来たら、セルグの事をお願い」
(ガルは、セルグの力になる事ができるから)
アリアンローシェが横に並ぶのを許されたように――
「俺ァそういうの大っ嫌いなんだよ!」
「っ!?」
がっ、と荒々しく手首を掴まれ、カティアは驚いて目を見開く。ガルも自制が緩くなっているのか、強く掴まれすぎて少しだけ痛みを感じた。
「来たいなら来いって、この俺様が言ってんだ! お前一人ぐらい守ってやる!」
「でも私、足手まといだもの! 私を守るより、その分セルグに力を貸して欲しいわ!」
「んなもん行ってみなきゃ分かんねーだろ! お前には力があんだから!」
「っ……!」
心の中を見透かされた気がして、ぎくりとした。
確かに、カティアは考えた。直接的な戦闘の役には立たなくとも、サポートする事は出来るのではないかと。補助魔法も、カティアの得手に入る。
けれどそれ以上に、足手まといになる事が恐ろしかった。
「駄目そうならたたっ帰してやるよ」
「……ガル」
「っ!」
自分から掴んでおきながら、逆の手でそっとカティアから握り返されると、ガルはうろたえた様子で目をさまよわせた。
手も逃げたそうな素振りを見せたが、自分から掴んだ手前か、振りほどきはしなかった。
「ありがとう。――行くわ」
「そ、それでいいんだよ」
カティアが頷くと同時に、待ち望んでいたかのようにぱっと手を引かれた。顔が赤い。
「悪いんだが、二人になっても大丈夫か?」
「あ?」
「俺も行きたいと思ってる。セルグには色々恩があるからな」
「一人も二人も変わんねーよ。来たけりゃ来な」
「ああ、ありがとう」
あっさりそう許可を出され、アンリはほっとした様子で笑った。
「アンリ……」
「セルグに恩があるのも勿論だし、カティアが行くのを見送るだけなのも御免だ」
「――おら、行くぞ!」
気が短いせいか、それともガルなりにセルグを心配しての事か、性急に道を繋げたガルへと、二人は同時に頷いた。
(セルグ……っ)
ガルの割った空間の裂け目に飛び込みながら、強く祈る。
無事で、というのはおそらくもう無理なのだろうが。
(どうか、生きてて!)
移動は一瞬。裂け目の先は、つい先程後にしたラプスミュリアンの城。
ただし先程と違うのは、通路が今までにないほど広く、正面には開かれたままの、荘厳な両開きの扉があるという点だ。
そして、部屋のすぐ手前の通路には、部屋から這って移動したような血の跡を残して、男が一人壁に寄り掛かり、自分が後にしてきた戦況の様子を眺めていた。
「セルグ!」
「!?」
気配に気づく事すらできなかったのか、カティアに声をかけられて、レイヴァンセルグは弾かれたように振り向いた。
「カティア……!?」
「セルグッ!?」
改めてレイヴァンセルグの有様を見て、カティアは悲鳴に近い声を上げる。
頬にまで走って浮かび上がった魔法陣から、とめどなく血が滴り落ちている。レイヴァンセルグが座っているその床には、すでに赤い血だまりができている程だ。
「うわっ! 何だテメェその様は!」
「黙れ。大した事ではない」
「大した事じゃないって……っ」
慌てて駆け寄り、その体を支えたカティアのすぐ横を、イルスカウラが魔力で作った投擲用のナイフが掠める。
扉の影に隠れるように、レイヴァンセルグの隣に膝をつくと、カティアも部屋の様子を見てみた。
部屋の中は、やや劣勢の様だった。カティアの目から見ても、イルスカウラもアリアンローシェも、動きに精彩を欠いているのが分かる。
「――?」
「部屋の中に、術者本人の魔力以外を阻害する魔法陣が敷かれているのだ。技術の扱いに関しては、中々と言えよう」
「何とか出来ないの?」
状況を見ながらも、カティアはレイヴァンセルグに治癒魔法をかけているが、効果は表れなかった。呪いの方が強過ぎるのだ。
「ここからでは何ともならんな。魔力の供給源はここではなく、奴の領界だ」
「俺が壊してやってもいいけど、その場所が分かんねえとなァ」
「我も知らん」
常のレイヴァンセルグであれば、知らずともすぐに探り当てる事も出来ただろうし、魔法陣の術式そのものを理解し、干渉する事も出来ただろうが、呪いにかけられてからでは全てが遅い。
「何をしに来た」
その言葉は、ガルにでもアンリにでもなく、カティアただ一人に向けて放たれた。
「戦えなくても、何かは出来るかもしれないと思って……」
「ならば戻れ。何も出来ぬのが分かっただろう」
「……一緒に」
全く効果を表さない治癒魔法を諦め、カティアは震える手でレイヴァンセルグの肩を掴む。
「何も出来ないのは、同じでしょう……?」
だから一緒に逃げてくれと、懇願する。
「違う」
「違わないわ」
「違う。我はここで死ぬ」
「っ!」
「逃げればお前は逃げられる。あぁ、もしかすればカウラもここで死ぬかもしれん。そうすれば、お前の故郷はお前のものになるだろう。アリアは我の言う事を聞かなかった。ガル、お前は戻れ。ここはお前の得手ではない」
ラプスミュリアンを倒せる、己に近しい魔王として、レイヴァンセルグはガルに己の役目を引き継げと、そう告げた。
それで全てが片付くとでも言いたげな、淡々とした物言いに、かっとカティアは頭が熱くなった。
「それで、ああ良かったとでも言えというの!?」
「お前の目的だっただろう。それを叶えるために、お前は我の下にいたのだから」
「そうよ!」
その通りだった。カティアもまた、それだけでしかないと自分に言い聞かせてきた。
しかし、もうとっくに分かっている。
こんな形で故郷を手にしても、ただただ心に澱が残るばかりだ。
そして、しっかと目を合わせていたカティアは、自分が肯定した瞬間、レイヴァンセルグの瞳が揺れたのに気がつけた。だから力を得て、そのまま続ける。
「でも! 忘れてるのかもしれないけど、私は貴方が嫌いじゃないのよ!」
「……っ……」
「私は貴方が好きなのよ!」
「――……っ」
告白に対する返答は、無言だった。
愕然とした様子で目を見開き、それからカティアが何を言う間も与えず、頭を引き寄せ口付ける。
「ん……っ!」
口の中にまで伝って入ってきた血の味が、気持ち悪い。温もりも感触も、鉄錆の臭いに全てが掻き消された。
「……初めてが血の味のキスとか、最低だわ」
「魔王らしくていいだろう」
解放されて、少し涙目になりつつ言ったカティアに、クク、とレイヴァンセルグは喉で笑った。
「魔王らしくてもいいから、死なないで」
「……。そうだな。我も、人生の中でこれほどまでに生に執着した事はない」
緩慢な動作でカティアの体を抱き寄せ、片腕で強く抱きしめる。




