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第五章 魔王を呪えば穴一つ

 ラプスミュリアンの魔力を、ほとんど意識もせずに拾い上げ、真っ直ぐレイヴァンセルグは城の主の元へと向かっていた。時折思い出したように襲いかかって来る彼女の配下を、一顧だにせず切り捨てながら、ぼんやりと全く違う事を考えていた。


 ――生まれてこの方、人から身を案じられた事などない。


 生まれて数ヶ月後には、戦えるだけの力と知能を持ったレイヴァンセルグに、母が告げたのはただ一言。『戦え』だ。


 母の故郷を支配していた魔王を殺した時には、自分が何を求められ、意図的に力を得るよう産み落とされたのかを理解した。


 レイヴァンセルグにとっては、世界の解放も支配も何の意味もない事だったが、生まれた理由である事を思えば、特に役目を放棄する理由もなかった。放棄した所で、やりたい事もなかった。


 レイヴァンセルグの名が轟くにつれ、力のない魔王などが、自ら進んで支配権を明け渡し、庇護を求めて来るようになった。拒む理由もなく受け入れているうちに、戦う相手もいなくなった。

 風の便りに母が死んだ事を聞いたのは、そんな風にして情勢が落ち着いた頃だ。自分の故郷を取り戻して、満足して死んでいったらしい。


 長い生は、やや退屈だった。興味を引かれれば何でもやったが、どの娯楽も百年もせずして飽きてしまう。


 ただ、戦う事だけは悪くなかった。特に、好んで挑みかかってくる輩は、自分に勝つ事を目標にしているから、気楽だ。

 勝つべき理由はなく、ただ戯れていれば良かった。それでも、負ける事はなかったが。


(――今考えれば、我は何故、あの娘を拾ったのか)


 長い生の中で、珍しいものはどんどん減って行ったので、その中で興味を引かれたのは間違いない。

 それでも、必要以上に側に置いたつもりはない。それは愚かしい事だったからだ。


(情が移らなかったとも、言わぬ)


 それでも、甘くするつもりはなかった。だと言うのに自制するべきいくつかの頼みを受け入れてしまった事も、今思えば不思議な事だった。


(あの娘が求めているのは、我の技術に過ぎぬはずだ)


 教えるために拾ったのだ。それで良いとレイヴァンセルグも思っている。

 多少情が湧く事はあっても、それはただ、自分の問題だと。


(だが、何故――。何故あの娘は、我の身すらも案じたのか)


 カティアもまた、自分に情でも湧いたのだろうかと考えるが、その考えはしっくりこなかった。そもそも、理由が分からない。

 戦う事以外の価値を、人が自分に見出すとは、レイヴァンセルグは思っていなかった。


「セルグっ」

「!」


 隣に並んだアリアンローシェから声を掛けられ、はっとしてレイヴァンセルグは視線を下へと向けた。


「何だ」

「それは私の台詞でしょう。何考えてるの?」

「下らぬ事だ」

「あの子の事でしょう」

「そうだな」


 言い当てられたが、特に否定する理由もないので、レイヴァンセルグは頷いた。


「どうして、あんな人間なんかに構うの? あれは貴方の弱点だわ。あの子に、貴方の側にいる資格なんかない」

「さあな。我も今それを考えていた所だ」

「……ただの戯れだとは言わないのね」

「……」


 不満そうに言ったアリアンローシェに、レイヴァンセルグは答えなかった。

 戯れというには、自分がカティアに拘り過ぎている自覚が、レイヴァンセルグにはあったからだ。


「どうせセルグのものになんかならないのに。人間には覚悟がないわ」

「別に構わん。手にしようとして手に入れたものなど、何もない」


 手にしようとした物そのものが、何もなかった。目的もなく生きてきたせいで、レイヴァンセルグは起こる物事について、おおむね受動的だ。


「手に、入れたいの?」

「下らん」


 おそるおそる、という様子で聞いてきたアリアンローシェの問いに、反射で口は即座に否定した。だが、心は言葉程にははっきりしていなかった。


 カティアをどう思っているのか、良く分からない。


(……手に入れたいとは、思っておらん)


 アリアンローシェの言う通り、彼女は手に入らない相手だし、自分が手を出していい相手でもない。

 異世界の異種族だし、自分に降りかかって来る危険に対し、対処する能力がない娘だ。レイヴァンセルグが手を出す事は、許されない。


 だから、手にしたいとは思わなかった。ただ――


(……微笑っていれば、良いとは思うな)


 自分の傍らでは、決して叶わない事だけれど。


 そんな事を考えながら、目の前に迫った両開きの扉を、溜めも何もなく開け放つ。

 部屋の中は、惨憺たる有様だった。

 魔法で燃やされた焦げ目や、凍りついたままの隅の壁。切り裂かれた装飾がごちゃごちゃと散らばっている。


 その部屋の中央に陣取っていた人物二人が、揃って入口を振り向いた。


「邪魔をするぞ」

「やあ、セルグ」


 致命傷はないものの、大小手傷を負っているイルスカウラが、そんな様子はおくびにも見せず、表情だ

けは朗らかに挨拶をした。


「貴様、いつ!?」


 相対しているラプスミュリアンも、イルスカウラと同様の様相だった。しかし彼女が負っている傷の方が浅く、消費している魔力量は比較にならない。

 ちらりと部屋の中に敷かれた魔法陣に目をやって、得心する。


「成程。大した使い手であることは認めよう」

「こいつは、囮か!」


 城内で起こっている事に気を回させないようにするために、イルスカウラを先にラプスミュリアンの元へ向かわせたのは確かだった。


 だが、囮にしたつもりはない。イルスカウラがケリを付ければ、それはそれでいいとも思っていた。喧嘩を売られたのに違いはなかったからだ。


「そのつもりはないが、そうなった様だな。目晦ましとしての役ぐらいはこなしたようであるし」

「酷いな、セルグ」

「違いはないだろう。――さて。しかし、この状況は我にとって、決して悪い訳ではない」


 くつくつと笑って、レイヴァンセルグはためらわず足を部屋へと踏み入れる。

 境界を越えた瞬間眉をしかめ、アリアンローシェは空気の変わる、皮一枚分ぐらいを残した位置で立ち止まり、ついて来なかった。


 魔法を主体に使う彼女にとって、ラプスミュリアンの結界で覆われた部屋の中は、非情に忌避する物だったからだ。


「我に仕掛けてきた身の程知らずの愚か者に、自らの手で制裁を加えられる訳だからな?」

「ひぃっ!?」


 怯えて後ずさりをしたラプスミュリアンとは比べものにならない大股で近付き、問答無用でその顔を殴りつける。


「ぎゃっ……」


 冗談のように床を回転して転がり、あたふたと身を起こし、ようやく戦う事を思い出したように杖を構えた。


「ふん!」


 攻撃の態勢を見せたその杖を、いつの間にか取り出した愛用の魔剣で、即座に両断する。


「獄炎に棲みし魔炎の司ガイドルクスよ! 我が声に応え、業火よ宿れ!」


 いつもよりはやや荒く、制御しきれない炎が魔剣を覆う。それを見て、ラプスミュリアンは目を輝かせた。


「ほ……っ、ほほっ。何と、やはり効いているではないか! 妾の呪いは、魔王にも当然、通じるのだ!」

「それがどうした?」


 削られた魔力は、呪いを絶ったからといってすぐに回復する訳ではないが、残っている分だけでも、ラプスミュリアンを下すには十分だった。

 例えここが相手のホームで、彼女以外の魔力が阻害される魔法陣の上だとしても、レイヴァンセルグの制御能力をもってすれば、さしたる問題はない。


 何の動揺もなく言ったレイヴァンセルグに、ラプスミュリアンは引きつった哄笑を上げる。まだ恐れも多分に混ざった、歪な笑い声だ。


「こうするのよ!」

「!?」


 たんっ、とまだ手に持っていた杖の残骸で床を叩く。途端、ふわりと白い魔法陣がレイヴァンセルグの足元に浮かび上がった。

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