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 4-7

「んっ」


 溢れ出る、あまりに濃い魔力に体中が圧迫され、呼吸さえも阻害される。

 身を屈めたカティアの腕の中で、ガルがはぐはぐ、と空気中の何かを食べる素振りを見せると、ぐっと体が楽になった。


「重てぇな。胃もたれしそうだ」

「あ。ありがとう。良く分からないけど」


 自分のために何かをしてくれたのだろう、という予測はついて、カティアはガルへと礼を言う。


「べっ、別にっ? 俺もちっと魔力使ってたから、補充出来て丁度良かっただけだ!」


 言葉では断固として認めなかったが、ぱたぱたと振られる尻尾は満更でもない様子だった。

 中心地にいたレイヴァンセルグは、微かに顔をしかめたものの、ためらわずに中へと足を踏み入れた。途端、ピシ、と小さな音がして、浅くレイヴァンセルグの頬が裂け、血が流れるのを見てしまった。


(あ……っ)


 アリアンローシェのためらいの意味に、カティアも今、気がついた。


「おい、止せ」

「……あ」


 思わず、一歩足を踏み出していたカティアの腕を、服の上からガルに軽く噛まれて我に返る。


「お前にゃ無理だ」

「……うん」


 この場に留まる事すら、本当はカティアには出来ない。

 ややあって、盛大な破壊音と共に、魔力の濃度が一気に下がり、皆がほっと息をついた。中を確かめるべく、そうとカティアは部屋へと近付き。


「セルグ?」

「一応、全員息はある」


 入り口の辺りで声を掛けたカティアを振り向いて、レイヴァンセルグはどうでも良さそうな口調でそう言った。


「良かった。貴方は?」

「我が何だと?」


 振り向いたレイヴァンセルグの顔には、カティアが見たと思った頬の切り傷は勿論、他の異常も一切なかった。だが見間違いだとは思わない。カティアが部屋に入って来る前に、自分ですぐに癒したのだろう。


「……いえ。何でもないわ」


 言及するのは意味のない事だった。何より、レイヴァンセルグが望まない。


 改めて部屋へと入ると、そこが巨大なプールのような施設であると気がついた。縁にはカティアには判読不能な魔法文字がびっしりと並び、四辺全てを囲っている。

 水位は腰ほどまでのフールの中で、神騎士達はたった今目が覚めたばかりのような、茫洋とした表情で座り込んでいる。


 その中で、比較的しっかりしている何人かは立ち上がって、プールから出たり、周りの者達を正気付かせようとしていた。

 カティアはその中の一人に目を止め、声を上げた。


「アンリ!」

「カティア! 無事か! ってか、今それを言われるのは俺か」


 言ってから、少しばつが悪そうに自分の恰好を見て、アンリは苦笑いをする。


「カティア。お前はこ奴らを連れて戻るがいい」

「……貴方は?」

「言わねば分からぬか? 我に対し攻撃を仕掛けてきたのだ。当然、報復が必要だ」

「それは……でも」


 レイヴァンセルグの言は、彼のルールに則って言えば、正しい。そして当然の成り行きだった。

 ラプスミュリアンの動機も知っているカティアにしても、否を唱えるつもりはない。だが――


「大丈夫、なの?」


 はっきりとは分からないが、カティアの眼から見ても、レイヴァンセルグは疲弊しているように見えた。

 レイヴァンセルグがそんな弱味を自分から故意に見せて来る訳がないので、自分が見てそう思うのだから、相当だという予感がした。


「誰に向かって言っている?」


 しかしレイヴァンセルグの答えも、半ば予想した通りのもので、カティアは言葉に詰まる。ためらいが喉を圧迫したが、それよりも、言いたい気持ちが勝った。


「本当に、そこまで圧倒的な魔王でなきゃいけないの?」

「何?」


 それはレイヴァンセルグの頭にはない問いだったらしく、答えではなく、ただ不思議そうな顔をした。


「休んでからだって充分じゃないの?」

「……」


 今この場で決着をつけてしまおうというレイヴァンセルグの意図は分かる。しかし、それが本当に必要なのかどうか、カティアには頷けなかった。


「今無理をするべきなの?」

「でなければ、我が弱まっただなどと、下らぬ話が流れるであろう」

「貴方が多少弱くなったって、襲ってくるような相手はいないでしょう? 実際、本当に弱くなってる訳じゃないんだから」

「そうとは言えん。世の中、考えて動く奴ばかりではない。効果があるなどと思われるのも面倒だ」

「っ……」


 効果があると知れれば、ラプスミュリアンの模倣をする者は、必ず出てくるだろう。そして今、引き返し体勢を立て直す事は、公言するに等しい。


「でも……っ」


 思わず口を突いて出たものの、カティアは『でも』の続きになる言葉を考えていなかった。


(セルグは、正しいわ……っ)


 『王』として、正しい。暴力で勝ち取った王座に座る主として、他の選択肢は存在しないだろう。

 それが分かるのに、カティアはどうしても頷けない気持ちだった。


「でも、貴方は……っ」


 堪らず、再び口を突いて出た言葉を自分自身の耳が拾って、ああ、とカティアは何を言うべきかを理解した。


「でも、貴方は無事じゃないでしょう?」


 ――傷付く姿を、見たくなかった。


 今まで、レイヴァンセルグが傷を負う様を、カティアは想像した事がなかった。

しかし、たった今、レイヴァンセルグも不死でもなければ無敵でもない事を、知ってしまった。

 彼の力を上回れば当然傷を負う。事によっては死すらも、勿論あり得る。

 今、生きているのだから。


「……」


 カティアの言葉に、レイヴァンセルグははっきり目を見開いた。それからゆっくりと元に戻す。


「貴女! 誰に向かってそんな――」

「構わん、アリア」

「セルグ!」


 不満そうに振り返ったアリアンローシェを目で制する。明らかにむっとした様子ではあったが、アリアンローシェはレイヴァンセルグに従った。


「貴様等は戻れ。これは魔王の領域だ」

「セルグ……」


 関わる資格がないと告げられ、カティアは自分がそれをもどかしく、そして悲しく感じている事に気がついてしまい、また戸惑った。


「実に不遜な小娘だ。最強の魔王である我に、身を案じる言葉など」

「それは……、そうかもしれないけど、でも!」


 それぐらいは許されていいだろうと、レイヴァンセルグを見上げると、ただ柔らかく微笑して返された。


「天秤にかけて、我の身の方を案じたのは、お前が初めてだ」


 大きな手が頭に置かれ、髪を梳き、頬を撫でで、そっと離れる。


「戻れ、カティア」


 有無を言わせぬ口調でそう言うと、レイヴァンセルグは身を翻して部屋を出て行った。ラプスミュリアンの元へ行くのだろう。


「セルグ! 待って、私も行くわ!」


 その後を、ためらわずにアリアンローシェは付いて行く。


「……」

「カティア?」


 思わず抱きしめる手に力を入れてしまい、下からガルに不思議そうに見上げられた。

 それも認識はしたものの、カティアの意識をするりと滑って出て行った。


「戻らねーの?」

「戻るわ」


 反射的に、答えていた。


(そう。戻らないと)


 レイヴァンセルグを追う資格がない事は、カティアもよく分かっていた。

 ただ、それをこんなに口惜しい気分で認める事になろうとは、今、この時が来るまで全く思っていなかったけれど。

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