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ふんふん、と空気中の匂いを嗅ぐような仕草をしてから、ビシ、とガルはカティアの腕の中から前足を突き出した。
「こっちだ! 多分!」
「強気で断言してから多分をつけるの止めましょうよ。自信ないならそれで良いから」
「何だと!? 自信なんかあるに決まってんだろ! そこそこ!」
「不安な部分も一緒に強気で言って、誤魔化そうとしても駄目だから」
やはりこちらの方が楽なのか、ラプスミュリアンから逃げ出してからこちら、ガルはずっと本性の子犬の姿のままだ。
前を歩かれると踏む予感が物凄くするので、カティアもカティアで腕に抱いたまま、通路を歩いている。
行く方向はずっとガルに任せ切りだ。本人が大丈夫だと請け負ったのを信じてみる事にしたのだ。カティアが選ぶとただの勘任せになる。
ガルの態度が態度なので、若干不安ではあるのだが、彼はこれでも魔王だ。どちらにしろ不安ならば、自信のあるガルに任せてしまった方がいいだろう、という訳だ。
――そうしていると思い知るのは、レイヴァンセルグに導かれている間の不安感のなさだ。
(一人でいるよりはずっといいけどね)
実際、陰気な城を歩く道連れとしては、ガルは決して悪くなかった。腕の中の体温が、普通の動物と同じように暖かかったためもあるかもしれない。
「テメーな。俺はこれでも、テメーの星で頭張ってる魔王だぞ! こんだけ近くにある魔力を見失うかってんだ」
「じゃあ何で自信なさ気なの」
「そりゃ……。ほら、俺はあんま、魔力探んのとか得意じゃねーし」
「やっぱり自信はない訳ね」
「なくはねえ!」
「当てにしてるわ。私には分からないから」
「……」
答えは返ってこなかったが、ぱたぱたっ、とガルの尻尾が嬉しげに振られた。素直だ。
「――あ」
「何?」
「もう本当に近いぜ。多分、そこの扉の奥だ」
「あそこ?」
ガルが前足を伸ばして示したのは、通路の真ん中あたりにぽつんとある、何の変哲もない扉だった。
しらみつぶしに探していっているなら開けるだろうが、そうでなく、何も知らなければ通り過ぎてしまうような、何気ない扉だ。
(アンリ、皆。どうか無事で……)
つい先程まで一緒にいたアンリも勿論だが、心配という点でより気掛かりなのは、もっと早くからさらわれているであろう人達だ。
ラプスミュリアンの言い様は、溜めた魔力が揃うまで待っていたような様子だったが、だから無事だとは言い切れない。彼女にとって結界を張った人間達は、ただの魔道具と変わりないのだ。
ごくり、と喉を鳴らし、扉に手を掛ける。
しかし、力を入れて押し開く前に、ぐいと後ろから襟を掴まれ乱暴に引っ張られた。
「きゃっ!?」
「煩いわね。静かにしなさい」
思わず悲鳴を上げ、武器を取り出そうとしたカティアだが、聞き覚えのある声に行動に移すのは留まった。毛を逆立てて戦闘態勢に入ったガルも同様だ。
「アリアンローシェ!」
「お前、何でこんな所に」
「それは私の台詞でしょ? 何であんた達がこんな所にいるのよ」
腰に手を当て、アリアンローシェは二人を睨んだ。特に、カティアへ向けた視線は更に若干厳しい。
「来たくて来たんじゃないわ。連れ込まれたのよ」
留まっているのは自分の意思だったが、嘘は付いていない。
「……そ。で、あんたは?」
「散歩だ!」
「あっそ。相変わらず馬鹿な答え」
「んだとォッ!?」
小馬鹿にして鼻で笑ったアリアンローシェへと飛びかかろうとするガルを、強く抱きしめカティアは危うい所で無駄な戦いを防いだ。
「ちょっ、てめっ、止めろっ」
飛びかかりそうな気配は失せたが、少し慌てた様子でそう抗議された。
「ごめん。苦しかった?」
「苦しかったっつーか、柔らかか……」
「は?」
「何でもねえっ! もういい! 降ろせ!」
「だって貴方に前を歩かれたら踏みそうなんだもの!」
「気を付けろよ!」
もっともだった。しかし、気をつけるつもりではあるが、絶対やらかしそうな気がするのだ。二度ある事は三度ある。
「……馬ッ鹿じゃないの」
二人の、本人達にとってはわりと真剣な言い合いは、冷めきったアリアンローシェの突っ込みでしんと途切れた。
「あ、貴女はどうしてここに?」
腕の中のガルが大人しくなったので、抱きかかえたままでカティアはそう訊ねた。
「セルグの領界に変な魔力があったから、見に来ただけよ」
「心配して?」
「……そうよ」
本人がいればまず認めないだろう事を、カティアに対しては認めた。不機嫌を装った照れの表情で、ちらりとカティアの反応を窺っている。
ややあって、カティアから何の反応もないのを見て、アリアンローシェは胸を張り、つんと顎を反らして。
「私には、セルグを心配していいだけの実力があるわ。彼の面倒にならないで、自分の身を守れる実力がね。でも、貴女にはない。貴女はさっさと自分の世界に帰るべきよ」
「心配しなくても、イルスカウラを倒せるだけの実力を身に付けたら、帰るわ」
それは間違えてはならない目的で、勿論、今も変わっていない。
しかし、本来関わりのない――そして関わってもならない相手であると認めた時、胸が疼く自分をカティアは自覚していた。
「それじゃあ、いつになるか分からないじゃない!」
「そうね。でもその文句は後で聞くわ。今私にはやらなきゃいけない事があるから」
「この部屋に入るつもりなら、お勧めしないわ」
腕を組んで扉を睨みつけ、アリアンローシェはカティアを止めた。開けるために再び扉に触れた手を、カティアは引く。
そのカティアをつまらなさそうに睥睨し、ふわりと後ろ髪を掻き上げてから。
「本当は、私は貴女の事なんてどうっでもいいんだけど。でもセルグは多分、貴女の事を気にすると思うから」
「どうして入らない方がいいの?」
「だって酷い魔力量だもの。一ヶ所に集めていいレベルじゃないわ。私だって入れないのに、人間の貴女が入ったら、一瞬で体が砕け散るわよ」
「……っ」
アリアンローシェの言葉は、脅しではないようだった。
扉まで妨げるものは何もないが、カティアは再度手を伸ばす事をためらった。一瞬で死ぬと言われれば、ためらうのは当然だろう。
「何かの術に使ってるみたいで活性化してるし。術が終われば、もう少しマシになって入れるようになるでしょうけど。そうしたら私が片付けてあげるから――」
「術が終わる事はない」
「!」
不意に響いた男の声に、皆が揃って辺りを見回す。すぐに全員の視線が目立つ長身のレイヴァンセルグへと集まった。
「いつ!?」
空間魔法の気配など全くしなかったというのに、いつからそこにいたのか、カティアのみならず、全員が抱いた驚きを、ふんとレイヴァンセルグは鼻で笑った。
「敵方の陣への侵入とは、こうするのだ」
「ぐっ……」
わざわざ視線を向けて言ったレイヴァンセルグに、ガルは悔しげな呻き声を漏らした。
「術が終わる時は、我が死んでいるか、中にいる人間共が全滅した時であろう。我が死ぬような結果はあり得んが、死ぬのを待っていてやる理由もない」
言って、ちらりとその場の全員に目をやって。
「下がれ」
命じられた通りに、全員、その場から数歩離れた。
「セルグ……」
「何だ?」
「貴方、今、魔力……」
心配そうに言いかけたアリアンローシェの言葉は、途中で止まった。こくん、と唾を飲み込み、引き下がる。
「……何でもないわ」
「ふん」
下らない、というように鼻を鳴らすと、レイヴァンセルグは一気に扉を開け放つ。同時に、抑え込まれていた魔力が新たな出口へと流れ込み、場を荒れ狂って通り過ぎて行く。




