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紫の石畳の上に、一本だけ敷かれた玉座までの赤い絨毯。三段ほどの階段の上に設えられた玉座は、赤の皮張りに金の縁。肘掛の部分には銀の蛇の装飾があった。
その椅子に深く腰掛けているのは、床まで届く長すぎる黒髪に、暗緑色の瞳をした、二十歳前後の女性だった。
「貴女は、誰?」
「妾は呪術王ラプスミュリアン。そなたたちの……まあ、隣人といった所か」
「ここはどこ?」
「おや、分からないと? そなたを世話しておる、魔王レイヴァンセルグの冥界の奥よ。とはいえ、奴の領界であると言い切ってしまうには、少々不都合があるかの。少しばかり、妾の世界の一部を引っ越しさせてきておるので。どうにも勘の鋭い魔王でのう。妾の城は周囲に溶け込み、馴染むように作って隠遁性を高くしておるのじゃが、それでも何度も探られたわ。流石にもう、一体化して見分けがつかなくなったようじゃがな」
世界の一部を引っ越し、などと言われても、カティアには具体的な想像が出来なかった。そして今は、些細な事でもある。
「私達に結界を埋め込んだのは、貴女ね?」
「いかにも」
「皆をさらったのも、貴女ね?」
「いかにも」
カティアの質問に、ラプスミュリアンはうっそりと微笑みながらためらいいなく答えた。自分がやった事に対する罪悪感は、欠片も持ち合わせていないようだ。
それどころか、楽しそうですらある。ラプスミュリアンのその様子は、本番前の余興を楽しむ、貴人の余裕を彷彿とさせた。
「皆ここにいるのね?」
「一ヶ所に集めねば意味がないからのう」
「目的は何? やっぱり、私達を自爆させてイルスカウラを倒そうとでも――」
「おっほほほほほほほっ!」
初めて、カティアの言葉が遮られた。実に楽しげな笑い声によって。
「そうではない。そうではないぞ……」
何も持っていなかったはずの手に、様々な色の羽根を集めた、鮮やかな孔雀の扇を持って、口元を隠しながらラプスミュリアンは頭を振る。
「イルスカウラなど、恐れるに足らぬ。あのような旨味のない相手を苦労して倒し、世界を奪った所で仕方あるまい? それよりも、もっと近くに、もっと旨い魔王が転がっているではないか」
「セルグの事……?」
確かに、支配地域だけは膨大だ。だがその実力を考えれば、レイヴァンセルグから世界を奪おうとするのは、カティアにはとても『旨みがある』ようには思えなかった。
カティアの言葉自体よりも、何気なく口にされたレイヴァンセルグの愛称に、ピクリとラプスミュリアンの眉が上がる。
「随分、親しいようではないか?」
「そうでもないわ」
嘘ではない。ラプスミュリアンが望むような親しさは、カティアとレイヴァンセルグは持ち合わせていない。
「私は、セルグにとって特別たりえないわよ」
「どうであろうか。試してみなければ分かるまい?」
「分かるわ」
言ってカティアは、笑みを浮かべる。それは、ラプスミュリアンへの嘲笑の笑みだった。
「だってセルグは、魔王だもの」
二回、同じ事をやらせないために――『守る』ために、レイヴァンセルグは誰か一人のためには動かない。
「支配だけしたがってる、暗愚な王とは違うもの」
「小娘!!」
カティアの放った台詞は、中々にラプスミュリアンの癇に触れたらしい。巨大な手の平にはたかれたような衝撃を横なぐりに受け、カティアは床を転がった。
「貴女は、あまり魔王にしては強くないみたいね」
とっさに張った盾の魔法が、大きく衝撃を和らげてくれた。体は強かに床に打ちつけられたものの、怪我という怪我はない。
「妾を侮辱するか、小娘!」
「自覚はあるのね」
かっと怒りに顔を赤く染め、ラプスミュリアンは玉座から立ち上がった。
「でも侮辱したつもりはないわ。ただの比較よ」
言いつつ、空間を割り、剣を取り出しカティアも相手の攻撃に備えた。
「アンリは――もう一人、私と一緒に連れて来た人はどこ?」
「もう一人の男は、貴様のように跳ねっ返りではなかった故、大人しく魔法炉へと落ちて行ったわ」
「魔法炉……?」
聞き覚えのない単語にカティアが眉を寄せると、ラプスミュリアンはニヤリと意地の悪い笑みを浮かべた。
「お前達の体の内に溜めた魔力を燃す、魔法炉よ。少しばかり大がかりな魔法故、少々手間が掛かったが」
「貴女の目的は、私達を燃料にして、何かの魔法を発動させる事……、で、いいのね」
「然様」
カティアの答えに、ラプスミュリアンは鷹揚に頷いて見せた。が、
「つまり、自分の魔力だけじゃ購えないのね。身の丈に合わない魔法は使わない方がいいと思うけど」
「小娘えっ!」
次のカティアの台詞で額に青筋を浮かべ、孔雀羽根の扇を叩き折った。
「貴様は中々に良く魔力を溜めておるから、炉に入れてやろうと思って待っておったが、気が変わった。死ね!」
ラプスミュリアンは、すぐ様召喚した、本来の彼女の武器なのだろう――暗緑色の宝石を銀で飾った、黒い木製の杖を握り、カティアへと向けた。
「ラクトティア・クール!」
「ガイドルクス・フレア!」
ラプスミュリアンの魔力を読み取り、反属性の炎の魔法を放つと、カティアは大広間を駆け抜け、消失させきれなかった氷の魔力の余波を避ける。
魔王としては弱いとはいっても、魔王は魔王だ。面と向かって戦えば、カティアが勝つのは難しい。
(行き先は魔法炉ね!)
「ウインド!」
閉まったままだった扉を打ち壊し、カティアは視界の限りに続く、長い通路を駆け出した。
「ほほほっ。逃げるだけではないか!」
「くっ」
広間と違って、今走っている通路はそう広くはなかった。追いかけてきたラプスミュリアンの笑い声には、得物をいたぶる残酷な愉悦が多分に含まれている。
ラプスミュリアンの魔力なら、逃げ場なく全体を魔力で襲って来るだろう。それに耐え抜くのは、至難の業だ。
「やはり貴様は、生きて捕らえる事に決めた! 美しき氷の魔狼よ、出会え!」
言ってラプスミュリアンが杖を向けた先の空間が割れ、そこから五頭、氷の鬣を持つ狼が飛び出して来た。命令を待つ間もなく、カティアへ向かって飛びかかって来る。
「手足の一本二本は、なくても構わんぞ! 妾への侮辱の数々、ゆっくり、ゆっくり――」
ゆっくり、どうするつもりだったのか、カティアが耳にする機会も、ラプスミュリアンが口にする機会も永遠に失われた。
直後通路の真ん中で、ラプスミュリアンとカティアとの間を割るように白光が落ち、落雷の轟音を響かせ言葉を掻き消したからだ。
そして光も音も収まりきらぬそのうちから、聞き覚えのある声が朗と司を呼ぶ声が響いた。
「天空を翔ける風の司、ハルデュースよ! 俺様に嵐雷を貸せ!」
より強く輝く緑の魔力を双剣に宿し、光の軌跡を描いて振るわれた魔剣の前に、魔狼達は一撃の元に斬り伏せられた。
「獣王!?」
驚愕に仰け反ったラプスミュリアンへと瞬時に間合いを詰めると、ガルはその胴を大きく袈裟がけに切り裂いた。しかし、相手が驚いて飛び退いたため、浅い。
「ちっ、来いっ!」
舌打ちをして、ガルは追撃はせずに、ラプスミュリアンからすぐ様距離をとった。双剣に宿した司の魔力も、もう消している。
腕を掴まれ引っ張られて、慌ててカティアも再び走り出す。
「何でここにいるの!?」
「何……っ、その、さ、散歩だ!」
「……凄い広範囲の散歩ね」
間違いなく出まかせだろうが、本当の事を言いたくないのなら、言わないだろう。カティアにとっても、問い詰めるのは別に重要な事ではない。
「でも助かったわ。ありがとう」
「おう! もっと感謝しろ!!」
「……ええ」
偉そうに言われて、純粋な感謝に僅かに呆れが混ざったが、どうでもいい事だ。
ガルの存在を警戒したか、ラプスミュリアンは追っては来なかった。何度か角を曲がって、相手の気配がない事を確認してから、二人はようやく立ち止まる。
それからふう、と息を付き――
「ほら、帰んぞ」
「駄目よ。私、皆を助けなきゃ」
「はァ?」
「辿りつければ、皆と逃げる事はきっとできるわ」
ラプスミュリアンとは戦えないが、カティアは空間魔法を使える。逃げる事ならできるはずで、来訪の仕方は変わったが、ここに来る目的は皆を助け出す事だったのだ。違う手段で訪れたからと言って、変わるような事でもない。
「その前に捕まんのがオチだろっ。俺だってな、テメーと一緒じゃ戦りずれえんだよ! 庇って戦りあえるほど温くはねえっぽいし!」
ガルが即座に逃げを選択したのは、カティアがその場にいたからだ。
「もともと、正面から戦うつもりはないわ。それに、やってみないと分からないわ。でしょ?」
かつて、ガルがカティアに仕掛けて来た時と似た台詞をカティアは返した。当時ガルに言われた状況より、大分マシだとも思っている。




