第四章 魔王のための、呪いの儀式
「――そう言えば、どうしてセルグは冥道なんかにいたの?」
「む?」
脈絡なくカティアからそう訊ねられ、レイヴァンセルグは数回目を瞬いた。それから、やや昔の事になりつつある、出会った時の記憶を引っ張り出した。
「ああ、お前と会った時の事か」
「ええ」
「冥道って、そんな所で会ったのか? 何でまた」
やや強めの日差しの中、白大理石のテーブルを囲うのは、今日はレイヴァンセルグとカティアとアンリだ。
というより、カティアとアンリが二人で休憩していた所に、レイヴァンセルグが通り掛かり、アンリが誘ってこうなった。
無垢で無邪気な笑顔の裏で、実はアンリは強引だ。それが計算尽くかどうか、長い付き合いになるカティアだが、未だに計りかねている。
「分からないの。死んだ訳じゃないんだけど、イルスカウラに殺されそうになった時、多分気を失って――気が付いたら、冥道にいたのよ」
「冥道に生きた人間が紛れ込む事は、珍しくはあるがない事ではない」
「らしいわ」
そう説明された当時、若干腑に落ちない事はあったが、カティアはあまり気にした事がなかった。レイヴァンセルグに拾われてからこちら、その後何があった訳でもなく、自分が強くなる、という目先の目標で精一杯だったせいもある。
「そんないいタイミングで?」
アンリの疑問は、当時カティアが抱いたものと同じだった。
「確かに出来過ぎてると思うけど、それ以来何もないし」
冥道を抜け出た当初は、それでもびくびく警戒していた記憶がある。
だが人間を冥道に引き摺り込む事が可能な実力者がいて、誰かが故意に狙ったのだとしても、半年以上経った今でさえ何もないのだから、最早今更何が起こるとも思えなかった。
そのせいもあって、カティアはすでに自己完結してしまっている。
「私をタイミングを計って冥道に引き摺り込む理由がある人がいるとは、思えないのよね。少なくとも、何が何でもって理由ではないと思うわ」
「まあ、そうかもしれないけど」
(――そう言えば)
冥道で気がついた直後、女性の声が自分を呼んだ事をカティアは一緒に思い出した。
(あの声の主が、私を冥道に引き込んだのかしら)
きっとそうなのだろう、と思った。
人為的な作用がなければありえないタイミングだったとは、カティアも思っている。理由はやはり、さっぱり分からなかったが。
「きっとイタズラだったんでしょ」
自分で言った言葉に、カティアは一番納得できる気がした。
カティアの知る魔王達の適当さ加減を見れば、気紛れに悪質な悪戯をする魔族がいても、何らおかしくはない。
(そうよ、それに、あの声の主はセルグと会った時から掻き消えたわ)
自分の世界の魔王であるレイヴァンセルグに、きっと姿を見せたくなかったのだろう。
他所の世界の人間を冥道に引き摺り込むなど、行き過ぎた悪戯だと、やった本人も自覚していたのに違いない。互いの世界への干渉を、あれほど気にするレイヴァンセルグを見た後なら、余計にそう思う。
「そこにセルグが来たってのも、良いタイミングだよな。セルグは何しに行ったんだ? よく行くのか?」
「いや」
アンリに指摘されて、レイヴァンセルグは眉を寄せた。
不快そうなものではない。単純に、思い返して考えているようだった。
「覚えのない気配がしたので見に行ったのだ。看過するには、少々大きな魔力だったのでな」
「え」
レイヴァンセルグの答えに、ついさっき考えた事を否定されてしまって、カティアは思わず声を上げる。
「何か思い当る事があるのか?」
「冥道で、セルグと会う前に声を聞いたわ。でも、もし私を引き込んだ人がいて、セルグの気配を感じて逃げたのなら、別に不思議な事ではない……わよね?」
だから、相手が逃げた事についても、カティアは今の今まで気にしていなかった。
しかしレイヴァンセルグが『覚えが無い』というのなら、同世界の住人の悪戯ではなく、他所の領界から入り込んだ存在からの干渉だった、という事になる。
「そもそも、おかしな話ではあるわよね。違う次元の存在である私を、わざわざ引き摺り込んだりとか」
イルスカウラの支配する領界にも、冥界と呼ばれる世界が勿論ある。わざわざレイヴァンセルグの領界に引き込んだ意味は、一体何だったのだろうか。
イルスカウラの領界の住人である事に意味があったのか、それともレイヴァンセルグの領界の冥道に、人間を引き摺り込む事に意味があったのか。
「意図はあるだろうな」
「そうね……」
断言したアンリに、カティアも頷く。二人でレイヴァンセルグを見ると、変わらない表情でカップを傾けていた。
「だからどうした? お前達に対する何かであれば我の知った事ではないし、我に関する何かであれば、何であれ受けて立つ。それだけだ」
「そうだったな」
少し毒気を抜かれた表情で、アンリは苦笑した。
レイヴァンセルグには、仕掛けられた後から対応してもどうにでもなる、十分な能力がある。そしてカティア達の事には干渉をしない。
自分自身が行動し、助力する事は、イルスカウラと敵対するという事だからだ。
「しかし、我の世界への干渉か。お前達が奴の領界の住人である事を考えれば、一番事を成しやすいのはカウラであろうが……。奴が、とはあまり思えんが……」
微かにレイヴァンセルグは苦い声で呟いた。
イルスカウラであれば、レイヴァンセルグの領界内で何かをしようなどと愚かしい事はしないだろう。
それはカティアも同意する。イルスカウラは、自分から勝てない戦いを仕掛けるようなタイプではない。
そしてカティアの勝手な想像ではあるが、戦う必要のない相手と、好んで戦線を開く程――おそらく、戦う事が好きでもない。
「なら、セルグの領界内にイルスカウラの人間をさらって来て、誰かが何かをしようとしてるって事? でも、人間をさらってきたって出来る事って何かあるものなの?」
今だって、カティアはレイヴァンセルグの擁する魔将達の多くに及ばない。『人間』という種が、魔族に対して何かの役に立つとはカティアは思わなかった。
それどころか、ただケンカを売るだけの結果になる気がする。
(それとも、まさか何か有用な薬の原材料になるとか……)
それは少し、恐ろしい想像だった。薬の材料にするために、人間が魔族に乱獲される様を想像してしまったのだ。思わずぶるりと身震いをする。
(いえ、でも、それはないわよね)
薬の原材料にさらって来たのなら、わざわざ他所の世界の冥道に引き込む理由はあるまい。
「……なあ、カティア」
「何?」
「戦いが終わった後、神騎士が半分ぐらいになったって話、始めにしたよな」
「ええ、聞いたわ」
あの混乱の中、行方不明になる事は不思議ではない。一番悪い可能性を含めて。
「その後も、神騎士が何人も行方不明になった」
「ええ、そう言って――……」
頷きかけて、ピタリ、とカティアは動きを止めた。
「……待って」
アンリが言わんとしている、符号がある事にカティアも気がついた。
(私とアンリには、魔力を溜め込む結界がある)
カティアとアンリ、だけではない。神騎士にもあった。そして、神騎士もふっとと行方不明になった者が、もう半数近くもいるのだという――
「もしかして、神騎士も皆持ってる? だから、結界がある人がさらわれてる?」
「かもしれない、だろう?」
もし、考えた通りであるならば、いつ結界が体に刻まれたのか、その答えも出た気がした。
「まさか、騎士の洗礼の時?」
神騎士達は全員、その称号を得るときに神殿で洗礼を受けている。カティア達もそうだ。
優れた神騎士であったアンリがまず勇者と、英雄と称えられるようになり、並び立つ聖人として、血筋と能力からカティアも『聖女』などという二つ名を付けられた。
つまり――現在の称号はどうあれ、二人とも元々『神騎士』である。
町にいた人々には、結界はなかった。その境目が、カティアは今分かった気がした。
「――行かなきゃ!」
思わずカティアは席を立つ。神騎士という符号に、結界の存在を考えなかった訳ではないが、今危惧しているのは魔力の期限よりも、行方不明者が出続けていた、という点だ。
「俺も行く」
「我は、カウラに確かめる事がある」
カティアやアンリが同行を求めるよりも早く、レイヴァンセルグはそう宣言して空間を割り、さっさと姿を消してしまった。
(まあ、そうよね。流石に手を借りるのは無理があるわ。それに、もし洗礼の時に結界を作られたのなら、その時の神官を探せば――)
「……あれ?」
「カティア?」
思い出そうとして自分の記憶を辿って、カティアはぞっとした。
「私、洗礼を受けた神官の顔、覚えてない」
「――あッ!?」
アンリも同じように記憶を辿り、驚愕の声を上げた。
「俺もだ。男か女かすら分からない」
それを今の今まで、思い出す事もなかった。




