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「そう。なら――……」
ガルにとっては、レイヴァンセルグは『恩人』なのだろう。
そしておそらく、ガルが子供の頃から知っているのだろうレイヴァンセルグにとっても、他人よりは情があるのだ――と、カティアが納得した所で。
「気に食わねーだろっ」
「は?」
「情けで支配権返されて、俺が魔王です、みてーな面が出来る訳ねーだろうがっ。俺ァ必ず、セルグを倒してテメーで領界取り戻してやんだよっ!」
「あぁ……」
(そっちに行っちゃう訳ね)
やはり魔族だ。
「だ、だからこうしてだなっ」
「隙を突こうとか?」
「そっ、そうだっ!」
「弱点探そうとか」
「それもアリだ!」
「ついでに弁解しようとか」
「そう! ――じゃねえっ! 何だ弁解って!」
途中までは勢い良く頷いていたものの、ガルはすぐに我に返ってぶんぶんと頭を横に振った。
「別にっ。弁解とかどうでもいいんだよっ。じゃあなっ」
「あ」
叫ぶなり、カティアが止める間もなくガルは消えた。
「……悪い事したかしら」
あの様子では、とてもレイヴァンセルグに会いに行ったとは思えない。おそらく謝罪に来たのだろうに、邪魔をしたのは確かに――悪い事をした、と思った。
「私から言っておくべきなのかしら、この場合」
「不要だ」
「わっ!!」
唐突に後ろに表れた気配と声に、カティアはびくんっ、と肩を跳ね上げ後ろを振り向く。背後に立っていたのは、レイヴァンセルグだ。
「いつから!?」
「割と初めからだ。あれが、そんな賢しい知恵を巡らせるとは、我も思っておらん」
言って、くっ、と少しだけ楽しそうにレイヴァンセルグは笑う。
「何しろ、我を相手に本気で隠れて侵入できると思っているぐらいだ」
「見張りに来たの?」
「あれは本当に目先の事しか見えぬ馬鹿だからな。事と次第によっては、またお前にも手を出すだろう」
「そうね、多分」
大体思考回路も読めて来たので、今度はそんな危うい状況になるような不用意な事をするつもりはないが、絶対ではない。故に、否定はしない。
「でも、分かってるなら許してあげればいいのに」
「ガルが我のものに手を出したのは確かだ。例外はない。どんな下らぬものであってもだ」
「……」
それも本当に大切なものを悟らせないためであり、万一奪われた時のためだ。取り戻すための理由付け
を必要としないための、防衛策なのだ。
「私も、貴方のものなの?」
「何を今更」
「うん……。そう、なんだけど」
レイヴァンセルグが自らのものだと認めるという事は、守るものの中へと入れた事を意味する。
カティアは、本来レイヴァンセルグの領界の人間ではない。何か面倒が起こっても、それこそ人質にされたとしても、レイヴァンセルグは自分のものではない、と言える。
興が冷めたので取り戻す理由もない、とでも言えばいいだけの話だ。
しかしレイヴァンセルグは、自分のものであると、誰に聞かれても構わない態度で断言している。
「カティア」
「何?」
「我は、お前が嫌いではない」
「……うん」
それは、レイヴァンセルグに許された、精一杯の『下らないもの』ではないとの主張だったのだろう。
それが分かるように、なってしまった。
「私も、貴方の事が嫌いじゃないわ」
「っ」
(あれ)
微かにではあったが、目を見開き、動揺を見せたレイヴァンセルグを、カティアは意外に思った。
そしてそれが――嫌ではない、とも思った。
「困った事に、ね?」
本当に、もう彼の事を嫌いだとは言えなくなってしまっていたから、複雑そうな笑顔で言ったカティアに、レイヴァンセルグもはっきりと、笑みを浮かべて頷いた。
「全くだな」
見上げたカティアの瞳に映ったレイヴァンセルグは、相手を慈しむ穏やかさに満ちていた。とくり、と少し大きくカティアの心臓が跳ねる。
レイヴァンセルグの容姿が整っている事は、勿論カティアも分かっていたが、今日初めて、彼が魅力的である事を意識した。
(いえっ! 別にそういうのではないけれど!)
相手は魔族。しかも魔王。更に、生きている次元が文字通り全く違う。共に生きられようもない相手だ。
カティアの常識からすれば、恋愛対象になど、初めからなるはずもない相手。だから今まで、彼を異性としての『男性』だとは思った事がなかった。
「カティア?」
「なっ、何でもないッ。じゃあ私もう戻るからっ」
「そうか」
元々、部屋に戻る予定の道筋だったので、不審がられる事もなく、カティアはその場を離れた。
(……何、考えてるのよ)
イルスカウラを倒すまで、恋も愛もお預け――などと考えている訳ではない。惹かれる男性がいなかったせいで、全く縁がなかったのは事実だが。
(でも魔王は、流石にないわ)
息を付き、第二宮のホールへと入った所で、コツン、とカティアは壁に頭をもたれさせた。
「ないでしょ。流石に」
そんな事があったら、本当に困る。
「――あれ?」
「!」
この世で他の誰よりも聞きたくない声を耳にして、動揺の余韻を振り切り、反射でカティアは身構えた。
そんなカティアの警戒にも反発にも、一切気に留めた様子はなく、イルスカウラは柔らかく微笑した。
「やあ、カティア」
「……レイヴァンセルグなら外よ」
「そうか。今取り次ぎを頼んだんだけど、必要なかったかな」
「そうかもしれないわね」
どうでもいい口調を隠そうともせず、カティアはイルスカウラの横をすり抜け、部屋へと戻ろうとした。できる限り、顔を合わせたい相手ではない。
カティアを黙って見送るような素振りを見せたイルスカウラだったが、カティアが丁度横に並んだ時に、不意に声を掛けてきた。
「――君はきっと、近いうちに俺を殺して見せるだろう。最近は、特にそう思う」
「っ!?」
自分の死を肯定するかの様な、なのに似つかわしくなく淡々とした言いようのイルスカウラの言葉に、カティアは足を止め、振り返る。
「だが、君の後には誰も続かない」
「……」
「君やアンリは、類稀なる不世出の英雄だ。だが、今の人間達にそのスペックを維持するだけの、種としての力はない」
「……」
「俺に勝てば、それもまた、君の自由な選択の権利だ。けどその前に一つ聞かせてくれ。君が王になって、百年弱過ぎた後、確実に蹂躙される世界と全ての命は、君にとっては何だ?」
「それは……っ」
自身の迷いを、不倶戴天の敵であるイルスカウラに指摘されるのが悔しかった。だが、一番悔しかったのは、それに答える術を持たない自分自身だ。
カティアはアンリ程には割り切れていない。
「後世の事など、関係ない?」
「そんな事は思ってないわ!」
ただ皆が、平穏で、日々の暮らしを幸せだと感じられればいい。望むのは、ただそれだけなのに――
「それに、貴方にそんな事言われたくないわ! 無茶をして、自分達の仲間だけ助けようとしている貴方が、何を!」
「弱ければ、どうせいずれは淘汰される。俺はそれをほんの少し早めているだけだ。自然に任せてやれるほど、俺に時間は残ってない」
「!?」
さらりと告げられた内容は、聞いてはならない、そして、聞きたくない内容だった気がした。
思考が衝撃を乗り越え、言われた言葉の意味を飲み込むよりも先に、イルスカウラは言葉を続ける。彼自身も、急いているようだった。
「俺の命はもう千年持たない。魔王としての役を果たせるのも、二、三百年程度だろう。けど、今の星は若すぎる。俺は子供を成せる体質をしていないし、魔族の中にも今は後継者となる人材もいないくてね」
人の寿命から言えば、それは十分に膨大な時間だった。しかし、進化に足る時間かと言われれば、否だ。
「君が魔族であれば、良かったんだけどね。不世出の英雄が、長寿の魔族ではなく短命な人間に現れるとは、何とも皮肉な話だ」
「そんな事……っ!」
(そんな事言われたって、どうしろと言うの!?)
まるで、カティアが人に生まれた事を責めるかのような言い方だった。
「俺は、ガルの父親の様な無様な真似はしたくない。己の星は、そこに住まう者達だけで守るべきだ。違うか?」
レイヴァンセルグに支配権を渡し、守ってもらう事も、イルスカウラは選択出来る。
何しろレイヴァンセルグはそのために作られたのだ。否とは言わないだろうと、カティアにも想像出来る。
(――けど、それは)
事実だけを考えてしまえば、リスクの少ない、正しい選択だろう。
だが、レイヴァンセルグ個人の事を考えた時、それが果たして正しいのかどうか、カティアには自信がなかった。
イルスカウラは、もっとはっきりと否定している。だから、合理的な選択を選びたくないのだ。
目的を持って産み落とされたからこそ、それだけだと思い込んでしまわないように、と。
レイヴァンセルグは、すでに自分の生き方に制限を付けている。全てを手に入れる力を持ちながら何もせず、何を考えて、何を思って、退屈な生に甘んじているかは、カティアには分からない。
レイヴァンセルグの気持ちは分からないが、明らかに重荷となるものを押し付けるのをためらうイルスカウラの気持ちは、理解出来た。
自分自身の罪悪感と、素直に、レイヴァンセルグへの友愛とで。
「……そう、思うわ」
「だから、種の淘汰を急ぐ必要がある。俺の寿命が尽きるまでには、きっと間に合うだろう」
「でも、それはそこまでしなくてはいけない事!?」
「?」
理解してくれた、と思った後でのカティアの否定に、イルスカウラは戸惑った。
「セルグはそこまで馬鹿じゃないし、自棄になってもいないわよ。自分で物事にちゃんと興味を持てるぐらいには、強い人だわ」
「……」
「今、多くの命を犠牲にしてでも守るべき物なの? 自衛の矜持なんてものが」
(私は、そうは思わない!)
イルスカウラの考え方も、分からなくはない。だが、正しいとは思わなかった。
「自分のプライドだけを守る王に、王たる資格はないわ!」
「……っ、俺は……!」
「私は、ガルの父王の方が、余程正しいと思うわ! 例え笑われても、自分の民を守ったのだから!」
「……っ」
「私は、そういう王でありたいわ。貴方を倒した後には、そうする!」
「他人の負担になってもか! 傲慢だろう!」
強い憤りを見せ、自分を睨んできたイルスカウラに、カティアは初めて、彼の素を見た気がした。
「貴方は随分息苦しく育てられたのね」
「っ!?」
「寄りかかるべきではないかもしれない。けれど、互いに助け合うのは決して悪くない事だと思うわ。余裕がある分なら、力を貸してくれる人の方がずっと多い。それを面倒だなんて、大して思わない。――貴方もきっと、そうすると思うわ」
逆の立場であれば、イルスカウラもまた、きっと笑って受け入れるだろう。
「……っ、ぁ」
「私は、そういう王になる事にするわ」
何かを言いかけたイルスカウラを遮り、カティアはそう言い切ると、背を向けて歩き出した。
「――……俺は……」
階段を登るカティアの背を追って見上げたものの、イルスカウラはその先に続く言葉を持っていなかった。




