模様替えといふものを
企業名ってそのまま使ったらマズイかな? 問題があったら怖いし、伏字にしておこうかな……まぁ、問題あったら言ってくださいませ。対応いたします。
翔が、もはや日課となりつつある大河の部屋までのランニングを済ませ一息吐く。
そうして呼吸が整ってから、投函口から腕を突っ込んで鍵を取り出し、侵入する。
まだ眠っているであろう、友を起こすべく。
「お~い、大河ちゃん。朝だよ~。朝起きて学校行くよ~」
よくわからない言葉を投げかけながら、ベッドへ。
しかし、そこに大河の姿はなかった。
乱暴に蹴散らされた布団。そして――
「え、これ、血だよね……?」
夥しい出血の跡があった。
何故か一か所に集中したそれを見て、翔は呟く。
「生理かな」
「普通の出血だ、ボケ」
頷くや否や、背中に蹴りを入れられてベッドに倒れ込んだ。
べちゃり。手を突けばまだ湿っぽく、赤が伝わる。
蹴った当人は鼻に丸めたティッシュを詰め込んだ間抜け面で溜息を漏らす。
「ベッド脇のテーブルにヘッドバッドかましたみたいでな。我ながら、ひどい寝相だと思う」
よく見れば額も赤く腫れており、その激突の度合いがうかがえる。
「うわ……すっごい痛々しいけど笑える」
「むしろ笑ってくれ。哀れまれたら余計に凹むわ」
「大河ちゃん、可哀想に」
「いっそ同じ目に合わせてやろうか」
腕を組んで翔を睨み付ける。と、慌てて翔はベッドから離れた。
本当にやりかねないのだろう。
「ごめんごめん。やぁ、でも大河ちゃんこれチャンスじゃない?」
「何のだよ」
「ほら、女子なら一度はやるっていうアレよ、アレ!」
指を振り振り、アレと連呼する。
が、それ以上の言葉が出てこないのか、翔はゾンビのような呻き声を発し始めた。
「あ~……うぅ~……」
「ひとまず退いてくれ。シーツ洗って干すから」
「あ、オッケー。手伝うよ」
「いや、こっちは俺だけで大丈夫だから手ぇ洗っておけ。血が他に付いたら面倒だ」
大河の提案に気の抜けた返事をして、翔はユニットバスへと向かう。
すでにバスタブには水が張られており、どうやらそこで洗い流すつもりらしい。
「なんか大河ちゃん、この辺は家庭的なのよね」
ピッと手を振って水切りをしているところに、シーツを抱えた大河がやってくる。
何故か大きなタオルも一緒である。
「おう、このタオルぶち込んでくれ」
「はいはい了解よ。こっちはどうしたの?やっぱり赤いけど」
「中敷きだな。シーツとクッションの間に一枚。これで本体の損傷を防げる」
「あな~る」
大河の解説に納得して、とぷん、と翔はタオルを水に浸ける。
それに続けて大河も派手にシーツを投入する。
袖をまくり、ざばざばと軽く揉み洗いをして、あとは放置するようだ。
「あれ?これ漂白剤入ってないけど、いいの?」
「おう。まだついて間もない血なら、食塩水で染み出させれば十分なのさ」
「主婦だねぇ、大河ちゃん」
「自分で何度も被害出したからな……」
大河がそんな洗い物知識を披露して数瞬。
翔が、両手を打ち合わせて言った。
「大河ちゃん、模様替えよ!」
何を思ったのか、またもや珍妙な提案である。
シーツが汚れてしまったので取り換えるついでに、とでも言うのだろうか。
「そんなことしてどうする」
「言ったじゃない、女子なら一度はやるのよ!」
そしてどうやら、それは先ほど言っていた『アレ』のことらしい。
あぁそういう。と大河も納得して、それから口元に指を添える。
「模様替えっつってもな……防音のため、うちの壁紙は全面発泡スチロールだぞ」
「隣人の迷惑にならなきゃいいんだから取っちゃいなさい」
「お前が叫んで苦情が出るからやってるんだが」
壁紙の原因たる翔が言うのでは説得力も何もあったものではないが、大河はこの案そのものは満更でもない様子だ。
確かに白いだけの壁というのは味気ない。それに何よりも。
「まぁ、女子っぽいと聞けばやらざるを得ない」
「その意気よ大河ちゃん!」
女らしく振る舞おうと、最初に言ったのは大河なのだ。
言い出しっぺの法則。法規を除き、この二人が唯一従う美学と言っても良いものだ。
「となると壁紙とシーツとカーテン、あとは棚か」
「そうだね。予算は平気?」
「まかせろ。先日売り上げが入った」
「……普通の職は?」
「就いてない」
あぁこれ今度は絶食だろうなぁ。
そう思っていても口にはせず、翔は生温い笑顔で大河を見つめる。
そんな翔の脛を軽く蹴りつけて、大河は颯爽と部屋を出ていった。
二人揃って、思わず腕を組んで唸った。
「でけぇなぁ」
「でっかいねぇ」
そして見上げる、店舗の大きさ。
巨大倉庫と言われればそれまでとしか言えない面構えは、まさしく圧倒と言うべきか。
二人がそんな所に来るのは、もちろん初めてである。
「で、大河ちゃん」
「なんだ」
「ニトリにした理由は?」
「お値段異常だから」
「まぁ異常にコスパに優れてるのは事実だけど、お洒落面ではイケアじゃない?」
「イケアって池屋だと思ってたら違ってムカついたから却下した」
「わぁひっどい理由」
いざ、と意気込んで大河が踏み込む。
翔もそれを追って入店する。瞬間。
「……遊べる」
「ダメよ大河ちゃん!平常心、平常心を保って!」
早速大河が心を釣られた。
端から端まで家具の並べられた店内は、どことなく童心をくすぐられるものらしい。
プラスチックの組み立て家具でウズウズした人間ならわかるだろう。
「ふ……大丈夫だ。あたしも今は大人。あれこれ手に取って遊んだりしないさ」
「すっごい手がワキワキしてるけど」
「しないさ!」
「はいはい、さっさと目的の物買いましょうね~」
「待て!あっちの照明器具が見たいんだ!ちょ、こら、引っ張るな翔!」
ズルズルと翔に引きずられて店の奥へと連れていかれる大河。
その最中もあちらこちらと目移りしていたのだから困りものである。
「ほら壁紙よ」
「う、む……なぁ、やはりあのタンブラーは買いではないか?」
「外でしか飲まないくせに買うなよ」
思わず地でツッコミを入れるほど辟易した翔が、適当に近くの壁紙に手をやる。
色合いは淡い緑色で、鳥の影を思わせる柄が等間隔に斜めに配されている。
「思ったよりオシャレな感じじゃない。安いし」
「そうだな。ところで気付いたんだが」
「何よ」
「紙の必要量がわかんない」
「…………なんてこった」
大きすぎるミスに現地で気付き、崩れ落ちる翔。
大河はと言うと、ショックなどまるでないのか、他のコーナーに行きたそうにウズウズしている。
「カーテン見に行こうぜ。あっちなら高さも幅も大体わかるから」
「そうね……うん。せめてそこぐらい変えよう」
「シーツもわかるぞ」
「じゃあカーテンに合わせましょうか」
翔もどうにか立ち直り、カーテンコーナーへ。
と、すぐに大河が注文を付ける。
「せっかくだから厚手のにしたいな。あと明るめの色だと嬉しい」
「案外考えてるじゃない」
「朝日を遮ることこそ最大の争点だ。もっとゆっくり寝たいんだ、あたしは」
「……あぁ、うん。そうだよね。洒落っ気なわけないよね。わかってた」
感心したのも束の間、というやつだろう。
だが、注文そのものは悪くない。
項垂れながらも翔は、少しでも乙女チックにしなければ、と意気込む。
「ねぇ大河ちゃん、こっちの……」
「これにする」
「……早すぎるでしょ」
全ての願いが虚しく散る。
大河が手にしたものを見れば、しかし。
「あら可愛い。ミストグリーンにしたのね。模様もなかなか、オジギソウの花みたいでいいじゃない」
「ふふん。しかも見ろ、遮光カーテンだ。遮熱レースとやらもつければかなり快適になるぞ、きっと」
思いの外、実益と景観を兼ね備えていた。
珍しく無邪気な笑顔でレースを選び始めた大河を見て、翔は思い出す。
そういえば大河は可愛いもの好きだったなぁ、と。
「とりあえず好きに選ぶといいよ。荷物持ちはしてあげるから」
「恩に着るぜ~」
結局、全てのチョイスを大河に任せ、買い物は終了した。
そうして模様替えを終えた室内は少し明るく、少しだけ過ごしやすくなったような気がした。
段ボール箱が床を占拠して引っ越し直後の様相を呈したのは、その二日後だった。