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女性専用といふものを

今回はちょっと直接的な表現が含まれる部分があります。ご注意ください。それでも、なんとかラブじゃないと言い張ります。一方的なラブはありますが、それはこう、中の人の男が反応してるわけでして(汗)

 悲鳴は、短く、そして小さかった。

「ひっ……!?」

 主は、翔。

 朝っぱらからちょっとした買い物にと、大河を道連れに乗り込んだ電車の中で。

「ん?どうした、翔」

「や、ちょっとしゃっくり出ちゃっただけ」

 声に気付いた大河が怪訝そうに問いかけてくる。

 が、翔はあえて状況を誤魔化した。

(いやぁ、こういうシチュエーションは薄い本では見てたけど……)

 そしてその尻をまさぐる手の感触を、じっくりと、堪能するでもなく、無感動に吟味する。

 満員電車の中だというのに、いや、下方の見通しが悪いからこそこの中でなのか。

 ともあれ、これが一端の女性であれば、誰であれ真っ先に嫌悪感を抱くところだろう。

 それ以前に状況の理解から余計な混乱へと繋がり、定まらぬ自身の感情を恐怖と錯覚しかねない。

 今の翔のように堂々と顎に指をやって思考を巡らせるなど、とてもではないが考えにくい。

「……なるほど」

 と、大河がポツリと呟いた。

 翔がその声に顔を上げる――よりも早く。

「ぴろっとな」

 声と同じような音が、静かな車内に響いた。

 それとほぼ同時に、悲鳴その二が吐き出される。今度は、男だった。

「おっさん、あたしの連れ相手に随分とご満悦じゃねぇか。あぁ、写真で抑えたから冤罪とは言わせねぇぞ。なかなか良さそうな時計だが、仇になったな」

 語り掛けた大河は、外ということで一人称だけは変えているようだが、喋り方が完全に男のそれだ。

 声も低く、ドスを利かせているのか良く通る。そのせいですでに注目の的である。

「次の駅で降りるぞ。あぁ、今のうちに保険証でも渡しといてもらおうか。逃げようなんてされても困るんでな」

 ましてや、その周到な判断。

 相手の逆上さえ考えなければ、痴漢対応の手本のような外堀の埋めようである。

 取る物を取ったら、あとは放置。

 すでに晒し者も同然となった男の方も観念したようで、項垂れるばかりだ。

「いやぁ、大河ちゃんカッコイイ!」

「女の敵は見過ごせないからな」

 ふん、と鼻を鳴らして翔の賛辞を受ける大河。

 想定外に弱い大河のことである。讃えられてこそいるが、この対処は、かくあるべしと己の中で決めていた行動をなぞっただけに過ぎないはずだ。

 そんな大河が、一応と補足を続ける。

「まぁ、痴漢は冤罪も多いって聞くからな。どっちの味方だと思われるかもしれんが、証拠はキッチリ押さえてやるのが容疑者側への配慮でもある。女も女で黙ってないで合理的に行動するべきだと、あたしは思うね」

 なぁ?

 親しげに容疑者へと声を投げかける。

 どうしてそんなに明るいのか、その理由を翔が知るのは次の駅で下車してからのことになる。


「大河ちゃん最低……」

「何言ってんだ、立派な対応だろう。現実的に考えて、訴える労力も金も惜しいしな」

 言いながら、満足げに財布を仕舞う大河。

 示談だった。

 訴えを起こさない代わりに金を包ませたというだけだが、あまりに迅速に話を持ち掛けた大河の対応は、確かに翔が怒りを覚えても仕方ないかもしれない。

 たとえ、被害者らしい心の傷を一切負っていなかったとしても。

「いいじゃねぇか。あたしは財布が潤って上機嫌、あいつは懲りるだろうから再犯防止、お前は貴重な体験ができて万々歳だ」

「それたぶん最初だけだよね、本当に機能してるの。てかそのお金なんで大河ちゃんの財布に入るの?」

「確実に機能してるのは、と言ってほしいな。それにしても、あたしは痴漢の気持ちがわかんねぇんだよなぁ。リスクでかい割に、リターン少なくね?」

「スリルが八割なんじゃないかな?で、なんで大河ちゃんのお財布に諭吉さんが入っていったのか知りたいんだけど」

「諭吉さん、あたしを好きなんだってさ。愛人から始めましょう、だって」

 そんな話を繰り返しながら、再び電車に乗り込む。

 あれこれとしていた間にラッシュのピークは過ぎており、すでに人と人の間にある程度の隙間が確保できる状態になっている。

「スリルのために一生もんの汚点ってのは馬鹿げてると思わないか?」

「風俗でも行ってくれた方が平和だよね。米兵さん然り」

「それは爆弾発言だな。あたしもそう思うが」

 吊り革に掴まり、大河はその腕に体重を預けるようにだらしなく寄りかかる。

 その腕に、さらに翔が掴まった。両腕で。

「おい、なんでさりげなくあたしの負担を増やしてるわけ?」

「いいじゃん。私のおかげで臨時収入だよ?」

「……ふむ。よかろう、不問とする」

 傍から見れば、ジャージの女の子がボーイッシュな女の腕に絡みついてじゃれ合っているようにしか思えない。

 さらに、その後の行動がよろしくない。

「けど、なんで私が狙われたかなぁ……大河ちゃんの方が揉み応えありそうなのに」

「そうか?」

「そうだよ。この、弾力とハリのあるヒップ!」

「おわぁ!?」

 叫び声。そして、振り下ろされる拳骨。

 度の過ぎたスキンシップと言わざるを得ない。

 先の電車とは違った、冷ややかな視線が二人に集中する。

「ば、馬鹿かお前は!?」

 大河は激昂して、しかし周囲の目を気にして小声で翔を叱りつける。

 翔はこれに、頭をさすりながら応じる。もちろん冗談混じりに。

「ごめんちょっとガールズトークをしてみたくて」

「……え、これガールズトークなのか?」

 しかし、素っ頓狂な声をあげた大河に、その悪戯心が鎌首をもたげてしまったらしい。

「そうだよ。男の存在がない、開けっ広げの、内輪女子だからこそできる、スキンシップを交えたコミュニケーション。これがガールズトーク」

「う~ん……まぁ確かに、俺の知り合いも女同士ならセクハラ紛いなことされても平然としてたな」

 そしてどうやら運悪く、大河の女友達というのはそういう類のものだったらしい。

 もちろん、公の場でなのか私的な場でなのかは考えねばならぬところだが、そこに至る前に翔が畳みかける。

「だしょ?これが正しい女子の姿なのよ。私だってね、ちゃんとリサーチしてるんだから」

「ふむ、すまん。けど過剰なのは控えようか」

 翔の目論見通り、大河は渋々とその奇行を認めてしまった。

 すぐにさっきと同様、両手で大河の腕に掴まる翔。

「それでさ、何か私が優先された理由とか思いつかない?」

「気弱に見えたとか、そんなんじゃないかな。あたしはほら、見ての通りだし。ジーパンじゃ感触も硬いっしょ」

「デニム生地の良さがわからないとは、大河ちゃんもまだまだね……」

「……うん、今のあたしには必要ない境地だと思う。てか内容はこれでいいのか」

「あ、着いたよ」

 大河はいまいち納得行かないという顔つきで、満足げな翔と共に電車を降りる。

 そのまま改札を出て、目的地へ向かう。今日も大河は切符、翔はスイカで。

「そういや何買いに来たわけ?」

「イヤホンだよ。なんか可愛いのにしたいと思って」

「へ?アレに可愛いとかあるのか?」

「言ったっしょ?私はリサーチしてるの。今時のイヤホンはね、耳の外に出るとこにアレンジが加わってるのよ」

「マジか。何か気に入ったのあったら、あたしも買おうかな」

 やれ動物がいいだの、ここは顔文字しかないだの。

 楽しそうに二人が会話をしている途中、翔が何かに気付いた。

「あ!なんか今私たち女子っぽくない?友達の買い物に付き合って、自分も一緒に買っちゃうみたいな!」

「言われてみれば確かに。でもあたしらは前からだよな?」

「それが十八歳未満禁制のゲームとかじゃなかったらね」

「……ボ、ボーイズを雪崩買いとか」

「腐りきってますやん」

 出来上がりかけていた雰囲気も、台無しであった。


 無事に買い物を終え、喜色満面で帰路につく二人。

 さほど時間はかからず、帰りの電車は行きと違って随分と空いている。

「ふふ~ん、どうさ!しんぷる、いず、ざ、べすと!」

「お前がハートとか反吐が出る」

「ひどくない!?」

 多少騒がしくしても、寄せられる視線はないに等しい。

 実際、同じ車両内にいるのは座ってじっくり漫画を読んでいるか、携帯に夢中か、眠りかけの客ばかりだ。

「そういう大河ちゃんはどうなのさ」

「あたしはアチャモとポッチャマ」

「あらかわいい。けど、そんなのあったっけ?」

「いや、なかった。でもこれなら頑張れば自作できると思ったから」

「……何その謎技術」

「旧ガンプラ世代だろうが、お前も。プラ板加工、接着ぐらいお手の物だ」

 そんな会話を続けることしばらく。

 時折イヤホンを実際に付けてみたり、付けさせてみたりして笑い合ううちに、帰りの半分は過ぎた。

「あ。翔、そういえばさ」

「ん?なになに?」

「女性専用車両ってあるじゃん」

 何の気なしに思いついたことを口走る大河。

 それに、大河を両手で指差して翔が頷くのだが――

「大河ちゃん天才」

「その通り」

「即肯定ですね、わかってました」

 すぐに肩を落としての溜息に変わった。

「それで、女性専用車両がどうしたの」

「乗ってみたいと、思わんのか?」

 ニヤリと大河が口元を歪める。

 いつもなら逆の立場であったろうその提案に、再び大河を両手で指差し、翔が頷く。

「大河ちゃんジーニアス」

「イグズァクトゥリィ」

 もう、ツッコミはない。

「そうかぁ。今なら専用車両に乗れるのかぁ」

「うむ。男子禁制の園ゆえに体験すらしたことがない場所だ。飛び込んでおきたくなるのもわかるだろう?」

「ムラムラしたら自分の体を弄ればいいしね」

「……うん、そうしろ」

「あ、いや、これ冗談だからツッコミ放棄しないで!?」

「とりあえず五メートルぐらい離れてください」

 新しい切り返しを大河が覚えた頃、二人は最寄り駅に到着した。



 そして迎えた翌日。

 特に用事もないのに、二人は女性専用車両を体験するべく、朝の九時過ぎには駅構内に立っていた。

「先頭か最後尾か、どっちみち端っこなのね」

「何かあっても車掌が近い、ってのがいいんじゃねぇの」

「……車掌になれば女の花園を覗けるチャンスってこと?」

「お前は全国の車掌に謝れ」

 相も変わらずの会話をしている所に、電車が滑り込んでくる。

 構内からして周囲に女性ばかりという、二人にしてみれば異常事態の中、いよいよ花園への入口が開かれた。

「ぬ、おぉ!?」

「大河ちゃん!?手、手出して!」

 途端、呑気に正面に立っていた大河が降車していく人波に飲まれた。

 危うくそのまま退場というところで、翔が手を掴み流れから引っ張り出す。

「び、びっくりした……なんだこの流れの強さ。いつものラッシュの二倍ぐらいヤバイぞ」

「えっと、女しかいないから、みんな世間体とかそういうのを捨ててるんじゃないかな?」

「クッ……全員大阪のおばちゃんじゃねぇか」

「あるいはタイムセールに群がるおばちゃんね」

 大河が、ドッと噴き出した冷や汗を拭う。

 花園の入口。そう思っていたものが、もはや未経験の恐怖が待つ魔窟の入口にしか見えない。

 そんな緊張が伝染したのか、翔もゴクリと固唾を飲んだ。

「ひ、一駅だけでも、行こう、大河ちゃん……!」

「そうだな……ここで逃げたら、女が廃る!」

 二人は必死に己を鼓舞して、今度は自ら乗車の流れに飛び込んでいく。

 勢いはないが、密度が高く、当たりは降車の比ではない。

 押し流されそうになるそれを全力で押し返して、気合と根性でその身を車両の内側へとねじ込んでいく。

 この異空間で一人になることを恐れてだろうか。二人は、いつからか固く手を握り合っていた。

(ど、どうにか入れたが……これは、香水と密度で、息がヤバい……!)

(大河ちゃんが!大河ちゃんが手をギュッてしてる!何これ、何これ私得!はぁぁん!ちょっと汗ばんだうなじの香りが最高にハイッって感じ!)

 まったく異なる感想を抱きながら、電車に揺られること一分ばかし。

 短い悲鳴が、小さく響いた。

「ひっ!?」

 ぞわぞわと、大河の背筋を悪寒が駆け抜けていく。

 ここは女性専用車両。痴漢など、いるはずがない。

 ならば、これは――

「お、おい翔、何やってんだてめぇ!」

 翔の仕業としか思えない。

 詰問は、声量こそ最小限にまで落としているが、ありったけの侮蔑を込めて。

 ギギギと首を泣かせながら背後の翔を睨み付ける。

 そこには案の定、悦に入った翔の顔があった。

「ご、ごめん大河ちゃん。我慢できなくて、つい」

「お前な、これはさすがにガールズ云々じゃなくて立派な痴漢だぞ!てか自分を触るっつってたろ!」

「うふふふふふ。手が後ろに回らなくて。まさか胸揉むわけにもいかないでしょ。それに、女の子同士で痴漢なんて、成立すると思ってる?」

 そして翔は、これ以上ないほどの確信犯だった。

 思う存分に大河の尻を弄る。呼吸が荒いのは、もはやデフォルトとさえ言ってもいいだろう。

 苛立ちながらも、確かに翔の言うように為す術がない大河は、ワナワナと震えるしかなかった。

「私、今なら痴漢の気持ちがわかるかも。特によく見知った大河ちゃんだからこそ、これほどのシチュエーションはないと断言できるわ!恥辱を耐えるその表情だけで値千金よ!」

「覚えてろよこの野郎……絶対後悔させてやっからな……!」

 あくまで小さな声で、人に聞こえないように応酬を繰り返す。

 結局、次の駅に着くまでの間、大河は一度だけ思い切り翔の手を引っ掻いただけで、それ以外に抵抗らしい抵抗はしなかった。

 そして、降車の波に押されるように構内へと二人が吐き出される。

 すでに手を離していた二人は、お互いに構内で距離を置く形になる。

 降車した人間がエスカレーターへ向かう列を作り、構内に溜まる。それを後目に、電車は何事もなかったかのように動き始める。

 瞬間、大河の顔が暗い笑みを作った。

「そこの緑ジャージの女、レズビアンの痴漢です!!」

「……え?」

 そんな大河の叫びに、翔の血の気が引いていく。

 そして、思う。

 まさか、そんな。友達同士のじゃれ合いみたいなものじゃない。そもそも女同士で……いや、これは女同士だからこその訴えか。あ、これってマズいかも。みんなこっち見てるし、なんとかしないと!

 そうして翔が至った結論は、これを冤罪として乗り切ることだった。

「ちょ、ちょっと!失礼なこと言わないでよ!私はたまたまあなたの後ろにいただけで、そんなことは……」

「だったらその手を見てみなさい!あたしが引っ掻いた傷があるはずだから!」

 ハッとして、翔が手の甲を確認する。

 確かに、そこには軽く血の滲む引っ掻き傷があった。

 先日の痴漢対応で証拠を押さえたように、大河はあの状況から動かぬ証拠を作り出したのだ。

「こ、こんな……!」

 すっかり、してやられた形だ。

 思わずたたらを踏み、一歩下がる。

 それを見逃すほど、今の大河の怒りは温くない。

「待ちなさい、逃げるつもり!?誰か捕まえて!」

「ちょ、洒落にならないって……!」

 追い詰め、実際に逃走させる。

 復讐の舞台は大河の見事な勝利によって幕を下ろした。



 十分後。電車の遅延こそなかったものの、駅員に全力で説教される二人がいた。

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