ショッピングといふものを 後編
後編です。色々と酷いです。あと先に断っておきますと、この場面は一部完全にフィクションです。そこを真似したらいけません、絶対に
肩を並べて外へ出る。
片や、上下共に緑ジャージで。片や、男物のラフな装備で。
下着を買いに行くのだから少しは洒落た格好でも、と思うところだが、そもそもの服がないのだからやむを得まい。
「しっかし、いきなりブラジャー買いたいってまた、なんでさ?」
「だってさ~、ノーブラって乳首擦れて痛いのよ」
「……一応、公言憚られる台詞だってわかってるよな?」
女言葉を定着させつつある翔に、ブレもせず男口調で応じる大河。
しかし、と大河は少し唸る。
これから赴くのは、下着売り場である。ならば少しはそれらしくせねば、召し物との相乗効果でよろしくない立場に追いやられかねないかもしれない。
隣にいる翔もジャージの段階でどうかしていると思われるだろうが、それでも、大きな胸の膨らみで女性だということは見て取れる。
「まぁノーブラは俺もだけど……あ、昨日の仕事中乳首透けてたかもしんないな。クソッ!道理でチラチラ見て来たわけだ、あのエロガキどもめ!」
そんな翔の胸を見て状況を思い返したのか、返上できぬ痴態に憤る大河。
その横で、何故か翔が胸を張った。
「ふふん。私はノーブラ乳首透けどころか、今ノーパンだから!」
「いやお前それはアウトだよ!?」
そして、頭を叩かれた。
今から戻ってトランクスを貸すというのも、何というか、翔のためにしてやるには面倒だ。
「とりあえず、どんなの買うつもりだよ?」
大河はそう結論付け、商店街のあちらこちらへと目を配りながら問う。
適当な下着が欲しいだけだというのなら、そこら辺でも間に合うだろう。そう思っていた。
「せっかくだし可愛いのがいいよね!こう、ちょっと縁にフリフリが付いてたりするようなの」
だというのに、翔が喜色満面に言い放ったのは正反対の言葉だった。
大河の目が、奇怪な生き物でも見るかのように細められる。ついでに、頬がピクピクと痙攣する。
「や、やだ、そんな目で見つめられると、その……濡れる」
明らかな侮蔑を含んだその表情を向けられることは、翔にとってはご褒美らしい。
赤らめた頬に両手を添えて、いやんいやん、と上体を振る。
「せめて惚れるで止めとけド変態」
だからといって、罵る以外に何ができるだろうか。
大河は、火に油とわかっていながらも追い打ちをくれてやって、足を速める。
その後ろを、少しして、置いて行かれそうになった翔が小走りで続く。
「ねぇ大河ちゃん、そういう下着売り場知ってるの?」
「心当たりはある。トップとアンダーも出てくる前に測ったし、そういうとこでもオーケーだ」
「お金は大丈夫?」
「三万ぐらい持たせたろ?それ以上に買うにしても、そん時は俺が貸してやるよ。こっちは桁一つ上にしといたから」
大河は、迷いなく商店街を突き進んでいく。
そのまま直進し、やがて駅に出る。
もはやめっきり利用者の少なくなった券売機で、大河が切符を購入する。翔はそれを改札で待った。
「そういえば大河ちゃん、スイカ使わないの?」
「眼に見えない金ってのが怖いんでな。見えないと、使いすぎてやしないかと不安なんだ。クレジットカードも持ってないぞ」
「はぁ~。そういう人もいるんだね。だからまだ券売機残ってるんだ」
「え、そうなのか。つまるところ、俺は電子化に歯止めをかける重要なピースだったというわけだ」
「誇るとこかなぁ、それ」
切符とタッチで改札を抜ける。
各駅停車の上り電車に乗り込み、揺られる。
わいわいと騒ぐでもなく、二人は静かに目的地を待った。
もちろん常であれば騒がしいのだが、大河はその間――
「こうすれば少しは、いや、あるいは……う~む」
と、なにやら考え事をしている様子だったので、翔も半分眠るようにして時を過ごしていた。
そうこうしながらも、一度の乗り換えを経て、全行程となるおよそ三十分が過ぎた。
そこは人でごった返す、あの駅だ。
「相変わらず人が多いなぁ」
「海外の人には、あのスクランブル交差点がアムェイズィングらすぃーね!」
「俺にとっても驚きだよ。ただでさえゴチャゴチャしてんのに、歩行者は携帯に夢中で前方不注意だ。危険だとは思わんのか、まったく!」
「……大河ちゃん、意見がご老公だよ?」
渋谷駅。
二人は駅構内からそんな驚愕すべき交差点を眺め、改札を抜けてすぐにその一員となって対岸へと渡る。
大河は目移りすることもなく、電気店の客引きの声に足を止める翔の髪を引っ張り、目的地へと連行した。
「おぉ、ここがまるきゅ~!」
翔が下から建物を見上げ、感嘆の声をあげる。引っ張られた頭皮が痛むのか、頭の片側を抑えながら。
対する大河は無感動に腕を組み、うむ、とだけ。
「値が張るのは間違いないから来たくなかったんだがな。お前が望むものが、ここなら確実にあるだろう」
場所のせい、と言ったのは大河だ。それを承知でやってきたのは、当然、翔のためである。
「おぉ~!大河ちゃん、ありがとう!」
「金は貸すが、都合はしないからな」
「そっ、そんなこと考えてねぇし!?」
「地が出るってことは図星か貴様」
「いたたたた!?ごめん!ごめん大河ちゃん!抓るなら手じゃなくて乳首をっ、あがががが!だめっ、千切れるっ!それ以上やったら手の甲千切れるううぅぅ!」
明らかに周囲から浮いた格好で漫才をすることしばらく。
ヒソヒソと笑い話の表舞台に上げられながら、二人は建物内へと歩みを進める。
「うわ!女子率たっか!」
「女物ばっかだからな。男にとっちゃ、いるだけで奇異の目を向けられる場所だ」
「よく耐えられたね、大河ちゃん」
「堂々と一緒に店入って選んでればいいのさ。おい、あんまジョシコーセー凝視すんなよ」
「ししししてねぇし!?見てんのチューガクセーだし!?」
「……はぁ」
一階からして、平日の昼間にどうして、と思うほどの人がいる。
中には制服姿のままここに来ている者もおり、時代が時代なら警官に問い詰められているのではないか、とすら思う。
食い入るように彼女たちを見つめる翔の目を颯爽と潰し、引きずるように大河はエスカレーターで階を上がっていく。
各階には出店の内訳も掲示されており、サッと見ればそれだけで目的の店がないことはわかるのだ。
階を上がり、あとは上に飲食階を残すのみとなったところに、その店はあった。
事実上の最上階のようなもので、客足はほとんどない。
「ここだな」
「あ~う~……やっと涙が止まってきたよ」
「本来ならここでこそ潰すべきなんだがな」
「もうしないからやめて、ホントに」
いつになく早口に大河を止める翔。視覚を閉ざされる痛みは、さすがに喜べないらしい。
大河は肩を竦めてから、翔を置いて店の前へ。
広げた片手で店内を示し、僅かに微笑んだ流し目で入店を促す。
「ほら、入ってみろ。生まれて初めてだろ?」
「い、言われなくてもそうするわよ!えぇ、今こそ私の初めてを捧げる時よ!」
ズンズンと効果音が付きそうなほどに不恰好に、翔は生来初となる、女性用下着専門店に突入した。
その後ろに、大河が続く。
「お、おぉ……」
ガラステーブルに陳列された、種々のパンティーに翔が目を奪われる。
あえて透けそうなほど薄手に作られていたり、網目が見えそうな荒さを持たせてあったり、ヒラヒラとレースリボンが付いていたり、極端に布面積が狭かったりと、どれも女性着用の場面を目の当たりにすれば劣情を催すこと間違いなしだ。
さらには壁に掛けられた、ブラジャーの数々にも目を見張る。
いわゆる寄せて上げるオーソドックスなものから、フロントホック形式という男児の想像だにしなかったであろうもの、着用者の付け心地最優先の通気性重視のもの、どうやって保持するのか疑問視してしまう肩紐の存在しないものと、こちらも実に見応えがある。
「エ……」
「エロスとかほざいたら殴る」
「エ、エ、エロティシズムいたぁい!」
「大差ないわ!」
またもや漫才を披露してしまう。
幸いなことに、今この下着売り場にいる客は二人だけだ。
店員が苦笑しながらも、この場違いな二人に営業を掛けようと近付いてくる。
この時間は客の少なさもあってか一人で回しているようで、他にメンバーの姿は見えない。
「いらっしゃいませ、こんにちは。本日はどのような下着をお求めですか?」
何度も女の買い物に付き合わされてきた大河は知っている。この渋谷マルキューという場所において、最も警戒するべきものが何なのかを。
それはこれ見よがしに並べられた、魅力的な商品の数々でも、その恐るべき値段でもない。
この、少しでも多くの商品を掴ませに来る、トークに優れた店員こそが最大の敵なのだ!
「あ、あの、えっと、私、これまでこういう下着を買ったことがなくて……オシャレな下着ならここだって、この子が」
これまで経験したことのない、店舗内での店員からのアプローチ。
突然話しかけられて困惑した翔は、助けを求めるように大河に視線をやる。店員もそれに釣られて大河を見やる。
任せておけ、と翔に頷いて。大河は対応を買って出た。
「あたしみたいなのが知ってて、意外だったかな?」
一言目から喧嘩腰である。女であるアピールなのか、一人称が変わっている。
だが、店員は慌てた様子もなく、その言葉を否定した。
「いえいえ、そんなことはございませんよ。何を隠そう、私も私生活は男勝りですから」
来たな共感トーク!
大河が、気構える。ついでに身構えにも出る。
客商売の場においてはこの、共感、というものが一番判断を狂わせるのだ。
「てことは、あんたもここの商品で固めてるってわけ?」
「もちろんです。ふふふ、どこかで可愛い女の子をアピールしたいのかもしれませんね」
確かに、ここの商品はどれも可愛い系に属するだろう。
今の大河のような、ボーイッシュなルックスには似合わない。
だがその内に、誰にも見せないようなところでだけは、頑なに乙女を貫いていたのなら。
それを、もしも目にする機会があったなら。
そっと、ブラのフロントホックを外す。大河の中の、包み隠されていた女が、その姿を白日の下へと晒す。その瞬間を、見つめることができたなら。
「お、おぅ……大河ちゃん、いい、そのシチュエーション、すごくいいッ!」
いつからか妄想を声に出し、むっはぁー、と呼吸を荒げていた翔。
言い終わるや否や、二度目の目潰しを食らったのは言うまでもない。
最後まで言わせてあげただけ、大河は理解ある友だろう。
「こっち見んな気持ち悪い。すみません、こいつ変態なんで無視してあげてください」
「……ハッ、ハイ!?」
さすがに店員の方も平静には収まらなかったのか、声が上ずっていた。
が、そこはプロ根性。すぐに営業へと戻る。
「コホン……では本日はそちらの方に合う下着を?」
「あぁ。あたしの見立てでは、こいつは肉感があるからそこを強調できるような奴がいいと思うんだ。そこの……ちょこちょこ透けてるやつ」
「艶めかしさ重視ですね。これですか?」
「うん。そのあたりかな、と。そっちの色違い、ライトブルーのやつも見せてもらっていい?」
悲鳴を上げて天を仰ぐ翔を放置して、大河と店員は二人で会議を始める。
内容は肯定的な意見がほとんどで、渋るとしてもカラーリング程度である。
それもとりあえず最初の一着ならばシンプルに桃色にと落ち着き、このままアッサリ買い物終了と思われた。
その時だ。
「極めて個人的な意見ですけど、彼女ならこちらも似合うと思いますが、いかがですか?」
出たな控えめセールス!
再び、大河が気構える。やっぱりついでに身構える。
さっきは翔の変態トークの前に崩れ去ったセールストークだったが、ここで挽回とばかりに攻めて来た形だ。
こちらもいかがですか、という勧め方。先に共に選んだセットに関しては、すでに勘定に入った上での言葉なのは明らかだ。
そう。下着は何も、上下一対しか揃えてはいけないというわけではない。
翔が口走ってしまった、こういう下着を買ったことがない、という発言もそれを後押しする。
これから変わろうとするのなら、数種類のストックを、というのも十分考えられる。
「いいね。臍下に来るリボンがちょっと大きめで可愛い。あいつぐらい愛嬌があれば、魅力増大だ」
しかし、ここで一気に突っぱねるのは得策ではない。
今は、この目の確かな店員に任せて追加のセットを選ばせる方がいいのだ。
「そうですよね!ちなみにこれとセットのブラジャーは、ジャジャン!」
「おぉ、大胆に開けてくるなぁ。谷間の方とか、ほとんど隠す気ないね」
「そこなんですよ!可愛らしさと大胆さ、どっちも見せられて素敵なんです!」
店員も手応えを感じたのか、ノリノリだ。
大河としても、このセットは実際に悪くないと思っている。
ここで購入を決めて、あとは翔の手持ちがなくなるとなれば、これ以上の営業はないだろう。
……事実、このセットだけでも軽く諭吉さんが二人と樋口さんが一人は飛び去っていくのだから。
「それじゃあ、あたしの選んだのは却下してそっちにしようかな。実際、可愛いしね」
だから、大河は決してそれ以上の出費を許さない。
店員が驚きに声をあげる。
「えぇ!?そ、そんな、悪いですよ、私のポッと出の意見で……」
ここで一歩引くのは、当然の対応だ。
両方とも買ってもらう。それこそが彼女の狙いだったはず。
しかし今がっつくような態度を取れば、客は当然逃げてしまうかも知れない。今買おうとしているものすら放り出して。
こうして乗せるだけ乗せて、最適解だけを頂いて行く。それが、大河が最初から描いていた勝利のヴィジョンだったのだ。
「あ~……神よ、私に再び光を与えてくださったことに感謝します」
長らく呻き声しかあげていなかった翔が、徐々に周囲の光景を視界に捉え始めているのか、なにやら妙なことを口走り始めた。
そんな翔の様子を見ながら、大河は店員に耳打ちする。
「アレだから、こういうとこの相場も知らなくてさ。正直軍資金も一対で限界なんだよね。それなら、やっぱりプロの意見の方がいいと、あたしは思うんだ」
決して見えないのをいいことに、口元を思い切り歪めて言う。
大河は確信したのだ。
勝利を。このショッピング戦争における、完全なる優位を。
「……わかりました。それでは、こちらをお包みしてもよろしいですか?」
「うん。お願いするよ。相談に乗ってくれてありがとう」
「いえいえ。あ、お会計はあちらでしますので」
「わかった。あの馬鹿をやるから、先に会計準備だけしといてくれる?」
店員を先にレジに向かわせ、大河は天に祈りを捧げている翔の背中を蹴りつけた。
あまりの仕打ちに、ぷんすこ、などとのたまって怒りを表現する翔だったが、大河が今はすでに会計待ちの状態であることを伝えると、慌ててレジに向かっていった。
店員が梱包準備だけに留めてセットで並べてくれていた下着を眺め、翔が感心したような声を出す。
軽く補足説明なんかを披露する店員の言葉に、うんうん、と頷いては納得の表情を浮かべたりする。
その間に、大河は今一度店内の商品を見て回って待機する。
女にしては迅速に買い物を終えたが、それでも待つ間には少しでも暇を潰したくなるもの。
物色する間に翔の悲鳴や、笑いながら値引きをしてくれた店員の声を聞き、フッと微笑む。
「大河ちゃん、無事買えたよ!」
「おう。良かったな。いくらだった?」
「二万円切ったよ!やったね、たいちゃん!」
「おい馬鹿やめろ」
どうやら値引きによって樋口さんの命が救われたようで、翔は実に上機嫌である。
大河はその値引き額に少し驚きながらも、素直に自分の善戦を心中で讃えることにした。
「うぁ~……それにしても、まだちょっと目がショボショボするよ」
「あぁ、これに懲りたら少しは衝動を抑えろ」
何かを訴えるように目をこするも、大河は一向に詫びる様子はない。
むしろ当然の対応だっただろう、とさえ言いたげな目で見つめてくる。
「そうする。ちょっとトイレで見てくるから、待ってて」
「はいよ」
パタパタと、翔がブランドロゴ入りの手提げ袋を振り回しながら去って行く。
どうせ待つなら、買い物をした好もあるこの場所でもう少し商品を見ていてもいいだろう。
そんな軽い気持ちで、大河は店内を見回す。
「お客様、本日はどのような下着をお求めですか?」
その油断を見逃してくれるほど、プロは甘くはなかった。
「え?いや、あたしは別に……」
「何をおっしゃるんですか。お客様がブラジャーを着けてらっしゃらないことぐらい、私にはわかってますよ」
ニコニコと、店員が大河に歩み寄ってくる。
あかん。
大河の顔から血の気が引いていく。電車内で必死に用意していたのはあくまで、翔用のシナリオである。
自分への流用は、よもや効くまい。
「それに、お客様ほど目立つ方を、私が覚えてないのがおかしいんです。ここにいらっしゃるの、初めてですよね?」
「あ、それは、その……友達に、連れられて……」
大河は、嘘は言っていない。
のだが、その時は残念ながら女ではなかった。
「ふふふ、大丈夫ですよ。そう恥ずかしがらないでください。彼女がいないうちに、サッと選んでしまいましょう!」
両手をワキワキさせながら、一歩一歩近付いてくる店員。
大河は身の危険を感じ、引き下がりながら助けを求めて周囲を見渡す。
が、アウター店舗と違ってインナー店舗は客の入りが少ないのか、その影さえ見えない。
ついに大河は壁際に追い詰められてしまった。
「今なら店舗試着も奥のスタッフルームで可にしますから!監視カメラの死角でイケますから!さぁ、さぁ!」
「下着試着はマズイでしょうよ倫理的に!っていうか、なんでそんなに押せ押せなの!?」
「目の前に極上の着せ替え人形があって、これが興奮せずにいられるもんですか!この商売やってるのもそれが理由ですからね、えぇ!」
「最低じゃねぇかこのアマ!」
「なんとでもどうぞ!さっきの子の妄想もバッチリ完璧でしたし、もう止まれませんよ!」
「同類だったのかよ!?五千円以上も値引きしたのはその礼のつもりか!」
「そうですとも!さぁ観念しなさぁ~い!」
「あ、あぁ……いやあぁぁぁぁ!か、翔うぅぅぅぅ!!」
帰り道。大河の持つ手提げ袋には、四セットにも及ぶ下着が納められていた。