ヤケ酒といふものを
お酒が入ります。おかげでひどいテンションで話が進みます。どうぞご容赦のほどを
「ふむ、これ目の色完全にエメラルド系の緑じゃん。お得感パネェ」
全身鏡の前に立ち、大河は満足げに頷いた。
こちらも翔よろしく、転換後のステータスチェックは念入りだ。
まずは、瞳。当人も言うようにエメラルドグリーンの虹彩を持つそれは、パッチリと大きく二重も見るからに明らかだ。そのサイズゆえにか、三白眼、四方眼ともなり得る。
眉は太眉。翔と同じく、整えればいくらでも取り繕うことができるだろう。加えて、元は黒かったというのに、体毛という体毛がブロンドにイメージチェンジを遂げている。
鼻も高く、他の顔パーツとしっかりとマッチしている。
「ずるいよぉ~、大河ちゃん。クォーターの血が逆転じゃ~ん」
「ちゃん付けんな。猫撫で声出すな。気持ち悪い」
翔の体系を東洋系とすれば、大河のプロポーションはまさに西洋系、と対照的だ。
ただでさえ日光を避けて白かった肌からはムダ毛が消失し、健康に不安を覚えるほどに真っ白。
男性平均身長を少しだけ上回る程度の長身痩躯。それに見合った、長く、細い手足。
特に股下だけで身長の半分を占めそうなほどの脚部は、翔の目を釘付けにしている。その線の美しさは一部フェチにはたまらないのだろう。
スラッと伸びているのは四肢のみならず、その指先にまで至る。ふわりと曲線を描く、いわゆる女爪も鮮やかなピンク色で、コーティングだけでも十分に目を引きそうだ。
胴部に関しては、ふんわりとハリのある臀部、ほんのりと括れた腰、そして控えめなバストと続く。
ふんふん、と自己分析をしながらポーズなんかを取ってみたりする大河。結構な確率で、というかこれは確実にナルシストの類だ。
「ねぇねぇ、大河ちゃん、撫でていい?むしろ撫で上げていい?具体的には膝裏からお尻のところまで」
どうやら、そんな扇情的なポージングがバッチリと作用してしまったらしく、翔が鼻息を荒くしている。
「蹴るぞ」
「お願いしますッ!」
「……金払わすぞ」
「うぐ、うぐぅぅ……!」
色々と迷走を始めた親友に溜息を漏らしつつ、これ以上の暴走は許すまいとポーズを崩す。
気力があっさりと消え失せ、目は半月のような半開き、伸びていた背筋もガッツリ猫背になる。
瞬く間にその魅力が激減してしまうあたり、やはり姿勢の力は偉大だと感じざるを得ない。
「とりあえず、服着るか」
「え、それはもったいない!」
「着エロ」
「是非もなし」
暑いからとトランクス一丁で寝ていた大河は、そのまま先の自己分析に没頭していた。
裸族であることも相俟って何も気にしていなかったものの、さすがに女の身となると意識は変わるらしい。
もちろんここで、翔と同じく女物がないという現実に直面するのだが――
「ベルト締めりゃいけるな」
こちらは、元の肉体からしてスリムだったらしく、そのまま男性用のスーツを着込む。タイトなパンツスタイル。
おっほぉ、という声が聞こえたが、無視する。
「で、俺は今日この後バイトなんだが」
「……え?行くの?」
「あぁ。テスト前だし日曜返上でな。こっちのことも、ちょっと早めに行って事情説明すれば、まぁわかってくれるだろ」
んなアホな。
翔がそう思っている間にも、大河は顔を洗ったり歯を磨いたり、髪に櫛を通したりしている。
大河の商売は客商売。外観の手入れは欠かせない。
「じゃあ行ってくる」
最後にネクタイをきっちりと締めて、大河は揚々と部屋を出た。
時刻は、午後三時である。
「うん。いってらっしゃい」
顛末は帰ってきてから聞けばいいだろう。
翔は快く大河を見送り、それからベッドに座る。
しばらくは足をブラブラさせたりしていたが、外から自転車の走り去る音がすると、即座に行動に移った。
「ふおぉぉぉぉ!大河ちゃんの香りがこの布団にいぃぃぃぃ!」
大河が起きた直後の落ち込みようから考えれば、随分と早い立ち直り。
そしてまぁ、なんというか……絵に描いたような変態っぷりであった。
大河が帰ってきたのは、それから七時間ほど後のことだ。
「う、ぐすっ……」
目に、涙を溜めて。
「ど、どうしたの大河ちゃん!?」
鼻をすすりながら扉を開けた大河を、翔はオロオロと出迎える。
玄関から動こうとしない大河に、ティッシュの箱を捧げたりもする。
「うぇ……う、翔ぅ……」
「はいはい、とりあえず落ち着け。話なら聞いてやるから」
ついにはポロポロと涙をこぼし始めた大河。
翔は手を伸ばして、その頭を軽く撫でる。なんだか、手慣れている。
「俺、もう、先生できない……」
「生徒にセクハラされたのか!?」
翔の言葉に、大河はブンブンと勢い良く首を振った。そんなわけない、と言いたいようだ。
大河のアルバイトは、塾講師。法の許す範囲で子供が好きな大河には、とても居心地の良い場所だ。
大学に入ってから勤め始め、かれこれ六年ほどの勤続である。それが、続けられないとは。
「胸揉みたけりゃ五千円って、言った、から……」
「うん。それ、先生が中高生に言う台詞じゃないぞ?」
若干――いや、かなり生徒とのやり取りに問題があるように思えるが、そんな冗談がすぐに飛び出しているあたり、関係は良好と言えるだろう。
うぅん? と翔は声を出して首を傾げる。
「授業が終わってから、な……」
そんな業務終了後に何があったというのか。
ますます首の角度を水平に近付ける翔に、大河は一層の涙声でその答えを打ち明けた。
「ちょっと恥ずかしそうに……万札出して、きて……室長が……」
「ぁ…………おう」
それは、精神的にはまだまだ男な人間からすれば、死刑宣告に等しい所業だろう。
翔も思わず引き攣った笑顔になる。何か面白いトラブルでも起きやしないかと期待していたのは事実だが、こんな爆弾を抱えて帰ってくるとは、翔にとってもさすがに予想外だった。
「うぎゅ……ぅ、あぁぁぁん!」
いよいよ、大河は感極まって泣きだしてしまった。
目の前にいた翔を、きつく抱くようにして。
「なんだよぅ、俺が美しいのが悪いのかよぅ!」
「うん、言いたいことはあるけど後にしといてやろう。よしよし」
めげているのか、そうでもないのか。少し判断に困る台詞ではあるが、本気で泣いていることを思えば凹んでいるに違いないだろう。
翔は抱き返すように大河の背中に手を回し、ポンポンと一定のリズムで叩いてやる。
「……とりあえずほら、靴脱げ。いくら防音してても、ここで泣いてたらさすがに周りにも迷惑だ」
大河はギュッと一度だけ強く翔を抱き締めると、体を離し、大きく息を吸った。
まだ目は真っ赤だし、鼻をすする音も止まっていないが、精神的には少し落ち着いたらしい。
うぅ~、なんて言いながら、涙で濡れてしまった翔のジャージの肩口を拭いている。
「大丈夫だ。そんなの気にするなって」
「ん……」
「ほら、いつもの熱しやすく冷めやすいお前はどこ行ったんだ?そんなキャラじゃないだろ」
「ん……」
翔の一言一言に、いちいち首を縦に振って応じる。
図体はデカいものの、そこだけ見れば子供も同然だ。職場で若者と触れ合う機会が多い分だけ、こういうところにもその影響が出ているのだろうか。
このまま精神退行したままというのも翔としては良い物なのだが、そのまま立ち直らないなどということになっても困る。
せっかく共に女体化するなどという珍奇極まりない状況にいるのだから、二人で楽しまねば嘘というものだろう。
「よし、酒飲みに行こう!」
「……気分じゃない」
「何を言う、失業祝いだ!主賓はお前。拒否権はないぞ。ほら、着替えろ」
翔は大河を適当なジーパンとタンクトップに着替えさせ、強引に外へと連れ出した。
幸いなことに、さほど遠くない距離に呑み屋がある。男だった時分にも、二人で何度も通った焼き鳥の美味い店。
引き戸を開ければ、すぐにウェイターが現れる。
「えっと、奥まったとこ、空いてますか?」
「はい。こちらへどうぞ」
今は、日曜の夜である。零時を跨げば絶望の月曜日ということもあり、客足は疎らだ。
注文通りの、奥まった座席に通される。席につくや否や、翔はメニューも見ずに注文を始める。
「えーと、とりあえずジントニック」
「……テキーラショットガン」
「落ち着け。えっと、あとピーチサワーで。あと串盛り合わせと、枝豆お願いします」
注文の復唱もなく引き上げるウェイター。それと入れ替わるように、お通しとおしぼりが別のウェイターによって提供される。
大河は冷たいそれで手を拭いて、それから一面を広げて顔に押し当てる。そのまま冷気を吸い込む深呼吸。
翔はさっさと手を拭いて、ヒジキと大豆、コンニャクの和え物をウマウマと頂いている。
「よし。落ち着いた」
言いながら、大河が顔からおしぼりを離す。
いつものように半開きの目で、口角が緩く上がっている。本調子ではなくとも、本人の言うように十分落ち着いたと言えそうだ。
「おかえり」
「ただいま。ちょっと一時的狂気ってた」
「不定じゃないだけ良かったな」
かんらかんら。
軽いジョークも口にできるようになれば、一安心だと翔が笑う。
大河も笑い、お通しに手をつける。
程なくして酒が届いた。
「お待たせいたしました。ジントニックとピーチサワー、こちらショットガン用のテキーラとトニック、コースターになります」
「あぁ、ありがとうございます――って、お待ちになって!?」
何食わぬ顔で去ろうとしたウェイターを、裾を掴む勢いで断固確保する翔。
大河は、わぁい、と喜びながら早速ショットグラスで下準備に取り掛かる。
「普通、呑み屋さんにテキーラショットガンはないでしょう!?」
「常連さんで毎度注文される方がいらっしゃいまして、店長が意地で準備しちゃったんですよ。初お披露目が他のお客さんだっていうのも、なんだかすごい偶然だし、皮肉ですよね」
言わずもがな、大河の仕業である。ウェイターとしても、まさかその常連が女体化して目の前にいるとは思うまい。
呆れる翔と嬉しそうに去るウェイターのことなど放って、大河はテーブルにグラスを打ち付けて、くいっとやる。
実に、満足気である。
「……うまいか?」
「効くわぁ。コレだよ、コレ」
「まったく。儀式も待たずにやりおって」
「いやぁ、待ちに待ってたからさ。許せ」
「んじゃサワー持て。乾杯だ」
「かんぱ~い」
今度はグラスを互いにぶつけ合ってから。
そのほとんどを一気に乾かす頃には枝豆が届き、同時に追加注文を済ませる。
店、客、共に調和しきったようなタイミングである。
「う~ん、しかしどうするさ?実際こうして性転換すると、あれこれと不和が起きるし」
しばし酒を堪能した後、大河が枝豆もモムモムとやり始めた頃合いに、翔が切り出した。
実際、対策を練らねばならない事案は山積みと言えるだろう。
宴席ではあるが、そこは飲んでも飲まれるなの精神。保つところはしっかり保つのが、良い酒である。
「そうだなぁ。速攻で辞表出しちゃったし、明日から無職だよ、俺」
けらけらと笑う。
肥え気味で青髭で脂ぎった上司が頬を赤らめて万札を差し出しているトラウマな光景も、どうにか乾いた笑いで流せるようになってきたらしい。
そうなると、今度はイロイロと後悔が湧いてくる。
「くっそぉ~。せめてあの金は奪ってくればよかったなぁ」
「ちょ、そういう問題!?」
「そういう問題だよ!何をするにも先立つものだよ!」
唸りながら、大河はテーブルに突っ伏して頭をかかえる。大丈夫そうに見えて、結構出来上がっている。
一人で何度もショットガンを堪能していたのだ。この有様も納得というもの。
「じゃあ、明日からバイトを……」
「決めた」
がばっ。突然に起き上がった大河に、翔はちょっと驚いて身を引いた。
すでに据わった目で、しかしギラギラと野心的に見開かれたそれは、まさしく狂人だった。
「俺、明日から女になる」
「……はぁ?」
そしてその発想まで狂っていたのだから、酔いの回っていない翔が呆れた声をあげるのも無理のない話だ。
第一、すでに体つきは男を惹き付けるほどに女だろうに。
「女子力とかいうのをつけて、女としてレベルアップする」
「マジデ。それを横で見られるとか俺得なんだけど」
「お前も付き合え。お前にだって必要なことだ」
「え、なんで必要なん?」
脈絡も何もない大河の論に、素っ頓狂な声が出る。
瞬間、大河がテーブルを思いっきり叩いて立ち上がった。
「馬鹿者!女を磨き、男を手玉に取ってこそ、我ら元男児の本懐というものであろう!金品も心も奪いつくし、はいさよならと捨ててやるのだ!」
「……ビッチ?」
「そう、ビッチだ!我々はビッチになるのだ!色目でしか女を見れぬゲスどもめ、眼に物見せてくれる!」
大声で演説をかまして高笑い。酒が回り、スピードレースマシンのような急加速で人格を崩壊させていく大河。
そこに、追加の酒が届く。
「うむ。ご苦労。今なら下僕壱号として迎えてやっても良いぞ」
「大河ちゃん帰ってきて~。あ、ごめんなさいこの子酔うといつもこうなんですごめんなさい」
「情けないぞ翔!我々は男心を熟知しているのだ、この特性を生かさずしてなんとする!」
「あの、ほんとごめんなさい。無視してくれていいんです。かわいそうな子なんです」
必死にカバーに回った翔の奮闘によってか、ウェイターは軽く微笑んで去ってくれた。
あっという間に醒めてしまった酔いであるが、このへべれけと来たらまだまだやるつもりらしい。
「さぁ飲め、翔。明日から共に切磋琢磨だぞ!乾杯だ!」
「……生まれて初めて神に祈るよ。大河がこの記憶を失っていてくれますように、って」
盃を神に捧げるつもりで、飲み干す。
それからも大河は潰れるまで暴走を繰り返し、その度に翔は肝を冷やすハメになった。
そして残念なことに、翔の願いが天に聞き届けられることはなかった。