お祭りといふものを 後編
ただひたすらに、二人と一人がお祭りを楽しむお話になりました。
というより、幼女回。うわようじょつよい。しかもながい。
祭りにおける子供の玩具筆頭、ヨーヨー。
水に浮かぶその様が、子供たちには宝石のように見えているのだろうか。
そしてその魔力は、男女の別なく及ぶのである。
「たいがおねぇちゃん、がんばって~!」
すみれもその誘惑には勝てぬようで、全身を使った精一杯のエールを頼れるおねぇちゃんに送っている。
声援を受けた大河は、片手でキツネを作って鳴かせる。いつの間にか、それがオーケーのサインになっていたようだ。
出店の主と二言三言言葉を交わし、料金を支払う。渡されたのは、なんとも頼りない釣り針だ。
「あれね……毎回思うんだけど、ズルいのよ」
それを見て、翔がゴチる。が、反応はない。
すみれは大河の背中を食い入るように見つめ、何かよくわからないオーラのようなものを掌から放出して援護している。つもり。
彼女に高説を垂れたところで理解はできないだろう。
翔は、ふぅ、と息を吐き、すみれに肩を並べた。
「んんん~!」
「ぬぬぬ~!」
そして、こちらもオーラを送り始めた。つもり。
ヨーヨー釣りをする女性一人に、二人が念を送る異様な光景は、祭りの中にあっても避けて通られるようで、通りにぽっかりと穴が開いた。
いや、原因はそれだけではない。大河は釣りも始めずに針と睨めっこを続けており、その眼は気狂いのような四方眼となっていた。
客が離れて苦笑いをする主のことなど気にも留めず、大河はじっと、振り子のように揺らした釣り針を見つめている。
いや、それだけではなくブツブツと何かを呟いている。
「振れ幅三十度で水平面に並ぶか。ならば侵入角度は六十度。戻りの合間に輪を通し、引き上げる……」
どうやら脳内でのシミュレートらしい。
糸の結び目が釣り針の先端よりも下にある関係上、そのまま針を掛けようと入水させれば、薄紙を縒っただけの糸は必ず水に触れ、ふやけてしまう。
翔がズルいと言ったのもこのためであるが、それをこうまで理詰めで打開しようなどとは、普通は思わない。
というより、ここまで必死にヨーヨーを求めはしない。
「いち、に、さん、し――ごっ!」
タイミングを声に出し、大河が動いた。
おぉっ!と後ろの二人から声があがる。
宣言通りの角度で入水した針は、大河の繊細な導きによってさらなる角度を付けて水面ギリギリの所を進む。
その針が輪の中に至るのに、時間はかからない。だが、この引上げ時こそ最も神経を使うタイミングである。
大河は横へと引いていた手を瞬時に天へと掲げる。糸の着水を避けるように。そして同時に、持ち上げた衝撃で糸が切れぬよう、ヨーヨーの紐の長さ分だけを中空に晒すように。
「……ふぅ」
全てを完璧にこなした。
大河は充足感に笑みを浮かべ、ゆっくりとヨーヨーを引き上げる。
滴一つ触れなかった糸は、ヨーヨーの重さを支えてもなお健在と己を誇る。
グッ、と残る手でガッツポーズを決める大河。
歓声と拍手がその後ろから、前から響く。
「いやぁお見事。お姉さん、目付きがプロだったよ」
賞賛するのは、出店の主その人だ。
ついぞ目にしない鮮やかな手際に感服した、という体でもないようだが。
「遊びこそ全力ってのが、あたしのモットーでね」
「いい心構えだが、そうだな……三個以上は取らねぇでくれるかい?」
その言い分は、このまま取られては商いに響く、ということらしい。
大河もそれには一思案して。生意気にも口角を上げて応じた。
「あと二個を保障の上で、この針をあの子に使わせてくれるなら考えるよ。失敗しても二個もおまけしてくれる、そんな絵面なら見栄えもいいだろう?」
「これはまた、豪気なお姉さんだねぇ。しかも交渉上手と来たもんだ。わかった、それで手を打とうか」
「ありがと。気前のいい男は好きだよ……っと、あと一つお願いがあったんだ。いや、こっちは何も難しいことじゃないよ」
釣り針からヨーヨーを外しながら、大河はククク、と笑う。
それから、一体何かと首を捻る店主に、ちょっとはにかんだように言った。
「あたしのことはさ、お嬢ちゃんって呼んでほしいな」
背後で翔がキャーキャーと喚いているが、これっぽっちも気にしない。
すみれは、まだヨーヨーが取れたことを喜んでいる。
ちょっとして、店主は声を大にして笑った。
「ハッハッハ!こりゃあ失礼、お嬢ちゃん。お詫びと言っちゃなんだが、そっちのお嬢ちゃんにも一回サービスだ。二人とも遊んでいってくんな」
「わぁ!ありがとうございます、お兄さん!すみれちゃん、私たちにもやらせてくれるって!」
「やったぁ!ありがとう、おじちゃん!」
やったね、と喜ぶ翔とすみれ。
早速、大河と入れ替わるようにして釣り針を手にヨーヨーを睨む翔。
「よぉ~し。すみれちゃん、私も大河ちゃんみたいにかっこよく取っちゃうからね~!」
袖をグイッと捲り、気合は十分だ。
「たいがおねぇちゃん、わたしにもとりかたおしえて~?」
「ん。いいけど、ちょぉ~っと難しいよ?」
が、そんな翔のアピールも空しく、すみれは英雄である大河に教えを乞うている。
そんな光景が展開されているなど露知らず、翔は狙いを付けたヨーヨーに一気に襲い掛かる。
「ちゃ~!」
ぷちっ。
掛け声だけが空転し、ものの見事に失敗した。
「ん~。お嬢ちゃんは素人さんだな。ホイ、残念賞」
「うっ……い、今のは偶々だから!?もっかい、もっかいよ!」
残念賞を左手中指に括り付け、しかし諦めきれない翔は泣きの一戦を要求する。
「今度はサービスできねぇぜ?」
「いいわよ!ほら、早く、早く!」
そして、金と引き換えに再度ヨーヨーと相見える。
一方――
「こうやって振って……うん。いいよ。それで、いち、に、さん、し、ご、で」
「ざば~!」
「上手上手。その調子でもう一回」
着実にテクニックを伝授していく大河。
すみれもそれを楽しんでいるようだ。
そうこうしている間に翔は――
「ちゃ~!」
二個目の残念賞を薬指に。
「ちゃちゃ~!」
三個目の残念賞を人差し指に。
「ちゃちゃちゃ~!」
四個目の残念賞を小指に。
そこで――
「ざば~!」
「おぉっ!ちっこいお嬢ちゃん、お見事!師匠の教えがよかったかな?」
「えへへ~」
園児に先を越された。
すみれは店主に褒められ、師匠に頭を撫でられて喜色満面である。
あんぐりと口を開ける翔。愕然と言うべきか、いっそ絶望と言うべきか。段々と意気消沈していくのが見て取れる。
そんな翔の様子にいち早く気付いたすみれは、オロオロとしてから店主に問うた。
「あ、あのね、おじちゃん……このはりを、かけるおねぇちゃんにあげてもいい?」
ヨーヨー釣りを終え、三人並んで人混みの中を歩く。
「……まぁ、元気出せって」
「かけるおねぇちゃん、げんきだして?」
ただし、翔は放心状態である。
結局、すみれに情けをかけられた五回目にも失敗し、五つの残念賞が左手の各指に下げられている。
すれ違う人々からは奇異の目を向けられ、子供たちからは指を差して笑われ、たかがヨーヨー釣りで散々な有様だ。
「あ~。私ってダメよね~、ホントに~」
「か、かけるおねぇちゃんはだめじゃないよ!」
「うふふ~。ありがとぉすみれちゃ~ん。私もう大丈夫かも~」
慰めてくれたすみれに翔が返したのは、ホラー映画も真っ青な、間延びした棒読み。
目には生気がなく、ゾンビと言われれば否定できないような状態だ。
その尋常ではない様子に、すみれが哀願の眼差しを大河に向ける。
「えっとね、うん……何か食べさせてあげたらいいんじゃないかな。お腹が空いてたら、元気出ないでしょ?」
大河はちょっと顔を逸らしながら、言う。
そんな大河に、翔から虚ろながらもツッコミの意思を孕んだ視線が向けられる。
が、すみれは違った。
一緒にいて楽しくて、遊びが上手い。そんな人物は、子供にとっては神様である。
「そうだね!えっと、えっとぉ……あ!おねぇちゃん、あれたべようよ!」
大河の言葉を盲目的に信じ、必死に指を差すすみれ。
その先に、ひらがなの垂れ幕が揺れている。ちょこばなな。
瞬間、翔の目に光が戻った。
「幼女とチョコバナナ……アリだわ!」
「お前の鼻の穴に二輪挿ししてやろうか。串から」
「物理ダメージ!?」
奇しくも、大河の言葉通りに食べ物を与えようとしたら元気になった翔。
それを見て、すみれの中の大河株が天井知らずに上昇していく。翔株は、相対的にかなり下がる。
「あ、そうだ。すみれちゃんに、チョコバナナ三つのおつかいをお願いしちゃおっかな~?」
そんな大河が、おつかいを頼んできた。
すみれとしては、是非ともその期待に応えたいところである。
「うんっ!すみれ、ちゃんとおつかいできるよっ!」
ぎゅっと両手を握って、上目遣いにアピール。
翔はそれ一発でノックアウト。心は錐揉み回転をして地に伏した。
大河もあわやの危機となったが、紙一重で難を逃れる。
「それじゃお金を渡すから、気を付けて行ってきてね。ちゃんと人の前を通るときは、通ります、って声を出して知らせること。帰ってくるときは自分だけじゃないから、チョコバナナを持ってます、って言うんだよ?」
「うん、わかった!」
渡されたお金を手に、いってきます、と背を向ける。
本人に見られていないのをいいことに、ニヤニヤとそれを見つめる二人。これがもし男であれば、間違いなく通報ものである。
すみれはしばらくタイミングを見計らっていたが、やがて意を決して踏み出した。
「すみれ、とおりま~す!」
横断歩道を渡るように手を挙げて、一歩ずつ店に向かっていく。
周囲の大人もきっちりと避けてくれる。声を出した甲斐があるというものだ。
見つめる翔は、その姿に一層の愛らしさを感じて悶える。
「あぁ~っ!なにあの可愛い生き物!もうなんなの!ねぇ!ねぇ大河ちゃ……大河ちゃん?」
「……かわえぇ…………かわえぇ………」
大河に至っては、放送が危ういレベルのだらけきった顔だった。
いくら女子でも、いや女子だからこそマズイと感じた翔が、そっとお面を被せてやる。
同時に、自分もお面を被る。
キツネと恐竜に見守られながら、すみれのおつかいは続く。
「おじちゃん!ちょこばなな、さんこほしいの!」
すみれはそう言いながら、大河から渡された硬貨を店主に差し出す。
「お嬢ちゃん、三本も食べるのかい?」
「ん~ん!おねぇちゃんたちにも、あげるの!」
言って、振り返りもせず、翔と大河のいるであろう方向を指差す。
その先を見た店主は一瞬ギョッとしたが、それでも再び笑顔を作って三本のチョコバナナを差し出した。
「はいよ、お嬢ちゃん。人にぶつからないように、気を付けるんだよ」
「だいじょうぶだよ!ありがとう、おじちゃん!」
一生懸命に三本のチョコバナナを両手に持って、くるりと振り返る。
二人がお面を被っているのを見つけ、自分もお面をしようと頭の後ろに手をやる。
が、チョコバナナを持っているため、うまく前に引っ張れない。
「ほらよ」
そうして苦戦していると、店主が手を貸してくれた。
すみれがお面の向こうから笑顔を向けて、頭を下げる。
そして、ちょっと籠った声で叫んだ。
「ちょこばなな、とおりま~す!」
両手のチョコバナナを持ち上げながら。
その姿に打たれた数は、二人では足りなかった。
あちらこちらで売り上げに貢献したり、しなかったり。貰いすぎた残念賞を、道行く子供にあげたり押しつけたりして時は過ぎた。
そんなことを繰り返している所に、太鼓の音が響いた。
祭りもいよいよ佳境、というところだ。
「やっぱり祭りと言えば踊りだよな」
ひょひょい、と手付きだけで軽く踊って見せる大河。
「懐かしいわぁ。ドラえもん音頭とアラレ音頭は定番よね」
今まさに流れ始めた曲を暗唱する翔。
それに、大河が挙手しながら進言する。
「ルパン音頭も大穴追加で」
「それはお祭りじゃ聞いた覚えがないわね。というか、かなりマイナーじゃない?」
「るぱんって、なに?」
「ぐぬぅ……すみれちゃんは仕方ないとして、翔にまで否定されるとは」
口惜しそうに歯を見せながらも、大河は足でリズムを取っている。
翔がそれに気付き、溜息を漏らす。
「それさぁ、今の大河ちゃんの外見と合わないわよ?」
「いいんだよ。あたしは日本人なんだから。自然に体が動く、ってやつさ。すみれちゃんは踊る?」
「すみれ、おどるのすき~」
は~い、と元気よく手を挙げて返事をする。
それだけ、好きだということだろう。大河もそれに笑顔で返し、そっと手を取った。
「よし。じゃあおねぇちゃんと一緒に踊ろっか」
「うん!」
「お待ちなさいなお待ちなさいよ。なんだって自然に私を除くかな」
率先して輪の中へと加わる二人を追って、翔もその中に入っていく。
振り付けも何も知らないけれど、見よう見まねでそれでも踊る。
三者三様に不恰好な踊りも、続けるうちに小慣れてくる。
先頭の大河などはすでに、後ろを向きながら、時には真ん中のすみれと手を触れ合わせるなどということまでやってのけている。
「むぅ……やるわね大河ちゃん。前を取ればあんな自然にタッチできたのね。う~ん、私はどうしてやろうかしら」
真剣な顔で悩む翔。
それに気付いた大河が、ニヤリと笑む。
「よぉし、すみれちゃん。くるっと回って翔とタッチ!」
「うん!いくよ~、かけるおねぇちゃん!」
命じられ、すみれが華麗に回る。
次に来るのは、足を止め、三度の手拍子を二度。
なるほど合点。翔もその意図を察し、少し下を向く。
パパン、パン。すみれと翔が、両手を互いに打ち合わせて三拍子を奏でる。
「とぉ~!」
「うぉ!?あたしか!」
パパン、パン。次の三拍は、再び前を向いて。大河も、慌てながらそれに合わせる。
やり通したすみれは、実に満足気に胸を張る。
「えへへ~」
「うふふ。上手いわ、すみれちゃん」
「将来は有名ダンサーかな」
嬉しそうなすみれに、自然と翔も笑顔になる。
大河は踊りながらカラカラと笑った。
「いやぁ。子供の笑顔はいいねぇ。いつだって活力をくれる」
「うわぁ……大河ちゃんオヤジくさ~い」
「子供が好きで先生やってたんだ。そんな風に言わないでもらおうか」
「うへぇロリコンか」
「ちょ、おま……!」
「ろりこんって、なに?」
「無意識にネタ合わせて来た!?」
祭りの夜は、いつまでも賑やかに過ぎていく。
「や~……遊んだなぁ」
「遊んだねぇ」
すみれを無事に母親と合流させて、二人はお役御免となった。
祭りの後の静けさと言うのは本当で、終わって片付けに入るとそれまでの騒がしさもどこへやら。二人はぼんやりと、片付けの邪魔にならないように離れた位置から櫓を見つめている。
疲労だとか、充足感だとか。なんとも不思議な感覚に満たされながら。
「あ、大河ちゃん忘れ物」
そんな中で、ふと翔が何かを思い出す。
「ん?なんだ?」
「かき氷よ、かき氷」
「ぐぇ、しまった!」
慌てて駆け出し、かき氷屋へと駆け込む。
店主は苦笑いしながらも、半分近くが溶けてしまった一杯をタダで差し出してくれた。
重ね重ね礼を言い、シャリシャリズルズルとやりながら家路に就く。
「翔、今夜はどうすんだ?」
「ん~。泊まってく。お祭りの後って寂しいし」
「まぁな。抱き着くなよ?」
「なんでバレたの!?」
「事あるごとにそれだからだよ。気持ち悪い」
大河の拒絶に唇を尖らせる翔。
ただ、まぁ――
「……こういう日に、人肌恋しくなるのはわかるがね」
大河も、その気持ちがわからないでもないらしい。
そんな普段ではあり得ない言葉を聞いたからだろうか。翔がストローの匙を取りこぼした。
それから、わなわなと震え始める。
「た、た……」
ふるふる。ぷるぷる。
その表情が徐々に歓喜に染まっていくのが、隣にいる大河にはよく分かる。
「たたたたた」
「大河ちゃんデレてない」
そしてよく分かるからこそ、途轍もなく呆れた、冷め切った視線を向けている。
「うおおおぉぉい!?なんで先読みして遮るのよ!?」
「事あるごとにそれだからだよ。気持ち悪い」
「ちょ、二回目!大河ちゃんそれ二回目!」
「大事なことなんだよ。ダメ押しにもう一回いくか?」
二人の関係は温くもなく、冷たくもなく、それでも僅かに甘く。ちょうどこの、溶けたかき氷のように。
結局この二人がやることは、何があっても変わらないらしい。
「ねぇ大河ちゃん」
「なんだよ」
「スプーンがないわ」
「……ほれ」
「わぁい!これで間接キスね!」
「ふんぬらばぁ!」
「うわぁそんな全力で奪わな――投げ捨てなくてもおおぉ!?」
その後、なんだかんだ言いながら同じベッドで寝かせてやるところも、いつも通りだった。
翌朝。先に目を覚ました大河が翔を床に蹴り落とすのも、いつも通りだった。