お色直しといふものを 後編
今回も何事も……いや、一部問題ありかもしれません。
ゲーム開始。
スタートするや否やダッシュで何処へと旅立った大河とは対照的に、翔はすぐに思索に耽る。
顎に親指と人差し指を添えるようにして、さも難題に直面したかのように。
「なんてゆーか、奇異の目が痛いわね」
これまで、隣に大河がいたことで、翔にとって他者の視線などどうでもいいものだった。
しかし今、相棒の姿はなく。そこに二人の世界はない。
「うん。これはまず迅速にインナーとパンツ、ないしスカートを手に入れて上下を変えないとアレだわ、恥ずかしくて死んじゃう!」
少し顔を紅潮させながら、足早に、とにかく近くの店に向かう。
しかし、その足は店の前で止まった。
どうしよう。どうしよう。そもそもモールにいる段階でこれなわけでしょ?これで店の中に入ったりしたら場違い度が鰻のぼりで鯉のぼりだわ。無理無理無理、絶対無理。こんなシャレオツな店にジャージよ?常識的に考えてあり得ないでしょうよ。うぐぅ、そう思ったら渋谷とかもかなり無茶してたわよね私。あぁ、ダメだ死にたい……
「おい翔、早く入れよ」
「ちょっと待ちなさいって大河ちゃん。こういう時はじっくり吟味してから――って大河ちゃん!?」
「はい大河ちゃんですよ。で、入るんじゃねぇの?」
うじうじと負のスパイラルに入りかけていたら、いつの間にか隣に大河がいた。
そんな状態に混乱しないはずもない。
それからちょっとして状況を理解したのか、翔は大きく溜息を漏らした。
「はぁ……ヒーローは本当に偶然常に近くを通りかかるものなのね」
「今はヒロインだけど――ってなんで泣いてんだお前!?」
そして、安堵の涙を流していた。
慌てる大河だったが、微笑んでいる翔を見て、なんとなく心境を察したように肯く。
「お前ってアレだよな。一人だとやけに小心者だよな」
「誰かと組んで初めて力を発揮するタイプなだけですよ~だ」
へいへい、と軽く翔の言葉を受け流して、大河がさっさと店に突入する。
それに続いて、翔も涙を拭ってから店内へ。
渋谷で見たそれとは違う、店舗の広さに物を言わせた大量の商品が翔を迎えてくれた。
その中でも特に注目を促されるのは、赤い文字で自己主張する特売コーナーだろう。
「あ!大河ちゃん見て、セールしてるわよ。うわ、これ半額だって!」
「季節の変わり目も近いからな。薄手の夏物は処分価格だ。が、秋の初めでも十分実用に耐える上、インナーにすればその後も問題なく使えるぞ」
褒めるような解説を入れる大河だが、その実、セール品には目もくれない。
そこで翔は気付いた。
今回の目的は秋物のコーディネートであり、どこかに夏っぽさの出てしまうセール品では得点が低いということに。
「さりげなく釣り情報混ぜてくるとか、ヤバいわね……大河ちゃんって本気になると変なスイッチ入るし、強敵だわ」
慌てて秋物コーナーへ。割引がない、仰天価格に目を丸くしながらも物色を続けていく。
落ち着いた色合いが多い中、ところどころに明るめのカラーリングが見られる。
とにかく手に取って、鏡の前で合わせて見る。
「ありがとうございます。ワガママ言っちゃって、すみません」
「いえいえ、大丈夫ですよ~」
翔がそんなことをしている間に、大河は店員に許可を得て、広げた服を携帯で撮り始めた。
それから価格をチェックして、再び携帯をいじる。
「この辺のって、数あります?」
「はい。人気ですけど、まだ何着かありますよ」
「そうですか。それじゃあ、また来ます。翔、また後でな」
そして、さっさと店を出てしまった。
翔は、大河の目星を付ける速さもさることながら、その行動力にも舌を巻くばかりである。
「候補を写真に撮って値段をメモ。なるほどね、そうやって時間節約しつつ予算内に収めるわけか。合流したのも納得かな~」
戦術を分析し、頷く。
確かにこの手法であれば記憶を頼りにコーディネートを続ける必要もないし、パターンも豊富に用意できる。
だが、翔はそうもいかない。この場で上下を決めて、それからが本番なのだ。
「まぁ、こっちは事情が違うからね。う~ん、とりあえず下からかな」
自身の特徴を見つめ直しつつ、翔は熟考の構えである。
まず、イケイケな感じは絶対にダメだわ。セクシー系は大河ちゃんの領域だから、同じ土俵に立つのは得策じゃないしね。というわけで、足をカバーできるロングなスカートかしら。足の長さ的にも隣に大河ちゃんがいたら霞むし、絶対そこをアピールしてくるもん。弱点は隠して、長所を引き立たせるのが賢い戦い方よね。うん、私って案外こういうの向いてるっぽくない?
結論付け、スカートコーナーへ向かう翔。だが。
「で、色で迷うっていうね」
諸手を挙げて、お手上げのジェスチャー。肩をすくめて、首も左右に振っている。
自分の特徴はわかっても、どんな色が似合うかなど、そうそうわかるものではない。
そもそも色の名前など、二十四色の色鉛筆セットすら言えるかわからないのが男の性。ビビッドだなんだと言われても、困る。
多様なスカートを前に唸る翔。そこへ、ひょんなところから救いの手が。
「お客様でしたら、こちらのパステルレモンがお似合いだと思いますよ」
店員である。
翔は、下着を買った時にも最終的には店員の意見に従ったと聞いている。そしてあの時も、店員は分け隔てなくジャージの翔に接してくれたのだ。
ゆえに、決断は簡単だった。
「ありがとうございます。実は服のタイプは決めてたんですけど、どうしても色合いが決まらなかったんですよ。できたら、上もこれに合わせて色を見て欲しいんですけど大丈夫ですか?」
「もちろんです」
自分で選べないなら、他人に選んでもらえばいいじゃない。
店員であれば狂った目の持ち主ということはない。値の張る商品を持ってこられても、翔が自分で選ぶ以上のカラーコーディネートであることは明白である。
「そしたら、こう、上はふわふわって余裕のある布使いのがいいんです。あ、できれば胸のところはちょっと強調できるようにピンと張っててほしいんですけど」
「あぁ、それならこちらの商品はいかがですか?ペールアクアのベース生地に、ソフトホワイトで胸元を飾ってくれますよ。ネックレスの栄えもいいんです」
漠然とした注文にも、的確に眼鏡に適う商品を持ってくる店員に感謝する翔。
実際に上下を添えてみた鏡の自分は、なかなかイケている。気がする。
気がするので、やはり試着してみたくなるものだ。
「えっと、これ試着しても?」
「はい。試着室はこちらになります」
品物を持って試着室までエスコートしてくれる。
そんなサービスも、初体験の翔にしてみれば特別扱いのようで気分がいい。
「じゃあ、失礼して」
「ごゆっくりどうぞ」
店員から商品を受け取り、カーテンを閉める。
全身鏡と自分だけの狭い空間で、とりあえずジャージを脱ぐ。
瞬間、ゾクゾクと翔の背筋を何かが駆け抜けていった。
それが快感の一種であることに気付くのに、時間は要らない。
この気持ちを誰かに伝えなければ!
思うが早いか行動はすでに終了間近である。
大河へとメール送信。
試着室ニテ、我悦楽ヲ覚エタリ!
即座に返事が返って来る。
ヨウコソ、裸ノ世界ヘ。
「う~ん、さすが大河ちゃん。経験済みってわけ。てゆーか、下着まで全脱ぎしてそうよね」
そんな感想を抱きつつ、翔は本来の用途に則った行為に移る。
パステルレモンとやらのスカートに足を通してみる。サイズは以前測ったものを参考にしているから問題はない。
「ん、あれ……?」
ない、はずだったのだが。
どうしても腰骨の上まで上がってこない。
イヤな汗が、翔の頬を伝う。
「……肥えたのかしら、私」
言ってみると、絶望感が一挙に押し寄せてくる。
むせび泣き。
そのまま、ハンガーにスカートを戻してカーテンを少しだけ開ける。
「すみません……サイズ、あとちょっと大きいやつをお願いします……」
直前に食いすぎたせいであると翔が気付いたのは、家に帰ってからのことだった。
翔は結局、店員に任せて選んだ上下に、栗色のポーチと小物を数点追加して終了した。
大河の部屋に戻って着てみれば、全体的に小奇麗に纏まっており、なるほどと思わせる仕上がりだ。
対する大河は……
「靴は口折りパーツ付きの紐ハイブーツにした。広めの木製ヒールもあるから、俺でも歩行に支障はない。何よりも、薄い桃色が可愛いだろ?」
下から順に解説しつつ、披露してくれている。
ベビーピンクのブーツの中から太腿まで伸びたソックスは、白地に銀の蔦模様。
翔の読み通りに、足を強調するようなコーディネートをしてきたのは間違いない。
「ねぇ、この勝負って靴も対象なの?」
「コーディネートだぞ。全身くまなくに決まっておろう。そしてこれが上なのだが」
もそもそ、とタンクトップから着替える大河。
こちらはブーツよりも濃く、トキ色である。白く描かれた花が腰回りに配されているのが特徴だ。
この花でソックスとの関連性を持たせているのは明白。洒落た采配に、翔も思わず唸る。
そこで、自慢げな解説再び。
「やはり上下は色の系統を揃えた上で、間にワンポイント挟んで強調するのがベストゆえ、この色を選んだ。気に入ったのは肩を見せるデザインだな。チューブ袖も後付けできてな、ほら。加えて、暖色系だから寒そうに見えないのも狙いのうちよ」
クルリ。回ってみれば、背中側まで一貫して脇の下までの生地しかない。
ブラ紐が見える醜態かと思えば、そこにだけは白布が存在して惨劇を防いでいた。
そして止まると、チャリ、と金属音。
「アクセサリーは慎重に選んだが、季節感を優先することはやめにした。汎用性の高さで鍵と錠のセットにしたぞ。ガードの固さもほんのり示せて良かろう」
小柄な錠前と、少し大きめの鍵が、赤い宝飾を伴って揺れる。
今の大河の白い肌に赤い宝石は、妙に煽情的だ。
挑発的な視線も相俟って、翔にとってはそれだけで垂涎ものである。
「ただなぁ」
そこで、大河がいかにも困った顔をして見せた。
あとは翔にとってのメインディッシュを残すのみ。そこでこの顔とは、よもや……
「もしかして大河ちゃん、悩みすぎて下買ってないの?」
決めかねて時間切れか。
そう思って翔が口にした言葉に、大河は首を横に振る。
「違うんだ。悩みすぎて、どっちも買ったんだ」
「二種類……だと……!」
「あぁ。お前にもどっちがいいかアンケートを取りたくてな」
ごくり。翔が期待に喉を鳴らす。
ぶっちゃけたところ、翔にとってすでに負けは決まったようなものだ。
ここまでしっかり自分で考えて女の子らしい服装を仕上げて来た段階で、もはや脱帽である。
そしてまた、普段のクールな大河から離れた、可愛らしさ重視のコーディネートに十分な程ほっこりさせてもらっている。
その上で現れた、まさかの選択肢である。
気分は子育てゲーム。ここで大河の方向性を決めるのは自分なのだと、翔が姿勢を正す。
「いいわよ、いらっしゃい」
「なぜ正座した。そしてなぜ脱いだ」
「全裸待機は紳士の嗜み!さぁ!」
今は淑女だろう、というツッコミはもはや放棄して。
大河が袋の中から二着の候補を取り出す。瞬間、翔は目が血走るほどに視線を集中させた。
「絶対領域ミニスカートと、ゼロ丈ショートパンツ、だとぅ……!」
極限。究極。至高。
そう言って差し支えない選択肢だった。
「ぬふぅ……今、脳内物質がドバドバ出てるのを感じるわ」
「駆け巡る翔の脳内物質!」
「βエンドルフィン!チロシン!エンケファリン!バリン!リジン!ロイシン!イソロイシン!」
ハイテンションを表すように口元を大きく歪めて、翔が応じる。
ひとしきり終わったところで再度、翔は頭を抱えて唸り始めた。
そして興奮したままの脳が、一つの結論に辿り着く。
「り、両方、とか?」
「あ~、なるほど。ミニを脱いだらショーパンのセカンドインパクト」
「飛天御剣流は!」
「隙を生じぬ、二段構え!ってアホか」
そして、却下された。
あちらへこちらへ、首を捻っては唸り、捻っては唸り。
翔の異常なまでに集中した目付きや、歯ぎしりでも始まりそうな四角く開かれた唇などは、もはや女子として放送禁止レベルに到達せんばかりである。
そうすることしばらく、翔はぷつりと糸が切れたように脱力した。
「ねぇ、大河ちゃん」
そして、力なく大河の名を呼ぶ。
しかしその声は、どこか一本の芯が通ったように頼もしい。
「決まったか」
期待を込め、返す大河。
「被れるのはショートパンツよね」
「お前は何を基準にしてるんだ」
あろうことか、ボケの二段構えだった。
「パンツと言えば被るものでしょう!?クンカクンカ適性の高さを考えてみてよ、圧勝じゃない!」
「ドアホ!変態仮面でもない限りそうそう被ら……あぁ、そうか変態だったな」
「ご理解頂けたようで何よりだわ。というわけで、私はやっぱりおまたが当たってる方がいいと思うの!」
真剣な顔で、拳を握って力説する翔。
こんなろくでもない相棒の一面を少し理解できてしまう自分を呪いながら、大河は最終的には首を縦に振った。
それから一度ブーツを脱いで、ショートパンツを履きながら解説である。
「スカートにしろショートパンツにしろ、色は桃との対照で濃い青を選んだ。ヒップラインやら太腿の生足部分を強調できるし、足の長さも際立って見えるだろう?長所はとことん強化して見せつけてこそだ」
そして大河の言う通り、翔の視線は脚部に集中している。
もっとも、その集中は股下にできた僅かな隙間を凝視しており、大河の狙いとは少し違っているのだが。
「さらに追加のアクセサリー。動物尻尾系で可愛らしさを増幅。人当りを良くする」
カチン、とベルト穴にアクセサリーを通す。セルリアンブルーのパンツに、白黒縞模様の猫科らしき尻尾がくっつく。
尻尾と言う割に右の腰に付けているが、シンメトリーが崩れたこともあって、随分と物腰が柔らかく見えるようになった。
これで完成と言わんばかりに、大河が両手をひらりと舞わせてターンする。
「さぁ、並んで撮るぞ翔!さっさと服を着ろ!」
その回転が終わるや否や、指差して命令である。
「いやぁ、これもう絶対大河ちゃんでしょ。勝負する前から結果見えてるって」
「そうでもない。お前の方はシンプルでしっかり纏まっているし、カラーリングは実に秋らしい。俺はどちらかと言えば春に近くなってしまったからな。桃は夏中盤から終盤の果物だし、その点では好きにやり過ぎた」
消極的というか、今の大河の姿だけでお腹いっぱい大満足な翔を、大河は押せ押せで鏡の前に立たせる。
二人でカメラを鏡に向けて、ポーズも決めて同時にパシャリ。
お互いに同じ文面でネットに流し、あとは電子世界の住人に任せるのみである。
それが終わるや否や。
「う~し、脱ぐか」
グッ、とパンツを下ろす大河。
「え、もう脱ぐの?」
「お前は馬鹿か。なんで部屋の中で長々と服を着なければならんのだ」
このままでは、パパッと脱衣していつものようにスッポンポンになってしまう。
そんな様は確かに着道楽とは程遠く、翔としてはもう少し着飾ったままいてほしいところだ。なんというか、有難味という点で。
そこで、そんな大河の暴挙を止めるべく翔が一計。
「せっかく買ったんだしさ、お披露目に行かない?」
「はぁ?」
全力拒否の声で返された。
ちょっとめげそうになるが、翔は頑張って踏みとどまる。
「やっぱり変化って人に見せたいじゃない」
「……ふむ」
そして、大河の自己顕示欲を軸に交渉する。このあたりの匙加減は心得たものだ。
「ならばゲーセンで常連に挨拶してから呑み屋だな」
「そうこなくっちゃ!」
意気揚々と、再度の外出。
いつもと違って着飾った二人の姿は、ゲーセンの常連にも呑み屋のウェイターにも概ね好評だった。
こういう扱いを受けるなら、洒落てみるのも悪くない。そんな風に思える一日だった。
翌日。惜敗した翔がミニを奪って撮り直したところ、瞬く間に圧勝を飾ったとか。