ダイエットといふものを
三種の神器ならぬ、三種の減量法。
揉んだ。
「た、大河ちゃん!?」
大河が、翔を。
「女になって細くなったけど、戻ってきたな」
具体的に言えば、その脇腹を。
元々は肥満に属していた翔だが、今回の珍事に際してサイズダウンしていたものの……それが元の状態に戻ってきていると、大河は見抜いたようだ。
「そそそそそんなこと」
「ワザとらしくどもらせても、事実は事実だからな?」
なんとか話題を逸らせようと必死な翔に、大河は冷淡に言い放った。
どうやら逃げ果せることは難しいと悟ったのか、翔は肩を落として白状する。
「……そうよ。私は、確かに女体化当初よりも肥えてきたわ。でもね大河ちゃん。女の子は子供を産むために必要なエネルギーを蓄え易いようにできてるの。そしてそれは同時に、赤ちゃんを物理的に守るためでもあるの。つまり、こうしてお肉が増量してしまうのは自然の摂理なの」
「弁当二個を昼飯に食い尽くしておいて、自然の摂理と宣うか」
翔が母性を思わせる笑顔で言い終わるや否や、大河が痛いところを突いてきた。
そのまま、呆れ顔で翔を見つめる。
しかし、翔はめげない。
「ほら、私たちは一食で二千円級のお金を使ったわけじゃない。一度そうやってリミッターを外してしまったら元には戻れないのよ。なんと言っても、弁当二個で五百円というリーズナブル。これに改めて気付いてしまった以上、避けては通れない道と言わざるを得ないわ」
「お前の目の前に避けてる人物がいるわけだが」
再びの即否定に、少し笑顔が引きつる翔。
それでもと最後の言い訳に走る。
「どうせ男に戻ったら元通りだし!」
「戻るかどうかわからんだろうが。それに、戻ってアレ以上に増えてたらどうするんだ」
そしておよそ当然の帰結として、その言い訳は通じなかった。
翔が言葉に詰まった隙に、大河が攻勢に出る。
「ちょうどいい機会だ。ダイエットしようぜ」
明るく言われたその言葉は、しかし、翔にとって死刑宣告に等しかった。
ダイエットと一口に言っても、手段は多々存在する。
その中でも最もメジャーであり、難度の高いものこそ。
「俺はやはり、ジョギングを推す」
「ぎゃー!やだー!」
翔も嘆く、運動である。
ストレッチを始めた大河に対し、両手で頭を抱えて吠える翔。
「お前さ、ジャージの癖に運動しないとか恥を知れ」
「これはズボラ女の象徴なのよ!」
「トレーニングウェアとしての本懐を遂げさせてやれよ」
「うぐぐ……」
今日の大河は堅牢で、簡単には崩せそうにない。
ならばせめて、せめてもの慰みを。翔はそんな思いで大河を観察する。
上は白のタンクトップ、下はジーパンと、相も変わらぬ服装。しかし、今日はいつもと目的が違う。
ならば、目に見えるほどに、日頃との発汗の差が生まれるはずだ。ピタリと張り付いたタンクトップには、無論、あの形が浮き上がってくる。そして水気を吸った白布は己を透過して内容物を晒してくれる。そう、ブラ透け。この高尚なる天恵を眼前に走るというのであれば、悪くはない。
「ちょっと上を黒に変えてくる」
「あれ!?私いつから声に出てた!?」
翔の問いかけをスルーして、大河はさっさと上着を変えて戻ってくる。
楽しみが激減したこともあってか、翔はガックリと項垂れている。
「コースは徒歩で行って帰って二十分程度、駅までの往復だ」
「短いね。商店街通るの?みんなの邪魔になりそうだよ?」
「もちろん外す。一本脇の道を通ればいい」
やる気十分な大河を止めることは、どうやら難しそうだ。
いよいよ腹を括るしかないと決めたのか、翔も屈伸を始める。
「はぁ~……私の嫌いな言葉知ってる?一番が努力で、二番目がガンバル、そして三番手は体を動かす、なんだよ?」
「なまぐさ太郎でさえ動かないために頑張ってたぞ。高校の体力測定でやったろ、千五百メートル走。アレだと思えよ」
「歩いてた私にそれを言う?」
「一緒に歩いてた人物を忘れたか?」
「……お前が言うな、って言っていい?」
「それを待ってた」
準備運動をしながら、翔は不毛な言葉をつらつらと吐き出す。
頭ではやると決めていても、心は別だと言わんばかり。
恐らく、大河もそれを察しての対応だろう。蝿を払うような、適当な口ぶりだ。
「さぁて、行くか」
「うん。背に腹は換えられないからね」
「背も腹になりかねないわけだが。肉的な意味で」
言って、走り出す。
二人で揃って軽快なスタートを切った。
徒歩で二十分なら、軽く走ってその半分程度を目指せば良い。
「やばい。大河ちゃん、これ、やばい」
「まだ二分だぞ」
良いのだが、それでさえ厳しい場合もある。
片道半ばに至るより早く、翔が音を上げた。
「はっ、はっ、はぁ……」
「体力ねぇな。俺でも往路ぐらいなら行けるぞ」
「なんで、同類なのに、行けるのさ」
「子供を馬鹿にして追われる講師だったゆえ」
威張れないことを胸を張って。
そんな大河でも片道がいいところだと言う。
ならば何故、駅までの往復などと設定したのかと言えば。
「まぁ、限界以上にちょっと頑張るのが成長の基礎だからな。お前に合わせたらこの辺が折り返しか」
「えっ……走って帰るの?」
「もちろんだ」
まだ余力のある大河に、翔がひぃひぃ言いながら続く。
帰宅して後、翔が吠えるのは当然のことだった。
「やっぱり食事制限がいいと思うよ、私は!」
翔が、シャワーで汗を流し終えるや否や、提案する。
大河は、少し意外そうに目を開けている。
「お前が食を規制しようとは、何があった」
「運動するぐらいならそっちのがマシよ!それに、運動は男女共通。食事制限は女子ならではよ!」
どうやら、翔の中では食事をどうこうするのは女子の領分らしい。
大河もその辺りは疎いようで、ふむ、と一思案。
「じゃあ、具体的にどうするんだ?」
「ふっふっふ。まずは豆腐ダイエット!ご飯の代わりに豆腐を食べるの!」
「なるほど。炭水化物をカットするのか」
「というわけで本日の献立よ!」
御都合主義的にテーブルに並べられた食品の数々。
豚の生姜焼き、マヨネーズ和えのサラダ、冷や奴、減塩味噌汁。
そこに、大河はなんの制限もなくご飯。翔は宣言通りに豆腐一丁である。
「冷や奴と豆腐で豆腐がかぶってしまったぞ」
「お前それ言いたかっただけだろ」
なんだかんだと言いながら食を進める二人。
初めのうちはよかったのだが、途中からその表情に差異が生まれていた。
普段と変わらぬ食である大河は良いのだが、翔はどうにも食べている気がしない。
「……大河ちゃん、ご飯分けて欲しいんだけど」
「断る。ここは心を鬼にすべきところだ」
そう言って、ニヤニヤと翔を観察する大河。
「本音は?」
「貴重な白米を分けるはずがないだろう」
さらに無慈悲に、美味美味と連呼して白米を頂く。
ここぞとばかりの嫌がらせだが、これもまた自制の訓練と言える。
もっとも――
「ふ、ふふふふふ……この私を、なめてもらっちゃあ困るのよ、大河ちゃん!白米だけが全てではないのだ!」
「なん……だと……?」
そんなことが有効に働くのは、辛抱という言葉を覚えている場合のみである。
風の向くまま気の向くままに生きて来たこの二人にとって、そんな言葉は無縁に等しい。
「この世には、食に関するダイエットが無数に存在するッ!」
「そ、それは……バナナだと!?」
「そう!果物を食すことによって高い栄養価を確保しながらのダイエットが可能なのよッ!」
「馬鹿な、さらにリンゴまで……!」
次々に、翔は果物を取り出してくる。冷蔵庫から。
「ボッシュート」
「あぁん、いけずぅ」
すなわち、全て大河のストックである。いけずも何もあったものではない。
サッサと所定の位置に仕舞い込んで着席する大河。
そして、何事もなかったかのように食を再開する。
「せめて自分で買ってこい」
「買ってきたら食べていいんですか!?」
「痩せたらな」
「腐ってやがる……遅すぎたんだ……」
泣く泣く、翔も豆腐を完食する。
そんな状態で次に飛びつくものは、もはや決まっていた。
食事制限をかけてから二日が経った。
寂しい食卓を前に翔が肩を落としていると、滅多に鳴らないインターホンが鳴る。
「はいは~い」
大河が箸を置いて、ドアを開けに急ぐ。
なにやら郵便物が届いたようで、サインを要求された。
手早く受領を終え、箱を持ったまま戻って来る。
「なんぞこれ」
「ちょっと箱見せて……あ、これ私かも」
「は?」
通販系の名称がプリントされた段ボール箱である。
大河はもちろん、そんなものを頼んだ覚えはない。となると、翔の言葉通りと思うより外にない。
ほれ、と箱を手渡し、頬杖を突く。
食事よりも、その中身に興味があるようだ。
「じゃじゃ~ん!全自動腹筋割りマシ~ン!これでいつも通りの食事が私の手に!」
「あ~……買っちゃったのか」
せめて、食べるダイエット食品であれば良かったものを。
何をするでもなく痩せられる。そんな夢の機械を買ってしまったのだ。
翔はドヤ顔でお披露目しているが、それだけやる気がないということである。
「見てなさい大河ちゃん。一週間の後には、私は腹筋が美しく割れた体育会系少女になって……」
「太腿タプタプなんだろうな」
「あ、足もやるし!」
「二の腕プニップニなんだろうな」
「腕だって対応してるし!チクショウ見てろ!」
早速と装着を急ぐ翔。
まずは接触部にジェルを塗る。それから、手に残ったそれがどんな匂いなのか確認してみたりする。
特に刺激臭ということもない。
ベルト状のマシーンを腹部にセットし、電源を入れる。
初めて触れる機械を動かす時ほど、心躍る瞬間はないだろう。
高揚感と不安の入り混じった感情が、自然に表情を綻ばせる。
「い、いくぞ……」
いよいよ、機械による特訓が――
「あぁ、翔。それ最初の設定最弱だから、ちょっとベルト横のつまみ……そう、それを上に回した方がいい。半回転でレベルアップらしいから、一回分でもいい、上げとけ」
始まる前に、取扱説明書を読んだ大河からアドバイスが挟まれる。
さすがに最弱はないわ。と、翔はつまみを半回転させた。
仕切り直し、いよいよである。
「今度こそ、いくぞ……」
「おう」
大河が見守る中、翔の指がゆっくりとスタートボタンに触れる。
そして、カチッという音と共に光が灯る。
「あ、ぎっ、ひぅ、お、お、お、ぉ、ぉ、ぉ、ぉ!」
瞬間。翔が椅子から転げ落ちて床を跳ね回った。
痙攣じみた悲鳴も響く。
「うぃっひひひひひ!引っかかってやんの!」
片や、同じように抱腹絶倒する大河。
翔の回したつまみは、半回転で最大レベルになる代物だ。何の心の準備もなく受けて、無事で済むものではない。
翔は涙目になりながらベルトを外し、スイッチを切る。
「う、ぐ……やっていい悪戯と、悪い悪戯が、あると思うの……」
「いやぁ、っくく、悪い悪い。昔、ひひひ、店頭に置いてあったので、ぶふ、経験してさ。これは是非って思ったんだ」
まったく悪びれた様子もなく、大河は笑い声を漏らしながら謝罪する。
そんな態度でも、翔は大きく溜息を吐いて不問とする。
こんな戯れも、今に始まったことではないのだ。
「はぁ……もう、とりあえずレベル最弱で始めるからね」
つまみを下に回して、最弱に。
改めて腰に装着して、スイッチオン。
「ん、これは随分と微弱な振動ね」
「ほんとに効くのかぁ?」
大河も興味はあるのか、翔の腹部に手を置いてみる。
確かに、わずかに震えているような気がしないでもない。
それだけ弱いのか、振動が早いのか。
「ひとまず、継続して様子見るしかないかな」
「そうだな。食事の方も継続しよう。二本柱だ」
「……大河ちゃん、古来から、二局展開は失敗が常なのを知ってるかしら?」
したり顔で言う翔。
大河は呆れたように目を細め、無感動につまみを上げた。
翌日、翔は腹筋が痛いと機械訓練をパス。以降、二度と装着することはなかった。




