海水浴といふものを
誰が得するのか水着回(?)です。別にセクシーハプニングとか、あるわけもないのですが。
床面積の半分を占めた、段ボールの箱。
その中身を、出しては配置し、出しては配置しを繰り返す。
最後に、残った箱を一面ごとに引き千切って紐でまとめる。
「ふぅ……どうにか片付いたわね」
それを、家主である大河ではなく、翔がやっていた。
買うだけ買って満足した大河が、配置面倒くさい、と拒否したためだ。
幸いなことに扇風機まで入っていたので、労働環境が劣悪とまではならなかった。
「ご苦労さん。いい汗かいたろ」
「そう思うなら自分で動けってのよ」
「めんどくちゃい」
このダメ人間め。
そんな悪態を吐きながら、翔は扇風機の真正面に陣取った。
それから、子供がやるように、ファンに向かって声を出して笑う。
「……夏だな~」
「な゛つ゛た゛ね゛ぇ゛」
夏である。
梅雨も過ぎ、太陽が猛威を奮う夏である。
ベッドで下半身以外裸で横になっている大河は、暑さゆえにか、動くことすら怠そうに見える。
「海行くか~」
「う゛み゛ね゛ぇ゛……うみぃ!!?」
そんな大河が言ったのだから、翔が驚くのも必然だろう。
「どうしたの大河ちゃん。熱でもあるんじゃない?」
「変温動物っぽいとこあるからな~」
「……なんか本格的にダメっぽいわね」
そっと扇風機の向きを大河に合わせてやりながら、翔が苦笑する。
適当に風呂に水でも張って飛び込ませた方がいいのではないか。いや、しかしそれでは楽しみが少ない。やはりここは当人の言葉通り、海に行くことこそ最良なのではないだろうか。うむ。そうだ、せっかく女の子同士なのだ。二人で海に行ったところで、寂しいと思われる男二人組とは違うのだ。煌びやかなる女子の肉体できゃっきゃうふふの水遊びとなれば……!
「うん!行こっか、海!」
「すげぇ邪念を感じるのは気のせいか」
暑さでダウンしていても、そういうところだけは鋭さを保つ大河である。
あるいは、翔の手向けが効いたのか。
「なにを言ってるのかわからないわね、大河ちゃん。夏と言えば海じゃない。ほら、水着買いに行きましょう」
「……アイス買ってくれる?」
「もちろん。それじゃあ、先にコンビニ寄りましょ」
「あたし、ハーゲンダッツがいい」
「私ね、こういう時だけ一人称変えるのは良くないと思うの。でも可愛いから許す」
「二個欲しいなぁ」
「さすがに許さんぞ」
チッ。と舌打ちをして、大河が体を起こす。
首を左右に捻り、大きく背伸びをして、次いで奇妙なポーズで各部の筋を伸ばす。
「毎度思うんだけど、そのポーズってアレだよね」
「なんだ」
「東方不敗マスターアジア」
「あ、そうかもしれん」
二人でシーンの再現なんかをして戯れ、語ること十数分。
本来の行動指針を思い出した大河が手早く着替えを済ませると、揃って部屋を出た。
そして、二人は海水浴場にやって来た。
平日昼だと言うのに溢れる人の数は、同条件の渋谷と大差ないのではないだろうか。
「やばい。あたし灰になりそう」
「今の大河ちゃんが言うと本物の吸血鬼じみて聞こえるわね」
定番の夏の口癖を言う大河に、何故か新鮮味を感じて微笑む翔。
そして、ブツブツと文句を言い続ける大河を宥めながら、脱衣所に向かう。
着替えを始めてようやく、大河も開き直ったのか元気が出て来た。
「ねぇ大河ちゃん、ナンパされたらどうする?」
「玉ぁ潰す」
「怖いよ!?なくなった身だけど、ひゅん、てしたよ!」
翔の問いかけにそんな答えも返せるようになっている。
目が本気だったような気がしなくもないが。
「じゃあ、レズのフリでもするか」
「……そのフレーズは嫌な思い出が蘇るなぁ」
「俺にとっちゃ臨時収入――ってそういや、こういう時って金とかどうするんだ」
「ん?お店に寄る時ってこと?」
「あぁ。水着にポケットなんぞないし、あったとしても泳いだら落ちるだろ?」
真面目な顔で、大河が悩んでいる。
翔はと言えば、呆れた視線を向けて溜息だ。
「こういうの、知らない?」
首掛け用の紐が付いた、円筒形の入れ物を差し出す。
開閉部はゴムでピッタリとくっつくようになっている。
それを見た大河は興奮気味に食いつく。
「おぉ!なんだこれ、すげぇな!」
「本当に知らなかったのね……ってゆーか、その調子だと持ってこなきゃいけないもの色々忘れてそうね」
サンオイルを塗りながら、翔が口角を下げる。
大河はそれに少しの時間を置いて答えた。
「水着があれば他はいらなくね?」
「サンダルは?」
「水に入るんだし、邪魔だろ」
「……はぁ。わかった。ちょっと着替えたら砂浜に出てみなさい。一回味わったら、サンダル買ってきてあげるから」
「貝殻とか石には気を付けるぞ?」
そういう問題じゃないのよ。
言いながら、翔は買ったばかりの水着を着る。
白いワンピース型。シンプル嗜好があるのか、翔はこういった傾向をよく選ぶ。
大河も首を傾げながら、下、上と順に着用する。
柑橘カラーに向日葵柄のセット、パレオ付き。いかにも大河らしい派手さだ。
「ふふん。どうだ、翔」
「Tバックじゃないのね」
「ちと迷ったが、こっちにした」
「迷ったんだ……」
何か妙な物を見るような、奇異の目が大河に向く。
この自信は、一体何に裏打ちされているのか。あるいは、何も支えがないからこそなのだろうか。
どちらにせよ、翔には持てそうにない一面だ。
「さて、引っ掛けて貢がせるか」
「わぁい。大河ちゃんがならないって言ってたビッチになってる」
「甘いぞ翔。これはビッチではない。悪女だ!」
言い終わるや否や、大河は脱衣所を飛び出して砂浜へダッシュ。
それから間もなくして、行き以上の速さで帰ってきた。
「砂がクソあっちぃんだけど!!?」
「うん。サンダル買ってきてあげる。できるだけダサいやつ」
「おい馬鹿やめろカッコつかなくなる!」
「すでにカッコついてないから」
なんだかんだと言いながらも、結局、売り場と脱衣所を三往復させられた翔だった。
寄せては返す波に膝まで浸かり、パシャパシャと水を掛け合っていた女子二人。
ただし、中の人は男であるがゆえに。
「がぼぼ!ごぼぼぼぼ!」
「お~お~。苦しそうだなぁ」
そんなことより過激な遊戯を求めてしまうのだろう。
翔を海に沈めつつ、大河が口を歪めている。
二十秒ほどして、解放された翔が立ち上がった。
「げほっ、ごほっ……あ~、しょっぱかった」
多少は恨みがましい目でもするかと思われたが、平気な顔だった。
「どうだったよ。二分潜水」
「うん。マジキチ。すごいね大河ちゃん」
「マジでキツいってちゃんと言えよ」
どころかお互いに笑い合っている。
どうやら、翔が希望したことに協力していただけのようだ。
その原因が――
「ま、あたしは肺活量には自信があるからな」
この大河の発言である。
「プール往復分這い回れるってのは、異常だと思うよ」
息継ぎなしで何ができるかと問いかけた翔への返答が、二十五メートルプールを底を這って往復できるというものだった。
そして俄然興味が湧いた翔がやってみたいと言い出し、とりあえずの指標として大河が示したのが、二分の潜水である。
「正直なところ、私の肺活量の五割増しだとしても往復は無理だと思うんだけど。大河ちゃん、何分潜ってられるの?」
「どうなんだろ。潜ってるのだと四分ぐらいじゃないか?」
「素人がそれっておかしくない!?」
四分の間、呼吸を止めて水中にいる。
考えただけで苦しくなるようなそれを、大河は平然と言ってのけた。
なにがしかの技術を身に着けるような経験など、あるはずもないというのに。
「いや、あのちょっと苦しくなってきてからの感覚がクセになんだよ。一種の快感だな」
「えっ!?大河ちゃんってそんな特殊性癖持ちだったごぼぼぼぼぼぼ!」
「大声出すなよ馬鹿野郎!?」
翔の大声でちょっと視線を集めた後、自身の行為によってさらなる注目を集めていることにも気付かず、大河は翔への制裁を続ける。
そして今度は一分半ほどの水責めを終えて、翔が立ち上がった。
「はぁ……はぁ……うっぷ……」
「お前はその声の大きさをいい加減自覚してくれ本当に」
「……うん。ちょっと気持ちよかった」
「聞いちゃいねぇなこの野郎」
相変わらずの翔のマイペースに、やれやれと肩を竦める大河。
そうして視線を下げて、気付いた。
「ん。お前、足震えてるぞ」
「あぁ、そうね……ちょっと酸欠、みたいな?」
フラッ、と翔が力なく揺れる。
それを大河が支え、初めて表情を歪めた。
「やりすぎたか。悪いな。したら、パラソルのとこで休んでおけ」
「そうしよっかな。大河ちゃんは?」
「ちょっと沖に出て深く潜って来る」
「この辺じゃダメなの?」
「水がなぁ……見通せないから人に踏まれるかもしれないから怖い。あと、ちょっと深いぐらいの水圧がいい感じなんだ」
何がいいのかは知らないが。
とりあえず変態に付き合う必要はなしと判断して、翔は大人しく浜へと引き上げていく。
腰を下ろして一息吐く。それを見届けてから、大河は軽くストレッチをしてから、逆に沖へと向かう。
ゆったりとクロールで泳ぎを堪能しつつ行く。
と、しばらくして自分のものとは違う、水を蹴り、掻く音が近づいてきているのに気付く。
面倒なのが来たな。それが大河の抱いた感想だった。
「ふぅ」
「お、っと。君、泳ぎ上手いね」
まだ満足のいく水深ではないと思われるが、それなりに深く足は遠く届かない。すでに浜辺の人は豆粒以下の大きさにしか見えない。
そこで、大河は一息入れるかのように泳ぎを止める。
すると迫る人物も止まり、声をかけてきた。
いかにも夏を満喫していますと言わんばかりのこの男は、ご苦労なことに、大河をわざわざ泳いで追ってきたということになる。
「そうでもないかな。久しぶりでもう息が上がっちゃってるし」
一応、その労力は認めて応じる。
口調も、少し困ったように微笑む仕草も女らしく。
だが、中身は男なのだ。
同性に声をかけられて喜ぶような趣味でもない。
それに何より大河は、そこらでナンパする人間が嫌いだ。
静かに、深く息を吸い込む。
「まぁ、もうちょっと行くけど、着いてくる?」
挑発するように目を細めて、一方の口角を上げて。
「もちろんお供させてもらうよ」
返事を聞くと同時に、とぷん。
そのまま一気に底まで潜り、沖ではなく、浜へと向かって大逆走。
濁った水で海底など見えるはずもない。標的を見失った男はどうするか、そんな意地悪い楽しみにほくそ笑みながら、大河は途中、一度も水面に出ることなく浜へと戻ってきた。
「えほっ、けほっ」
苦しいのが気持ちいいと言っていても、吸い込んでしまった海水はキツいらしく、涙目で咳込む。
少し休もうか。そんな考えが浮かび、翔の待機しているパラソルに向かう。
と、その視界に余計な人間が映り込んだ。
「お断りします」
「そんなこと言わないでさぁ。奢っちゃうから、お願いッ!」
「こいつもさ、悪いやつじゃないからさ。ちょっと話してやってくんないかな。そしたらそれだけで満足するから」
どうやら、こちらもこちらで大変だったらしい。
翔を、両サイドから挟むようにして、日に焼けた男どもが口説いていた。
キッパリと断られているというのに食い下がるあたり、恥も外聞もあったものではない。
大河は軽く脳内でシミュレートを済ませて、愚行を止めに行く。
「ちょっとそこの黒んぼ大将二人組」
低めの声で。いつか痴漢を脅した時のように、ドスを利かせて。
翔の視線と、自分が黒いという自覚からか、二人組は揃って大河へと視線を移した。
「そいつ、あたしのツレなんだけど」
いかにも怒気を孕んだ視線で見下ろす大河。
しかし、あくまで女の視線。男二人を震わせるには至らない。
「あぁ、ちょうどいいや。こっちも二人だから、ね、一緒にどう?」
「名案じゃ~ん。ってゆーか?お前どっちも口説いてんじゃねーし」
何かがツボにはまったのか、互いに顔を見合わせて笑う二人組。
女がどう思っているかは二の次らしい。
大河が翔に視線を向ければ、辟易も極みというような面持ちで溜息を吐いている。
これは、割と長い間絡まれていたに違いない。ならばこれ以上の時間をかけるわけにはいかない。
「耳が悪いみたいだからもう一回言ってやるよ。そいつは、あたしのツレなんだ」
「だ~ら、二人一緒に……」
「わっかんねぇヤツだな。デキてんだよ、あたしらは」
おら、さっさと散れ。
翔を含めた三人が目をパチクリさせている間に、大河はさらに畳みかける。
「さ。向こうでかき氷でも食おうぜ」
「あ……うん!」
翔が差し伸べられた手を取って、男には目もくれずに歩き出す。
「おい、恋人繋ぎってのにしとくぞ」
「わかった」
小声で打ち合わせ。
そして肩を並べるや、指と指を絡めるように手を繋ぎ直す。
そのまま海の家に向かい、宣言通りかき氷を注文する。
ブルーハワイとメロン。向かい合うように座って、氷を溢さないように注意しながら頂く。
「う、くく……」
が、途中で崩れた。
「うぃっひっひっひ!見たかよ、見たかよ!?」
「見てないよ~。もう、こっちぐったりだったんだから~」
「もったいない!あの顔だぞ!これ以上の爽快感は他にねぇって!あぁ~、かき氷が超うまい!海っていいなぁ!」
喜色満面、シャクシャクと音をたててかき氷の嵩を減らしていく大河。
呆れながらも、嬉しそうに微笑んで翔もそれに倣う。
それ以降はレズの噂が広まったのか、実に平穏無事な海水浴となった。
変色した舌を見せ合ったり、砂の城を作ったりと、存分に海を堪能して疲労困憊。
帰宅するや否や、ベッドに倒れ込むようにして就寝となった。
翌日。ゆでだこのように肌に赤みが差した大河は海水浴禁止令を出した。