9.時詠の子
イオンは存在をなるべく公にしないよう、アーシュとセドリック以外とは会話もはばかるようにしている。さすがにあいさつくらいはするが、立ち話すらしたことはない。
周りの人たちにはどこでなんと言われているのかしらないが、姫付の白の騎士という立場がなければ、こんな怪しい姿で館の中を歩き回ることはできなかっただろう。見回りをしている本人が一番怪しいなんて、洒落にもならない。
さっきの様子からしてセドリックはもう相手をしてくれないだろう。イオンはとりあえずリンクスとジェイクを探して館をうろうろしていた。
(あ、あれは………)
探し人に会う前に、イオンは廊下をよたよたと歩いていくティキの後ろ姿を見つけた。何か大きな箱を持っていて、頭の位置から考えてほとんど前は見えていないようだった。
ティキは勢いはあるし俊敏だが、体は小さいし力があるタイプではない。あの箱がそれほど重くなかったとしても、彼女にとってはイオンの何倍も大変な仕事だろう。
(見てられないな)
イオンは声をかけようかさんざん迷った挙句、思い切って歩み寄っていった。
「あ、あの………」
「へっ?誰ですか?すみません。ちょっと見えないもので」
立ち位置が悪かったらしい。箱を抱えた状態でイオンの姿を確認できなかったティキは、一度歩みを止めて体ごと向きを変えた。荷物はそのままで首を少々苦しげに回してイオンを確認する。
「あっ……」
お互い知ってはいるものの会話らしい会話をしたことのない二人だ。ティキの顔には明らかに戸惑いが浮かんでいる。
「ごめんなさい、急に。あの、それよかったら、持ちますよ」
ティキのきょとんとした顔が見返している。顔を隠しているものの、そんな穴の開きそうな見つめられ方をすると落ち着かない。
「どうしてですか?」
「え?」
「だってイオン様は白の騎士でいらっしゃるのに、そんなことを……。それに敬語ですし」
「あ、いや……。変かな?それより、君の思ってる白の騎士のイメージの方が問題なんじゃ……」
「騎士の方々は堂々としてらっしゃって勇ましいですが、私たちのような使用人を少々見下しているところはあると思います。そもそも同じ立場ではないのですから、当たり前ですけれど。だからそんな風にされると、ちょっと変な感じです」
「ご……ごめんなさい」
「だから、それをやめてくださいって言ってるんです」
ティキはそっと箱を下ろした。コトっと軽い音がする。
「イオン様のご活躍はまだ見たことはないですが、アシュリア様の白の騎士になられたということはお強いのでしょう?他の王族の方々の白の騎士は知りませんが、アシュリア様の白の騎士については本当に強い人しか選ばれないって知ってるんです。だって、アシュリア様がお強いんですから、それを守れるような人でなければならないでしょう?」
「まぁ……そうなるのかな……?」
言い切られると自信がないが、イオンが姫の白の騎士であることは事実だ。
「だから私の仕事を手伝おうとすることなんてないんです。頑張ってって声をかけてくださるだけでも十分すぎるくらいなんですよ」
謙遜〈けんそん〉した発言とは裏腹に、腰に手を当てて元気よく言うティキはどこか偉そうだ。
「あの、さ。白の騎士って、みんなそんな感じなのかな?」
「先ほど私が言ったようなことですか?」
「そう。リンクスさんとかもメイドさんのこととか見下した態度をとるのかなって」
ティキは天井を仰ぐように目線を上げて少し考えた。そして眉を下げて困ったように笑ってみせる。
「リンクス様は違いますね。あの方は見た目こそ騎士そのもののような人ですが、中身はまったく騎士らしくないというか、ちょっとどうしようもない人です」
「どうしようもない……」
「とにかく軽い感じで、でもだらしないって感じじゃなくて。しっかりしてるところを挙げろと言われても何一つ思いつかないんですが、なんとなくきっちりまとまっているというか。今みたいな場面だったらたぶん、さっさと荷物を担いでにこにこ笑いながら、どこまで持っていくの?ってさらっと聞いてます」
「優しいんだね」
「そうですね。でも、本当のところはよくわからないですよ。あの方の全てを知っている人なんて、いるんでしょうかね」
(リンクスさんの全て……か………)
なにかとよくしてもらっているが、リンクスはイオンのことを深く知ろうとしないし、イオンもリンクスのことを聞こうとはしない。イオンはリンクスに興味がないわけではなく、むしろいろいろ知りたいと思っている方なのだが、リンクスの方がこんなにも怪しい自分のことを、探ろうとするそぶりをまったく見せないので気が引けるのだ。
見て見ぬふりをしているわけでもなく、無関心の様子でもなく、ちゃんと関わってくれるし気遣ってくれる。それなのに正体をつかもうとしてこない。これはこういうものなのだと、まとめて受け入れてしまったようにとても静かに傍にいてくれる。全てを知っているセドリックと一緒にいるより安心するくらいだ。
「長話しちゃいました。私もう行きますね」
ティキが再び箱を持ち上げて行こうとしたので、イオンは慌てて止めるとティキから箱を奪うようにして自分の手に持ち替えた。
「この状況でじゃあね、とはいかないでしょ。リンクスさんのようにスマートじゃないけど、手伝います。一応僕、男だし」
少し照れながら言うイオンを、ティキはくりくりした目をさらに大きくして見返す。
「ありがとう……ございます。イオン様は白の騎士らしくないですね。騎士らしくなくて、お優しい」
「ど、どうも……」
先ほどイオンに対し思ってしまったことをティキは呑みこむ。
(そういえば男の方だったんですよね……。忘れてました)
ティキの笑顔の裏側にそんな思いがあるとは知らず、イオンは驚くほど軽い箱を抱えて廊下を歩き出した。
ティキと別れて再び他の騎士を探していると、二階の廊下の窓から黒い影が庭に佇んでいるのが見えた。
イオンは窓に寄りバンダナを少し持ち上げてよく見た。フードつきのマントで体を覆った小さな影が雨に濡れるがままになっている。いつからいたのだろう。そこから動く気配がない。
明らかに不審者だが、体の大きさからいって子供であろうと思われた。
誰かに告げてもよかった。だが、イオンは何かに引き寄せられるように考える間もなくその影を追って表へ出て行った。
なんの準備もしていなかった。自分が雨に濡れないような準備も、この後その子を招き入れる準備も、かける言葉も警戒心もなにもかも、イオンは忘れたように無心で二階から見えたその人物に真っ直ぐに向かっていった。
雨はそれほど強くなかったが、無防備に出て行ったイオンの服は見る間に湿っていった。
「あの……君……」
イオンの声に驚く様子もなく振り返る小さな影。フードの中にのぞく大きな瞳。中性的な顔立ちだが、どうやら男の子のようだ。雨に打たれたせいなのか、もともとなのか、黒いマントから出た手足、それに顔まで真っ白だった。
男の子はイオンとしっかりと目を合わせてきた。隠れているはずの両目を、覗き見るのではなくそこにあると知っている確かさで真っ直ぐに見てきたのだ。
イオンはぞっとするのがわかった。なにか嫌な気を感じる。相手は子供だ。そんなことはわかっている。だが、体の大きさ以上の大きな力が彼の中に渦巻いている気配がある。
「あぁ、お兄さんが……そう」
「え?ぼ、僕のことを知ってるの?」
「お兄さんのことは知らない。でも、お兄さんがどういう存在なのかは知ってる」
男の子はにやりと笑った。子供らしからぬ相手の出方をうかがうような眼差しだ。
「すごいね、お兄さん」
「なにが……?」
「普通じゃないのに、普通に見えるようになってる。あぁ、もう一人のせいか。あれはあれで、すごいよね」
イオンは体が強張るのを感じた。こんな子供を前にして全身が身構えている。目の前にいるのは自分と同じ人間だとわかっているはずなのに、得体の知れないものはやはり気味が悪い。
しかも、確信的な言葉は何一つ言わないものの、イオンの全てを知っているかのような物言いが気になる。それに、先ほど口にしたもう一人とは、おそらくアーシュのことだ。
「君、だれ?」
「ぼく?きっとすぐにわかっちゃうから、今は教えない」
男の子はくすくすと笑う。彼の纏う雰囲気と不可思議な言葉に翻弄されそうになる。
「あんまりいろんな国の人と関わっちゃいけないって言われてるんだけど、お兄さんはおもしろそうだから、もっと遊びたいな。でも見つかると怒られるしな……。それに、あっちの人も恐そうだしね」
「あっちの人って、アシュリア姫のことを言ってるんだろ?」
「あれ?わかっちゃった?でも、どうしてそんな呼び方をしてるの?お兄さんたちはもっと近い存在でしょ?」
(この子、どこまで知って………)
イオンが男の子に詰め寄ろうとしたときだった。ふいに男の子の方から手が差し出される。
「会えてよかった。この次があるかわからないけど、もしまた会ったらよろしくね」
「………」
イオンは戸惑ったが、男の子の嬉しそうな笑顔に引かれるように、その手をとった。小さな白い手が軽く握り返してくる。
その瞬間、イオンはがくんと膝から崩れた。足の力がどこかへいってしまったように感覚がない。胸の辺りがざわつき徐々に息が苦しくなってくる。急に左目が激痛に襲われ、イオンは両手で押さえながらその場にうずくまった。
「じゃあね、お兄さん。自分の中にある力の存在を忘れちゃダメだよ」
イオンは肩で息をしながら、うっすらと開けた右目で男の子が去っていく後ろ姿を見た。そのすぐ後で、イオンはかろうじて意識を繋ぎながら、濡れてぬかるんだ土の上に倒れ込んだ。
誰かに抱きかかえられている感触がある。遠くで呼ばれているような気もする。
(この匂い……知ってる………)
自分は今どうなっているのだろう。体がうまく動かない。いや、動いているのかもしれないが、それがよくわからない。
(目を……開けなくちゃ………)
イオンは冷たく大きな掌が頬に触れるのに合わせて、うっすらと目を開けた。
すぐ目の前に見知った顔がある。相変わらずの無表情。セドリックだった。
「セドリック……さん……」
「イオン。しっかりしろ」
頬に当てられた手がセドリックのものだと知る。通常なら驚いて飛んで逃げるところだが、今は不思議なくらい心地良いと感じている自分がいる。しかもセドリックの触れている辺りはさっきからちりちりと熱を持ったようにしびれている。冷たい手が余計に気持ちよかった。
「もうすぐアシュリア様が来る」
「アーシュが?……僕、どうなって……」
「どうしてそうなったのかは、こちらが知りたいくらいだが、今のお前は黒い模様が体のいたるところに出た、非常にまずい状態だ」
無表情は変わらずだが、セドリックの口調がいつもより荒く感じる。バカにしたような響きもない。状況が状況なので、当然といえば当然なのだが。
イオンは袖を軽くまくって腕を見てみた。右腕にはないが左腕にはくっきりと模様が浮かび上がっている。その部分は頬と同じでちりちりと熱を帯びたように痛む。アーシュと出会う前、体中に模様が表れていたときには痛みはなかった。急激に影の力が強まったせいだろうか。自分の体に意識を巡らせると痛みのある部分がわかる。どうやら左半身の広範囲に渡って模様が浮き出ているようだ。
「苦しいのか?」
「少しだけ……。すみません、僕……」
「まったく、あなたという人は……。ちょっと目を離しただけでこんなことになる」
「……すみません」
「なんとかしてあげたいのはやまやまですが、私ではどうすることもできません。アシュリア様が来るまでこのまま辛抱してください」
「光の子の力なら、なんとかできるんでしょうか」
「アシュリア様ならどんなことをしてでもあなたを助けますよ。ただ、その後でこっぴどく叱られる覚悟はしておいた方がいいですよ」
「………はい」
セドリックの表情がほんの少し緩んだ気がした。気のせいかもしれないと思うほどの僅かさだったが、イオンはそれを感じてゆっくりと息を吐く。
(もしかして僕、セドリックさんがいてくれることに、結構安心してるのかも……)
弱っているときだからそう思うだけかもしれない。それでもイオンの呼吸が落ち着いたのは事実だった。