5.謁見の間を前にして
後日、正式に書面での発表があり、イオンはジェイクと共にめでたく白の騎士に任命された。
「なんだか賑やかな取り合わせになったもんだな」
揃った顔触れを眺めてリンクスが口にしたのも無理はない。年齢もバラバラ、性格もちぐはぐ、見た目で言えば優男のリンクスに大剣を背負ったジェイク、大きなバンダナで顔の半分を隠したイオン。そこに冷徹無表情のセドリックが加われば、なんの縁で集まったのか首を傾げてしまうような組み合わせの出来上がりだ。
「本当、今までで一番おもしろいかも」
「おもしろさを騎士に求めるのは違うと思いますが、姫様」
やんわりと諌めるリンクスにも、アーシュはふふんと笑って一人満足気だ。
「さてと。こうして新たに白の騎士が決まったことだし、面倒なことを片付けちゃいましょうか」
「面倒なこと?」
イオンの小さな疑問の声に、アーシュは人差し指を顔の前で振ってウインクしてみせる。
「お父様へのあいさつよ」
「お父様って、王様に会うってことか?」
「一応の義務なのよ。今は遠征から帰ってきて間もないし、もともと時間のない人だからちょっと会うだけで用は済むと思うけど」
「俺もそれを願いますね。このメンバーじゃ突っ込まれると面倒くさい」
リンクスの言葉は最もだった。だからこそアーシュも忙しいであろう時をわざと狙っている。もし詳しく聞かれたとして一番困るのはイオンのことだ。ただでさえ顔を隠している時点で怪しいし、目をつけられたとしても仕方がないのだが、たとえどんな状況に陥ったとしてもありのままの姿を見せるわけにはいかない。
「アシュリア様」
深刻な顔をしているアーシュを気遣うようにセドリックが声をかける。
「ディック……。これは賭けよ。でも絶対になんとかしなきゃいけない、絶対勝利が条件の賭けなの」
やっと見つけたフレイドを、こんなところで奪われるわけにはいかない。共に生きるために今までやり抜いてきたことを一つたりとも無駄にするつもりなどない。たとえ相手が一国の王だろうが、実の父親だろうが、アーシュは手段を選ばない。
「謁見の申請はあえて出さずに今から行くわよ。ごり押しでもなんでも、会わせてしまえば終わりなんだから」
「姫様の豪快っぷりに磨きがかかったような気がするのは俺だけですか」
「なんかすげぇな」
アーシュのことをよく知るリンクスも、初めて本性を知るジェイクも同じような顔をしている。心配でたまらない反面、アーシュの力強さに妙に心が引かれる。その小さな背中をそっと支えてやりたいと思わせる儚さが、アーシュにはあるのだ。
長い長い廊下を躊躇うことなく突き進んでゆく姫様一行に、一歩遅れてイオンが俯き加減でついていく。
イオンはこれから会うことになる王様のことを考えていた。アーシュの父親。つまりは自分の父親だ。産まれた時からその存在すら知らなかった本当の父親が今すぐ傍に居る。会いたかったかと問われても、イオンには応えられる感情が湧かない。いるかもしれないし、いないかもしれない父親に会いたいと思ったことはたぶん何度かはあった。でも、ここ数年間ずっと心の奥底にあり続けたアーシュへの思いに比べれば、そんなものはちっぽけなただの興味に過ぎないと思える。べつに会えなくてもよかった。それが正直な気持ちだろう。
なら、王様の方はどうなのだろうか。自分が実の息子だと知ったら、いったいどう思うのだろうか。死んだはずの息子が生きていて、今目の前に現れたのだとしたら、どんな顔をするのだろうか。喜ぶだろうか。悲しむだろうか。
イオンは考える。だが、行きついたのは、それにすら大して興味を抱いていないということだった。王様が自分をどう思おうが、どんな感情に満たされようが、自分の望みはそこにはない。父親らしい何かをしてほしいわけでもない。それならユルガが与えてくれただけで十分だ。今イオンが考えなければいけないことは全く別のこと。
(僕は………僕がフレイドだと知られたら、いったいどうなる?)
ぞわりと背中の毛が逆立った。この長い廊下はどこまで続いている?突き当りの扉を開けたら何が待っている?王様に会うということは感動の親子の再会に成り得る?その広い煌〈きら〉びやかな部屋は自分を迎え入れてくれる?
(ダメだ………。ダメだ、ダメだ、ダメだ。僕は生きていちゃいけないから死んだことにされてるんだろう?今更生き返って会いに行くなんて、そんなのはダメだ。僕が本当に終わってしまう)
唇が震えた。なんとかしなくては。この廊下が終わるまでに考えなければ。
ますます歩みの遅くなるイオンに気付いたアーシュは、急に方向を変えるとつかつかとイオンに近づいていった。自分の世界に捕われていたイオンは気付かず、アーシュの体にぶつかって止まった。
「あ……あ、ごめん……なさい」
「イオン」
軽いパニックに陥っているイオンの顔を、アーシュは両手で包んでぐいっと上に向けた。バンダナの下に不安に揺れる金色の瞳が見える。同じ色の瞳。一方は心細く煌めき、一方は力強く燃えている。
「大丈夫よ、イオン。私がなんとかするわ」
「な……なんとかって………」
「秘策があるわけじゃないけど、でも、なんとでもするわよ。もしどうにもならなかったら、そのときはこの国ごと終わらせてやるわ」
「なっ……何言って」
とんでもない発言をするアーシュに度肝を抜かれたイオンは声がうわずってしまった。アーシュは軽やかにイオンから離れると、一行の先頭に戻っていく。その途中で振り返り、イオンに一言告げる。
「べつに、冗談で言ったんじゃないわよ」
本気だと思った。アーシュはとっくに覚悟を決めているのだ。もしも謁見の席でイオンに何かあれば、彼女は迷わず父親である王様を殺めるだろう。その後でどのような制裁を受けることになっても躊躇わないだろうことはアーシュの目を見ればわかることだった。
なんとでもする。その言葉を信じようとイオンは腹を決めた。
王様のいる謁見の間の前で、アーシュは皆を待たせ、セドリックと二人で中へ入っていった。
「オレ、お城の中を歩くのなんて初めてだ」
「しかもこの国の王に間近で会えるわけだ」
「やっぱ慣れてんな。リンクスは前から結構王様に会ったりしてたのか?」
ジェイクは年上で先輩のリンクスに対しても、更に言えばアーシュに対してもまるで気を使う様子がなく、屈託なく話す。これは白の騎士になったときに同じ仲間として接してくれていいと言われたからではあるが、ここまで馴れ馴れしくして許されるのはある意味ジェイクの特権ともいえる。なんとなく、まぁいいかと思わされてしまうのだ。
「いくら姫様付の白の騎士だからって、そう簡単に王様に会えるわけじゃないさ。でもま、城暮らしは長いからな。今更興奮したりはしないよ」
ふぅん、とジェイクが頷いたとき、扉が開いてアーシュが出てきた。
「謁見はジェイクだけでいいわ」
「え?オレだけ?」
「お父様、すぐに出なきゃいけない用事があるみたいなの。今回の白の騎士の説明をするのにジェイクのことばっかり話したら、とりあえずジェイクにだけ会わせろって。イオンの話はほとんどしてないの。だからイオンはここでリンクスと一緒に待ってて」
思ったよりあっさりとなんとかなってしまったことに脱力しながら、イオンは小さく頷く。実の父親の顔を見る機会は失われたが、そんなことは惜しくもなんともない。
「それにしても、案外早く役に立ったわね……」
「何か言ったか?」
「なんでもないわ。ジェイク、わかってると思うけど、良い子にしてるのよ」
「姫様。あんたオレをなんだと思ってるんですか」
「それは………おっといけない。危うく本当のことを言っちゃうところだったわ」
完全に遊ばれているのだが、素直に憤慨するジェイクはイオンからみても子供っぽい。
強引に手を引っ張られて扉の向こうに消えていったジェイクの背中を見送ったあと、リンクスは呆れた声音でつぶやいた。
「あいつ、姫様の騎士として任命されたのか、姫様のおもちゃとして任命されたのかわからないな………」
イオンは苦笑いで返すしかなかった。
中でどのような話がされているのか、扉は分厚くまったく聞こえてこない。謁見の間の前は使用人が行き来することもないので妙に静かだった。だからだろうか、長い廊下の向こうからやってくる高いヒールの靴の音がやけに響いて聞こえた。
「うわ。面倒な人がやってきた」
その音の主を視界に入れたリンクスは小声で悪態をつく。穏やかな表情が眉間の皺で台無しになっている。イオンはリンクスが面倒だと言った人物の方へ視線を向けた。
長すぎて先の方が薄暗くさえ見える廊下の奥から、一人の女性が真っ直ぐこちらへ歩いてくるところだった。両端に騎士を連れているところからして王族の関係の者だろうか。煌びやかなロングドレスに艶のある長い髪が印象的な、少し妖艶な雰囲気の女性だった。
「あの人は第二王子のお妃様のダナテラ様だよ。イオン、何て言って突っかかってくるかわからないけど、適当に流して」
リンクスはイオンに素早く耳打ちすると、さきほど見せた眉間の皺はどこへいったのかと思うほど爽やかな笑みをダナテラに向けた。
「ごきげんよう、リンクス」
「これはこれは、ダナテラ様」
こういうときのリンクスはなんとも騎士らしい。すっと足を折って丁寧なお辞儀をする。とても真似できそうになかったので、イオンは仕方なく深々と頭を下げて挨拶した。
「あなたがここにいるってことは、中にはアシュリアが?」
「ええ。無事に白の騎士の選考を終えましたので。ダナテラ様は王様に御用で?」
「いいえ。たまたま通りかかっただけよ」
(嘘言え。遠くから俺たちを見つけて寄ってきたくせに)
リンクスがにこにこしながら腹の中で思っていたことなど、そこにいる誰も知らない。イオンにはなんとなくピリピリした空気が伝わってきたが、リンクスがあまりに完璧な仮面を被っているので、気のせいだと思い流した。
「ところで………」
ダナテラの視線がこちらに向いたのを肌で感じたイオンは、小動物のようにびくっとなる。バンダナのせいで相手の表情がよく見えない。ダナテラがどんな顔で自分を見ているのか、想像すると背中に嫌な汗が浮かんだ。
「この変な子は誰?」
(へっ……変な子?……僕、変な子に見えてるっ?)
危うく声を上げそうになってぐっと飲み込む。確かに顔を隠しているし、小柄で華奢な少年の体で騎士の服を着ている姿は変に見えるかもしれない。
(いや、待てよ。冷静に考えれば変に思われる方が普通かもしれない。そうだよ。みんながあまりにも気にせず受け入れてくれてるから、全然気付いてなかったけど、僕って結構怪しい存在だよね!)
今更気付いてはっとなる。だが、今はそんなことを考えているときではない。ダナテラがぐっと顔を寄せてくる。香水の香りに鼻がひくついた。
「まさか、あなたも白の騎士なの?」
「えっ……あ……あの………」
答えに詰まるイオンの脇からリンクスがすかさず援護に入る。
「そうなんですよ。もう一人は今中にいますが」
「ふぅん……。どう見ても子供じゃない」
「黒の騎士と違って白の騎士には年齢制限はありませんから」
「それにしたって、こんな弱そうな子を傍につけるなんて。アシュリアの気が知れないわね」
自分のせいでアーシュが悪く言われているようで申し訳ない反面、傲慢な言いぶりに腹が立ったが、自分以上に苛々しているリンクスの空気を感じ取ったイオンは思わず口をつぐんだ。
(な、なんかリンクス、すごく機嫌悪いかも……。顔が笑ってるから余計に怖い……)
「ダナテラ様、彼はこう見えても剣の腕が立つんですよ」
「あら、そうなの。私はてっきりアシュリアに幼い子を囲う趣味でもできたのかと思ったわ」
ふふっと嫌な笑いが語尾に重なる。さすがにイオンも堪えきれなくなって、相手の目を見るようにぐっと顔を上げた。そこにすっと腕が伸びてくる。
「顔を見せてごらんなさいな。あの子が見せたくないような顔なんだもの、さぞ綺麗なんでしょう?」
バンダナをつまもうとするダナテラの手を、イオンは思い切り払ってやろうと思い構えたが、後ろから素早く伸びてきた手でそれは阻まれた。
「ダナテラ義理姉様、私の騎士に何か御用でしょうか?」
今出てきたばかりのアーシュが、がっしりとダナテラの手をつかんでいた。
「あら、アシュリア。白の騎士の紹介は終わったの?」
「ええ、おかげさまで。お父様も気に入ってくださったので、ご心配なく」
「まぁ、その変な子も王様はお認めに?」
ダナテラはアーシュの手を乱暴に放すと、顎〈あご〉でイオンを指し示した。
実際イオンを王に会わせていないアーシュはなんと答えようか考え、少し間があく。この少しの間を突くのが非常にうまいダナテラを前にして、しまったと思ったが、そこはさすが姫付の執事。いつの間に現れたのか華麗に割って入ってきた。
「ダナテラ様、先ほどから少しお言葉が過ぎるようですが」
初めからのやり取りを絶対に知らないはずのセドリックは、そんなことなど微塵も感じさせない様子でしれっと言ってのける。
「此度の白の騎士は私もその腕を見て選んだのです。彼なら姫様をきっと守ってくれるだろうと思っての人選ですよ」
「とても強そうには見えないけれど」
「そうは見えずとも実際強いのです。強そうに見えるというのは見た目の話であり、まさかとは思いますが、ダナテラ様は強そうかどうかで白の騎士を選んでおられるわけではありませんよね?」
「当たり前でしょう!私の騎士を馬鹿にするつもり?」
ダナテラの声に合わせるようにして、両端の騎士の表情も険しくなる。
「それならよかった。そこに控える者たちがもしただのお飾りだったら、ダナテラ様のお命が心配でした。同じ目で騎士を選んでおられるのでしたら安心です」
あっという間にペースをもっていかれたダナテラは、ぐっと詰まってそれ以上何も言えなくなってしまった。
「まぁ、いいわ。せっかくの新しい騎士なんだもの、せいぜい長生きしてもらいなさいな、アシュリア」
「ええ。ご親切にありがとう、義理姉様」
明らかに怒った足取りで去っていくダナテラを見送った一行は、改めてセドリックに感心の眼差しを向けた。
「あんた、相変わらず強いわね。ダナテラ相手に連勝中じゃない」
「私は当然のことをただ述べているだけです」
「これだから執事様は。俺でも勝てる気がしないね」
なんとなく和やかな空気になった場の中で、イオンは一人顔を青くしていた。
(この人、なんで執事なんてやってるの?たぶん……いや、間違いなく最強だろ!)
鬼のような特訓を積まされた経験を持つイオンは、セドリックの恐さを存分に身に受けている。そのうえにこの饒舌〈じょうぜつ〉ぶりだ。つけ入る隙がないにもほどがある。
「もう少し遅ければ危ないところだったな」
セドリックが目だけでリンクスを見る。
「白の騎士が王族に向けて剣を抜く場面を拝むところだった」
「さすがにそこは堪えるって。けど、俺嫌いなんだよ、あの人」
あまり他人のことをどうのこうのと言わないリンクスが珍しくあっさりと嫌いという言葉を口にしたので、イオンは少し驚いた。
「なになに?誰が嫌いだって?」
遅れて出てきたジェイクがまったく話についていけない様子で聞いてくる。
「あ、忘れてた」
「忘れてたって……。ちょっと部屋から出てくるのが遅いだけで忘れられちゃう存在なわけ?」
ジェイクは呆れと怒りで頬を膨らませる。それを見たリンクスは、さっきの場面にいなくてよかったと思った。イオンだけでなくジェイクまでからまれたら本当に収集がつかない。特にジェイクの方はどんな風に言い返すか知れないので余計不安だ。
「何してたのよ」
「いや、中に控えてた騎士の中に黒の騎士がいてさ、ちょっと話を聞いてたんだ。それにしても、やっぱ王様はかっこいいな。この国で一番偉い人が第一線で戦ってるなんて、まじで惚れるよ。オレも黒の騎士になってたら、あの人の下で国のために剣を振るってたのにな……」
「それは自業自得でしょ」
「わかってますよ」
一度けりをつけた気持ちに再び火が灯ってしまったらしく、ジェイクは渋い顔をしている。騎士は騎士でも黒と白では違う。口では同じようなものだと言っていても、アーシュだってそれくらいはわかる。黒の騎士にはなれなくても白の騎士になれたのだからいいじゃないか、なんて思えるわけがないのだ。
「次に挑戦すればいいじゃない」
「え?」
「白の騎士は黒の騎士の選考会に出ちゃいけないなんて決まりはないわよ」
「それって………」
「さ、こんなところにいつまでもいたら邪魔になるわ。館〈やかた〉の方へ行きましょ」
アーシュはイオンに向けて声をかけるように言うと、先に歩き出した。その背中を熱い眼差しでジェイクが見つめる。
「どうしよう、リンクス。今の、ちょっとぐっときたかも」
「なんだかんだ言っても姫様は周りのことをいつも気にかけてるからね。お前のことだって強引に自分の元に引き込んだけど、悪いと思ってないわけじゃないのさ」
「素直じゃないなぁ。そういうのも、結構悪くないかも……」
「ジェイク、気持ちはわからなくもないが、もの凄く冷たい目でこっちを見てる執事様に張り飛ばされたくなかったら、軽口は慎んだ方がいいよ」
「あ………うん……」
リンクスの言うとおり、セドリックがじっとこちらを見ていた。何の感情も顔には出ていないが、足元から凍りつきそうなほどのオーラがこちらに向かってきている。
(こいつの感情は表情じゃなくて空気で読むのか)
あまりの迫力に直視できず、ジェイクはぎこちなく視線をあらぬ方向に向けた。
「さぁ、俺たちも館に行こう。姫様の館には騎士以外にも楽しい仲間がいるからさ」
リンクスが軽やかに歩き出す。彼の言う楽しい仲間というワードに少々不安を感じながらも、イオンとジェイクはすぐ後に続いた。