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光と影の国  作者: 以春
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4.赤毛は寝坊で白となる

 待っていたこの日がついにやってきた。

 ずっと、ずっと昔から追い続けてきた背中にやっと手が伸ばせる。追い越すまでにはまだ相当な時間が必要だろうが、とりあえず触れられる距離まではいけるはずだ。

 「早く俺の隣まで来いよ」

 大きな手で頭をなでられるたび、もどかしい思いに胸がうずいた。早く行きたい。早く、早く、早く………。

 「マジで早く行かないと………やばいっ」

 背中に大きな剣を担ぎ、ガシャガシャとうるさい音を立てながら必死の形相で駆けぬけていく青年にやっと一歩足を掛けたばかりの少年。まだまだ子供だった頃、自分の身長ほどもある大きな剣は、持ち上げることすらろくにできなかった。あれから約八年。この日のために鍛錬し、今では十分に扱えるようになっている。

 今までの努力は実を結び、申し分ない成長を遂げている。自信がある。絶対に大丈夫だ。

 間に合えば、の話だが。

 「ああっ、もうっ!なんで昨日が誕生日なんだよ」

 完全に恨むところを間違っている。昨日誕生日を迎えていなければ彼は十八歳になっておらず、十八歳になっていなければ本日行われる黒の騎士の選考会には参加できないのだ。むしろ明日ではなく昨日が誕生日だったことをありがたく思わなければならないのだが、自分のせいで寝坊したことを反省する様子もなく、怒りを誕生日に向けているのだから救いようがない。

 (くそっ。こんなはずじゃ……。記念すべき選考会の前日は精神統一して、当日は誰よりも早く会場にいるはずだったのに、オレの計画は丸つぶれだ。だいたいみんなが盛大に祝ってくれたりするから、調子に乗っちまったじゃねぇか。酒も飯もうまかったし、なにより近所のマドンナがオレに自分自身をプレゼントって………)

 くふふ、と思い出して笑っている。そのマドンナとやらと夜を共にしたがために大事な選考会の日に大失態をおかしているというのに、幸せな男である。

 あのまま昼まで起きなければ、むしろさっぱり諦められたのかもしれないが、なまじ間に合うギリギリの時間に目が覚めたので行かないわけにはいかない。いや、もし完全に間に合わない時間だったとしても、彼は会場である城まで向かっていたかもしれない。それほどまでに黒の騎士になるということは、彼にとって大事なことであったのだ。

 寝癖のついたままの赤い髪を振り乱して、左前方に城をとらえながら、彼は全速力で走っていった。



 「イオン。準備はいいわね」

 アーシュの問いかけに、イオンは頷く。西の国に戻ってきてから、今日が初めて人様の前に姿を現す日なのだ。

 今日までの約一月間、いったい何をしていたのか。それは、思い出してもぞっとする。道中を無事に切り抜け、まんまと城の中まで入りこんだイオンは、城の中を観察する暇もなく、それどころか持っていた荷物を下ろすほどの時間も与えられず、いきなり地下に連れていかれた。ろうそくの明かりがぼんやりと照らす、まるで牢獄のような石造りの空間。ひんやりと冷たい真四角の部屋で、イオンはその日から毎日、セドリックに一歩間違えば命が危ないような訓練を受けさせられ続けたのだ。

 イオンは将来子供たちに語ることだろう。鬼というのは怒ったような怖い形相をしているのではなく、無表情で非常に冷たい顔をしているものなのだと。

 (まぶしい……)

 夜のうちにこっそり地下から出されたイオンは、日の出を迎えた空の光に目を細めた。一か月近くも光を浴びない生活をしていたのだ。もともと色白だった肌はさらに白さを増して、光の中に溶けてしまいそうだった。

 「よく逃げずにやりきったわね」

 セドリックに命じたであろう本人が感心した声を出すので、イオンは苦笑いだ。すべての逃げ道を塞いでおいてよく言う。

 「アシュリア様」

 「二人のときはアーシュでいいわよ」

 「……アーシュ。もし僕が選ばれなかったら、どうするの?」

 「大丈夫よ。選ぶのは私だもの。フレイドは勝てばいいのよ」

 アーシュは二人きりのときはイオンをフレイドと呼ぶ。

 「もし、負けたら……」

 今日はアシュリア姫付の白の騎士の選考会が行われるのだ。白の騎士とは王族一人一人に対して付く側近の騎士のことで、城の中での護衛はもちろんのこと、城外に出るときにも必ずお供する。王族の中で例外となるのは王様と、その次期候補となっている第一王子だけで、この二人は黒の騎士を率いて遠征に出たりするため、白の騎士はいるものの城の中だけの務めとなっている。

 白の騎士は王族一人に対し最低でも三人はつく。通常何かの理由でやめたり、解雇になったりしなければ頻繁に入れ替わることのない役職なのだが、アーシュの場合だけは特別なのだ。もう何度も選考会を開き、その顔触れは次々に入れ替わっている。数年間ずっと変わらずにいるのは、リンクスだけだ。

 「フレイドは負けないわよ。断言してもいいわ。それに、もし負けたりしたらディックに殺されるわよ」

 うふふ、と可愛らしく笑って恐ろしいことを口にするアーシュを、イオンは頬を引きつらせて見返した。悪魔だ。悪魔と鬼が手を結んでいる。

 アーシュはすっと立ち上がると、窓から下を眺めてガラス越しに庭を指差した。

 「選考会はあそこで行われるの。私たちは二階から見てるから、適当に紛れて指示通りにやっていってね」

 「うん。がんばるよ……」

 「そんなに心配しなくても、もうフレイドで決まったようなものよ」

 「なんでそんなこと言えるのさ。確かに僕は強くなったかもしれないけど、他にもたくさん強い人がいるかもしれないだろ」

 アーシュは急に悲しげな微笑を浮かべて窓に額を押し当てた。

 「どうせそんなに集まらないわよ」

 「えっ……?」

 「人気ないの。他の人のときには志願者がいっぱい来るんだけどね……」

 はい、とアーシュはおもむろに布をイオンに差し出した。受け取ってみるとバンダナのようだった。よく見るものより若干サイズが大きい。

 「それを頭に巻いて。目の辺りまで隠れるように、なるべく下の方まで下ろしてね」

 「顔を隠すため?」

 「そうよ」

 イオンは言われたとおりに頭にバンダナを巻いた。幅が広いので髪まで隠れてしまう。すっぽりと覆ったと思ったのだが、アーシュはそれをさらに引っ張って位置を下げた。

 「アーシュ、これじゃ視界が……」

 「平気よ。そのためにディックに特訓してもらったんだから」

 アーシュは自信たっぷりに言い切る。確かにセドリックの特訓は並みのものではなかったかもしれないが、視界が悪い状態で戦えるほど何か身についているというのだろうか。アーシュと違ってイオンはそこまで自信を持てない。

 「私は公務もあるから行くわね。あとのことはリンクスに頼んであるから、そのうち来ると思うわ」

 「リンクスさん?」

 実は西の国への道中で声をかけられて以来まったく顔を合わせていない。ずっと地下にいたのだから、それも仕方のないことなのだが、リンクスの方も急に頼まれて困惑していないだろうか。

 いらぬ心配が顔に出たのか、アーシュはおかしそうに笑って大丈夫よ、と言った。

 「やっと時がきたから、お友達解禁してあげたの。喜んでたわよ」

 「お友達って……」

 「これから一緒にやっていくんだもの。仲良くしてね」

 この会話はイオンが白の騎士になることが決まってからするものではないのだろうか。まだ決まるどころか志願すらとおっていないのに、気の早い話だ。

 イオンはアーシュが出て行ったあと、ベッドの端に腰を下ろして思わず溜息をついた。目まぐるしく変わる環境。突然明かされた運命。気持ちの整理をする間もなく次々と決まっていく自分のあり方。当人を置き去りにして世界が高速で回転しているようだった。

 (目が回りそうなのに、立ち止まることを許してくれない……)

 アーシュに再び会うために歩み続けてきたイオンは、望みどおり再会を果たし、そして今度はそのアーシュを守るために歩みを続ける。生きていくための理由がするりと入れ替わっただけで、今までと何も変わらない。自分はアーシュのために生き続けるだけだ。

 (なのに………なんでだろう。なんだか僕の中が空っぽになった気がする……)

 厳しい訓練から解放されて安堵しているからだろうか。ずっと求めていたアーシュに触れることができる喜びからだろうか。慣れない環境に体が疲れているせいだろうか。考えうるすべてで説明はつくが、納得はできなかった。

 イオンは側らに置かれた剣に手を伸ばし、やはり溜息をついた。



 しばらくしてから訪れたリンクスと共に、イオンは庭に下りて行った。

 リンクスは上機嫌のようだ。自分の顔が見えない代わりに相手の顔を見るのも大変なイオンだが、リンクスの気分は雰囲気だけでも伝わってくる。顔を見なくても、そこにいつも以上の笑顔があることは容易に知れた。

 表に出てみて、イオンは想像していた状態からあまりにもかけ離れた光景に思わず立ち止まった。

 そんなに集まらない。小さな声でそう言っていたアーシュの言葉とは違い、表にはこれでもかというほど人が集まっている。体格のいい男たちが大半で、中にはほんの数人だが女の人の姿も見える。各々が得意とする得物〈えもの〉を持ち、緊張と興奮で厳めしい顔つきをしていた。

 「す……すごい……」

 ぽつりとつぶやいた言葉を聞き逃さなかったリンクスは、軽く息を吐いてからイオンに言った。

 「今日は黒の騎士の選考会もあるからな」

 「え?」

 「黒の騎士のことは知ってるかい?国を守り、繁栄させるために命をかけてあらゆる敵と戦う国の誇り。王に従い隊を成して聖戦を制する、勇敢な騎士たちさ。まぁ、まず少年たちの憧れの存在だろうな」

 「白の騎士は王族を守るためにあって、黒の騎士は国を守るためにあると聞きました」

 「うん。まぁ、間違ってはない。で、今日はこの前の、北の国境での対戦で減った分を補充するために騎士を追加するのさ」

 リンクスの言い方はまるで物に対する言い方のようだった。口ぶりは軽いが、少し嫌な気配が漂う。イオンもあまりいい気分にはなれなかった。

 「ここに集まっている人のほとんどは黒の騎士の志願者だよ。もうじき別邸の方にある訓練場へ全員移動していくはずだ」

 「全員?」

 「あ、あぁ、姫様の白の騎士になりたい者を除いてね」

 慌てて言い直す。リンクスの様子から察しても、ほとんどここには残らないような気がした。自分が選ばれやすくなるのでありがたい反面、なんだか虚しい気持ちになった。皆は国を守るのには必死になるのに、同じように国を守るため己の命を危険にさらしているアーシュのことは守ろうとしてくれないのか。

 勝手な考えだと気付いてはっとなる。自分はアーシュが大切だから白の騎士になることに迷いすらなかった。だが、もし光の姫がアーシュでなかったらどうだろうか。それでも白の騎士になりたいと望んだだろうか。

 隣にいる現役の白の騎士を見上げる。危険な場面を何度もくぐり抜け、国の姫という肩書を持っただけの一人の少女をずっと守り続けてきてくれた、頼もしいリンクス。イオンは急に感謝の気持ちでいっぱいになった。

 「ありがとうございます……」

 無意識に声に出ていた。

 「ん?なにが?」

 「あっ、いや。……その、アシュリア様のことをずっと守ってきてくれたから……」

 「急にどうしたんだい?君が感謝することじゃないと思うけど」

 リンクスが言うのも無理はない。彼はイオンがアーシュの双子の兄妹だということを知らないのだ。赤の他人が言うにしてはおかしな発言だった。

 あまり突っ込まれるとまずいなと身構えていたが、リンクスはその辺りには深く触れてこなかった。

 「俺は白の騎士だからね。職務をまっとうしてるだけだよ」

 「それならアシュリア様じゃなくてもよかったんじゃ……」

 言ってからはっとなって急いで口を塞いだ。また余計なことを口走ってしまった。聞いた自分はどうだというのだ。わざわざ東の町から長い道のりをついてきてまで姫様を守る理由など、聞かれてそうそううまい言い訳ができるわけがない。墓穴を掘るのも大概にしないと素性がばれるのも時間の問題だ。

 「まさか、君がそれを言うとは意外だけど……」

 「…………えぇと……」

 アーシュがいたらもの凄い勢いでひっぱたかれていてもおかしくない場面だ。だが、またしてもリンクスはそこで深くは追及してこなかった。

 「まぁ、アシュリア様はああ見えて結構かわいいとこあるからね。俺は好きだよ。王族の中では一番かも」

 「は……はぁ………」

 危機は回避したものの、なんだか複雑な気持ちになる。

 やがて時を知らせる鐘の音が聞こえ、リンクスの言った通り、集まっていた大衆のほとんどがどこかへ移動していった。残ったのは十数名といったところか。その者たちも朝方アーシュが指差して説明していた庭の方へと移っていく。イオンもそれにならってリンクスと共に歩いていった。

 白の騎士は三人は必要だ。となれば、イオンを入れたとしてもあと一人はこの中から選ばれることになる。しかしリンクスはまもなく同僚になるであろう者のことなどまるで興味がないようで、庭の花を眺めたりして呑気な様子だ。逆に白の騎士に志願してきた者の中にはリンクスのことを知っている者もいるようで、さっきからひしひしと強い眼差しを感じる。長きに渡り白の騎士を務めるリンクスに憧れている者もいるのだろう。

 「おっ、姫様のご登場だ」

 リンクスの見上げる先を追って見ると、二階のベランダにアーシュとセドリックの姿があった。相変わらず見にくい視界に苦戦しながら精一杯顔を上げてアーシュを確認する。余所行きの顔、とでもいうのか、アーシュの表情は凛としていて非常に気品に満ち溢れていた。

 「じゃあ俺はあっちで見てるから、しっかりがんばれよ」

 リンクスはイオンの肩を軽く叩いて微笑むと、庭の端の方に移動していった。まるで緊張感のないリンクスの空気のせいで、本番間近だというのに心拍数があがる様子もない。こんな状態で大丈夫かと心配になってしまうほどのリラックスぶりだ。見ればリンクスは庭の片隅に控えていたメイドと楽しげに会話している。まったく緊張のかけらもない。

 ほどなくして選考会が開始された。人数が少ないせいか、非常につつましく感じられる試験であった。適当に番号をふられた志願者たちが順番に現役の騎士と対峙する。役をかって出た騎士は三人で不規則に入れ替わり、次々に志願者と対決していく。剣の太刀筋はしっかりしているし、スピードもそこそこある。現役で騎士を務めているのだからそれくらいは当たり前ではある。

 イオンの番は狙ったわけではないのだが、最後だった。自分の番が来るまで目の前で繰り広げられる試合形式の選考会を眺めていたイオンは、不思議な感覚にとらわれていた。

 この人たちは真剣にやっているのだろうか。

 絶対に口には出さないが、そう思ってしまったことは事実だった。試験官側の騎士たちは多少手を抜いている可能性もあるが、それにしてもひどすぎる。これは技の完成度を競う大会でもないし、ましてや打ち合い稽古ではない。命を張って王族を守るための人間を選ぶ大切な試験のはずだ。ならばなぜ、こんなにも殺気立った気配が漂わないのか。

 イオンは一か月ほど前に目の当たりにした、川のほとりでの光景を思い出していた。アーシュの命を狙ったたった一本の矢。瞬時に空気が色を変え、張り詰めた気配が一面を覆った。指一本動かすこともできぬまま、命の奪い合いをただ見守るしかなく、自分の不甲斐なさを噛みしめた出来事だった。

 あの場所にここにいる者たちを立たせても大丈夫だろうか。あの時の自分を棚に上げた考えだが、ここにいる者の中に、果たして何人動ける者がいるであろうか。イオンと同じように己の力のなさを思い知り、再びやり直そうと思う者がいるのならまだいいだろう。

(だけど、この人たちはアーシュを守る気がないんじゃないだろうか………)

 顔を上げてアーシュを見ると、凛とした立ち姿はそのままだったが、その目は何も映していないように見えた。ここにいる誰にも自分の身を任せるつもりはない。イオンにはアーシュがそう始めから決めているように思えた。

 腹の底からふつふつと熱いものが沸いてくるような気がしたイオンは、拳をぐっと握りしめてじっと自分の番を待った。誰にもアーシュのことは任せられない。少なくともここにいる者には任せておけない。自分が守らなければ。アーシュが自分を望んだその思いに応えたい。

 (アーシュは僕に守ってほしいと言った。僕だけにはその身を預ける覚悟を示してくれた。ならば僕はその思いを受け止め、命のすべてをかけなきゃならないはずだ)

 やっと訪れた自分の出番に、イオンは早まる気持ちを抑えるのが大変だった。

 「君で最後だな」

 「よろしくお願いします」

 礼儀として深々と頭を下げる。ここに集まった者の中でもイオンは小柄で、一見一番頼りなく見えた。イオンを見て遠慮なく薄笑いを浮かべる者もうかがえたが、そんなことは気にもならなかった。イオンが捕えているのは、狭い視界の中で目の前の騎士だけだ。

 騎士に倣〈なら〉いゆっくりと剣を抜く。お互いに縦に構え、一拍。ほんのわずか、騎士が先に動いた瞬間に勝負はついていた。

 イオンは唖然として見守る志願者の輪の中で、風を切る音だけ発すると騎士の剣を弾き飛ばしていた。宙を舞った剣が騎士の後方に突き刺さる。ざんっという地に切っ先が刺さる音と同時にイオンは自分の剣を下ろした。そして深々と礼をする。

 「ありがとうございました」

 庭は静まり返ってしまった。誰もが発するべき言葉を見つけられない。

 二階では別の意味で言葉を失ったアーシュが、あっけにとられて半分開いていた口を閉じると長い溜息をついた。側らに控えるセドリックを呆れた目で見る。

 「ちょっと、やり過ぎなんじゃないの?」

 「申し訳ありません。加減というものを教える時間がなかったもので」

 「まぁ、いいわ。出来は上々。あれだけインパクトあったら誰も文句ないでしょ」

 アーシュは半ば投げやりに言った。イオンの存在はあまり明るみに出したくないのだが、今の一コマで台無しだ。ぽかんと口を開けて呆けている者たちを見れば、強烈な印象を与えてしまったことは明白だった。

 だが、起きてしまったことは仕方がない。今更イオンを責めてもどうにもならない。今後十分注意するように後できつめに言っておくことにし、アーシュは自分の職務に意識を戻した。イオンはもう決まったようなものだとして、もう一人今の中から選ばなければならない。正直誰でもよかったし、イオンさえいれば別にいらなかったのだが、そういうわけにもいかない。果たしてどうしたものか。

 面倒になったアーシュがセドリックに丸投げしてやろうかと思ったときだった。庭に直接続いている裏門の方から、なにやら騒がしい声が聞こえてきた。

 不法侵入でもあったのだろうか。待ちなさいだの、やめなさいだの、門番たちの諌〈いさ〉める声が交互に聞こえている。さほど緊迫した様子のない声ではあったが。

 庭にいる者も皆そちらに気を取られている。やがて庭の一角に、門番たちを引きずるようにして一人の男が現れた。どこにそんな力があるのか、背中に大きな剣を背負ったうえに大の大人を数人引きずって、それでもじりじり進んでいる。まだ少年の気配が残る顔つきに、わざととは思えないはね方をした赤い髪。

 「なんなの、あれ……」

 アーシュが思わずつぶやいたのも仕方のないことだった。



 赤毛の青年、ジェイクは、走りに走って門の中へ飛び込んだ。

 「誰だ君は」

 「侵入者かっ」

 当然のことだが門番たちに行く手を阻まれる。寝起きに走って脳に酸素の回りきらないジェイクの頭で最適な対処法など思いつくはずもなく、自分本位の言いぐさをつけて突破しようとしたら案の定捕まった。

 「放してくれよっ。オレは黒の騎士になるんだから」

 「黒の騎士の選考会ならもう始まっている。今からでは参加できないぞ」

 「ギリギリセーフだろ」

 「セーフじゃないから言っているのだ。不法侵入として捕まる前にさっさと帰りなさい」

 諦めの悪いジェイクは数人の大人たちに押さえられてもなお歩みを進める。ここまで来ておいて何もせずに帰れるわけがない。次回の選考会はいつ行われるかわからないのだ。それまでなんて待っていられない。

 「だいたい君、入り口間違ってるから」

 「は?城の門から入りゃどこでも同じだろうが」

 実は薄々勘付いてはいた。正面の門にしてはずいぶんこじんまりしているなと思っていたのだ。だが、一番近い入り口からとにかく城の中に入る。ジェイクの頭の中はそれしかなかったのだから仕方ない。

 「あぁ、もう、鬱陶しいな。放せよ」

 「放すわけないでしょうが。君、侵入者になりかけてるんだよっ」

 というやりとりをしながら、ずるずると数人の男を引きずってやってきたジェイクを、静まり返った庭に佇む白の騎士の志願者たちが迎える形になったのである。

 「あ………えと……。どうも、お邪魔します」

 ジェイクは複数の人間がからまってできた異様な生物のような姿で、気まずそうに頭を軽く下げる。彼は今日白の騎士の選考会が同時に行われていることを知らない。そもそも黒の騎士にしか興味のない彼にはどうでもいいことの一つにすぎない。だが、なんか間違った。そういう空気は一応わかった。

 「なんかおもしろいのが来たわね」

 突然後ろで声がしたのでびっくりして振り返ったイオンは、間近にアーシュの姿をとらえた。ついさっきまで二階にいたはずの姫様は皆の目が一点に集中している隙をついたらしい。移動にかかった時間を考えると、通常ルートでないことは明白だった。

 「姫様、もしかして、飛び降りたんじゃ……」

 小声でささやくイオンにアーシュはふふっと軽く笑い返す。

 「それ以外の方法って何かあるかしら?」

 どこの国に二階から飛び降りる姫様がいるのだと呆れるが、側らに涼しい顔で控える執事も止めるどころか一緒に飛び降りており、イオンはもう何も言うまいと思った。

 「それより、彼。どうかしら」

 「どうって……?」

 「白の騎士にどうかってことよ。なんかおもしろそうじゃない?」

 「おもしろいかどうかで騎士を決めるの?」

 「あら、結構大事な要素よ」

 ここに集まっている者には聞かせたくないような言葉だ。

 溜息をつくイオンを残して、アーシュはジェイクの元へ寄って行った。姫の登場に、ジェイクに群がっていた門番たちが離れる。身軽になったジェイクにアーシュはにっこりと微笑みかける。

 「あの……もしかして、ここって白の騎士の……」

 「そうよ。私の白の騎士を決める選考会を行っていたの。今ちょうど最後の者が終わったところなのだけれど……。あなたは黒の騎士に?」

 「えぇ……まぁ。でも間に合わなかったみたいで」

 まだ諦めきれない気持ちは残っていたが、本国の姫を前に勢いも衰えてジェイクはおとなしくなる。もう次を待つしかないのか。あれだけ待って待って、まるで図ったかのように訪れたチャンスだったのに、ものにできなかった。近づいた背中がまた遠くなる。

 無性に脱力感に襲われ、ジェイクはその場にしゃがみ込んだ。いまさら背中の大剣の重みが身に染みる。

 「残念だったわね」

 アーシュも前にしゃがみ込み、覗き込むようにして声をかける。

 「そこで提案なんだけれど、あなた、私の白の騎士にならない?」

 「…………は?」

 十分な間の後顔を上げると姫様とばっちり目があった。アーシュは大真面目な顔をしている。対してジェイクはぽかんと口を開けている。

 「オレが……白の騎士に……?」

 「そう」

 「ちょ、ちょっと待ってください。オレはまだ何も決めてません。そもそも白の騎士になりたかったわけじゃ……」

 やっと思考の追いついてきたジェイクが大げさな身振りで否定する。

 「いいじゃない。黒でも白でも、騎士は騎士よ」

 (その違いは大きいと思うけど……)

 イオンは呆れ半分で口には出さずに突っ込む。

 「それとも、私の騎士になるのは嫌?……捨て駒だから?」

 「……それは………」

 「正直ね」

 捨て駒という言葉を発したときのアーシュは、ひどく寂しそうだった。今朝方部屋で、自分の騎士は人気がないのだと語っていた姿が重なる。

 「いいわ。私も王族の権限を使って嫌がる人をむりやり自分の騎士にするようなことはしたくないもの」

 いつになくあっさりとした態度に、逆に嫌な予感がしたのはリンクスとセドリックだ。何を言い出す気やら。ついつい身構えてしまう。

 「だからこうしましょう。私の騎士と戦って勝てたら、この話は白紙でいいわ」

 「えっ?」

 「それじゃあなたに対するメリットが少ないわね。じゃあこうしましょう。あなたがもし勝ったら、黒の騎士の選考会に出れるよう頼んであげるわ。受かるかどうかは保証しないけどね」

 「ほ、本当ですか?」

 一気に表情を輝かせて聞きかえすジェイクに、アーシュは力強くうなずいた。

 「でも、負けたら私の白の騎士になるのよ。この条件は絶対だから、わかったわね」

 向きを変えたアーシュの先にいたのは、リンクスだった。反射的に視線を逸らす。私の騎士という発言の時点で嫌な予感はしていた。見事に的中。

 「なんで目を逸らすのよ。私の白の騎士は今はリンクスだけでしょ」

 「いや、まぁ、そうなんですが……。なんでしょうか、この巻き込まれた感」

 「リンクスだってこれから同僚になる人物と手合せしておきたいでしょ」

 「姫様、完全に彼が負ける想定になってますけど」

 「あら。だって……」

 アーシュはリンクスに口を寄せて不敵に笑う。そして小さく一言。

 「どうせ勝つでしょ」

 まったくこの姫様は。リンクスは頭をかきながら溜息をもらす。

 なぜこんな訳のわからぬ者を自分の同僚にするために一役かわなければいけないのか。手合せすれば相手の力量がわかってしまう。彼が生き残れる器か、命を落とす器かわかってしまう。どの程度だろうと負ける気はしないが、もし後者であった場合、どんな風に彼を迎え入れればいいというのだ。

 (捨て駒にするのは、あなただって嫌でしょうが)

 リンクスはしぶしぶという様子で前に進み出た。いざ正面から見てみると、思ったよりは体の均整がとれている。それなりに鍛えてはいるようだ。

 「アシュリア姫付の白の騎士、リンクスだ。こういうやり方はあんまり賛成できないんだけど、まぁ、よろしく頼むよ」

 やる気に満ち満ちたジェイクの気迫をいなすように柔らかく笑いかける。

 「さて、どうしたものかな。俺が自前の剣で君が大剣では分が合わないな。一対一では大剣はどうしてもやりにくくなるものだからな」

 「貸していただけるなら普通の剣でも構いません」

 「だが君は大剣の方が得意なんだろう?言わせてもらうが、俺の得意なものに合わせて勝てるほど甘くはないよ」

 言いながらリンクスは自分の剣を腰から外す。そしてふいにセドリックの方を振り向いた。

 「今レイラが取りに行っている」

 表情ひとつ変えずにセドリックは言った。

 「さすが執事様。準備がよろしいことで」

 二人の間で交わされる、わかっている者同士のみの空気に、イオンはまったく介入できなかった。リンクスが何をしようとしているのかも未だにわからない。

 ほどなくして一人のメイドが大きな白い布に包まれたものを抱えて現れた。さっきリンクスと親しげに話していたメイドだと、イオンは遠目に見て思った。

 メイドはリンクスに近づくと剣と包みを交換した。

 「俺は大剣はあんまり得意じゃないんだけど、今回は特別だ。君とはこれで勝負しよう」

 そう言って布を外すと、中からはなんと巨大な剣が表れた。剣というよりノコギリのような形のそれは、ほとんど装飾もなく非常に重たそうだった。

 包みの大きさを考えれば大剣が中から出てきてもそんなに驚きはしないのだが、おそらく皆が思わず驚いてしまったのは、そのあまりにも重そうな代物を先ほど華奢なメイドが軽々と持っていたからだと思われる。

 (何者……?あの人……)

 イオンがそう思っても無理はない。

 「でも言っておくよ。大きな得物は正直白の騎士には向いていない。もし君が白の騎士になった場合は別の武器も鍛えてもらうから、そのつもりで」

 「なった場合、ですけどね」

 ジェイクはゆっくりと背中の大剣を抜くと、普通の剣と同じように腰の辺りで構えた。慣れていない者は腕を伸ばした状態でこんなに重い得物は構えられない。

ジェイクはリンクスよりも背が低いし、筋肉のつきかたからしても、怪力を生み出す体のつくりとは思えなかった。それでも苦がなく大剣を扱えるのは、彼の体のバランスが剣に合わせて造り上げられているからだろう。

 (へぇ……。バランスにバネ………。いいもの持ってるじゃないか)

 リンクスはジェイクを観察しながら心の中で頷く。確かにちょっとおもしろい存在かもしれない。

 (でも、相手が悪いよ。俺には勝てない)

 リンクスは両手の間隔を広めにとって横に構えた。こちらもまるで重さを感じさせない。リンクスが大剣を使う姿など思ってもみなかったが、似合う似合わないは別として、慣れていると見えた。

 イオンは近くに戻ってきたアーシュに、それとなく聞いてみた。

 「リンクスさんて、あんなの使ったりするの?」

 「リンクスは何でも扱えるのよ」

 「白の騎士って、そうじゃないと務まらないの?」

 「そんなことないわよ。リンクスは特別なの。だいたい白の騎士には不向きな武器なんだから、大剣なんてまず出番ないわ」

 ひとまず安心する。自分にはとても扱えそうにない。

 庭にいるのは皆白の騎士になろうとしてやってきた者のはずだが、突然現れた変な奴にその役を奪われるかもしれない事態だというのに誰も不満を漏らさなかった。それよりもリンクスの手合せを見れるということに興奮しているようで、皆食い入るように二人の様子を見つめている。ジェイクに引きずられてやってきた門番たちまで、拳を握りしめて行方を見守っている有様だ。

 「さて、始めようか。一本勝負だから遠慮なくきなよ」

 どこまでも余裕のあるリンクスに、ジェイクは幼い顔でむっとする。自分がこの剣を持てるようになるまでどれだけの時間をかけたか、振れるようになるまでどれだけの年月をかけたか、この男にわかるだろうか。初めて触れた大剣はあまりに大きく、気が遠くなるほど重かった。こんなもの、どうやって使えというのだ。果てしなさに涙さえ浮かびかけた。でも、これを持てなければ近付けない。遠い存在になってしまったあの人に、追いつくことができない。

 物事をすぐに投げ出すジェイクが唯一必死に続け、今でものなお執着している代物だ。それをあっさりとねじ伏せられるつもりなど、毛頭ない。いかに目の前の相手が自分より短い時間で同じ得物を体得していたとしてもだ。

 「オレは、この剣で負けるわけにはいかねぇんだよ」

 ジェイクは前かがみになってつま先に力を入れると、その勢いをすべて乗せてリンクスに向かっていった。

 (持てるだけじゃなくて、スピードもあるのか)

 冷静に観察しながら、リンクスは横に向けていた大剣を払ってジェイクの剣を弾く。ジェイクは足を踏ん張って体が流されるのを防ぎ、剣を下におろした状態から腰を捻って斜めに切り上げた。リンクスは後ろに飛びのき、大剣は鋭い音をあげて空を切る。

 大剣はその重さゆえに振ったときに体ごと持っていかれないようにするのが大変になる。今のように物体に当たらなかったときは尚の事、次の一撃のために素早く体勢を整えなければならない。必要なところでいかに力を込められるか。その判断と体のバランスが使い手には求められる。

 そういった意味ではジェイクはよくできていた。細い体で大剣を扱うことが可能なのは、今だという一点で無駄なく必要な筋肉が動いているからだ。そして関節のバネ。ジェイクの体は一度向いたベクトルを短い時間で別の方向に向けることができるようになっている。

 二、三度打ち合っただけでそれがわかったのは、リンクスも同じだからである。どちらかというと細身の剣の方が得意なリンクスが大剣を使うときには、ジェイクと同じような体の使い方をする。おそらくジェイクは必死の訓練の末に必然的に身につけたのだろうが、リンクスは仕組みをわかったうえであえてしているのだ。その時点でリンクスの方が上手であった。

 「やっぱり疲れるな。こんなものが得意だなんて、君は物好きだな」

 「余計なお世話だ。オレだってもともと好きで持ったわけじゃねぇよ」

 「ほぉ。ではなぜに……と聞きたいところだが、続きはこの後でにするよ」

 その言葉を合図にするようにリンクスは一瞬目の色を変えると、今までにない速さでジェイクとの距離を詰め、半分回転するようなかたちで剣を下方から振り抜いた。

 激しい衝撃が両手を襲い、ジェイクの手から離れた大剣はガシャンと鈍い音を立てて地に打ちつけられた。

 「勝負ありだ」

 リンクスに剣先を突き付けられ、ジェイクは目を見開いたまま現実を受け入れるしかなかった。ジェイクは膝をついて呻くようにつぶやく。

 「なんで………。なんで、お前みたいな奴がいるんだよ……」

 白の騎士なのに……。そう言おうとした言葉は小さく消えて聞こえなかったはずだが、リンクスにはわかったらしい。

 「白の騎士が強いのはおかしいか?随分な偏見だな」

 「………」

 「まぁ、実際にはいろんな奴がいるんだろうが、少なくとも光の姫付の白の騎士は弱くちゃ務まらないってことさ。自分の欲ばかり優先する腰抜け共は捨て駒なんて表現をしてるらしいが、捨て駒になるかどうかは己の強さで決まるんだ」

 顔を上げたジェイクはリンクスを真っ直ぐに見つめる。リンクスの目は、君はどうかな?と問いかけているように見えた。

 「オレは、黒の騎士を諦めたわけじゃない。でも、負けたのは事実だし、約束は守る。オレは、姫様をこの命をかけて守る騎士になる」

 「ようこそ、アシュリア姫の白の騎士へ」

 ジェイクは差し出されたリンクスの手を取った。

 こうして白の騎士の選考会は異例の事態を引き起こしたものの、無事に幕を閉じた。


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