愛を教えてください
――愛は素敵だねって。
ママがそう言ったの、覚えてるよ。
でも、今になってもまだわかんないの。
「まだ美紅は子供だからわかんないけど、いつかきっとわかるよ」
なーんて言われたのに。
ママのその言葉は幼いながらもはっきり覚えてる。なのに……愛がまだよく、わかんないの。
「愛ってさ、言葉は一文字でも、意味は何通りもあるだろ。例えば母の愛情、兄弟への愛情、友達への愛情、ペットへの愛情……とか、いろいろ、さ」
私の友達はそう言ってた。
女の私より『愛』について知っているなんて、何だかちょっと悔しい。でも、やっぱりわからないんだ。人を好きになったことはないし、友達だって所詮は『ちょっと仲が良い子』に過ぎないんだもの。
「中学生にもなってそれ知らないって、ちょっとなぁ……」
何て、申し訳なさそうに友達に言われてしまった。
その日は二人で一緒に帰り道を歩いていたんだ。
ちょっと寒い十一月の上旬で。風がひゅるひゅる唸ってて。私と友達は色違いでチェックのマフラー巻きながら、手を息で温めながら。
「でもさ、大人でも愛がわからない、って人いるよ。美紅みたいに特殊な人はいっぱいいるから大丈夫だよ」
慰めの言葉までしっかり貰っちゃったよ。
私は少し溜め息をつきたい気分になって、慌ててそれを引っ込める。今溜め息なんかついたら、何か誤解されそうだ。私は自分自身に溜め息をつきたいんだ。
――何でこんなくだらないことで悩まなきゃいけないのかなぁ。
きっと、「地下鉄をどうやって地下に入れるのかわからなくて眠れなくなった」人と同じような感じなんだろうな。きっとそうだ、絶対そうだ。
「……辞書引けばわかるかなぁ、って思ったんだけど」
私はぼそりと呟いた。友達がちょっとこちらに顔を向けたのが視界の端に見えた。
「でもね、何かピンとこないんだぁ。辞書には『大事にする気持ち』とか『愛しいと思う気持ち、恋』とか、『幸せを願う温かい心』とか載ってたんだけど。私、愛がないやつなのかな」
自嘲気味にそう言うと、友達は小さく鼻で笑った。
決して馬鹿にしたような笑い方ではない、小さな笑み。
「私だって、愛ないよ。ただ……」
「ただ?」
「友達とか、すっごく大事だなぁって思うから。そういうのを愛情って言うんじゃないの?」
違う? と聞かれても。わからないのだから答えようがない。
「美紅は、そういうのないの?」
――軽い口調だったから、その質問の意味も軽いということは決してない。
友達は、私に『自分を大事に思ったりしないのか』と聞いているのだ。
……答えられるはずがない。
だって私は、そういうの思ったことがない。大事だとか、大切だとか、失いたくないとか、思ったことはない。
だって、何も言わなくても隣りにいてくれるから。それが当たり前になっているから。だから何も思わない、感じない。
もしも今、目の前から友達が消えたら、「大切だったな」って、思う時が来るのだろうか。
「……美紅?」
「……ら、ない」
「へ?」
私は立ち止まり、友達を真正面から見つめて叫んだ。
「そんなの、知らない!」
そして私はそのまま全力疾走で帰路に着く。
何で自分がこんなにムキになるのか、わからなかった。
ただ、逃げたかっただけなのかも知れない
友達は私のことを大切だと思っていて。でも私は友達のことを何とも思っていなくて。そんなの、可哀想だと思う。一方通行な友情を抱く友達も、こんなに素敵な友達がいるのに、その友達を大切だと思えない――自分も。
「何で……かなぁ……」
家に着いても、私は玄関の扉を開けなかった。
それどころか、家の敷地にさえ入らず、家の近くの川の傍、堤防に腰をおろした。
親も先生も、川の近くには行くなっていうけど。私はここがとても好き。落ち着くし、殺風景なこの原っぱが逆に癒されるっていうか……とにかく、大好きなんだ。
「何で、かなぁっ……!」
どうして一つの素朴な疑問だけで、こんなに惨めな思いを抱かなくちゃならないんだろう。
何で、どうして?
「――短くなった、赤のクレヨン」
私の好きな詩。
ふいに詠みたくなるんだ。
短くなった 赤のクレヨン
描けるものは 君の微笑み
ふんわり とても綺麗な笑顔
真っ赤な唇が 愛しい
君の唇は 真紅なのですね
嗚呼 この感情を愛というのならば
愛の色も 真紅なのですね
躊躇いもせず赤を手に取るのは きっと
私が愛を描こうとしているからなのでしょう
君の笑顔に抱く 「愛」という感情を
描こうとしているからなのでしょう
――この詩がきっかけで、私は愛について考えるようになったのだ。
「……何だかなぁ」
この詩は、本当に作者が体験したことに基づいて書かれているのだろうか?
多分、否……であろう。
それをわかってて、私は、今まさに。
「なーんで私、赤の色鉛筆握ったりしてるんだろう」
私はランドセルを降ろすことにより大分楽になった肩を少し回すと、物がぎゅうぎゅうに押し詰められたランドセルからノートを取り出すと、適当なページを開いた。
……期待、してるんだ。
これで自然に手が動けば。完成したとき、ノートに描かれているのがまさしく私の『愛』なのだろう。
愛を知りたい。
自分が今、何を愛しているのか知りたい。
「よっし」
私は訳もなく気合を入れ、真っ白いノートの一ページに赤鉛筆を置いた。
そして暫し、自分が今書きたいもの……インスピレーションがわくのを待つ。
傍では、川の流れる音が間近で聞こえてくる。
私がここに座った時より風は強くなっていて、私は少し肌寒く感じた。それと同時にもう秋なんだなぁなんて、いつもは感じているだろうが、今はそんな余裕などない。
――酷く、幻想的な雰囲気に、そこは包まれていた。
「………あー、もう! 描ける訳ないッ!」
そして静寂が急に解かれた。自分自身の声によって。
一人で勝手に癇癪を起こす私を、先ほどと全く変わらぬ川の流れる音と風の音が、嘲笑うかのように耳から耳へ、通り過ぎていく。
「そうだよなぁ、だって、赤鉛筆だもんなぁ……」
赤鉛筆一本で愛がわかるなら、今頃世界は愛と幸せと平和に包まれていただろう。
――まぁ、いいか。
私は石を川に向かって思い切り投げた。
座っていたためあまり力が入らなかったが、投げた石は真っ直ぐに川へ向かい、ゆっくりと水面へ落下していった。やがてポチャン、という何とも味気ない音が聞こえた。
「ま、いいや! 愛愛って、何考えてんだろ、私」
いつまでもぐだぐだ悩んでるのは性に合わない。とにかく真っ直ぐ進めば、真っ直ぐ答えは返って来るだろう。直球を壁に向かって投げれば、例えワンバウンドでも、ちゃんと真っ直ぐ自分の下へ返ってくるように。
「とにかく、あの子に謝って、それから後は成るように成れ!」
私は寒いにも関わらず、相変わらず重いランドセルを胸に抱いて寝転がった。
ちょっと曇天でも気にしない。
だって私は単純だから。ちょっと気持ちが晴れただけで、天気だって晴れに見えるから。
――私って不思議だ。
愛についてそんなにまで考え込む女の子が本当にいるのかと考えると、この話は何かのこじつけみたいになってしまいますが。それがおかしいということをこの主人公はしっかり理解しているので、いいかなぁと思っていますけど、どうでしょう?