リラがかわいすぎてしんどい
百合ではありませんが、人によってはそれっぽく感じるかもしれませんのでご注意ください
「リラ・メルクリウス男爵令嬢との婚約を破棄する!」
きらめくシャンデリアの光を受け、声高に宣言する男を、リラは悲しげに見つめる。
デビュタントで声をかけられ、婚約を申し込まれた。燃えるような恋はなくても、絆を深められていると思っていたのに――。
こぼれそうな涙を貴族令嬢の矜持でおさえ、リラはまっすぐ婚約者を見つめる。すうと息を吸い込んで、発しようとした言葉は、ふたりの令嬢によって遮られた。
「「婚約破棄上等よ」」
二大公爵家の美貌の赤薔薇アクイラと、英名の銀盃花アリテッドがリラをかばうように前に出る。高位貴族の登場に、男の顔色がさっと変わった。
「そんなことより」
アクイラがにっこりと妖艶な笑みを浮かべる。周囲の貴族たちがその美しさに息をのむ。
「――お覚悟はよろしくて?」
アクイラに続けるように、アリテッドの凛とした声が通り、空気がぴんと張り詰めた。
――これは、終わったな。
その場にいた貴族たちが、愚かにも婚約破棄を告げた男を薄目で見て、心のなかで合掌を送ったのだった。
オリュム帝国に属する二大公爵家のアクイラ・カタミートゥス公爵令嬢とアリテッド・ユーピテル公爵令嬢は激昂していた。それぞれ生家で高位貴族の令嬢として厳しい淑女教育を受けていたため、端から見ればいつもどおり優雅にお茶を楽しんでいるようにしか見えない。周囲に控える侍女たちは、嵐の前の静けさだと戦々恐々である。
この国の社交界を牽引する美貌のアクイラは、わざと音を立ててカップを置く。気の置けない親友の前でだけで見せるその姿に、アリテッドはため息をついた。
「……下品よ、アクイラ。至高の赤薔薇の名が泣くわね」
「あら、アリテッドこそ。英名の銀盃花と名高いあなたが、どうしてそんなにのほほんとしていられるのかしら」
「まあ、わたくしがのほほんとしているように見えるなら、今すぐお医者様に頭を見ていただくことをおすすめするわ」
完璧な笑顔で言葉を交わす様子は、一枚の絵画のように美しく見えるが、まとう空気は今にも噴火しそうな火山である。
「いいえ、やめましょう。わたくしたちが言い争っている場合ではないわ」
「そうね、アリテッドの言うとおりだわ。今はリラのことよ」
リラ・メルクリウス男爵令嬢の名前が出て、周囲の侍女たちは「やはり」と心のなかで納得した。帝国の貴族令嬢のなかで確たる地位を築いているふたりの令嬢は、ひとりの令嬢をめぐって激しい論争をくり広げるとき、その対象は必ずリラ・メルクリウス男爵令嬢である。
オリュム帝国は現在社交シーズンのまっただ中であった。主たる貴族は帝都にあるタウンハウスに集まり、舞踏会や夜会、サロンでの集まりなど人脈作りや縁組のために令嬢子息たちは朝に夕に大忙しである。そんななか、社交界で最も注目を集める二大公爵家の令嬢ふたりが、お茶会の予定をキャンセルしてひそかに集まったのは、リラ・メルクリウス男爵令嬢が原因だ。
アクイラとアリテッドに一年遅れて今年デビュタントを迎えたリラ・メルクリウス男爵令嬢は、初めて参加した夜会で、生来の輝くばかりの可憐さを武器に数多の貴族子息たちを虜にしていたのである。そのなかには、婚約者や配偶者がいる貴族やその子息も含まれており、じわじわと男を狂わせるリラの悪評が立ちつつあった。
「メイヤー子爵子息のにやけた顔を思い出すだけで腸が煮えくり返りそうよ」
「それを言うならケトウス伯爵子息だって」
「あの方、婚約したばかりではなくて?」
「婚約者の方が呪い殺さんばかりにリラを見ていたわ」
「ああ……!」
アクイラとアリテッドは夜会のことを思い出し、大きなため息をつく。
「「リラがかわいすぎてしんどい」」
同時に発せられた言葉に、侍女たちも思わず苦笑いを浮かべたのだった。
帝都を中心に、北にカタミートゥス公爵領、南にユーピテル公爵領が位置している。カタミートゥス公爵領とユーピテル公爵領の国境沿いに東西に伸びた台地があり、ふたつの公爵領に挟まれる形でメルクリウス男爵領があった。
二大公爵家と男爵家。天と地ほどの身分差がある三家は、主に公爵家から男爵家への深すぎる敬愛でその関係が成り立っている。
数十年前、当時のメルクリウス男爵領は、カタミートゥス公爵領、ユーピテル公爵領がそれぞれ分割して統治し、質のよいブドウを栽培していた。ところが、ひどい干ばつに見舞われ、台地のブドウはほとんど全滅してしまった。
そのとき、河川から水を引く灌漑を仕組みを整えたのが、のちにメルクリウスの名を与えられたひとりの農夫であった。
その農夫は、カタミートゥス公爵家ならびにユーピテル公爵家に足繁く通い、当時の公爵を弁と熱意で説き伏せ、灌漑用水路を整備することに成功した。その功績から、二大公爵家の強い後押しでメルクリウス男爵を賜ったのである。
そうした縁で、二大公爵家はメルクリウス男爵家に深く感謝し、その絆は現在も踏襲されている。アクイラとアリテッドは幼いころからメルクリウス男爵家の功績を両親に教え込まれ、男爵令嬢のリラを心の底からかわいがっていた。それこそ、目に入れても痛くないほどに。
手塩にかけて慈しんできたかわいいかわいいリラが、デビュタントを迎えた瞬間に、有象無象のうだつの上がらない貴族子息に言い寄られるばかりか、すでにパートナーのいるというのに、性欲に脳みそが溶かされた愚か者にまで声をかけられているのである。すべての社交を投げ出して作戦会議をするのも当然のことであった。
「リラを閉じ込めてしまったほうがいいのではないかしら」
「さすが英名の銀盃花ね!わたくしも同じことを考えていたわ!」
宝石のような四つの瞳がいいことを思いついたと言わんばかりにらんらんと輝く。犯罪まがいのことを言い出した主人に、年配の侍女が小さく咳払いをする。
「……それでは、ますますリラ様のご結婚が遠のくではありませんか」
「そうなのよ!」
侍女の言葉に、美貌のアクイラがびしっと言い放つ。
「リラにはかわいいかわいい子どもを生んでもらって、わたくしの子と結婚させなくては」
「あら何を言っているの。カタミートゥス公爵家は、数代前にメルクリウス男爵家と縁づいたじゃないの。次はユーピテル公爵家の番でしょ?」
「あらいやだわ。賢しらな令嬢だと婚約者もいないアリーが、どうやってリラの子どもと結婚するのよ」
「あなたこそ隣国に嫁ぐことになってリラとそうそう会えなくなるのに、どうやって子ども同士を結婚させるつもりなのよ」
アクイラはその美貌から、隣国の第三王子に嫁ぐことが決定していた。馬車で二十日ほどの比較的近隣ではあるが、気軽に会えなくなることは確実である。
「結婚……やめようかな……」
リラと離れる現実に直面し、アクイラが絶望の表情でつぶやく。ちなみに、結婚が決まってから一日に一回は言っており、侍女たちはまたかと心のなかでため息をついた。
「そんなことより、リラよ」
「そういえば、あの子にいい方はいたか聞いたら、『アリテッド様とお話ししているのが楽しい』って言うのよ」
「なにそれずるい!」
公爵令嬢らしからぬ言葉遣いだが、リラが絡むといつもこうである。
「「あーあ、わたくしが男だったら今すぐリラと結婚するのに」」
「……そういえば、デビュタントで話しかけてきたクソッカス伯爵子息が気になると言っていなかった?」
「クソッカスじゃなくてクルックスでしょう」
「なんでもいいわ。そのクソッカスよ」
リラを奪うかもしれない男の名前を忌々しそうに吐き捨てるアクイラに、アリテッドは心のなかで拍手を送る。
デビュタントでダンスをしたクルックス伯爵子息は、クルックス伯爵家の三男で、見た目はそこそこよく、悪い噂もない。かわいいかわいいリラにはもっとふさわしい男性がいるかもしれないが、リラが気に入ったなら二家は応援するつもりである。
「アリテッドのことだからもう調べているのでしょう?」
アリテッドが片手を上げると、侍女が分厚い紙の束を持ってくる。
「――これよ」
クルックス伯爵家の公開すらしていない隠し子や財産まで徹底的に調べ上げた分厚いそれを見て、アクイラは楽しそうに笑う。
「さすがだわ。それで、クソッカスはどうなの」
「残念だけど、大きな問題はなさそうよ。リラが心から望むなら認めるしかないわ」
「んんん……!」
悔しそうに唸るアクイラをよそに、アリテッドは心を落ち着かせるため紅茶を口に含む。
「もうすぐリラが来るから、あの子の気持ちを聞きましょう」
「いや……!リラからクソッカスと結婚したいと言われたら、わたくし……死ぬ」
「第三王子との結婚はどうするの」
「冥婚って知ってる?」
「落ち着きなさい」
「何よ、アリテッドはリラが結婚してもいいの?」
「い……い、とは言いにくいけれど、仕方ないでしょう」
アリテッドが目を伏せると、長いまつ毛が影をつくる。その影をぼんやりを見つめ、無意識に紡がれた言葉は、またもや目の前の親友と重なった。
「「リラの幸せが、わたくしたちの幸せ……」」
こうして二大公爵家の多大なる支援によって結ばれたリラとクルックス伯爵子息との婚約は、またたく間に社交界に広まり、リラに近づく不届き者たちも鳴りを潜めた。リラは男爵家のひとり娘で後継者のため、クルックス伯爵子息は、男爵家に婿入りすることになる。なお、女性でも家督が継げるよう法改正されたのは数年前のことであり、これはひとえに、リラ・メルクリウス男爵令嬢のためであることは公然の秘密だ。
幸せそうなリラを見るのは複雑だったけれど、アクイラとアリテッドは本心からリラを祝福した。
――だというのに。
婚約破棄を告げたクルックス伯爵子息を射殺さんばかりに睨みつけるアクイラとアリテッドに、何かを察した貴族たちはその場をあとにする。クルックス伯爵子息は青い顔をして視線をさ迷わせるばかりだ。
「アクイラ様、アリテッド様」
リラがかすれた顔でふたりの名を呼ぶと、アクイラとアリテッドがめずらしく取り乱した表情を見せる。
「リラ、ああ、リラ、ごめんなさい」
「わたくしたちがもっと気をつけていれば……」
リラと婚約を結んだクルックス伯爵は、有り体に言えば、バカになった。――とは、のちのアリテッドの証言である。
何はともあれ、リラと婚約したクルックス伯爵子息は、必然的に二大公爵家の社交界を牽引する有名な令嬢ふたりとも親交を深めることになった。そのおかげで、クルックス伯爵子息は、社交界で一躍名を上げたのである。あの赤薔薇と銀盃花と親交を温めている伯爵子息がいる、となれば噂になるのも必然だった。
こうしてちやほやされるようになったクルックス伯爵子息は――バカになった。周囲からもてはやされるのが、アクイラとアリテッドのおかげであること、もっと根本的には、この二大美姫が寵愛するリラの婚約者であるおかげであることをすっかり忘れ、自分の実力と勘違いをし、スタイルのよい豊満な体のどこかの子爵令嬢と浮気をしたのだ。
クルックス伯爵子息は三男であり、すでに長兄が家督を継ぐことは発表されていたのに、下位貴族のなかには、クルックス伯爵子息がこのままの勢いで伯爵になるのではと噂をしていた。その噂を耳にした件の子爵令嬢が、伯爵夫人の地位ほしさにクルックス伯爵子息を誘惑したのである。
よくある、実にくだらない、浮気話だ。しかし、事はそう単純ではない。クルックス伯爵子息の婚約者がリラで、この婚約がリラが望んだからこそ二大公爵家によって整えられたという事実が、「ただの浮気」で片付くだろうか、いや、ない。
勘違いをして鼻高々になっていたクルックス伯爵子息は、アクイラとアリテッドの絶対零度の視線を受け、転がるようにふたりの前にひざまずく。
「あ、あの、これは、違うんです」
クルックス伯爵子息の視線がリラをとらえた。
「リラ……リラ、違うんだ。これは、ちょっと魔が差して。本当に愛しているのはリラなんだ」
その言葉が虚しく響くが、リラはあえて視線を逸らさず、クルックス伯爵子息を見据えて言い放つ。
「先ほどは婚約破棄をするとおっしゃっていたではありませんか」
「それは……その、騙されたんだ。あの女に」
「騙されるようなおバカ様だった、ということですね」
リラの言葉に、男は充血させた目を見開く。はっとしたリラはあわててアクイラとアリテッドを振り返り、すがるような目を向ける。
「「リラがかわいすぎてしんどい」」
「淑女にあるまじき言葉を使ってしまったので、叱られるかと思いました……」
「あるまじき言葉って?正論を言っただけでしょう?」
きゃっきゃとはしゃぐ三人の令嬢を見て、男は思わず「あの……」と声をかけてしまう。
「生きた痕跡ごと消されたくなければ、今すぐその臭い口を閉じなさい」
アクイラの凍るような声に、クルックス伯爵子息は無言でしゅるしゅるとしぼんでいった。
「アクイラ様、わたくしは大丈夫です」
いつものようにふんわりほほ笑むリラに、ふたりは顔を見合わせて破顔する。ふたりの後ろを控えめについてくるばかりだと思っていたリラの成長に、うっかりこの状況を忘れて感動していた。英知の銀盃花アリテッドは、すぐに我に返り、軽く手を叩く。
「――ところで、サーペンス子爵令嬢はどこ?」
クルックス伯爵子息の浮気相手で、この事件を起こした張本人は、先ほど公爵家の者に身柄を拘束されていた。侍女に連れられ、ふたりのもとに突き出されると、体を異常なほどがたがたと揺らし、その場に膝をついた。
「こ、こ、こ、このたびは――」
「誰が声をかけていいと言ったかしら?」
アリテッドがふふっと笑うと、サーペンス子爵令嬢は嗚咽を漏らして泣き出す。クルックス伯爵子息も頭を掻きむしり、なぜ婚約破棄を告げてしまったのか、数刻前の自分を呪っていた。
「ねえ、リラ。わたくしとってもいいことを思いついたわ」
「……アクイラ様、どうか慈悲をお願いいたします」
リラが懇願すると、アリテッドが瞳を潤ませる。
「わたくしのリラったら、なんて優しいの……!」
「あら、あなたのリラじゃないでしょう」
「アクイラのものでもないけれどね!」
いつものように言い合いを始めたふたりに、年嵩の侍女が小さく咳払いする。リラも、先ほど婚約破棄されたばかりだと言うのに、そんなことはすっかり忘れて、苦笑いを浮かべながらもどこか楽しそうにふたりの令嬢たちを見ている。リラの視線に気づいたアクイラとアリテッドは、誰もが見とれるほどの笑みを浮かべ「帰りましょう」と声をかけた。
「え、でも、よろしいのですか」
リラがちらりと元婚約者とその浮気相手に目を向ける。アクイラがその視線を遮るようにさっと後ろに立つ。
「是非に及ばず。あとのことは任せるわ」
アリテッドの言葉に、侍女たちがさっと現れる。そのあとの処理は彼女たちの得意分野だ。
「「リラがかわいすぎてしんどい」」
婚約破棄――のつもりが、なぜか婚約をしていた事実が抹消されていた――の翌日、リラはアクイラとアリテッドにユーピテル公爵家のタウンハウスに呼び出され、彼女たちにドレス姿を披露していたのだった。
「あのう、アクイラ様、アリテッド様。これって……」
アクイラの髪の色である緋色を基調としたドレスに、アリテッドの髪の色であるシルバーをメインとした宝飾品を身に着けたリラは、困ったような笑みを浮かべて「かわいいかわいい」とこぼすふたりの姉を見つめる。半年後に隣国の第三王子に嫁ぐアクイラの結婚式に向けたドレスと宝飾品を見せたいと聞いていたので、てっきりアクイラのドレスと宝飾品を見せてもらえるのだろうとうきうきで訪ねたのに、なぜか侍女たちに捕まり着替えさせられたのである。
どうやら、アクイラの結婚式に向けてリラ専用のドレスと宝飾品を新調したらしい。初代メルクリウス男爵の功績はリラも知っているが、だからといって、なぜ初代メルクリウス男爵のような功績も何もない自分がここまで良くしてもらえるのか、実のところリラはよくわかっていなかった。正確には、聞き出そうとしても興奮して一気に話し出すのでうまく聞き取れないのだけれど。
「リラのためにつくったドレスなのよ。本当に世界一かわいくて似合ってるわ」
自分の結婚式だというのに、自身のウエディングドレスよりもリラのドレスに心血を注ぐアクイラに、アリテッドは心底呆れていた。もちろん、リラのドレスを仕立てる権利を奪われたやっかみも入っている。
「わたくしの結婚式のときは、もっとすてきなドレスをつくってみせるわ」
そう言うアリテッドは、ようやく王家との話がまとまり、王太子妃として嫁ぐことが内定した。実のところ、かなり早い段階から婚約の打診がきていたが、リラの婚約が調うまでは嫌だとごねにごねていたらしい。今回の件で、あわや王太子妃を辞退するのではと危ぶまれたがその危機はなんとか乗り越えたようだ。――リラの婚約破棄が、婚約の事実すら抹消されていたのも、つまりはそういうことである。
「アクイラ様、ご成婚おめでとうございます。――アリテッド様も、ご婚約おめでとうございます」
ふたりに仕込まれた流麗なカーテシーを見せると、アクイラとアリテッドは目を見開いた。
何があっても、リラは自分の気持ちは二の次で、目の前の相手に感謝を伝え変わらず笑いかける強さがある。だからこそ、アクイラとアリテッドはリラから目を離せないのだ。
「「リラにふさわしい婚約者は絶対わたくしが見つけるわ」」
「――ちょっと。他国に嫁ぐアクイラには難しいでしょう」
「王太子妃教育は厳しいと聞いたわ。アリテッドこそそんな時間はないのではなくて?」
「おふたりとも、わたくしは大丈夫ですから」
こうして今日も、帝国が誇る赤薔薇と銀盃花は、ひとりの男爵令嬢をめぐって激しい論争をくり広げるのである。




