第一次世界大戦・中盤(1915後半〜1917前半) ― 日本の欧州派兵と金剛のユトランド参加を含む世界像 ―
【1915後半】
1. 協商国側の「兵力不足」が深刻化
ガリポリの惨敗によりイギリスは地中海戦線で大きな損害を出し、
さらにロシアは大規模後退(大退却)で戦線を保てない。
→ イギリスは“補充兵力”を強く必要とする。
ここで英日同盟国の日本へ出兵要請が行われる。
日本側も
• ロシアに満鮮を奪われ威信低下
• 陸軍は奉天敗北後の名誉挽回を渇望
• 海軍は英海軍との連携を国家戦略として重視
という理由から極めて前向き。
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【1916前半】
2. 日本陸軍の本格派兵(第一次ソンム会戦へ投入)
● 編成と規模
• 歩兵2個師団(うち1師団は損耗後に交代)
• 工兵、通信、衛生、輜重部隊
• 砲兵は不足気味のため英国式重砲部隊に組み込まれる
※ 日本陸軍は近代火力戦経験が無く、英国の訓練団から塹壕戦教育を受け
る。
● 戦場:ソンム川北部区間
日本軍はカナダ軍やオーストラリア軍と同じく「突撃部隊」として利用され
る。
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3. ソンム会戦(1916年7月–11月)
● 日本軍の投入状況
• 主に7月1日〜8月末の初期攻勢に参加
• 英軍の誤った火力想定と連続攻撃に巻き込まれる
● 被害(この世界線)
日本陸軍は以下の損害を受ける:
内容 推定
戦死 5,500〜7,000
負傷 12,000〜16,000
行方不明 約800
師団戦闘力 平均40〜50%に低下
● 特徴的な戦闘
1. ラ・ボワゼル付近の攻撃で壊滅的損害
砲撃不足で独軍陣地がほぼ無傷 → 日本軍突撃隊が機関銃で大量損耗。
2. 工兵隊の多大な犠牲
未完の前進壕構築中にドイツ重砲(21cm)を受け数百名規模の死傷。
3. 英重砲火力の下での密集攻撃
日本軍の「衝撃主義的戦術」が通用せず、塹壕戦の現実を痛感する。
・結果:
日本国内では“英仏に消耗された”という見方が広がるが、
外交的には血を流した列強として評価が急上昇する。
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【1916年5月31日】
4. 金剛のユトランド海戦参加
● 北海派遣
日本は英国の要請で金剛を中心とする小艦隊を北海に配置。
金剛は実質的に第3巡洋戦艦戦隊に編入される。
● 戦闘配置
ビーティの巡洋戦艦部隊の後方縦列に位置。
(ライオン、タイガー、プリンセスロイヤルの後方)
→ 英巡洋戦艦と同じ危険な射線に入る。
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5. 金剛の被弾と爆沈(再構成)
● 17:12頃
ドイツ第1偵察群(ヒッパー部隊)が交戦開始。
金剛は2分以内に3度命中弾を受ける。
● 17:20
リュッツオウの305mm砲弾が金剛の中央砲塔横に命中。
装薬庫への火災侵入を阻止できず内部爆発が連鎖。
● 17:22
艦体中央部で巨大な閃光。
金剛はインヴィンシブル型と同様の“瞬時爆沈”
。
生還者は約70〜120名のみ。
→ 史実の英国巡洋戦艦爆沈と全く同じプロセス。
● 影響
• 英海軍は「日本も我々と等しく犠牲を払った」と評価
• 日本海軍内部では「高速軽装甲艦の危険性」が痛感される
• 以後の海軍計画で“防御重視”が確立(史実以上に強固)
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【1916後半】
6. 協商国側の戦略が「消耗戦」に特化
ソンムの失敗、ユトランドの戦果不十分を受け、
英仏は“ドイツを削り取る作戦”へ移行。
● 日本軍の役割
• 戦線二線の占領警備
• 工兵による塹壕構築
• 夜間襲撃や斥候任務
• 休息中師団の交代要員
日本軍の損害は減ったが、
塹壕戦の戦訓を大量に吸収する時期でもあった。
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【1917前半】
7. ロシア革命の勃発と日本の立場の変化
日本はソンムの損害で消耗し、
北海でも金剛を失っており、
「ロシア革命への干渉出兵」を行う余力がほとんどない。
そのため:
● 史実の「シベリア出兵」は発生しない
代わりにロシア極東での混乱に対し、
● 「朝鮮半島からの国境安定化部隊派遣」が行われる
これは“攻勢”ではなく
「ロシア内戦の波及防止のための消極的防衛行動」
という形になる。
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総括 — この世界線のWW1中盤の特徴
・日本陸軍は“欧州型塹壕戦の洗礼”を受け壊滅的損害
・金剛はユトランドで英国巡洋戦艦と同じく爆沈
・日英同盟は「血の同盟」へ強化
・日本は軍事的に消耗し、ロシア革命への本格介入は困難
・陸海軍ともに“攻勢主義から防御理解型”へ戦略転換




