第一次世界大戦が勃発する1914年までの10年間(1904~1914)
Ⅰ. 1905~1907:奉天敗北と「日本の縮小戦略」確立
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● 1905年:奉天会戦――日本陸軍の決定的敗北
• 日本陸軍は満州で戦線が崩壊し、ロシア軍は奉天以北を奪還。
• 日本は満州から撤退し、講和しか道がなくなる。
• 日本の政治は「大陸進出は無理」という冷徹な現実と向き合うことにな
る。
● 日本海海戦は勝利するが“無駄にはできない”
• 海軍は対馬でバルチック艦隊を撃滅 → 海軍の威信は保たれる。
• しかし、陸軍敗北のため日本は外交的に弱い立場。
海軍勝利=外交カード
陸軍敗北=妥協を強いられる土台
という構図が決定的になる。
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● 1905年9月:この世界のポーツマス条約
• 満州権益の大半を失う
• 朝鮮半島の“日本の優越権”は完全否定
• 朝鮮は国際的中立国とされ、ロシアは“保護と投資”を理由に影響力増大
• 日本は賠償金を放棄し、国内は日比谷焼打ち以上の騒乱
満鮮喪失 → 日本国策の全面的転換を余儀なくされる。
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● 1906~1907年:日英同盟“再確認”
• 英国:ロシアの南下を防ぐ緩衝国として日本を存続させる必要
• 日本:孤立回避のため英米との協調を最優先
• イギリスは朝鮮問題への義務を縮小し「極東における安全保障協議」に留
める
→ 同盟は弱体化したが、むしろ日本の“生命線”になる。
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Ⅱ. 1907~1910:ロシアの朝鮮半島進出が本格化
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● ロシアは日露戦後の正統な“戦後整理”として朝鮮に進軍
• 平壌・新義州にロシア軍司令部を設置
• 李王朝はロシア顧問団の影響下に
• 朝鮮王宮内にロシア語・東方正教が浸透
• ロシア資本による港湾・鉄道建設が加速
→ 朝鮮は事実上“ロシアの保護領”になる。
● 日本は抵抗できない
• 財政は戦争で疲弊
• 陸軍の威信は崩壊
• 海軍も「次の戦争は無理」と判断
• 英国は朝鮮問題では日本を支援せず、中立的
→ 日本は朝鮮を“捨てざるを得ない”という諦めが国策化。
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Ⅲ. 1910~1913:日本の「小日本主義」定着とロシアの“朝鮮再編”
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● 日本国内:小日本主義・海洋国志向へ
戦後の混乱から、以下の政策が主導的になる:
• 大陸政策の放棄
• 陸軍の縮小・海軍主導体制
• 対米経済協調
• 台湾・南洋の開発強化
• 英国との同盟堅持が外交の中心
日本は“海の国”として再定義される。
これは後の欧州派兵の基盤にもなる。
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● ロシアは朝鮮の“二段階統治”を開始
第1段階:北部の軍政化(1910~1912)
• 咸興・清津・平壌にロシア軍政本部
• 沿海州と一体化するインフラ整備
• ロシア人官僚・技術者が大量移住
→ 北部は半直轄状態に。
第2段階:要港の飛地化(1912~1913)
• 釜山・馬山・鎮海湾を「租借地」ではなく**“帝国飛地”**として実効支配
• ロシア海軍の常設基地化
• 「アジア版セヴァストポリ」
→ 朝鮮の軍事要衝は完全にロシアの掌中に。
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● この間、日本は“対ロ接近”を避けつつ、英米への依存を深める
• 日英同盟を通じて“ロシアの暴走抑止”を期待
• 門戸開放を掲げる米国と関係改善
• 内需拡大政策で経済回復
→ 日本の国策は「対ロ抑止=英米との協調」になる。
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Ⅳ. 1913~1914:第一次大戦前夜
ロシアと日本の関係が“決定的に固定”される
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● ロシアの最終的な朝鮮再編:1914年直前
第一次世界大戦前のこの時期が、ロシアが最後の“極東再編”を行うタイミン
グ。
• 北朝鮮は事実上ロシア領に組み込まれる
• 釜山周辺は「ロシア極東軍管区・南部特別海軍州」化
• 李王朝は形式的独立を維持するが、外交・軍事はロシア完全支配
→ 朝鮮は“南北分割+要港直轄”というロシアモデルが完成。
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● 日本の外交:英米陣営に完全に回帰
1914年までに日本の外交姿勢は以下のように固まる:
• 英国と軍事協力を強化(海軍演習・技術交流)
• 米国との通商協定拡大
• ロシアとは距離を置くが直接対立は避ける
• 大陸政策の復活は完全否定
「英国に頼るしかない小日本」
という戦略構造が完成する。
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● 1914年:サラエボ事件
欧州で危機が発生すると、日本の立場は非常に明確になる:
• “日英同盟”により、日本の参戦はほぼ義務的
• ロシアとの関係は険悪なので、英仏側=三国協商に付くのは当然
• 日本は平時から「欧州有事には参戦」の姿勢を示していた
→ 日本の参戦は史実よりも素早く、規模も大きくなる可能性が高い。
英国も日本に強く参戦を要求する。
(東アジアにおけるイギリスの唯一の盟友だから)
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最終まとめ:1914年開戦までの国際構造
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日本
• 奉天敗北 → 大陸政策を放棄
• 満鮮喪失 → 対英米協調路線へ
• “海洋国家”化
• 朝鮮はロシアに譲り、“小日本主義”が国策に
ロシア帝国
• 朝鮮半島を実質支配
• 北部を併合、釜山湾を飛地化
• 極東軍の地位が強化
• 日本との関係は冷却・管理的
英国
• 日本をロシア抑止力として重視
• 日本海軍との共同作戦を拡大
• 大戦直前には「日本の参戦=前提」に
米国
• 門戸開放を受け入れた日本と関係改善
• 英国以上に「日本は極東の秩序維持者」として評価
大戦前夜の構図
この世界線では……
日本は史実よりも“確実に”“大規模に”第一次大戦に参戦する。
そして、参戦後は:
• 欧州派兵
• 大西洋船団護衛
• 地中海のUボート掃討
• インド洋・シンガポール防衛
• 青島攻略
• 南洋諸島の確保
などを実施し、
史実以上に“協商側の一員”として存在感を発揮する。




