ドイツによるケベック独立工作
■ 1. 戦略目的:なぜドイツはケベックを狙ったのか
ドイツの対米戦略(長期的対英米包囲戦)の核心は、
① 北米の分断
② 米英連携の寸断
③ カナダの軍事・工業基盤の崩壊
④ 大西洋の制海権掌握と米国孤立化
にあった。
そこへ 「英亡命政府の拠点がカナダに移った」 ことは、ドイツにとって大
きなチャンスとなった。
ケベックは:
• フランス語系・カトリック
• 英系カナダと文化的断絶が大きい
• 英国王室と距離がある
• かつてから独立論がある
• 地理的に大西洋に近く、潜水艦との連携が容易
• セントローレンス水系のボトルネック
という特性があり、分断工作のターゲットとして理想的だった。
これによりドイツは
「ケベックを“北米のヴィシー政権”にする」
という長期作戦を立案した。
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■ 2. 前史:英本土占領後の「宣伝戦」(1948–49)
英本土が陥落し、英国亡命政府(ジョージ6世・チャーチルら)がオタワに
移ると、
ドイツは直ちに ケベック州向けの大規模プロパガンダ作戦 を開始した。
手法は多様だった:
● (1) ラジオ放送「自由フランス系住民へ告ぐ」
ゲッベルス宣伝省は、ケベック向けのフランス語短波放送を開設し、
• 英国亡命政府は「敗残者」
• カナダは「英帝国の亡骸」
• ケベックは「独自の国家となる歴史的権利を持つ」
と訴え続けた。
● (2) 地下出版物・パンフレット送付
潜水艦や商船からケベック沿岸に密かに漂着させる形で、
• 「ケベック民族宣言」
• 「ケベック独立の経済的正当性」
• 「アングロサクソン支配の終焉」
といった冊子を秘密裏にばら撒いた。
● (3) 亡命フランス系ナチス協力者の利用
ヴィシー政権崩壊後にドイツへ逃れたフランス系協力者が、
ケベック知識層へ手紙・論文・ラジオ番組で影響力を行使した。
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■ 3. ケベック内部への浸透工作 (1948–50)
ドイツは単なる宣伝だけでなく、秘密工作部隊(SD・アプヴェーア残存組
織) を使い、ケベックの政治・社会構造へ深く入り込んだ。
● (1) ケベック民族主義団体への資金供与
ドイツはトラスト会社やスイス経由の銀行口座を用い、
• ケベック民族主義政党
• 独立志向の学生運動
• カトリック保守派グループ
• 労働組合の一部(英系支配への反発が強い)
へ密かに資金を流した。
● (2) カナダ連邦軍内部の親独シンパ獲得
カナダ軍にはフランス系兵士が一定数おり、彼らの一部に
「米英はケベックの犠牲で戦争を続けている」
というプロパガンダを行い、脱走者・協力者を獲得した。
● (3) カトリック聖職者の一部を取り込む
「ケベックの文化独立」「フランス系カトリックの保護」を掲げ、
教会の一部を親独化し、独立論を宗教的正当性で包装した。
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■ 4. ケベック情勢の激化:1949〜1950年
英本土敗北の衝撃、物資不足、大西洋のドイツ潜水艦による封鎖、
そして米国の中華戦線への過度な傾斜により、カナダ国内は不満が募った。
● ケベック州の空気が以下のように変化してゆく:
• 「英国亡命政府のために戦う理由はない」
• 「カナダの経済は英系の戦争で崩壊した」
• 「ケベック人は使い捨てにされている」
• 「フランス語文化を守るのはケベック独立しかない」
ドイツは背後から巧妙に火を付け、情勢を操作した。
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■ 5. ケベック独立宣言(1950年)
ついに1950年春、
「ケベック臨時政府」 を名乗る勢力(親独分子と民族主義者の連合)がモン
トリオールで蜂起した。
宣言文の背後には明確にドイツの草稿があったと、後に判明する。
宣言の要旨:
• ケベック州は英系カナダの支配を拒否する
• 英国亡命政府はケベックとは関係がない
• ケベックは中立国であり、独自の運命を歩む
• 必要ならば「友好国(暗にドイツ)」と条約を結ぶ
同時に、ケベック警察の一部が反乱勢力に寝返り、
主要官庁を占拠し、連邦政府機能を麻痺させた。
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■ 6. ドイツ軍の「平和維持名目」進駐
ケベック独立宣言から数日後、
ドイツ海軍のZ計画艦隊から派遣された強襲部隊が、
「独立を支持するための平和維持軍」と称してケベック市とモントリオール
周辺に上陸した。
※ドイツは既に大西洋制海権のかなりの部分を握っていたため可能。
ドイツは即座に:
• ケベック臨時政府を承認
• ケベック州の「保護国化」を発表
• セントローレンス河口の要塞化
• 潜水艦基地建設
• 大西洋岸空軍基地建設
を開始。
ケベックは北米におけるドイツの軍事橋頭堡となった。
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■ 7. 米国・カナダの反応
米国は中華戦線で消耗しており、即応戦力が不足していた。
カナダ政府(そして英国亡命政府)は当然激怒したが、
ケベック州以外でもストライキや暴動が起き、国内は混乱。
米国は「ケベック奪還は可能だが、ドイツ本土を刺激することは避けたい」
という弱腰に傾き、
事態は一気に北米版の“戦間期のミュンヘン”のような雰囲気になる。
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■ 8. 結果:ケベックは実質「北米のヴィシー政権」
1950年〜52年にかけてケベックは:
• 名目上は独立国
• 実際にはドイツの保護国
• 政府高官の多くがドイツの顧問団の指示で動く
• 経済はドイツ向けの資源供給体制に再編
• セントローレンス下流はドイツ海軍の拠点化
• カナダは連邦分裂の危機に瀕する
という状態に陥った。
そして1952年、
て利用された。
ドイツが米本土へ原爆攻撃を仕掛けた際、ケベック基地はその前進拠点とし
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■ まとめ:ドイツのケベック独立工作の意義
この世界線のケベック独立は、
• 北米で英米連合を分断
• 大西洋の制海権をドイツへ大きく傾け
• カナダを政治的に麻痺させ
• 米国を孤立化・戦力分散させ
• 最終的に米本土への攻撃の橋頭堡を提供した
という、極めて大きな戦略的成果をドイツにもたらした。
ケベックは、“もう一つのヴィシー”であり、
北米の安定を破壊した「地政学上の時限爆弾」だったと言える。




