日本海海戦(1905年5月27〜28日)詳細描写
【前日:5月26日深夜】哨戒線がバルチック艦隊を捕捉
対馬海峡に展開していた日本の哨戒線で、
水雷艇・駆逐艦の前衛線は濃霧の中を警戒していた。
午前2時10分、「信濃丸」がバルチック艦隊を発見。
「敵艦隊見ユ」
この電文が、奉天大敗北で重苦しく沈んでいた日本全軍を一変させる。
• 陸軍:遼陽防衛線で耐えており、背水の陣
• 海軍:ここで勝てなければ国家が崩壊
海軍将兵の心理は史実以上に張りつめている。
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【5月27日 午前】連合艦隊出撃—“死に場所はここだ”
佐世保・柱島を出た連合艦隊は、
旗艦「三笠」の艦上で東郷元帥が静かに訓示を述べた。
奉天大敗北で沈んでいた日本全土にとって、
この海戦は “唯一の逆転の機会” である。
艦隊の士気は苛烈と言ってよいほどに高い。
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【午前10時頃】敵味方が相互に視認—海霧が晴れる
午前10時、対馬海峡の南東にて濃霧が晴れ始め、
日本の主力艦隊はバルチック艦隊を正面から視認。
バルチック艦隊は長旅と整備不足で速力は12ノット以下、
日本艦隊の16ノットにはついて行けない。
東郷は敵艦隊の進路を斜めに横切り、
史実と同じく有名な決断を下す。
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【午後1時40分】“東郷ターン”
日本の戦史で最も有名な瞬間。
連合艦隊は舵をいっぱいに切って
単縦陣の方向を反転し、敵の進路を横切る形となる。
この結果:
• 日本艦隊はT字戦法に近い形を実現
• バルチック艦隊は砲の門数が生かせず劣勢
• 東郷ターンの最中に砲撃を耐えきることが成功条件
奉天敗北の後ゆえに、
日本艦隊の砲術員は「失敗したら日本終了」という覚悟で動く。
緊張と集中は史実以上になっている。
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【午後1時50分】開戦—主砲の撃ち合い
日本主力の「三笠」「敷島」「富士」「朝日」は
統制射撃で戦艦スワロフ、アレクサンドルIII世などを狙う。
砲術練度は史実通り世界最高峰で、
距離6500〜7000mの中距離戦で圧倒的命中率を見せる。
ロシア側は長距離航海で砲身摩耗・照準装置の汚れがひどく、
初弾の精度が低い。
日本側の主な命中例(この世界線)
• 開戦15分:「三笠」「朝日」の命中で旗艦クニャージ・スワロフの上部構
造破壊
• 30分後:アレクサンドルIII世の前甲板に大口径砲弾命中、火災発生
• 1時間後:オスラビアが損傷し速力低下
一方、日本側も被弾はするが、
損傷は史実同様かそれ以下
(ロシア側の練度・装備が低下しているため)
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【午後3〜5時】バルチック艦隊、隊形崩壊
日本艦隊の集中砲撃で、
ロシア側の戦艦は次々と隊形を乱す。
• 旗艦スワロフ大破、司令官ロジェストヴェンスキー負傷
• オスラビア沈没
• アレクサンドルIII世、舵故障
• シソイ・ヴェリキー後退
• ボロジノ単艦行動に近い状況に
隊形が崩れたロシア艦に対し、
日本は艦隊を分けず一斉射撃を維持。
奉天の敗北で精神的プレッシャーを抱えた日本海軍は、
逆に集中力・統制力を最大限に発揮していた。
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【午後6〜夜】駆逐艦・水雷艇の夜襲(史実以上に苛烈)
日本は奉天敗北で「ここで絶対に勝つ」という意識が強いため、
夜襲の準備と配置は史実以上に周到である。
• 60隻以上の駆逐艦・水雷艇が集団で突撃
• ロシア側は疲労・混乱で反撃が弱い
• 一部は味方同士で衝突して損傷
結果:
• ナヒーモフ沈没
• シソイ・ヴェリキー魚雷で大破
• ロシア巡洋艦隊も各艦に損傷
• 残存艦の多くが無秩序に散開
夜襲の被害は史実を上回る。
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【5月28日未明〜朝】壊滅の確定
東郷の指示で日本艦隊は“夜明けに備えて包囲網を縮める”
。
夜明け後:
• 生き残ったロシア艦は戦力にならず
• 逃走を試みたウラジオストク方面艦隊も駆逐される
• バルト艦隊の大部分が降伏
この世界線では奉天敗北の影響で日本の攻撃が苛烈になったため、
ロシア側の沈没数は史実以上
捕虜数も増える
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戦闘結果(この世界線)
日本の損害
• 戦艦損失なし(史実と同じ)
• 中小艦艇:数隻損傷、2〜3隻沈没(史実と同程度)
• 死傷者:800〜1000程度(やや多い)
ロシアの損害
• 沈没:18〜20隻(史実より2〜3隻多い)
• 捕獲・降伏:15〜18隻
• ウラジオストク到達:ごく僅か(1〜2隻)
つまり依然として世界海戦史上最大級の大勝利。
奉天大敗北を経ていたため、
日本にとっては「失地回復の奇跡的勝利」になる。
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奉天敗北→日本海大勝利が意味するもの
• 史実以上に“日本海海戦=戦争の全て”となる
• 日本国内世論は熱狂的に反転し、政府の求心力が回復
• ロシア帝国では敗戦ショックがさらに大きい
• ポーツマス講和では日本側の立場が史実よりわずかに強くなる
(ただし財政・軍事疲弊は残る)




