奉天大敗北から日本海海戦まで(1905年3月〜5月)詳細描写
【3月20日】奉天陥落――日本軍、戦線崩壊寸前
奉天会戦終了時点で日本軍は:
• 士気:最低
• 損耗:死傷8万・捕虜1.5万
• 砲兵:半分以上失う
• 歩兵:多数が武器弾薬を投棄
• 補給:鉄道を完全にロシアに奪われ、徒歩・馬輸送のみ
このため、
状態。
**満洲軍は「壊滅寸前だが全滅ではない」**という絶妙に危うい
指揮官・大山巌は、現地司令部に以下を命じる:
• 遼陽で最終防衛線を構築
• 第3軍(乃木)を後衛に回し、潰走兵の収容と再編を担当
• 砲兵に残った弾薬をすべて遼陽線へ集約
目標はただ一つ:
「バルチック艦隊を撃破するまで、戦線を“生かして”おく」
(崩壊したら講和交渉のカードが消えるため)
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【3月25日〜4月5日】遼陽防衛線の構築
満洲軍参謀は、信じがたいほど苦しい状況で戦線を整理する。
● 遼陽の地形を最大限利用
遼河沿いに布陣し、湿地帯・河川を天然の防御線とした。
● 負傷兵の本国送還
治療不能な数万の負傷兵を即座に船で大連→佐世保へ後送。
物資の消耗を減らすため。
● 潰走兵の収容
乃木第3軍が撤退路に配置され、武器・弾薬を集め、部隊再編を実施。
● 補給は「大連港→人力輸送」へ切り替え
鉄道が使えないため、徒歩・馬車で数百kmを往復。
輸送効率は史実の1/10以下。
それでも最低限の戦線維持に成功。
結果:
「遼陽―沙河」線で日本軍は戦線を“辛うじて”再構築できた
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【4月10日】ロシア軍の追撃停止
ロシア側は奉天勝利後に日本軍を壊滅させるチャンスがあったが、追撃は限
定的。
理由:
• 奉天勝利で士気上昇したが、疲労は同様に深刻
• 補給線(シベリア鉄道)が過重負担
• 冬の終わりで泥濘が発生
• 皇帝ニコライ二世から「慎重に行動せよ」の指示
ロシア軍は沙河線を一部攻撃するが、
日本軍は持ちこたえ、遼陽線で戦線固定に成功
これが “日本が日本海海戦まで戦争を継続できる”最大の理由 となる。
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【4月20日〜5月10日】日本国内の反応:継戦 vs 講和の激突
奉天敗北の報は東京に大 shock を与える。
● 政府(桂太郎)は「海戦までは戦う」と決定
• 日本海軍は健在
• バルチック艦隊が近く来る
• 海戦に勝てば最低限の面子を保てる
• 今講和すると“敗戦外交”で政権が崩壊
● 山県有朋・元老会議
「陸軍は当分攻勢不能。海軍勝利までは遼陽で耐えよ」と決定。
● 世論
• 戦争継続を望む声が優勢
(旅順・黄海の勝利がまだ大きい)
• しかし「無謀な攻勢は反対」という空気が強まる
結果:
政府も軍部も“海戦までは耐える”で一致する
この一点で陸軍は“時間を買い”
、海軍は“決戦準備”に集中できた。
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【5月中旬】最終戦線整理 ― 遼陽=日本軍の“最終拠点”
この頃の日本軍の状況を数字で表すと:
• 兵力:12万 → 8万に減少(再編後)
• 野砲:史実の半分以下(70〜80門)
• 弾薬:大砲1〜2日分、歩兵弾薬数日分
• 食料:2週間
• 医薬品:枯渇
ただし、
• 遼陽の防御線は地形的に堅い
• ロシア軍が攻勢を中断している
• 満洲軍の士気は「防御任務」なら維持可能
つまり状態は最悪だが“戦線は維持されている”
。
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【同時期:日本海軍は決戦準備を完了】
陸軍が満洲で血を流し時間を稼いでいる間、
海軍は静かに、しかし確実に決戦準備を整えた。
● 東郷平八郎の作戦
• 対馬海峡へ決戦線を設定
• 暗号傍受と無線掃討を徹底
• 主力戦艦「三笠」「敷島」「朝日」など完全整備
• 水雷艇・駆逐艦の夜襲隊を強化
● バルチック艦隊の状況
• アフリカ・インド洋の長距離航海で消耗
• 艦底汚損、士気低下、練度低下
• 石炭の質が悪く、出力が低下
日本海軍は奉天敗北とは無関係に、戦力は史実とほぼ同じ。
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【5月20日】バルチック艦隊、台湾海峡か対馬海峡かを選択
史実同様、ロジェストヴェンスキーは進路選択に迷うが、
• 日本軍の陸敗北により「日本士気は落ちている」と誤判断
• 最短距離を選ぶ
史実と同じく 対馬海峡ルート を選択。
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【5月25〜26日】日本海軍、出撃準備完了
東郷の命で連合艦隊は佐世保・柱島にて最終整備。
• 陸軍が満洲で耐えている
• バルチック艦隊が目前
• ここで勝てなければ講和が崩壊
海軍の士気は“史実以上”に高まる。
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【5月27日 朝】日本海海戦の幕が上がる
午前2時頃、哨戒線にいた日本の水雷艇がバルチック艦隊を発見。
東郷平八郎の連合艦隊は、
「敵艦見ユ」の電報から数時間で出撃し、
史実と同じく“東郷ターン”へと至る。
つまり、
**奉天大敗北は、日本海海戦を“止める”のではなく、
逆に「ここで勝つしかない」という緊張を極限まで高めていた。
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まとめ:なぜ奉天敗北後も日本海海戦が起こるのか
理由は3つ。
1. ロシア軍の追撃能力が弱く、日本の戦線整理が辛うじて成功しうる
2. 海軍は陸軍とは独立して戦力が完全維持された
3. 政治的にも軍事的にも「海戦勝利=唯一残った戦争の出口」だった
そのため、日本は満洲での致命的敗北にもかかわらず、
日本海海戦までは戦争を継続できる。
そしてその海戦は、
奉天の敗北によって一層政治的な重圧と悲壮感を帯びた決戦になる。




