秀吉の死と信忠政権による帝国制度化
1. 秀吉の晩年と死(1598年)
• 南海経営の総責任者であった秀吉は、フィリピン・インドシナ・インドネシアの遠征を
重ね、織田政権の海外拡張を現実のものとした。
• 晩年、モルッカ諸島への遠征を指揮していた最中に病を得、帰国後の1598年に京都で死
去。享年61。
• 秀吉は「南海覇公」としてその功績を讃えられ、信忠は国葬を執行。「日本を海外帝国
へと導いた英傑」として神格化される。
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2. 信長・秀吉の死後の政権基盤
• 1597年:信長が安土で病没。
• 1598年:秀吉死去。
• 相次ぐ二大巨頭の死で動揺も予想されたが、信忠はすでに 「天下人かつ海外帝国の皇
帝」 として強大な権威を確立していた。
• 政権は内乱に陥らず、むしろ「遺業を制度化する」方向に進む。
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3. 信忠政権の帝国制度化
(1)直轄領
• 台湾・フィリピン
• 日本の海洋進出拠点として絶対不可欠と判断。
• 「南海府」を設置し、織田直轄統治。
• 武士団屯田制を敷いて日本人移住を推進、マニラには和式城郭(南海城)を築城。
• 台湾北部にも城塞都市を建設、海上交通の要衝を確保。
(2)保護国・属国
• 琉球
• 形式的な独立を維持させつつ、実質的に日本の保護国。
• 琉球王は織田政権に朝貢し、外交は日本の承認制。
• インドシナ(シャム・ラオス)
• 英国との緩衝地帯として独立を維持。
• ただし日本傭兵団と商館を常駐させ、強い影響力を行使。
• インドネシア(ジャワ・モルッカ)
• 地元王国の存続を認めつつ、織田政権が香辛料貿易を独占。
• 「商館領」や砦を設け、実質的な属国化。
(3)帝国機構
• 南海総督府
• フィリピン・台湾を中心とする海外領を統治する官庁。総督には大名クラス(黒田孝
高・小西行長らが候補)を任命。
• 帝国評議会
• 京都に設置。信忠を頂点とし、国内の有力大名・豪商・南海総督府代表が参加。
• 海外経営・防衛・財政を協議する。
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4. 国内への影響
• 経済
• フィリピン・インドネシアからの香辛料流入で、堺・長崎・大阪は「世界貿易都市」と
化す。
• 石見銀山・佐渡金山の銀がアジア交易の基盤となり、日本は東アジア最大の銀輸出国
に。
• 社会
• 南海方面への移民が増加。浪人・豪商が海外に新天地を求め、マニラ・バタヴィア・ア
ユタヤに日本人町が形成される。
• 海外からの珍品・知識(西洋医学・地理学・天文学)が流入し、学問と文化が急速に変
化。
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5. 世界史的意義
1. 日本=アジア唯一の海洋帝国
• 国内統一だけでなく、海外直轄領・属国網を持つ国家として世界史に登場。
2. 日英協調の強化
• 英国と日本の勢力圏は「インド=英国」「フィリピン〜インドネシア=日本」と明確に
分かれる。
• シャム・ラオスが両者の緩衝地帯として機能。
3. 欧州列強とのパワーバランス変化
• スペイン・ポルトガルの影響力が東アジアで激減。
• 日本が「反スペイン勢力の中核」として認知される。
4. 中国・明朝との緊張
• 台湾・琉球支配は明の冊封秩序への挑戦。
• これが次の外交的対立(あるいは戦争)の火種となる。
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まとめると:
• 1597年信長死去、1598年秀吉死去により、「戦国の覇者」と「南海の征服者」が舞台
を去る。
• 信忠はその遺業を制度化し、**直轄領(台湾・フィリピン)+属国(琉球・インドネシ
ア)+緩衝国**という帝国体制を構築。
• 1600年を迎える頃、日本は「一国内国家」ではなく、アジア規模の織田帝国へと変貌し
ていた。




