米本土戦略爆撃とケープタウン宣言
1. キューバ占領と米本土への扉
• 1945年3月のキューバ戦で日本が勝利し、ハバナ・サンティアゴを拠点化。
• 巨大滑走路を建設、長距離爆撃機・輸送機・護衛戦闘機を集中配備。
• この時点で米南部・東部は完全に日本の爆撃圏内に入り、米国は本土決戦を強いられ
る。
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2. 米本土戦略爆撃の開始
• 1945年5月以降、日本は大規模な戦略爆撃を開始。
• 南部:アトランタ、ヒューストン、ニューオーリンズ → 工業・鉄道網が壊滅。
• 東部:ニューヨーク、フィラデルフィア、ワシントンD.C. → 港湾・政治中枢が炎上。
• 米国は迎撃戦力に乏しく、都市被害は拡大。数百万規模の避難民が発生し、国内経済は
事実上の崩壊状態に。
• 史実の「日本本土空襲」が米国に逆転して降りかかる展開となった。
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3. ケープタウン会議(1945年7月)
• 連合国首脳(日・英・南明・北清など)が南アフリカのケープタウンに集結。
• 主題は「米独伊中枢軸の処理」と「戦後世界秩序」。
• 会議では日本が提案し、英国も同意する形で以下の方針を決定:
• 米独伊中に対し無条件降伏を要求。
• 降伏後は連合国が占領・管理し、軍事力を徹底的に解体する。
• 戦後は「ケープタウン体制」と呼ばれる国際秩序を構築する。
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4. ケープタウン宣言
• 会議の結果として発表された文書がケープタウン宣言(1945年7月26日)。
• 内容は史実のポツダム宣言に近いが、米国を名指しして「直ちに無条件降伏せよ」と強
調。
• 米独伊中はこれを黙殺し、徹底抗戦を表明。
• しかし米国国内では戦意が急速に失われていく。
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5. 原爆投下への布石
• 日本は宣言黙殺を確認した後、最終的な戦争終結のため原子爆弾投下を決断。
• これがアトランタ(8月6日)、ボストン(8月9日)への投下に直結し、米国降伏の決定
打となる。
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意義
• キューバ=米本土爆撃の拠点という設定が史実のマリアナに対応。
• ケープタウン宣言=ポツダム宣言の逆転版。
• 戦略爆撃と原爆投下のコンビネーションで、戦後秩序(ケープタウン体制)へつながっ
ていく。




