1942年:中独合流とシベリア情勢
1. 中華民国の中央アジア進軍
• ソ連が崩壊すると、蒋介石政権は「中央アジア奪取」を国家戦略に掲げる。
• 新疆・トルキスタン地域はソ連の統治が消滅しており、事実上の無政府状態。
• 中華民国軍は迅速に侵攻、現地ムスリム勢力と一時的に協調しつつ、新疆を制圧し中央
アジアへ拡大。
• この進軍は「中華民国の西進政策」として国内で大々的に宣伝され、士気を高める役割
も果たした。
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2. ドイツとの合流
• ドイツ軍はモスクワを陥落させた後、カフカスと中央アジアへ兵力を振り向ける。
• バクー油田を制圧したのち、カスピ海を越えて中央アジアに進出。
• 1942年夏、ドイツ軍と中華民国軍がタシケント方面で合流。
• この結果、
ベルリンと南京は陸路で直結し、兵器・物資の相互供給が可能となった。
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3. ドイツの対中支援
• ドイツは中華民国に最新鋭の航空機(メッサーシュミットBf109、Ju87急降下爆撃機な
ど)と戦車(Ⅲ号戦車・Ⅳ号戦車)を供与。
• 訓練団・顧問団も派遣され、中華民国軍の近代化が一気に進む。
• その結果、日本皇国軍は中華戦線で再び苦境に立たされ、航空優勢が脅かされ始める。
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4. シベリアの無政府状態
• ソ連崩壊後、シベリア一帯は「無主の地」と化す。
• 沿海州やバイカル周辺では旧赤軍残党・白系ロシア派・地方独立政権が入り乱れ、権力
闘争が激化。
• 日本は満州防衛のために軍を展開しつつ、ハバロフスクやウラジオストク近辺の安定化
を図る。
• しかし広大なシベリア全体を掌握するのは困難で、日本の影響力は「国境地帯の限定的
支配」に留まる。
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5. 連合国の苦境
• ソ連崩壊で「東部戦線」という緩衝地帯を失ったため、英国は中東防衛を最優先課題と
する。
• 米国はなおも参戦準備中だが、ハワイ占領計画が進められており、太平洋戦線の火蓋が
切られるのは時間の問題。
• 日本は「独中枢軸の陸路連結」を大きな脅威と認識し、海空軍の強化を急ぐ。
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まとめ
1. 1942年夏、ドイツと中華民国が中央アジアで合流。東西の枢軸が繋がり、戦略的連携
が可能に。
2. 中華民国はドイツ製兵器で強化され、日本は中華戦線で再び苦境に立つ。
3. シベリアは無政府状態の泥沼で、日本は「限定的介入」に留める。
4. 連合国は全体的に守勢、米国の動きが戦局を左右する段階に。




