表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/146

日西戦争(1589–1591)

1. 開戦の経緯

• 九州平定後、日本商人がフィリピン・ルソンに進出。マニラには史実通り日本人町(数

百人規模)が存在していた。

• 1588年、マニラ当局スペインは日本商人を海賊視し、交易船を拿捕、商人多数を処

刑。

• 日本国内で激しい反発が起こり、信忠政権は「天下の公儀として商人を守る責務があ

る」として武力出兵を決定。

• 英国商人は日本に「スペインは布教を隠れ蓑に征服を企んでいる」と吹き込み、日本の

強硬姿勢を後押しした。

---

2. 日本軍の出兵(1589年)

• 総大将:羽柴秀吉(南海覇公)

• 兵力:約5万(うち武士・足軽3万、船乗り・補給兵2万)

• 艦隊:九鬼嘉隆・村上武吉率いる軍船300隻以上(安宅船・大型関船)、堺・博多商人

の商船も徴用

• 兵装:鉄砲2万丁、大筒数百門、攻城器具多数

• 日本史上初の「大規模海外遠征」となる。

---

3. ルソン遠征

海戦(マニラ湾沖)

• 日本水軍は小回りの利く関船・小早でスペインのガレオン船に肉薄戦を仕掛ける。

• 九鬼水軍の「火矢船」が大砲の死角に突入し、数隻を炎上撃沈。

• スペイン艦隊は火力では勝るが数で劣り、補給も断たれ敗走。

陸戦(マニラ攻防戦)

• 日本軍はマニラ北方に上陸、現地のタガログ人・日本人町と合流。

• 数か月に及ぶ包囲戦で鉄砲隊が砦を圧迫。

• 1590年春、総攻撃によりマニラ城砦が陥落、スペイン総督はモルッカ諸島へ退避。

---

4. フィリピンの占領

• マニラを拠点に日本の「南海府(仮称)」を設置。

• 博多・堺商人が行政・貿易を担当し、現地住民との協商も進む。

• 日本人武士団が屯田兵として駐屯し、マニラ湾岸に和式城郭を築城。

• ルソン北部は直轄地、南部・ミンダナオは間接支配。

• フィリピンは 「織田政権の海外初領土」 となった。

---

5. 戦争の余波

日本国内

• 信忠は「天下の公儀が異国を討ち、領土を得た」と大々的に宣伝。

• 海外遠征の成功は織田政権の正統性を高め、財政もフィリピン貿易で潤う。

スペイン

• 大打撃を受け、フィリピンを喪失。マニラから撤退しグアム〜メキシコ航路の維持に転

じる。

• ローマ教皇庁は日本を危険視、イエズス会に「布教の抑制」を命じる。

英国

• 日本の軍事力を目の当たりにし、正式な同盟交渉を開始。

• 造船技術・航海術・大砲を供給する代わりに、日本の銀・武具を入手。

• 日英接近が決定的となる。

---

6. 歴史的意義

1. 日本が初めて欧州列強と全面戦争し、勝利した。

2. 日本はフィリピンを拠点に東南アジア進出の足掛かりを得た。

3. 英国との提携により「反スペイン・反ポルトガル」の国際枠組みに加わる。

4. 天下布武は「世界布武」へと転換、日本は「海洋帝国」の道を歩み始める。

---

まとめると:

日西戦争は「日本が東南アジアへ飛び出す大転換点」であり、信忠政権をアジア有数の

大国から「新興世界帝国」に押し上げる戦争になります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ